妖風薫りて

5話 人鬼



「武蔵国鎮守役主座殿を全員集めてほしいんだ」


 葉守神社の奥の屯所の一室。挨拶もそこそこに総矢は切り出した。
 部屋にいるのは他に、望、宗則、甲矢だけ。補佐は誰も列席していない。このメンバーだけに伝えたいということだろう。
「武蔵国の主座全員の緊急招集かあ。ちょっと厳しいなあ。鏡の件でどこの組の主座も大忙しだから、スケジュールの調整が難航するかもしれませんよ」
「会議する場所はここなんだろ?この状況で組長の出張とかは勘弁してくれよ?」
 総矢は頷き、
「場所は屯所か、槻宮学園がいいと思うんだ。この町は信濃からも里からも近いから、万一のことがあっても、主座殿が全滅ってことにはならねえ」
「おいおいおい、物騒なこと言うなって……」
「それだけ、今回の妖獣は危険っていうことですよ。武蔵国主座の全滅だけは避けないと……」
 望は深刻な表情だ。今更ながら自分達はよく無事に鏡から戻ってこられたと思う。
「本殿の結界がやられた時に、この神社全体の霊力もかなり消耗してしまっておりますからな。主座の安全を第一に考えるならば、無傷に近い槻宮学園のほうが安全でしょう。学園の第五会議室でよろしいかな?」
「……それで頼みます、宗則殿」
 総矢は少し複雑な顔をした。槻宮の者が本当に苦手なのだろう。
「日時は何時にしますかな?できるだけ早く皆に伝えませんと」
「ん〜〜、そうだなあ……」
 総矢は考え込むように瞼を閉じた。
「会議中は斎木守役に巡察を任せることになるが……。頼んでいいかね?」
「おう、任せといてくれよ、伝令役」
「ははは、頼もしいよ」
「でしょう?最近、僕の出番が減っちゃったくらいだもの」
「へへ、そのうち、もっと少なくなるぜ?」
「楽しみだなあ。この調子なら、すぐに正式な鎮守役に昇格できますよ」
「おお、そういえば、斎木守役はまだ見習いだったな。これは早いうちに昇格を考えねばなりませんな、組長」
「ええ」
 和みかけた空気に総矢がすまなそうな顔をした。
「……今夜……ってのは……どうかな?」
「今夜ああああああああああああああああ!?」
 宗則だけでなく、一真と望の素っ頓狂な声が重なった。甲矢だけがあらかじめ聞いていたのか沈黙を守っている。
「さすがにそれは……厳しいでしょうな……」
 冊子を捲りながら宗則は唸った。冊子に挟まれている武蔵国の各組の当番表を確認しているのだろう。
「なあ、組長。やっぱ難しいのか?」
「そうですね……。東組の葵主座は担当地区が近いから何とかなるかもしれませんけれど……。南組は厳しいんじゃないかな。本人が了解してくれても、いろいろと調整が大変みたいですし」
「北組は?」
 東組の主座は確か大学生だったはずだ。そのうちに挨拶する機会もあるからと望から話だけは聞いている。面倒見のいい姉御肌の人物らしく、鏡面の件を聞くなり応援を申し出てくれたという。
「北組の嵯谷主座は僕もあんまり知らないんですよね。会ったのも数えるくらいだし」
「へえ、高校生なのか?」
「社会人ですよ。槻宮グループの関連企業に勤めてて、鎮守役と兼業してるんじゃなかったかな……」
「鎮守役って兼業できるもんなのか??」
 かなり意外な事実に驚く。学生でも厳しいのに、会社勤めをしながらなどと。それとも、北組は鎮守役が多いとでもいうのだろうか。
「現衆が経営する会社なら問題ないです。大抵、そういう会社って隠人用の部署があって、そこに在籍しながら鎮守役としての役目もこなすっていう感じですね。仕事面だけじゃなくて生活面も会社が全面的に支援してくれるらしくて、激戦区以外の、鎮守役が足りている地区では多いらしいです。南組はちょっと特殊だから、当てはまりませんけれど……」
