春夢の狭間で

6話



 夕闇のどこかで烏の声がした。
 傍を通る人の顔が闇に霞んでいく逢魔が刻。黒っぽい靄が建物の影から這い出してきては生きているように漂っていく。通りを歩く人達に混じって半透明の人影が当てもなく彷徨っては通りの向こうに去っていく。初めは怖かった景色も、いつの間にか慣れてしまった。
(一真君達、遅くまで残るのかな……)
 正門を出たところで光咲は校舎を振り返った。



「悪い、光咲。地図探しは中止になった」
 そう切り出した彼の手では霊符が蒼く光っていた。光咲の視線に気づき、一真はさりげなく左手を隠した。
 呪法が収まって少しして、甲矢が望と玲香を呼びに行った。一真と甲矢を加えた四人で何事か話し合う気配が十分ほど続いたが、何を話していたのかはわからない。自分のことを話しているのではないかとハラハラと様子を窺っていると、一真が少し緊張した様子で現れた。
「中止?」
「さっきの呪法の巻物が妖獣と関係あるかもしれねェらしくてさ。ちょっと調べてみることになったんだ。地図探しは別の日にするってさ」
「うん……、わかった。じゃあ、今日は帰るね」
 それが光咲に気を遣ってくれているウソかもしれないと思わなくもなかったが、困らせたくなくて頷いた。
「怖いもん見せちまったな。今度、何か驕るからさ」
「ううん……、そんなのいいから……」
 いつもならば素直に喜んでいるのに、何故か嬉しくなくて彼の顔を見上げた。
「また誘ってね?私だって……、仮だけど現衆だよ?」
 一真は面食らったような顔をしたが、すぐに真顔になった。
「わかってる。けど、戦うのはオレ達鎮守役だからさ。現衆だからって無茶することなんてねェよ。光咲は、そのままでいてくれ」
 寂しさと安堵と嬉しさが入り混じった気持ちが渦巻いた。どう言えばいいのかわからなくて、ただ頷いただけだった。



「どうかなされたのか?」
 静かな声に慌てて振り向いた。少し前を歩いていた甲矢が足を止めていた。
「あ、いえ。なんでも……、ないです」
 小走りになって横に並ぶと、甲矢はまた歩き始めた。
「あ、あの、さっきの巻物を調べるって言ってたけど……、一真君達だけで大丈夫なんですか?」
「問題ない。望殿と玲香殿がおられれば、多少のことが起きたところで収められるだろう。あのお二人の力と技量は霊獣にも引けを取らん」
「霊獣と同じくらい……、槻宮さんも……」
 望が凄いことは知っていたが、玲香もそうだったなんて。一真がまた遠くへ行ってしまった気がした。
「急ごう。貴女の霊格では妖気の負荷は大きいだろう。逢魔が刻を過ぎる前に家に入ったほうがいい」
「は、はい」
 スタスタと歩いて行ってしまう甲矢を慌てて追いかける。
 霊獣は夜型と昼型がはっきりしているという。彼女は昼型で夜の間は力が十分に出せないので逢魔が刻を境に夜型の兄と交代するらしく、一真達のミーティングには参加しないらしい。途中まで方向が同じだからと、一緒に帰ることになった。それだけでも十分以上に複雑な気分だったが、今はもっと深刻な事態に直面している。
(……どうしよう……、空気が重たいよお……)
 端正な横顔をチラチラと窺い、自分のつま先に視線を落とす。
 彼女と道中、どういう話をすればいいのか――、全くわからない。
 新しいスイーツのお店の話やファッションの話、ドラマの話……、友達同士ならば普通に盛り上がるような話題なんて興味がなさそうだ。それとも、狼の霊獣というくらいだから焼肉屋さんの話でもしたら乗ってきてくれるのだろうか?
 恋話は――、今は一番避けたい……。
「光咲殿は一真殿の友人だそうだな」
 不意の問いかけにビクッと顔を上げた。
「そ、そうですけど……」
 首肯すると黒い瞳がジッとこちらを見た。

