妖風薫りて

6話



 黄色い光の中を跳ね回る黒い影はざっと十体。侵入者に気づいた一体が奇声を上げた。
「ワンパターンだよな、お前ら」
無造作に振り下ろされた木刀がガードレール上から飛びかかってきた一つ目の邪霊を叩き斬る。残る邪霊が牙を剥き出しにしてこちらを向いた時には、木刀は一真の霊気を吸い上げて碧に光っていた。
「鎮まりな!」
 上段から振り下ろされた木刀から巨大な碧の刃が生み出され、九体の邪霊を呑み込んで消える。後には静かな川原の景色が残るのみ。
「やっぱ強くなってんな……」
 邪霊にではなく拡散していく自らの霊気に呟く。
 場を浄めていく碧の霊気は明らかに輝きを強めている。それは含まれる破邪が強まっているということであり、鏡の中に入った時に近い強さかもしれない。
(紋が……)
 手の甲ではくっきりと霊紋が浮かんでいる。鏡の一件以来、日に日に色を濃くする紋様は時に淡く光っては熱を帯びる。望のように手袋が必要ではないかと不安になったのも一度や二度ではない。
 ふと思いつき、何もいない前方に手を突き出した。

風よ……

 掌に碧が渦巻いた。掌の内に留まらず、一真の周囲で風がざわめき始める。手の甲では霊紋が輝きを強めていく。
(懐かしい……)
 碧に染まりながら応える風の匂いに目を細める。
 ずっと昔、こんな風に碧風に包まれて、空から視ていた。焦燥に駆られながら――。
「急がねェと……」
 ドクリと鼓動が跳ね、碧が色を増した。
「……風が……、来ちまう前に……」

‘よせ!’

