春夢の狭間で

7話



「あら?北嶺先輩はもう少し残りたいみたいだったけど?」
 光咲の助っ人中止案を聞いた玲香は意外そうな顔をした。
 盆に載せた紙コップを手際よく配り、彼女は席について自分の分の紙コップを手に取った。自分の飲み物を淹れるついでに一真達の分も淹れてきてくれたらしい。近寄りづらい雰囲気を持つ少女だが、意外と世話好きだ。
「ありがとうございます、玲香さん。カフェラテですか?」
「グループ会社で新開発した抽出機器を導入したの。お口に合えばいいんだけど」
「食堂にも設置されたみたいですね。僕はまだ飲んでないけど、補佐の皆が噂してましたよ」
「ここにあるのは食堂よりも小型だけど、味は本格的よ。開発担当者が感想を聞きたがっていたわ。城田組長が美味しいって言ってくれると、現衆への宣伝効果が抜群なの。妖獣の件が落ち着いたら、屯所に開発グループをお邪魔させてもいいかしら?」
「構いませんよ。日程は社務所と打ち合わせてください」
「ご協力感謝します。いいお土産をお持ちするように言っておくわ。リクエストはある?」
「じゃあ、隊の皆が喜びそうなものをお願いしようかな」
 ほのぼのとする二人を横目に、一真は少し苦い顔をした。
「オレにはそうは見えなかったけどな……。なんか無理してたみてーだったし……」
 光咲は昔から自分のことを抑え込むところがある。例えば、自分のほうが体調を崩しているのに詩織や若菜が風邪気味だと言えば世話をしてやったり、自分の用事をキャンセルして友達に付き合ってやったり――、頼まれたり、目の前で困られたりすると、つい手を伸ばしてしまうのだ。そのせいで、後になってから風邪をこじらせて寝込んだり、楽しみにしていたチケットを取れなかったりと損な目に遭っている。そこは昔から変わらないのだが――。
「なんか、最近、妙によそよそしいんだよな……」
「何か失礼なことでもしたんじゃない?幼馴染だからって、体重の話とか、ご飯の量を城田組長と比べたりしちゃダメよ?」
「どうして、そこで僕が出てくるんです……?」
「気にしないで。武蔵国の現衆で小食の代名詞っていうと城田組長なの」
 望を黙らせ、玲香は真剣な顔をした。
「西組で鎮守役をやっていたら感覚がおかしくなるのもわかるけど……、城田組長の胃は特殊なの。高校生どころか、人間の枠で考えちゃダメな人なのよ?」
「待って、玲香さん。霊格はよく言われるけど、胃もですか!?」
「あら、私からみれば胃のほうが異常よ。人間どころか霊獣の枠にも入っていないんじゃないかしら」
「えっ!霊獣にも入れないんですか、僕!?」
 衝撃を受けている望を無視し、玲香は続けた。
「いい?城田組長はおにぎり一つで一日過ごせてお腹も鳴らないとか、城田組長のウエストならSサイズでも余裕で着こなせそうとか……、事実だとしても言われた女の子は傷つくわ」
「言ってねェよ、ンなこと。そりゃ、先輩なら光咲のスカートでも普通に履けるだろーけどさ……」
「ヤダなあ、一真君。さすがにそれは無理と思……」
「大丈夫。城田組長なら着こなせるわ」
「おう。その細さなら詩織のスカートでも気合入れたら履けるかもしれねェ」
「そんな……!僕、女子中学生並なの!?今年で高校三年生ですよ!?」
「嫌だったら、ちゃんと飯食ってくれ……」
 しみじみとツッコミを入れ、一真は息を吐いた。
「オレがなんか言ったとか、そーいうことじゃなくてさ。もうちょい深刻な感じがするっていうか……。なんか人に言えないこと悩んでるっていう感じなんだよな……。霊気も時々変な乱れ方してるし……。だからって、邪が入るとか、そーいうんじゃねェし……」
 凹んでいた望が主座の顔をした。
「それは何か抱え込んじゃってる可能性が高いなあ。小さなことでも、思い当たる事はありませんか?」
「思い当たるっていうか……」
 温かなカフェラテを一口飲み、どう説明したものかと考える。
「あいつの家、おじさんは鎮守役だし、おばさんは隠人専任の看護師だし、若菜は入隊希望者だろ?皆、霊格高いんだよな」
「北嶺家は町内有数の高位隠人の霊筋ですからね。北嶺守役なんて、南組の五本指に入る実力者ですし……、あれ?」
 望は何かに気づいたように小首を傾げた。
「気にしていなかったけど、光咲さんは普通の霊格ですね……。ちょっとキツいかもしれないなあ」
「やっぱよくねェよな……。補佐と話してたら思うんだけどさ、霊格が一段違ってたら、視えてるもんが違ってるだろ?光咲って家で一人だけ普通だからさ……。おばさんとか若菜と話合わねェ時あるんじゃねェかなって……。あいつがよそよそしくなったのって、現衆で修業始めてちょっとしてからなんだよな……」