 ――あの時と同じ目……

 初めて彼女と会った時の眼だ。あの時は値踏みされているようだと思ったが、こうしているとわかる。値踏みなんかじゃない。彼女がこちらに向けているのは、もっと深いものだ。光咲が知っているもので一番近いのは、面接官ではないだろうか。
「貴女は……、一真殿をどう思われている?」
「へっ?」
 彼女の口から発せられるのには意外すぎる問いに何を言われたのか理解できなかった。
「ど、どうって……、その……」
 資料室での彼女が過った。もしも、光咲が思ったとおりだったりしたら……。
 だけど、仮にそうだったとして、光咲に何かを言う資格なんてない。自分達は幼馴染だが、付き合っているわけでもないのだから……。
 そもそも、お互いをどう思っているかなんて、考えたこともなくて――。

 ――でも、荒野さんは……

 彼女の眼は真剣そのものだ。あんな顔で、こんな質問をするなんて、意味は一つしかないではないか。

 ――受け入れなきゃいけないんだ……

 一真君は、あんなに強いんだもの。あんなに優しいんだもの。彼女が霊獣だとしても、好きになってしまうことくらい……、あるかもしれない……。
 鞄を持つ手に汗が滲んだ。
「あ、あの……、それって、その……、荒野さんは一真君のことが……、あの……」
 意を決して口を開いたものの、どうしてもその先が出てこなくて、もごもごと口ごもった。「そうだ」と言われてしまったら、どうすればいいのか。どう答えればいいのか。
「すまない。聞き方が悪かったようだ」
 甲矢は言葉を選ぶように少し考えるそぶりをした。
「貴女は幼い頃より一真殿と共に過ごしたと聞いている。今も何の変りもなく共に在るようだが……」
「は、はい。お、幼馴染ですから……」
 甲矢の意図が分からず眉を顰めた。彼女から感じるのは重たいくらいの真剣さだ。とてもではないが恋愛絡みの話をしようという雰囲気ではない。
「これまでに一真殿に畏れを抱かれたことがおありか?」
「おそれ……ですか?」
 「おそれ」に他の意味があっただろうかと考えてみるが、光咲が知っている意味は一つしかない。
「答えになってるかわかりませんけど……、一真君を怖いって思ったことなんて、ないです」
「……先ほど、一真殿が呪法を発動させた時、貴女は傍にいたが……、恐ろしくはなかったか?」
「全然……」
「そうか……」
 甲矢は静かに瞑目した。何か悪いことを言ってしまったような気がして、彼女の次の言葉を待った。
「問いを変えよう。昼間、私と初めて会った時、光咲殿は私に対して畏れを抱かれた。あれに似た感覚を一真殿に感じたことはおありか?」
 フルフルとかぶりを振った。
「まことか?一真殿と貴女の霊格の開きは畏れても不思議はないほどに大きい」
「一真君の霊格が凄く高いのは知ってるけど、一真君は一真君だから……、そんな風に思ったことなんて、ないです」
 甲矢は自らの考えに答をもらったように小さく頷いた。
「なるほどな。やはり光咲殿は、一真殿と縁を持っておられるのかもしれぬな……。今生ではなく、前世……、霊獣として生きておられた頃に」
「前世……?」
 彼女が言っていることはわかる。
 この武蔵国一帯の狼の霊筋は元刃守の里の霊獣だ。千年前の妖変で命を落とした霊獣達が自らに縁を持つ霊筋の中に転生しているという話は講習で何度か聞いている。鎮守隊に入れるほど格の高い者はもちろん、紋付の隠人もまた、霊獣としての前世を持つ可能性が高い、と。
 などと言われたところで、前世と言われても今一つ実感が湧かないし、本人を前にしても「霊獣」という存在がよくわからないのだが。
「貴女は霊獣として生きておられた頃、一真殿に会っておられるやもしれんということだ。そうでなくば、これほどの霊格の差がある相手に平然としていられるはずがない……」
「で、でも……、城田先輩もそうなんじゃ……」
「望殿は霊力の制御に長けておられるゆえ、戦いの場以外で霊力を解放されることはまずない。一真殿も制御してはおられるが、先ほどのように馴染んだ者ばかりの場では御す力が緩む。少なくとも、呪法に触れていた時の一真殿は霊力を抑えておられなかった。あの一真殿を前にしても、何も感じられなかったのだろう?」
「え……と、」
 思い返してみる。とにかく必死だったから、あまり覚えていない。けれど――。
「なかったと……思います……」
「それが、縁を持つということだ。貴女は霊獣だった頃、一真殿との霊格の差を身近に感じておられたのだろう。今生でも一真殿の霊格に何の違和感も抱かんのはそのためだろうな」
「ほ、本当ですか!?」
 つい弾んだ声が出た。前世のことなんて全くわからないが、本当にそんな縁があったのならば嬉しいし、前世では自分達はどんな関係だったのか――、凄く気になる。
「あ、あの、前世って思い出せるんですか?」
 勢いで口にしてしまってから恥ずかしくなった。

