妖風薫りて

11話



(甲矢……?)
 妹が伝えてきた思念に総矢は内心で小首を傾げた。
 松本医院に運び込まれた補佐の治療完了を知らせる甲矢の霊気は事務的で愛想の欠片もない。それはいつも通りだ。
総矢の感覚に引っかかったのは妹の霊気そのものの揺らめきだった。警戒や緊張を含む揺らぎだったならば、後で様子を見に行くことにして終わりだっただろう。だが、先ほどの霊気の揺らぎは、笑っているような、楽しそうな――、そんな揺らぎだった。
(……どういうこった……?)
 甲矢からあんな気配を感じたのは千年ぶりかもしれない。
 あの妖変の夜から千年以上経ったとはいえ、生き残った里の者全ての霊気にはまだ暗いものが残ったままだ。
 中でも甲矢は特に顕著だ。それまでは総矢よりも笑ったり泣いたりと忙しく表情を変えていた妹はあの夜以来、笑みだけでなく感情も消した。表情に浮かべないだけでなく霊気からも感情は消え、双子の兄でさえも何を考えているのかわからない。時折、苛立ちや怒り、緊張といった負の感情がうっすらと滲む程度だ。
 だからこそ、甲矢から楽しそうな気配を感じたということ自体、総矢にとって思わず考え込んでしまうような異常事態だった。
(人鬼の治療がそんなに楽しかったのか……?それか、旦那の足が破邪でやられたのが嬉しいってのか……?やべェ、甲矢の奴、そっちの道に目覚めちまったんじゃ……)
「総矢殿?甲矢殿が何か言っているのか?」
 太い声に我に返る。
 座っている面々が怪訝な顔でこちらを見ていた。
「なんでもねえんだ。気にしねえでくれ。あ、でも、望殿」
 名を呼ばれるなり望が表情を険しくした。
「沖野君の容態が良くないんですか?」
「いや、補佐殿は問題ねえんだけどさ。斎木の旦那が足をちょっとやられちまったみてえで、半刻ほど動けねえってさ」
「一真君が?足を??」
 先ほどよりも望は表情を険しくした。
「何があったんです?一真君は沖野君の付き添いをしていただけだったはずなのに……」
「もしや、沖野補佐が再鬼化したのか?」
 望の隣で徹が身を乗り出した。自分が鎮めた人鬼に付き添っていた一真が動けなくなったとなれば無理もないだろう。
「そういうわけじゃねえんだけど、今回の妖獣に中てられた人鬼はちょいと特殊でさ。実は、そこを伝えるために今日集まってもらったんだ」
「これまでの鬼化と違うっていうことですか?」
「ああ。これから話すことは、里や霊山の管轄だから、普通だったら現に属する鎮守役殿達が関わることはねえ。やっぱ危ねえし、俺らが全部潰して回りてえとこだけど、さすがに武蔵国一帯全てとなっちゃ、里と信濃が総力出しても追いつかなくてさ。普段の巡察中の出撃要請と今回の鬼化がいっぺんに来たんじゃ、どっかで抜けが出てくるだろうし」
 望以外の主座がげんなりとした。
「それって、普通の要請でも今まで以上に時間がかかるってことだよね……」
「僕ら北組は風向きによっては言伝が信濃に届くのに時間がかかるから深刻かな……」
「嵯谷主座んとこは鎮守役の人数多いからまだいいじゃん。うちなんて、ギリギリで回してんだからキツいって……。城田主座のとこほどブラックじゃないけど……」
「え、うちってブラックですか??」
「ブラックだよ。僕が知る限り、武蔵国どころか全国で一、二を争ってるんじゃないかな」
「嫌だなあ、嵯谷主座。冗談ですよね?」
「いや、僕は本気で言ってるんだけれど……」
「ウソ、もしかして本人が自覚ないの……?」
「本人って……、僕もですか??」
 徹が年長者らしく咳払いをした。
「まあまあ、西組のブラックな環境はまたの機会に議論しようじゃないか」
「そんな、近堂主座まで……」
「鎮守役の先輩としてじゃなく社会人として、はっきり言おう。西組の状況はブラックを通り越している。補佐も鎮守役もここまでフル稼働している組はないぞ。この件については、後でゆっくり話し合おう。いいな?」