「はあ〜〜、けっこう大規模なんだな、現衆って……」
 話を聞いたばかりの頃は、町内会のようなものだと思っていたのに。知れば知るほど、その組織力の巨大さに驚かされる。自分がその現衆に所属しているのだということさえ、まだ実感が湧かないほどだ。
「全国規模の組織ですからね。それでも、今夜っていうのはちょっと急すぎるからなあ……。非番とかだと担当地域外に出かけてることもありますし……」
「だよな……」
 とんでもない日程を言い出した張本人はというと、眠そうに目を擦っている。
「なあ、総矢。どうして、そんな急なんだ?皆、予定ってもんがあるんだし……」
「俺だって無茶言ってるって思ってるよ。だけど、早く……、手を打たねえと……」
 彼は欠伸を噛み殺した。
(こいつ、夜型だっけか……)
 現在、午後四時前。夜型の総矢にとって「夜明け前」に近い感覚のはずだ。通常ならば彼が動くのは夜になってから。総矢の性格ならば里でゆっくりしてから戻ってきてもおかしくない。こんな時刻に戻ってきたばかりか、眠いのを堪えて真面目に仕事をしていることが事態の深刻さと緊急性を物語っている。
 パタンと冊子が音を立てて閉じられた。
「今回に限れば、なんとかなるかもしれん……」
「本当!?おじい……、いえ、伝令役」
 思わず普段の呼び方が出たのだろう。望は慌てて訂正した。いくら祖父と孫でも伝令役と主座という関係だ。鎮守隊の役目中は上司と部下の立場で話さなければならない。それは一真と望も同じだ。こういう場では「先輩」ではなく「組長」で呼ぶようにしているが、いきなり敬語で話すのは無理なので口調は普段と変わらない。
 宗則は聞かなかったかのように頷いた。
「南組の近堂主座が今日の夕方に槻宮学園を訪問予定となっておる。時間を割いてもらえんか問い合わせてみよう。南組さえ都合がつけば、東組と北組は何とかできるやもしれんが……。あちらの返事が来ないことには……」
「十分だよ、宗則殿。最悪、ダメだったら……、ふあ……」
 限界なのだろう。総矢は大きな欠伸をして目を擦った。
「総矢。後は私が……」
「いんや、ここまでは俺の仕事だからな。もうちょい、踏ん張るさ」
 茶を啜り、何度も瞬きを繰り返す様子はかなりキツそうだ。
(こりゃあ、質問は後だな……)
 町で起きている異常事態について詳しく訊きたかったが、あの様子ではまともな返事を期待できない。ひと眠りした後にしたほうがよさそうだ。
「最悪の場合は、望殿と近堂殿に先に伝えるわ。今夜来れなかった主座殿達にもできるだけ早く来てもらわねえと……、人鬼の対処法、困るだろーから、さ……」
 総矢はカクッと項垂れた。まるで当身でも食らったかのように動かなくなった武術士に望と一真が同時に立ち上がった。
「総矢殿!?どうしたんですか!?」
「茶か!?喉に茶柱を詰まらせたとかか!?」
「いくら霊獣でも、それはありませんよ、一真君!お餅じゃないんですから!」
「まさか、妖気ではあるまいな!?」
「ええ!?屯所の中なのに!?」
 慌てる一真達を手で制し、甲矢が兄を軽く覗き込んだ。
「大事ない。落ちただけだ」
「は?」
「寝ちゃったってことですか……?」
 目を点にする一真達に何を思ったのか、彼女は兄を軽く小突いた。ズルズルと前にのめりこんだ総矢からスウスウという平和な寝息が聞こえてくる。確かに問題なさそうだ。
「あ〜〜、えっと……。この部屋に布団ってあったっけか?」
「隣の部屋に宿直用の予備がありますけど……」
「お構いなく。この会合が済んでからでいい」
「いいのか?スゲェ姿勢だけど……」