 ――なんてこと聞いてるんだろ……

 さすがに今の質問は呆れられただろう。恐る恐る甲矢を窺うと、彼女は「そうだな……」と呟き、考え込み始めた。
(荒野さんって……)
 いい人なんじゃ……
 無表情で分かりにくいが、質問にちゃんと答えてくれるし、霊獣だからといって偉そうな態度をとるわけでもない。一真は少しばかり苦手そうにしていたが、もぅ少し一緒にいれば、きっと彼だって甲矢のいいところに気づくはずだ。そうすれば、仲良く――。
(あ、でも……)

 ――仲良くなりすぎるのは……、ちょっと……、ううん、かなり困る……

 光咲があれこれと脳内で悩んでいるのなど微塵も気づかない様子で甲矢はこちらを振り向いた。
「一真殿達のように霊格が高ければ霊獣としての自我が目覚めることはありうるが……。光咲殿の霊格ではそうそう目覚めることはないだろう。だが……、乙程度の霊格でも霊体への大きな衝撃によって目覚めた者がいないわけではない」
「じゃあ、思い出せるかもしれないんですね!?」
 思わず彼女の顔を見上げると、黒い瞳が少し彷徨った。
「全くないわけではない、としか言えん。ただ、」
 甲矢は少し言い淀んだ後、きっぱりと口にした。
「霊獣としての一真殿は激しい風の中心におられる。その方と縁を持つということは、霊獣としての貴女は……、その風の中にいたということになる。今生でもその縁が生きているというのであれば、くれぐれも厄介ごとには首を突っ込まんほうがいい」
 暗くなっていく世界のどこかで、烏が哭いた。