「……はい……」
 最強の鎮守役と称される望も、徹には頭が上がらないらしい。徹は武蔵国の主座の中で最年長だ。ここにいる若手の主座で徹の世話になったことのない者はいないだろう。
 望を黙らせ、徹はこちらに向き直った。
「では総矢殿。この件が落ち着くまでは、これまでのように宵闇の出撃を期待できんということでいいか?要請から出撃まで、どれくらいの時間をみておけばいい?」
「そうだなあ。状況によるけど、二日くらいと思っておいてくれたほうがいいかもしれねえ。里から武術士も出る予定だから、もうちょいマシかもしれねえけど」
 武術士が出撃したとしても、彼ら鎮守役が邪霊と遭遇するのを回避しきることは不可能だろう。
 千年前の妖変で武術士は激減した。刃守の里に住まう者に里長の妖気は他の妖獣のものよりも強く作用し、容赦なく命を奪った。修業を積んだ武術士といえども例外ではなく、妖気が渦巻く中に取り残されてしまった仲間を救出に向かった武術士の多くが倒れてしまった。生き残ったとしても妖気にやられた後遺症で復帰できない者が多く、命を落とした者は現で隠人として転生してしまって里には戻らず――、武術士の人数はかつての五分の一以下になったと言われている。
 皮肉なことに、それが武蔵国の鎮守役が全国的にも珍しいほど戦闘力の高い者が揃っている現状を生み出している。公にはされていないが、武蔵国の鎮守役の多くは武術士として生きた前世を持ち、隠人として転生した今生でもその力の一部を覗かせている。
 それを考えれば、今回の妖変で彼らの手を借りなければならないのは必然なのかもしれない。
「武術士が出撃するほど、か……。今回の人鬼の特殊性とは、どういったものなんだ?我々が知っている人鬼の対処法と異なるのならば……」
「初動はおんなじだよ。角を折って邪気の流れを止めりゃあいい。問題はその後さ。普通だったら、専用の病院に連れて行って治療すればいいんだけど、妖気にやられたヤツはそこで終わらねえことが多いんだ。今生での人格が眠ってる間に、霊獣としての自分が表に出てきて勝手に彷徨い始める」
「生霊と言う奴か?」
「いや、邪念の一種さ。倒したとこで本体の隠人は痛くもかゆくもねえし、そいつが邪霊化しても隠人が干渉されて鬼化しちまうようなこともねえ。鬼化を一度鎮めたところで、隠人本人の手当は終わりって考えてくれてかまわねえよ」
「邪念ねえ……。だったら、大したことないんじゃないの?浅城町だったらヤバいかもだけど、他の町だったら、そんなにすぐ邪霊化しないだろーし。ねえ?」
「まあ、邪念だったら何とでもなるかな。浅城町ならともかく、普通の町なら問題ないと思うけど……。近堂主座はいかがです?」
「うちはちょっと問題かもなあ。浅城町のような邪霊の巣窟にはならんと思うが……、他よりも人から剥がれる邪念が多い。混じったりすると厄介かもしれんな」
「……皆、浅城町のことを邪霊スポットって思ってませんか……?」
「ハハハ、気のせいだ!考えすぎだぞ、城田主座!」
「そうかなあ……」
 笑いながらバンバンと背中を叩く徹を腑に落ちない顔で眺め、望はこちらを見た。
「総矢殿。その邪念はどれくらい危険なんですか?」
「霊獣から剥がれた邪念だから、邪霊になるのが早いだけじゃなくてやっぱ力も強いんだ。それだけならまだいいんだけど、厄介なのが妖魔化さ」
「妖魔化?」
 主座だけでなく後ろにいる面々も一斉に怪訝な顔をした。それも当然だろう。妖魔は妖獣同様に里や霊山の管轄。本来ならば宵闇の担当領域で、鎮守役が関わることはまずない。情報もほとんど彼らにはないはずだ。
「邪霊が妖気を吸って妖魔化したら性質が悪くてさ。邪鬼を軽く超えた化け物になっちまう。そうなったら俺らや宵闇が抑えるしかねえ。主座殿達には、そうなる前に鎮めてほしいんだ。できるだけ邪霊、いや、邪念の間に。妖魔が街中で暴れるようなことになったら、どれだけの被害が出るかわからねえ」