 頭に響いた自分の声と同時に手が勝手に風を握り締めた。碧が霧散し、再び静かな景色が戻ってくる。
「あれ……?何やってたんだ……、オレ……?」
 伸ばしたままの腕を眺め、眉を顰める。
 何か重要なことを考えていたような気がするのに、その「何か」がまるで思い出せない。
 暫し、額を指でぐりぐりと揉んでみるが変わらない。
「ま、いっか。そのうち思い出すだろ」
 数秒で諦め、鎮守印を手に取った。
「終わったぜ」
『りょう……かい、』
 鎮守印に灯った青い光が不安定に明滅し、電波の悪い場所で話しているような乱れた音声を伝える。
『橋の下に降りて…………。そこに……、封じ目が……。い……ま、周りに、人……、いない、から……』
「オッケ」
 ガードレールを軽く蹴り、川面に降り立つ。今となっては水面に立つことすらできなかった一ヶ月ほど前が嘘のようだ。数メートルの跳躍も、水面を踏むことも、夜の中を動くことも。霊気を使わない生活を想像できないほどに馴染んでしまった。
「橋の下、橋の下っと……、これか……」
 土手から死角になっている位置に黄色く光る霊符が貼られ、その周りだけ空間が揺らいでいる。包囲網の封じ目だ。
「今から結界解いてもいいスか?」
『問題……ない……よ……』
 震えるような声が小さくなって消えた。自ら通信を切ったのではなく、切れたのだろう。
 補佐が持つ隊員証から鎮守印に言霊を送るには霊符三枚分ほどの霊力を話している間ずっと消耗し続けるらしい。この程度の通話でさえ、通常の補佐には荷が重いと聞く。難なくこなす優音と剛士の霊気は補佐の中でも頭抜けているということだ。
「何気にスペック高いよな……。組長も補佐も……」
 西組が標準だと思ってはいけないと言っていたのは宗則だっただろうか。
 近頃知ったが、刃守の里長への直通回線を持ち、伝令役が里長から直接指示を受けるのは西組だけらしい。他の組の伝令役は組長の補佐役として他の組との調整や事務が主な仕事で、刃守の里長と話す機会すらないのだという。それだけ西組が特殊ということなのだ。
(妖獣封じた箱祀ってるわ、天狗が夜中に空飛んでるわ、霊獣の里と繋がってるわ、邪霊が毎日ぼこぼこ生まれるわ……、よく考えたら、スゲェとこに住んでるよな……オレ達……)
 今更ながら浅城町の異常さを考えながら封じ目を指の先で軽く弾く。硬質なシャボン玉が弾けたような音がして喧騒が戻り、眼前に人影が出現した。
「お疲れ様、斎木君」
 先に移動して待っていたのだろう。ワイシャツにスラックスを身に着けた青年が笑みを浮かべた。昼頭代理の八木晃平だ。
 槻宮学園の大学に通っていて、望が入隊する前から西組にいるらしい。やや頼りないが、霊気は補佐頭二人に次ぐ強さだ。古株で面倒見がいいので特に高校生の補佐からは「晃平さん」と呼ばれて人望が厚い。宿題に苦しんでいると必ずと言っていいほど助けてくれるので、一真の中でもかなり評価が高い。
「あれ?晃平さん一人ッスか?」
「中央通りで邪霊が発生中なんだ。皆には先に行ってもらったよ」
「んじゃ、オレも……」
 晃平は首を横に振った。
「包囲網ができるまで屯所に戻って休んでて。今日の巡察は斎木君一人になるかもしれないから、休める時に休んどいてよ」
「夕方の巡察まで組長も参加するんじゃねェの?」
「その件で組長から言伝があるんだ」
 晃平は少し周囲を窺った。土手の上を歩く部活帰りの中学生、橋の上を行き交う車のエンジン音、夕陽が反射する川……、ごくありふれた浅瀬橋の景色におかしなところはない。
「葵主座と嵯谷主座に連絡がついて、二人ともこっちに向かってるんだ。近堂主座も抱えてた件が早めに片付いたらしくて、予定より早く来てくれるって連絡があったらしいよ。上手くいけば五時半には武蔵国全組の主座が揃うかもしれないんだって」
「へえ、よかったじゃん」
「ん〜〜、それはそうなんだけど……」
 晃平は頬を掻いた。
「西組と総矢殿的にはあんまりよくないんだよね。どうせ夜になるだろうからって、総矢殿、さっきまで寝てたくらいだし……。何にも準備できてないから、伝令役だけじゃなくて組長も手伝いに行っちゃってね……」
「……なるほどな……。それで、今日の巡察はオレ一人か……」
 望の養生中も鎮守役が一真だけという事態になっていたが、助っ人の総矢がいた。その総矢は今夜は巡察どころじゃないだろうから、一真一人で浅城町全域の邪を鎮めてまわらなければならない。
「なんか、しょっちゅう問題起きてるよな……、ウチって……」
「西組って里絡みの雑務が多いからね……。今回ほどの大ごとは僕も初めてだけど」
「雑務って……。どうして人数足りてないのに、んなことウチが担当してんだよ……」
「しょうがないんだよ……。この町って、刃守の里の跡地なんだもの……」
 晃平は深々と息を吐いた。
「ここって人間側から見たら都心から離れてるけど、霊獣の里や霊山側から見たら武蔵国の霊的な場の中心地になるんだ……。刃守の里から出てきた霊獣は武蔵国の各地に散って行ったけど、力のある上位の霊獣は浅城町に残って、その霊筋が僕達の中に生きてるっていうし……。西組が刃守の里と直通回線持ってたり、武蔵国で一番発言力あるのもそのあたりの事情なんだって聞いたことがあるなあ。全っ然、実感ないけどね……」
「……発言力なんてあるんスか……?」
「斎木君も武蔵国の定例会議に参加してみればわかるんじゃないかなあ。見習いでも、『西組の鎮守役』っていうだけで怖いくらい意見が通るらしいから。組長だって、見習いの頃に『僕がちょっと意見言ったら、多数決がひっくり返った』ってショック受けてたし。あの頃の組長、まだ小学生だったのに、霊格が武蔵国の鎮守役で一番高かったばっかりに他の組の鎮守役や補佐が異様に気を遣ったらしくてねえ……。あの後、組長が『鎮守隊でも僕を化け物扱いする』っていじけちゃってね……。本殿の中に結界張って引きこもっちゃって、大変だったよ……」
「笑えねェよ……、それ……」
 その会議で望のトラウマが一つ増えたのは確実だろう。
 とりあえず定例会議では極力何も言わないでおこうと決め、水晶玉からスポーツドリンクを取り出した。
「そーいうことなら、屯所に帰っとこーかな。どれくらいかかりそうなんスか?」
「この時間帯の中央通りは人が多いから、三十分……、いや、一時間くらいはかかるんじゃないかなあ……」
「一時間か……。ちょっと寄りたいとこがあるんだけど……」
「言伝が届く場所なら、どこにいてくれてもいいよ。斎木君には無理ばかりさせてしまっているからね。待機中くらい息抜きしないと、やってられないだろ?」
「あ〜〜、オレはほどほどに手ェ抜いてるから、ぶっ倒れるようなことはねェよ」
「それでも他の組の鎮守役より戦ってるよ。組長を基準に考えちゃダメだからね?」
「あれは真似できねェよ。したくもねェし」
「当然だよ。あんなの真似したら廃人になっちゃうよ。組長の年中無休・三食抜いて不眠はダメな鎮守役の見本だもの」
「けっこう言いたい放題だな、晃平さん」
「古株の特権だね」
 カラカラと笑い中央通りの方向へ去っていく晃平を見送り、一真も土手を上った。少し考え、神社と逆の方向へ歩き始める。三つほど向こうの通りに彰二の家がある。
(全く連絡なし、か……。沖野にしちゃ、ちょっと異常かもな……)
 昨夜、早退してから彰二から連絡はきていない。
隊員は邪気に中てられると重症化する危険が高い為、体調に異変があれば逐一連絡しなければならないはずなのに、だ。
 優音に呼び出された後に見舞いに行くつもりでいたが、倒れかけている光咲に出会ったり、総矢から言伝がきたりで、結局、行けていない。その間も彰二から屯所に連絡があった様子もない。起きられないほど重症だというならば、霊体を直に診たほうがいい。
(コンビニ寄ってくか……)
 彰二の好物のプリンでも買って行こうと角を曲がる。少し遠回りになるが、包囲網が完成するまでには間に合うだろう。

 ――なんだ……?

 感覚に引っかかった澱んだ気配に足を止めた。
 邪霊にしては強いが、邪鬼にしては弱い。だが、邪気の塊には違いない。それが次の角の向こうから漂ってくる。
 水晶玉から霊符を取り出し霊気を込める。
 周りに人はいない。結界を張っても目撃されることはない。
 角の向こうから人影が姿を現した。同時に霊符を放つ。

“十二天が一、勾陣!”

 黄色の光が景色ごと邪気を放つ人物と一真を隔離していく。
 取り出した木刀を構え――、一真は通りに入ったところで佇んでいる人物に目を見張った。
「お前……」
 パジャマの上にウインドブレイカーを羽織った少年は精気のない青白い顔をしていた。
「あは……、斎木君だあ……」
「なに……、やってんだ……?」
 うすら寒いものを感じ、半歩後ずさる。
「沖野……」
 家で寝込んでいるはずの彰二は虚ろな目で笑った。