「いきなり巻物に噛まれるなんて、さすが一真君だなあ」
 光咲と甲矢が帰った後、資料室から第五会議室に場所を移し、望はカラカラと笑った。
 巻物の持ち出し手続きと資料室の鍵を返しに行った玲香を待つ間、やはりというか、話題は呪法の発動報告になった。
「笑い事じゃねェよ……。触っただけで食い付いてくるなんて聞いてねェって。ほとんどピラニアじゃねェか……」
 左手では天一の蒼い光に代わり、勾陣が黄色い光を放っている。甲矢が貼ってくれた呪法対策用で、勾陣はこういう応用も可能らしい。
「甲矢が来なかったら、けっこうヤバかったかもな……」
「そうなの?一真君なら簡単に吹き飛ばせると思うけど」
「オレ一人だったらどーとでもできるけどさ……。光咲もいたし、あんま派手なことやるのもさ……」
 巻物が吸いついた傷は大したことはなかったが、左手との間で開こうとした玉響を押し潰したのは無謀だったらしい。甲矢が施した天一でも時間がかかる程度には重傷だったようだ。不幸中の幸いだったのは、光咲が怪我に気づいていなさそうだったことだろう。怪我の類は鎮守役をやっている間にかなり慣れたが、彼女には少しばかり刺激が強すぎる。あんな手の平の肉が吹き飛んでいるような傷口を見てしまったりしたら、卒倒ものだろう。
「意外だなあ。一真君でも遠慮する事あるんですね」
「アンタ……、オレを何だと思ってんだ……?」
「えーっと……、台風を連れた野良狼……、かなあ……」
「狼はともかく、その枕詞なんなんだよ……。野良ついてるじゃねェか……」
「あはは、気にしちゃダメですよ。イメージです、イメージ。さて、」
明るく笑い、望は少し表情を改めた。枕詞が物凄く引っかかったままだが、とりあえず押し込めておく。
「光咲さんには悪いことしちゃいましたね。せっかく来てくれたのに」
「あ〜〜、そうだな……」
 ポリポリと頭を掻いた。
 帰り際、光咲は何か言いたそうな顔をしていたし、霊気も揺れていた。無理もない。玉響が開きかねない場に遭遇してしまったのだ。口には出さなかったが、相当堪えていてもおかしくない。
「後で謝っとく。あいつに手伝いを頼むのはやめたほうがいいかもな……。光咲は鎮守隊志望者でもねェし、呪法なんかに関わらせちゃ危ねェよ……」
「ええ。呪法がここまで簡単に発動してしまうものだっていうんなら、光咲さんには荷が重いかもしれませんね。だけど、手が足りていないのは事実です。時間もあんまりない現状じゃ、一人でも助っ人がほしいんですよ。光咲さんみたいに鎮守隊に近くて信頼できる霊筋の人が……」
「若菜は?あいつなら呪法がちょっと発動した程度、なんてことねェだろーし、先輩が頼んでるって言ったら……」
 大喜びで参加するだろーし……
 どうしてもその言葉を口に出せず、喉で止めた。
 妹分の(たぶん)初恋なだけに応援してやりたいとは思うが、惚れた相手が悪すぎる。この、邪と戦うことが九十九パーセントを占めていそうな師匠の脳に、自分への好意を受け止められる余裕があるとは思えない。ちなみに、残りの一パーセントは自分の霊筋への悩みで占められていそうだ。
 案の定、望は唸った。
「確かに霊格も霊筋も申し分ないけど、補佐の一次試験が近いからなあ……。若菜さん、入隊希望で願書出してたし……。未来の補佐の勉強の邪魔するのもなあ……」
「試験??んなもんあったのか……?」
「あれ?一真君にはまだ話してなかったっけ??」
「聞いてねェよ。てか、補佐って霊格が規定以上だったら、応募したらすぐ入隊できるんじゃねェの??」
「そういうわけにもいかないんですよ……。人手足りないけど、規定は守らなくちゃ……」
 望はふうっと息を吐いた。