 その場にいた全員が表情を険しくした。



「あ〜〜、クソ、動かねェ……」
 壁にもたれ、一真は自分の脚を恨めしい気分で眺めた。
 窓から見える空は暗く、夕焼けは隅に追いやられてしまっている。昼番と夜番の交代の時刻は過ぎてしまっただろう。
 天一の霊符が両足で光を放っている。効いているはずなのだが、足は石に変わったように全然言うことを聞かない。
「巡察始まっちまうじゃねェか……。今日は先輩も総矢もいねェってのに、どーするんだよ……」
「総矢に伝えておいた。何とかするだろう」
 自分も床に座り、甲矢は無表情で霊符に霊気を注いだ。
(……どうして、こいつがいんだよ……。つか、空気重て……)
 話しかけても仏頂面で淡々と返事をするだけ。思い当たる事がないのに、嫌われているのだろうかとさえ思えてくる。
(はあ、ついてねェ……。だいたい、オレ、どうしてこんなことになってんだ……)
 この隔離病棟の前まで来たところまでは覚えている。そこで彰二に似た邪霊が飛び出してきて、自分はそれと戦っていた――、そこで記憶が途切れていて、あの邪霊がどうなったのか?自分は邪霊を倒したのか?わからない。
 次に気がついた時には甲矢が顔を覗き込んでいて、足が動かなくなっていた。
「なあ、甲矢。ここにさ、沖野に似た邪霊みてェなヤツ、いなかったか?」
「いた。対処済みだ」
「そ、そっか……、えっと、あいつって……」
「補佐殿から剥がれ落ちた邪念が邪霊化したものだ。妖気によって目覚めた霊獣としての自我ゆえ、あのような姿となる」
「霊獣の邪念なあ。落ち武者みてェな格好だったから、沖野にコスプレの趣味でもあんのかと思ったぜ」
「戦装束だ」
 霊符をもう一枚取り出し、甲矢は眉一つ動かさずに霊気を注いだ。
 しんとした廊下で天一の光が明滅する。
(くおお、間が持たねえ……!)
 こいつと総矢は本当に双子なのだろうか?
 ここにいるのが総矢だったら、煩いほど話に乗ってきてくれるだろう。
 兄妹関係を心の底から疑いたくなってくる。
(どーすりゃいいんだよ、こいつ……。ここで急に笑い出されても怖いけどさ……)
 話しかけても軽く流されるばかり。表情が動かないだけでなく霊気も動かないので、怒っているのか嫌われているのか、判断できない。正直に言って苦手なタイプだ。
 珍しく凹んでいると、ジッとこちらを見つめる視線に気づいた。
(げ……)
 無表情のまま顔を見つめてくる少女に妙な緊張が走る。
(こいつ、読心術使えたりしねェよな!?つか、オレ、考えてること口に出してたりしてねェよな!?んなことより……、)
 怒っているのか、いないのか。
 せめてそこだけでも知りたい。
 背中を嫌な汗が伝うのがわかった。脚が動いたならば、この場から速攻で逃げ出していただろう。
「……えっと、オレの顔に何かついてんのか……?」
 甲矢は少し眉を動かし、ふうっと息をついた。
(溜息!?溜息吐いたのか、今!?っていうか、オレが溜息吐きてェって!!)
 口に出したいが、怖いことになりそうなので黙っていると、甲矢はペタリと霊符を脚に貼った。
「顔が同じでも、全然違うものなのだな……」
「は?」
「独り言だ。気になさるな」
「や、めちゃくちゃ気になるって……!何のことだよ!?オレに似た奴でもいんのか??」
「何でもないと言っている」
「何でもねェわけねェだろ!?よくわからねェけど、すっげえガッカリしてるし!」
「霊符に集中できん。黙ってくれ」
 甲矢は霊符を取り出し、霊気を注ぎ始めた。無表情なのに不機嫌そうな顔に思えるのは被害妄想なのだろうか。
「アンタ……、オレのこと嫌いなのか……?」
「さあな」
 つっけんどんに言い放ち、甲矢は霊符を脚に貼った。
(頼む……!早く動いてくれ、オレの足……!!)
 霊符が光る自分の脚が一分一秒でも早く動けるようになることを、一真は心の底から祈った。