 胡坐をかいたまま、柔軟体操のように額を畳にくっつけて寝ている姿はかなりキツそうなのだが。
「武術士は不自然な格好で寝るのに慣れている。問題ないだろう」
「そーいうもんなのか……?」
 実の妹が言っているので、いいのだろうけれど。起きたら背中と腹が痛いだろう。
「熟睡してますね……」
「そういや、こんな昼間に総矢が起きてるとこ初めて見たっけな」
「武術士が話しながら寝ちゃうなんて、よっぽどの消耗ですよ……。里でも異変が起きているなんてことは……」
 甲矢は少し思案して口を開いた。
「私もまだ詳しく聞いたわけではないが……、里までは妖気は及んでおらぬはずだ。総矢に関して言えば、ここを発ってから昼夜を問わず会合に出ていて寝ていなかったようでな。望殿達の霊気に緊張の糸が途切れたのだろう」
「総矢でも緊張することなんてあったんだな……」
「滅多にない。しかし、今回の会合は里長様及び重役の方々列席の重要なもの。我が兄ながら、よく逃げ出さんかったと思う」
「うわあ、それはキツいなあ」
「うむ。そんな場に一日でもおれば胃に穴が開くわ……」
「そーいうもんなのか……?」
 望と宗則はしきりに頷き合っているが、一真にはピンとこない。
(……今の里長って、凹んだら長引く文系兄貴だよな……?)
 鏡の中で弥生が言っていた「小兄様」からは、そんなに威圧感のある人物を想像できないのだが。望達の言い様や総矢が緊張したことを考えると、千年の間に固い里長へと変貌を遂げているのかもしれない。
「近堂主座は何時くらいに学園を訪問予定なんですか?」
「今日の五時だが……。その後に時間があるかどうかだな。急ぎ、問い合わせるとしよう。嵯谷主座も私から連絡しておくとするかな」
「じゃあ、僕は葵主座に連絡してみます。時間はどうしますか?」
「そうだな……。これほど急では、あまり早い時刻は難しいだろう」
 木の扉を叩くような音が窓のほうから聞こえた。結界内には外から干渉することはできないが、この結界は少々特殊だ。鎮守隊員の霊気を束ねて造られていて、西組の隊員の霊気ならば来訪を知らせることができる。
「言伝が来たみたいですね」
「包囲網ができたんじゃね?オレが行くわ」
「お願いします。話がまとまったら、僕も行きます」
「昼間だし、一人で問題ねェよ。あ、そうだ。甲矢」
 立ち上がりながら声をかけると相変わらずの無表情で彼女は顔を上げた。
「何か?」
「松本医院の結界が弱まってんだ。できるだけ早めに視てやってくれねェか?」
「結界が?」
 彼女は細い眉を少し顰めた。ほとんど感情が表に出ないので、怒っているのか、不審がっているのか、心配しているのか、よくわからない。
「了解した。後ほど伺うとしよう」
「サンキュ」
 軽く頭を下げ、廊下に出る。
 小さな揺らぎに触れて霊気を高めながら歩を進めると耳に喧騒が届き、見知った霊気が舞い降りてきた。白い蝶のようなそれに手を伸ばすと一枚のメモに変わる。
「浅瀬橋か……」
 最近知ったが、浅瀬橋は霊的な力が強く、少しでも澱めば邪念が引き寄せられてくるのだという。包囲網の場所が橋の付近で多いのはそのためらしい。
(こーいう普通の言伝見たら、ちょっと和むよな……)
 邪霊退治に日夜走り回っていたのに。そんな日々が早く戻ってきてほしいとまで思ってしまう。それだけ、この数日は異常続きだ。
 姿の見えない妖獣も、恐らく流れ込んでいる妖気も、光咲や補佐達の体調不良も。もやもやとしたものは増える一方なのに、攻勢に出ることができない。どうにもストレスが溜まる。
「さあて、蹴散らしてやるか……」
 思いきり木刀を振り回せば、少しは気が紛れるだろう。
 軽い足取りで町外れの橋に急いだ。