「霊格はもちろん大切ですけど、受験資格みたいなものです。補佐でも霊符を扱ったり、邪と対峙したりしますからね。霊符や霊力の理論をちゃんと押さえているか確認しておかないと危ないんですよ。だから、知識と実技を何段階かに分けてチェックして、ようやく入隊になるんです。一次試験でもけっこう落ちるから、三、四回目くらいの受験で合格できればかなり早いほうですよ」
「待ってくれよ。オレ、そーいうの全然受けてねェけど、いいのかよ??」
「鎮守役は戦闘力と霊格、あとは性格重視ですから。鎮守役が候補者を推薦して、他の鎮守役が戦闘力や人柄を確認した後、主座が最終的に何度か試験して入隊になるのが普通です。一真君は僕が直接推薦したから、推薦状を受け取った時点で合格だったんですよ」
「は〜〜、先輩の推薦って凄かったんだな……。でもさ、オレが入隊した後で外れだったりしたら、どーするつもりだったんだよ……」
 優音が突っかかってきた理由がかなり理解できた気がした。疲労困憊状態の望が何処の馬の骨かもわからない奴を一夜で入隊決定してしまったとなれば、思考力の低下を疑っても仕方ない。いや、今となっては望の無謀な動向は片っ端から疑ってほしい。
「そこは間違いありませんでしたよ。鏡面の一件で一真君の戦闘力も性格も即戦力タイプだってわかったもの。ただ、詩織さんのことで相当気が立ってたから、スカウトの時期どうしようかなって思ったけど……」
「……いつ決めたんだよ、オレの推薦……」
「ん〜〜、浅瀬橋で一真君と戦ってた時かなあ……。喧嘩慣れしてるし、覚醒するかしないかの状態であれだけ霊力使って戦えたら、ほとんど研修要らないなあって。見よう見まねで風打ちまで使ってくるなんて思わなかったから、かなりビックリしたけど」
 望は当時を思い出すような顔をした。
「あの浅瀬橋の戦いが一真君の入隊試験みたいなものですよ。霊山や里のことは現在進行形で勉強してもらってるし」
「妖獣なんてオマケ付だけどな……」
「今回の件が落ち着いたら、補佐の一次試験の問題でも見てみます?一真君の場合、千年に一度クラスのイレギュラーが標準になってそうだもの。普段の指揮系統とか知っておいたほうがいいでしょうし」
「普段の鎮守隊ってのが、もうわからねェよ……」
 思えば、入隊前からイレギュラーに巻き込まれているような気がする。こんな滅茶苦茶な事件ばかり起こっているなら、鎮守役を長くやれるわけがないから、「普段の鎮守隊」はもう少し平和なのだろう。少なくとも、誠次が何年も勤めていられる程度には安全なはずだ。
「そーいえば、補佐の一次試験って何すんだよ……?」
「わりと普通のペーパーテストですよ。鎮守隊や現衆についての知識を試す感じじゃなかったかな……。二次試験からは霊符や霊力の知識が要りますけど……」
「マジか……。んな面倒なの受けるヤツいんのか……?」
 二次試験ならともかく、一次試験はともかく退屈そうだ。教科書のようなものがあるのかは知らないが、一ページ目でリタイヤする自信がある。
「そう思うでしょ?実は、一次試験は受験者多いんですよ。合格したら現衆から景品が出るから、それ狙いですけど」
「へえ、どんな?」
 そんな面白くない試験を受けようと思う程度にはいい品が出るのだろう。全国規模の組織だというから、全国どこでも使える商品券とか、○○一年分とか、高級△△とかなのだろうけれど。
「里で廃棄処分されるお茶が一袋と、同じく廃棄決定の金平糖が一袋ですよ。廃棄処分っていっても、どちらも味や消費期限は問題ありません」
「また里から出たゴミじゃねェか……。現衆って、里のゴミ引き取らされてんのか……?」
「ダメですよ、一真君。『おさがり』って言わなくちゃ。確かに霊獣にはゴミだけど」
「……先輩もゴミって思ってんじゃねェか……」
 いつぞやのお香のように目玉が飛び出るような値段なのだろうけれど。「霊獣の里のおさがり」といえば凄そうだが、甲矢や総矢の仲間が造り損ねたものだと思うと、価値が暴落する気がするのは何故だろう。
