春夢の狭間で

8話



 そこは畳が敷かれただけの簡素な一室だった。
「そういえば、あの貴狼のお嬢さんのこと、どう思ってるんです?」
「は?」
 不意に発された問いに面食らった。
 ふらりと離れの休憩所に現れた彼と他愛ない雑談をしていたはずなのに、どうしてそういう話になったのか――、よくわからない。
「……別に。なんとも……」
「素直じゃないなあ」
 わざとらしく溜息を吐き、彼は表情を改めた。
「今度の戦いはこれまでと違います。大切なものは一つでも多く抱えていてください。それが強い執着になって生死を分けることもあります。特に、貴方のように死に急ぎがちな人は」
「……なにも死に急いでるわけじゃ……」
「急いでいますよ」
 きっぱりと言い放ち、彼は正面に座った。放たれるピリッとした霊気に条件反射のように姿勢を正す。
「いつだって、独りで敵陣に突っ込むじゃないですか。風狼斎としての辛い立場は僕もわかっていますけど、この戦いでは本来の立場は意味がありません。僕達は仲間として力を合わせていかないといけないことくらい、わかっていますね?」
「……心得て……おります……」
 穏やかな表情だが、吹き付けてくる霊圧は息苦しいほどに強い。
「やむを得ない時ならしょうがないけど……。昨日の戦いなんて、僕も、皆も傍にいたのに……。何をそんなに気負っているんです?」
「考え過ぎですよ。貴方達の手を煩わせるような相手じゃなかったから、若輩のオレが片づけた。それだけです」
「ウソが下手だなあ……。あれが本当に雑魚の群れだったなら、こんなところでこっそり休んでいるはずがないでしょう……。左腕、動かないんでしょう?」
「え……」
 予想外の攻撃に詰まった。琥珀の瞳からは何も読み取れない。いつから見抜かれていたのだろう?いや、既に見抜いていたから、この場に姿を現したのだ。
 彼は「やっぱり」と呟き、息を吐いた。
「部屋で横になっていてください。筆頭には僕から話しておきます。その様子じゃ、三日ほどかかりそうですね」
「な……」
「利き腕だけじゃないでしょう……。脇腹と背中にも塞がっていない裂傷がありますね。まだ癒えていないということは致命傷スレスレだったんでしょう?」

 ――どうして、わかった……?

 湯呑を握る右手に汗が滲んだ。
 誰も怪しんだ様子はなかったはずだ。この人ほどじゃないけれど、完璧に演じられたと思ったのに――!
「昨日の連中、精鋭部隊だったそうですよ。そんなのの陣営に単騎で突っ込んで中央突破した挙句、前後左右から集中砲火を浴びながら大将もろとも吹き飛ばすなんて……。あんな無茶やって無事なはずがないでしょう……。それに、」
 彼はトントンと自分の左腕を指で叩いた。
「あの戦いの後から、利き手を使っていない上に、風がいつになく強く渦巻いています。誰も近寄ってほしくないみたいにね。体のあちこちから霊符の匂いもするし、動きもどこかぎこちないし……。それだけ不自然だと、さすがにわかりますよ」

 ――本職には敵わねェな……

 この人にはすぐに見破られるだろうと昨日から顔を合わさないようにしていたのに。遠目からでもわかるほど、自分の演技力は稚拙だったようだ。
「申し訳……、ありません……」
 素直に謝るしかできなかった。バレた相手が悪すぎる。
「責めているんじゃありませんよ……。作戦会議なんてできる状況じゃなかったし、誰かが斬り込まきゃいけなかったことも事実です。だからって、独りで突っ込むことはないでしょう?せめて、今度からは僕も誘ってください。僕達二人で斬り込み役なんですから」
「は……」
 茶を啜ると苦味だけが広がった。

