妖風薫りて

4話



通りの角を曲がり、光咲は息を吐いた。

(どうしたんだろ……?)

 やけに体が重い。昨日は早くに寝たはずなのに。今朝も目覚めが悪かったし、授業中も先生の話が頭に入ってこなかった。
 少し先のT字路が遠く感じる。左へ行けば葉守神社だ。少し考え、腕時計を確認して右に曲がった。
 講習までは時間がある。松本医院に行っても間に合うだろう。一般人用の窓口は午後五時からだが、隠人用の窓口は二十四時間開いている。それだけ隠人の容態は緊急を要することが多いということでもある。
 少し歩いたところで睡魔が襲った。道端の公園にベンチを見つけ座り込んだ。
(風邪じゃないよね……、これ……)
 どうにもおかしい。喉も痛くないし、頭も痛くない。熱もない。なのに、異様に眠くて熱がある時のように体中が気怠い。そうなってくると、思いつくのは霊体の異常しかなかった。
(今日は学校、休んだほうがよかったのかも……)
 今朝、心配する母に「なんでもない」と言ってしまったのが悔やまれた。こんなことになるなら、あの時、相談しておけばよかった。霊体が異常を起こすと霊力も落ちる。邪への抵抗力も低くなって、それだけ邪霊に憑かれる危険も増す。

「光咲?」

 道のほうから誰かに呼ばれた気がしたが、頭が重くて顔を上げられない。
(どうしちゃったんだろ……、本当に……)
 足音が目の前で止まった。視界に学園指定の革靴が映る。

「どうした!?おい!?」

 両肩を掴んだ誰かが覗き込んだ。
「光咲!?聞こえてるか!?」
「かずま……君……?」
「なんだ、起きてるんじゃねェか……」
 制服姿の一真が緊迫した表情を緩めた。
「は〜〜、焦った……。呼んでも動かねェから、邪霊にでも取り憑かれたんじゃねェかって思ったぜ……」
「ごめん……。ちょっと、ぼーっとしちゃってた……」
 一真は一人だ。近くに補佐の姿がない。昼間は補佐と一緒に行動することが多いと言っていなかっただろうか。
「一真君……、鎮守隊のお仕事じゃなかったの?」
 彼は昼休みが終わる数分前に教室を出て行って、それきりだ。先生が心得た様子で早退扱いにしていたので、鎮守隊の巡察だと思っていた。入学したばかりの頃はざわついていたクラスメイト達も、ひと月経つと誰が鎮守隊員なのかわかってきたらしく、彼らが早退しようが遅刻しようが休もうが特に気にしていない。
「あ〜〜、まあ、それはそうなんだけど。松本医院に用があったっていうか……」
 頬をポリポリと掻きながら、彼は目を泳がせた。あまり光咲に言えないようなことだったのだろう。寂しいが、鎮守役とはそういうものらしい。父によると鎮守役は補佐よりも守秘事項が多く、高校生だろうと守秘義務は変わらないのだという。
「そっか……」
 松本医院から葉守神社へ行くには、この道を通る。彼が松本医院に行っていたならば、ここにいてもおかしくない。少し得した気分だった。
「じゃあ、これから神社に行くの?」
「いや……」
 一真は霊符を取り出し、腕を掴んだ。真剣な表情にドキリと鼓動が跳ねる。頭がまともに働いている時ならば、顔が真っ赤になっていたかもしれない。
「立てるか?行くぞ」
「え?どこへ??」
 勢いで立ち上がると軽い眩暈がした。
「光咲!?」
「ごめん。ちょっと眠くて……。どこへ行くの?」
 笑ってごまかそうとした顔が固まったのが自分でもわかった。こちらを見つめる一真の目が真剣そのものだった。
「松本医院に決まってるじゃねェか」
「え……?」
 先ほどとは違う意味で鼓動が跳ねた。
 どうしてわかったのだろう。これから松本医院に行こうとしていたところだなどと……。
 一真はジッとこちらを見つめた。鎮守隊員が相手の霊体を視る時にやる仕草だ。
「お前の霊体、消耗しきってるじゃねェか……!こんなに弱ってて、よく学校からここまで来たな……」
「え……?」
「そんなんじゃ、邪が近寄ってきたら即アウトだぜ。オレが松本医院に着くまで護衛してやるから、」
「で、でも、一真君。鎮守隊のお仕事は……?」
「あのなあ、光咲。こんなヤバい状態のお前放っておけるわけねェじゃねーか……」
「でも……」
「気にすんな。急ぎの用があったら、向こうから呼ぶから問題ねェ。それより、手ェ見せてくれ」
「こ、こう?」
 一真は赤く光る霊符を光咲の右手に貼りつけ、その上から自分の手を重ね、軽く握った。
「習ってるなら、オレの手から霊力を補充してみてくれ。霊符を介したらやりやすいんだろ?」
「う、うん……」
 手を繋いだまま、一真は歩き始めた。
「一真君……」
「どうした?歩けねェんなら……」
「ううん、大丈夫。なんでもない……」
 手の平から伝わってくる霊気をぎゅっと握る。
 ダルさと眠気が嘘のように消えていく。じめじめした場所から日の当たる温かい場所に出たように気分まで晴れてくる。