「お香もそうだけど、霊獣や僕達にはあんまり効かないっていうだけで、普通の隠人や人間には大金払ってもほしいようなものなんですよ?」
「へえ、今回も飲んだり食ったりしたら、若返るとか?」
「確か……、お茶はお茶碗一杯分飲んで横になっていれば三時間でインフルエンザや肺炎が完治する程度の病気治癒力増幅、金平糖は一粒舐めている間に複雑骨折が跡形もなく治って後遺症も残らない程度の外傷治癒力増幅じゃなかったかな」
「……相変わらずスゲェじゃねェか、里のゴミ……」
 インフルエンザや骨折が即座に治るような薬がテストに合格するだけでもらえるならば、受験したくなるだろう。霊力や霊符を使えばすぐに癒える怪我でも、人間や一般の隠人には回復に時間がかかるのだ。
「でもさ、そーいう効き目があるってことは、苦かったりすんだよな、やっぱ……」
 望は何かを思い出したのか、ブレスレットに手をやり、ぽち袋くらいの紙の包みを取り出した。
「食べてみます?」
「持ってんのか!?」
「今朝、新しいのが入荷したから一袋もらったんですよ。一真君も見習いから正規の鎮守役に昇格したら、いつでももらえますよ」
「そんな特典あるんだな、鎮守役って……」
「怪我が絶えませんからね。回復系は最優先で回してくれるんですよ。効くかどうかは個人差がありますけど」
 コロンと手の平に転がった金平糖は少し普通より大きい気がするが、ドロップ程度の大きさだ。多少の霊気は感じるものの、そんなに凄いものには見えない。一通り眺めた後、口に放り込んでみるが、やはり霊気が少し漂った程度だ。
「どうです?」
「……金平糖って、こんな味だったっけなってくれーかな……。あんま薬ぽくねェけど……」
 ゆっくり舐めてみるが、控えめな甘さが広がるだけだ。舌触りも普通だろう。これが本当に骨折を完全回復させるような代物なのだろうか?
「一応、霊薬に分類されてるけど、里では健康食品みたいな扱いですからね。値段も他の霊薬に比べたら安いですし」
「ふーん。オレらがタダってことは、一袋で五百円くらいか?」
 望が持っている紙袋のサイズでは十粒も入っていないだろう。五百円でも十分高い。
「ヤダなあ、一真君。そこまで安くないですよ。現衆の販売価格で一粒五十万円です」
「はあ!?ごじゅう!?一粒で!?」
 思わず金平糖を少しかみ砕いてしまってから、慌てて舌の上で転がしてみる。急に味がまろやかになったような気がした。
「僕も値段聞いた時は驚きましたけど、」
 望は自分も一粒口に放り込んだ。
「やっぱり普通の金平糖ですよねえ。僕達が食べても気分転換くらいにしかならないから、そう思っちゃうんでしょうけど。こんなに小さいんじゃ、ご飯代わりにもならないし……」
 望はカリコリと惜しげもなく金平糖を噛んでいる。

 ――スゲェ……。五十万円が容赦なく食われてく……

 口の中で大事に転がしている一真を尻目に、望はさっさと飲み込んでしまった。鎮守役を長くやっていると感覚が麻痺するのかもしれない。
「現衆では高いけど、鎮守隊員には一袋千円くらいですよ。紋付の隠人が食べると、霊体と肉体の繋がりが強くなったり、霊気が体に巡りやすくなったりするから、補佐の皆も持ってますよ」

 ――なんだ、オレが買えば千円か……

 何故か安心して金平糖をかみ砕いた。やっぱり普通の金平糖の味しかしないが、ミントを噛んだような清涼感が口内に残った。
「でもさ、怪我は霊力でなんとかするとして、インフルエンザとかはオレらでもヤバいんじゃねェの?」
「霊格が高いほど霊力が肉体を補強してるから風邪とかが入ってきにくいんです。僕達が風邪にやられるくらい肉体が弱ってる時って、霊体のほうが弱ってるから、先に霊体を回復させないといけないんですよ。でも、里で廃棄処分になるものは霊体まで届かないんですよね。もうひとつ、いります?」
 望は無造作に二つ目を口に放り込み、一真に金平糖の袋を差し出した。