 ――頼むから、早く行ってくれ……

 仲間が通りかかって話題を変えてくれるのは期待できない。部屋で寝ていれば誰かが気づくかもしれないからと、人の来ない離れを選んだのが裏目に出たようだ。
「……どうしてなんです?」
 彼はいつもの笑みを引っ込めたまま、ジッとこちらを見つめた。
「こういった形での戦いは馴染めませんか?仲間っていっても、貴方にとっては目上の人ばかりでやりづらいのはわかりますけど……、殿下とは前から親しかったじゃないですか。他の皆だって、そんなに格式や序列を気にするような人はいませんし、遠慮することなんて……、あ、でも、筆頭は慣れるまでちょっと時間かかるかなあ……」
「わかってますよ。そういうんじゃねェですから……」
 はぐらかしたままにしたかったが、どうやら難しいらしい。彼は穏やかだが、強情だ。納得するまで退いてくれないだろう。
「……正直、わからねェんですよ……」
 問い詰めてきたのが他の仲間だったら適当なことを言ってごまかしていたかもしれない。
 だけど、この人にだけはそんな態度を取りたくなかった。今の自分が在るのは、この人のおかげだ。
「オレは……、誰と戦うべきなのか……。戦が始まったってのに……、未だにわからねェ……。ただ、どっちについたとしても……、オレが生き残るべきじゃねェことだけはわかってるから……」
 細い眉がぴくりと動いた。
「生き残るべきじゃないって……、どうして?」
「そりゃそーでしょう。オレはどっちを討ったって不忠者ってやつじゃねェですか。生き残ったりしたら、兄上まで何言われるかわかったもんじゃねェ……。だったら連中を一人でも多く道連れにして消えるしかねェでしょうよ……」
「何を寝惚けているんです!?」
 霊圧が叩きつけたのと頬に痛みが走ったのは同時だった。「しまった」と思った時には遅かった。
「貴方は逃げているだけです!」
 男とは思えないほど華奢な体が怒りに震えた。太狼は他の狼に比べて小柄で細い。その嫡流ともなれば特に顕著だが、彼は歴代でも頭抜けているらしく、中性的な容姿だけでなく声も高い。それは太狼としての能力が頭抜けているということでもある。
「風狼斎に紋が表れて、殿下の下に集った……、それが答でいいでしょう!?貴方がこの陣営に参戦した時、討つべき相手は決まったんです!風狼斎として、殿下と共に奴を討って、堂々と凱旋する……、それのどこがいけないことなんです!?異を唱える者がいるなら、僕に言いなさい……!太狼一門の名において粛清してやりますよ……!」
 拳よりも平手打ちを放つところが、この人らしいと他人事のように考えながら、久しぶりの説教を聞いていた。風狼斎となった今、本気で叱ってくれるのは、もうこの人くらいだろう。
「生き延びなさい」
 琥珀の瞳が真っ直ぐに見つめた。
「貴方は、こんな戦で喪われてはいけない人です」

 ――その言葉、お返ししますよ……

 貴方も。仲間達も。

 ――皆、未だに迷ってるじゃねェですか……

 オレなんかよりも、よっぽど重くて大事なモン抱えて……
 自分の命と天秤にかけ続けてる……

  全員が生き残るのが難しい戦いだという。なら、犠牲は最小限に留めるべきだ。犠牲の適任者を考えれば、自分だと思う。
 綺麗ごとでもなければ、ひがんでいるわけでもない。
 仲間達は皆、いい奴ばかりだ。生き残って本来の立場に戻り、この世界を導かなければならない。この人だって、そうだ。こんな痛みしか生まない戦いで喪われてはいけない。
 彼らに比べて、自分は……、とっくに答の出ていることを未だに割り切れていないだけの未熟者で……。

 ――話すべきじゃ、なかったな……

 口調とは裏腹に泣き出しそうに揺れている瞳に酷く胸が痛んだ。
 あいつとオレを重ねているのかもしれない。全く似ていないというのに。
(ああ、でも……)
 この人にはずっと世話になっている。出会った時から。この戦いに参加してからも。
 このまま心配ばかりかけて終わるなんて最悪だ。

 ――死ぬ前にちょっとは恩返ししねェと……

 せめて、守って倒れよう。この人を直接守れなくても、誰かを守っての死なら、少しはマシに思ってくれるだろう。それでいいと、思った。








「一真君!一真君!!」
 肩を揺さぶられて顔を上げた。

 ――  様……

 声にならない声が心の奥で響いて消えた。覗き込む琥珀の瞳が誰かの面影に重なって霧散するにつれて碧の靄が消え、狩衣が制服に戻っていく。
「せん……ぱい……?」
「大丈夫ですか!?」
 肩を掴む手から霊気が立ち上っている。かなり強く呼びかけていたのだろう。
 視線を移すと、玲香も真剣な面持ちでこちらを凝視している。
「大げさだって。ちょっとボーっとしてただけじゃねェか」
「そんなわけないでしょう!?焦点が定まってなかったんですよ!?呼んでも応えなかったし……、敵がいるわけでもないのに異常覚醒が起こるなんて……!」
 望の慌てようを見る限り、どうやら相当マズイ状態だったらしい。
「足は動いていますか!?手は……!?」
「ちゃんと動いてるって。気にしすぎだぜ」
 わざとらしく手を振り脚を動かしてみせても、望は怖い顔をしたままだ。
「治まったんだし、もういいだろ?それより、光咲のことだっけ?」
 話題を逸らそうとすると、肩を掴む手に力が入った。
「この話はここまでにしましょう……」
 琥珀の瞳が揺れた。既視感が襲ったが、その正体はわからない。ただ、心の奥が鈍く痛んだ。いつかの時間の中で、あの色の瞳の持ち主を酷く悲しませてしまった――、そんな気がした。
「よくわからないけど……、このことは、これ以上触れちゃいけないような気がするんですよ……」
「……悪い……」
 口が勝手に動いていた。謝らなければならないと思った。望に、かもしれない。望に似た誰かに、かもしれない。
「甲矢殿に戻ってもらいましょう。まだ神社に着いたばかりくらいでしょう」
 望は鎮守印を手に取った。緊急事態に備えて、甲矢と総矢は鎮守印と繋がった水晶を持っている。
「そこまでしねェでも……」
「一真君!」
 いつになく強い口調に背筋が強張った。反論が全て吹き飛んでいく。
「蝕を、異常覚醒を甘く見過ぎています。これ以上、頻発するようなら……!」
「異常覚醒じゃないわ」
 冷静な声が望を遮った。
 組んだ両手の上に細い顎を置き、玲香はこちらを観察するような目をしていた。
「玲香さん?」
「どーいうことだよ?」
 鎮守役二人の視線を正面から受け、彼女はきっぱりと言った。
「斎木守役のそれは遊影よ。京にいた頃に、同じ症状の人を見たわ」
「遊影……?なんです、それは……」
「簡単に言えば、蝕を迎えていないのに前世が顔を出しちゃった状態。斎木守役は今、前世と今生の狭間に立っていて、振り子みたいに両方に揺れているの」
「どういうことだよ……?」
「それは危険なんですか!?」
 一真を押しやり、望は身を乗り出した。あそこまで必死になってくれるのが申し訳ない気がしたが、口を出せる雰囲気ではない。
「落ち着いて。珍しい症状だけど、遊影があるからって即座に蝕を迎えるわけじゃないわ。限りなく危険な状態には違いないけれど、まだ現で対処できるはずよ。だけど――」
 玲香は少し遠くを見るような目をした。
「そのうち、お迎えが来るかもね。斎木守役の前世を知ってる人達が、ね」





