春夢の狭間で

4話



「うげ……、マジか……」
 第五資料室に足を踏み入れた一真の第一声がそれだった。
 足の踏み場もないくらいに床を埋め尽くす巻物や紐で綴じられた年季の入っていそうな冊子。ただ広い亜空間に並んだ天井まで届く本棚からは雪崩が起き通路をあちこちで塞いでいて崩れかけた迷路のようだ。床に積み上がった本の高さは軽く光咲の背丈だけでなく一真をも追い越していて、いつ雪崩が起きてもおかしくないくらい傾いている。
「ジイちゃんの一人暮らし軽く上回ってるじゃねェか……」
「生ものないだけマシだよ、一真君……」
「それもそっか……。つーか、生ものもミイラになるだろ、これ……」
「そだね……」
 自分達の会話に僅かな疑問が過ったが、目の前の現実には些細なことのように思えた。
「ちょっと来ない間に悪い方にグレードアップしましたね……、玲香さん……」
 少し遅れて合流した望はいつもの柔和な笑みを浮かべている。一真によると笑いながら怒りを溜めていくタイプらしいので、あの笑顔の裏で何が起きているのか――、光咲には見当もつかない。
「僕が最後に入った時は空き巣が荒らした程度だったけど、今日は窃盗団が暴れたレベルなんですけど……」
「言いたいことはわかるわ、城田主座……」
 玲香は長い髪をシュシュで束ねながら積み上げられた冊子を眺めた。
 理事長の孫だという彼女は大人びた容姿といい、落ち着いた口調といい、上級生といわれても違和感がない。さっき中学二年生だと紹介されたが、あれで若菜や詩織と一つしか違わないなんて全然信じられない。
「霊域と妖獣の件で、いろいろ資料が必要だったでしょ?いつもなら事件が収まった後に片づけるんだけど、今回はそれどころじゃなくて放置状態になっちゃってるのよ。でも、そろそろデジタルで管理したいわね……。アナログも限界に来てる気がするわ……」
「……デジタルって……、片づけだけで何百年かかんだよってレベルだけどな……」
「言わないで、斎木守役……」
 玲香はふうっと息を吐き、ヘアバンドの飾りの水晶に手をやった。
「定期的に掃除しているけれど、使ったほうがいいわ」
 水晶から取り出したマスクと手袋を皆に渡し、自らもマスクをつけた。
「休憩用の椅子は最優先で拭いてるけど、一応、座る前は叩いてね。水を飲む程度なら大丈夫だけど、何か食べるのはご法度よ。あと、火気と水気厳禁だから、火属性と水属性の霊符も控えてね。資料室そのものの注意はそれくらいかしら……」
 玲香は少し気合を入れた様子で壁に埋め込まれた水晶を軽く撫でた。
(わあ……)
 チカリと水晶が光ったかと思うと次々に隣の水晶へ光が伝わり、奥の方まで明るくなっていく。火の色に近い暖色の光がゆらゆらと灯ると散らかった資料室が急に趣のある図書館に変わったような錯覚さえ襲う。思わず隣の一真を窺うと、面倒そうな顔で雪崩の起きている棚を眺めている。その隣では甲矢が無表情で資料室内を見渡し、玲香と並んでいる望は何事か考え込んでいる。こんな魔法のような景色も彼らには見慣れた現象なのかもしれない。はしゃいだ気分でいるのが恥ずかしくなって、少し視線を落とした。
「地図があるとしたら、一階の奥の棚か、地下じゃないかしら」
「時間がないことですし、二手に分かれたほうが良さそうですね。担当分けはどうします?」
「城田主座と私で地下、甲矢殿と斎木守役と北嶺先輩は一階でどうかしら?地下は慣れてないとキツイでしょうし」
「そうですね……。じゃあ、一真君。三人で一階の担当してもらっていい?この荒れっぷりじゃ重労働になるでしょうから、適当に休憩をとってください。甲矢殿が逢魔が刻までしか参加できませんから、その時の状況で今後の方針を決めましょう」
「それはいいけどさ……。地下がそんなにヤバいんだったら、そっちに三人いるんじゃねェの?っていうか、重労働なら槻宮よりもオレが行ったほうがよくねェか?」
「あはは、地下はちょっと事情が違うんですよ」
「へ?そうなのか??」
「地下は里で使われてた呪法がメインで保管されているの。一階よりも片付いている分、人数よりも慣れが大事なのよ」
「呪法??んなもんこっちに持ってきていいのかよ??」
「そんなに危険なモノはありませんよ。ただ、勝手に霊気を吸収して発動するものもありますから。近寄れないように隔離されてて棚をいじる度に結界を調整しないといけないんだけど、一真君、そういうの苦手でしょ?」
「あ〜〜、そりゃ、オレはパスだな……」
「一階でも注意は必要よ?今回の件で地下の資料をかなり動かしてるの。保管庫が危なくなってからは対策室全員であちらの監視と校内の見回りに当たってて、地下に戻してる時間なんてなかったもの。曰くつきの文献が紛れ込んでるものだと思ってちょうだい」
「げ。それ、ヤバいじゃねェか」
 一真はこちらをチラリと見た。「危ないから光咲は帰ったほうがいい」とでも言い出しそうな顔つきにドキリとする。

 ――お願い……

 せっかく頼ってくれたのに。こんなこと滅多にないのに。
「帰れ」なんて言わないで……

「問題ないわ」
 あっさりと言い放ってくれた玲香にほうっと息を吐いた。
「曰くつきの文献には封呪がかけられているの。普通なら鎮守役が間違えて霊力を込めたとしても簡単には発動しないわ。でも斎木守役や城田主座みたいに規格外の霊格には封呪も意味がないの。想定外っていうものよ」
「遠まわしに化け物って言われてる気がするのはオレだけか……?」
「気にしちゃダメですよ、一真君。よくあることです」
「先輩……、よくあるのか……?」
「ええ。一真君もこれから増えますよ」
 何故か嬉しそうな望に複雑そうな顔の一真の姿が小さくぶれた。

 ――あれ……?

 心の奥――、いや、もっと深い所から何かが滲むような感覚がして、すぐに消えた。
(今の……?)
 なんだったんだろう……?
 一真と望を窺っても、さっきの感覚はもうない。鎮守役の仕事に初めて参加して気持ちが昂っているせいかもしれない。

「とにかく、違和感のあるものを見つけたら触る前に甲矢殿に相談して。いきなり大爆発が起こるなんてことはないでしょうけど、玉響が開いちゃうくらいはするかもしれないわ」
「さらっと怖いこと言うなよ……。玉響開くって、めちゃくちゃ大ごとじゃねェか……」
「あくまで最悪の事態よ。斎木守役がうっかり呪法を発動させとしても、甲矢殿がいらっしゃるから問題ないわ」
「お任せを。私が速やかに収めよう」
「オレが何かやらかす前提で話してねェか、アンタら……」

 ――「守役」かあ……

 一真があんな風に呼ばれるのを初めて聞いた。
 鎮守役につける敬称だと若菜が言っていた。各組の鎮守役のリーダーを「主座」と呼び、他の鎮守役は「守役」で統一されているのだと。家で聞いた時は遠い世界のことのように思っていたが、目の前で玲香が普通に口にし、一真や望も普通に聞き流しているのを見ると、グッと身近なモノに思えてくる。ちょうど「鎮守様」や「蛇」がただの七不思議なんかじゃなくて、自分達も関係者なのだと身を持って知った時と似ている。今日が終わる頃には、あの敬称も聞き慣れてしまうのかもしれない。そう思うと少し寂しい気がした。