「講習で霊格の差を測れるようになったんでしょうね。一ヶ月くらい真面目に講習を受けていたら、相手の霊格が自分よりも高いかどうかくらいは判別できるようになるわ。相手が自分より大幅に格上だったりすると、無意識に遠慮しちゃったりするのよね」
「……遠慮か……。そんな感じかもしれねェな……」
 巡察のせいだと思っていた。
 鏡面や妖獣の件で鎮守隊の危険さを知っているから、気を遣っているのだろうと。
 だが、最近の光咲を見ていると、言いたいことがあるのに我慢しているような気がする。
「家族で一人だけ霊格が高いのと同じくらい一人だけ低いっていうのも相当なプレッシャーになりますからね。霊格が高かったら対策が必要だけど、霊格が低い場合は特に手を打つ必要もないから、あんまり問題視されないけど……」
「危険性がないっていうだけで、本人には深刻な場合が多いわ。学園のカウンセリングに来る生徒の半分は霊格が低くて家族から浮いてるっていう相談だっていうもの」
「そんなにいんのか?」
「ええ。鎮守隊にはあんまり情報は入らないでしょうけど」
「そーなのか??」
 望が頷いた。
「紋付隠人の一般的な問題は鎮守隊の管轄外ですからね。現衆や学園のような専門窓口が担当してくれてるから、僕達が対応する必要はありませんし」
「まあ、そうだよな……」
 鎮守隊は邪を鎮める為の実働部隊だ。邪や鬼化には積極的に動くが、それ以前の状態には現衆の窓口を勧めることになっている。鎮守隊員の中には自らも悩みを抱えている者が多く、他人の悩みに触れることで自らだけでなく相手の負の気まで増大させてしまう危険があるからだという。詩織が鏡面にとり憑かれる前の不安定だった頃、望が積極的に関わろうとしなかったのはこの規則の為らしいと、最近になって知った。それでも、自ら面会しようとする程度には気にかけてくれていたのだけれど。
「そーいう悩みって、解決できるもんなのか?」
「そうだなあ……」
 望は砂糖をかき混ぜながら唸った。
「本人の気が済むようにさせてあげるのがいいんじゃないかなあ。今回なら、助っ人を断わる前に光咲さんの意向を確認したほうがいいでしょうね。何も言わずに断ったら、霊格の低さが理由だと思い込んで落ち込んでしまいそうですし」
「あいつ、たぶん、『大丈夫』って言うぜ……。ホントは怖かったりしても、断わったら悪いとか思って無理すんだよ……。
こっちから中止って言ってやらねェと……」
 深々と溜息が聞こえた。
「なんだよ、槻宮」
「斎木守役は鈍いのね……」
「は?」
「恋愛に霊格は関係ないっていうことよ。北嶺先輩に同情するわ……」
「オレと光咲はそーいうんじゃねェよ。幼馴染って言ってんだろ?」
「斎木守役がそうだとしても、北嶺先輩もそうとは限らないわよ?」
 妙に含みのある言い方に眉を顰める。自分達は何も変わっていない。互いに高校生になったし、鎮守隊に関わるようになったから昔と同じというわけにはいかないが、距離のようなものは変わっていないはずだ。
「どういう意味です、玲香さん?」
「ふふ、城田組長も見てきたはずよ?」
 玲香は楽しそうに笑った。
「何とも思っていない人の為に、妖気でダルいのを我慢して夜食作ったり、急な応援に参加したりすると思う?使命感や焦りだけでやってるんだとしたら、呪法の発動に出くわしたりしたら鎮守役の指示に従って避難するわ。北嶺先輩の霊格じゃ呪法を目にしたら足が竦んで動けないはずだもの。それでも怯まなかったっていうことは、先輩に霊格との差を埋めるだけの思いがあるっていうことでしょ?」
「あ、なるほど……。そちらでしたか……」
 初めて気づいたように望はポンッと手を打った。
「そういうことなら話は全然違ってきますよ、一真君。鎮守役は恋愛は自由だけど、万一に備えて主座への報告義務がありますし」
「は?ンだよ、それ……」
「ちゃんとした規則ですよ。恋愛って、深い感情が絡むでしょ?その分、邪につけこまれやすいんです。鎮守役の恋人になったら鏡面みたいに知恵を使うタイプの邪の標的にされやすいから、優先して護衛をつけなくちゃいけない時もあります。そういうわけで、光咲さんのこと、どう思ってるんです?」

 ――他人の恋愛より、自分へ向けられてる(若菜の)好意に興味を持ってくれ……

 ツッコミを飲み込んだ。ここはまず、彼らの好奇心をかわさなければならない。
「ったく。先輩まで何言ってんだよ……。オレ達は別に……」
 ドクリと鼓動が跳ねた。碧の靄が脳裏に広がっていく。
 望の制服がぶれ、形を変えた。ゆったりとした狩衣のようなものを纏った誰かは望がよくするように小首を傾げた。

 ――誰……だ……?

 知っている。知らない。二つの感覚がぶつかり、碧の中に消えた。