「望殿?」
 呟くなり道の端に寄り、甲矢は首から下げていた水晶を手に取った。赤い光が灯った水晶から霊気が立ち上っている。

(一真君の鎮守印に似てる……)

 形は若干違うが、無線のように使っているところや水晶の中がポツッと光っているところがよく似ている。
 無表情で淡々と何事か話し、彼女はすぐに通信を終えた。
「すまない。学園に戻らなければならなくなった」
「なにかあったんですか?」
 呪法の暴走した姿が過り、声が少し震えた。甲矢を呼び戻さなければならないくらいの状態なんて――、相当な大ごとが起きているに違いない。
「一真君は……」
「案じられるな。相談したいことがあるから来てほしいと言われただけだ」
「今からですか?荒野さん、夜は苦手って……」
 甲矢は何事か考え、少し表情を緩めた。
「ご心配には及ばん。これでも霊獣の端くれだ。夜だろうと、多少の邪が襲ってきた程度で遅れはとらん。それよりも、光咲殿のほうが……」
「あ、私は大丈夫です!家、もうそこだし」
 見慣れた自宅がすぐそこに見えている。「途中まで」というから、五色橋あたりまでだろうと思っていたが、家の前まで送ってくれるつもりだったらしい。
「妖気が落ち着くまでは逢魔が刻以降は家から出ないようになされよ。何かあれば、すぐに知らせてほしい」
「は、はい。ありがとうございます」
「では、私はこれで」
 言うなり甲矢は踵を返した。そっけないが怒っているわけでもなく、気分を害しているわけでもなく、ああいう性格らしい。この数十分の間に、最初に抱いていたような遠慮や恐れのようなものは随分と軽くなった。残念ながら、「友達」と呼べるくらいまで仲良くなれなかったけれど。
「あの、荒野さん」
 去っていく背に思わず呼びかけた。
「荒野さんは……、一真君のこと……、どう思ってるんですか……?」
 何を聞いているのだろうと思った。だけど、聞かなければいけないような気がした。
 きっと、彼女から返ってくる答えは――、光咲が思うような甘いものじゃないだろうから。
 ピタリと甲矢の足が止まった。ドクドクと鼓動が速くなっているのが自分でもわかった。
 甲矢は真っ直ぐにこちらに向き直った。
「全霊をもって守るべき御方だ。我が霊筋にかけて――」
「守る……?」
 感情が動かない彼女の目に強い光が灯っていた。
「荒野さんが……、ですか……?一真君を……?」
 霊獣がどうして一介の隠人を守ろうとするのか――、まるでわからない。しかし、彼女が嘘や冗談を言っていないことだけはわかる。彼女は本気だ。どういうわけか、本気で一真を守ろうとしているのだ。
「ひとつ、忠告しておこう。一真殿は隠人ごときに収まる器ではない。あの方はいずれ、遙かなる高みへ……、在るべき場へと戻られる」
「一真君は京都のほうの霊筋だから、そのうち京都へ帰っちゃうっていうことですか……?」
 甲矢は静かにこちらを見つめた。
「いずれわかる時が来るだろう。ただ、一真殿に関わり続けるならば、貴女も無事では済むまい。共に在ることを望むならば、覚悟をもたれよ」
「覚悟……?なんの……?」
「全てを捨て去る覚悟だ。前世の縁は、今生の己を捨てるほどの価値があるものなのか……、よく考えられよ」
 何故かズキリと胸の奥が鈍く痛んだ。