 ――これが一真君の霊気なんだ……

 会う度に霊気が強まって、遠い人になっていくけれど。一真は何も変わっていない。
 これまでも。きっと、これからも……。
 弱まった霊体に少しだけ感謝した。





 天井で開いた窓から白い小鳥が舞い降りた。一般人が目にしたとしても文鳥だとしか思わないだろう。開いた手の平で小鳥は姿を変え、一枚の紙に変わった。
 松本医院の特別待合室は一真の他に誰もいない。この部屋は鎮守役専用の待合室なので当然と言えば当然なのだが。
(神社からか……)
 葉守神社の紋が紙に透けている。差出人の霊気に表情を改めた。
「斎木守役」
 呼びかけに顔を上げる。ボードを手にした松本医院の副院長・松本学が出入り口に立ち、遠慮がちにこちらを眺めていた。数メートル向こうから近づいてくる霊気を感じていたので、さほど驚きはない。
「少し、いいかな?」
 手にしているメモを気にしているのに気づき、上着のポケットにねじり込む。鎮守役の元へくる言伝は外に漏らせない内容も多い。たとえ、隠人専用病院の院長や副院長であっても知る立場ではないのだ。
「問題ないッス、若センセ」
「すまないね」
 学は本当に申し訳なさそうな顔をした。彼は中学生の頃、鎮守隊で補佐をやっていたが、家業を継ぐ為に引退したらしい。祖父・伸真と似たような立場だ。浅城町には隠人としての家業を持つ家柄が多い。大抵は覚醒後、数年間鎮守隊に在籍して霊力の使い方や邪霊の対処法、霊符の使い方といった実戦的な技術を身に着けてから家業の修業に入るのだという。
「北嶺さんの容態だけど」
 立ち上がろうとすると、学は座ったままでいるようにジェスチャーし、自分も向かいに座った。鎮守隊員が隠人を松本医院に連れてきた場合、霊体の状態を確認しなければならない。その隠人の異変が隊が追っている邪によってもたらされていることがあり、状況によっては護衛が必要となるからだ。
「霊体が弱っているけれど、だいぶ回復している。このまま休んでもらって、今日はお母さんと一緒に帰ってもらうよ」
「それじゃ……」
「邪の類に侵されている様子はない。安心してもいいだろう」
「そっか……。ありがとうございます」
 学校では少し不安定程度だった光咲の霊体が、ほんの二時間ほどで異常に衰弱していたから、妖気に侵されているのではないかと疑ったのだが。杞憂だったらしい。
「斎木守役。話せる範囲で構わないけれど……」
 学は少し声を落とした。
「妖獣の一件は葉守神社から聞いているけれど、かなり良くない事になっていっているようだね。実は、今日、僕が診た隠人の患者さんは北嶺さんを入れて十人目でね。院長や他の医師の担当分を入れたら、三十を超えているかもしれない。正確な人数は、後で伝令役に伝えておくよ」
「そんなに?重症者は……」
「今のところは、ここで手に負えないような重症者は出ていないよ。だけど、北嶺さんのように急激に衰弱するケースが多くてね。彼女の場合、守役が通りかかって応急処置をしたから問題なかったけれど、かなり運がいいケースだね。公園で眠り込んで邪霊に巣食われていてもおかしくなかった」
 学は医師というよりは元補佐の顔で言った。三十歳を少し超えたくらいの学は、現役の頃は優秀な補佐で、補佐頭候補になったこともあるという。そのためか、鎮守隊へのアドバイスをさりげなくしてくれる頼もしい先輩だと優音が言っていた。
「……巡察を強化したほうがいいってことスか?」
「そうだって言いたいところだけど……、人数が厳しいのも知っているからなあ。僕としては、そうしてもらえたら有難い、としか言えないよ」
「……組長に相談してみるってことでいいスか?」
「助かるよ。あと、荒木甲矢殿だったかな?彼女に病院の結界の強化をお願いしてもらえると嬉しいんだけれど。組長や斎木守役でもいいけれど、さすがに時間がないだろう?」
「結界?定期的に強化してるって聞いてるけど」
 学は白衣のポケットからメモ帳を取り出し、一枚切り取った。
「よく視ててくれるかい?」
 丸めて放り投げられた紙が壁にぶつかり、床に落ちた。壁にぶつかる直前、うっすらと陽炎のように壁に揺らぎが浮かんだが、それだけだった。
「ウソだろ!?」
 思わず立ち上がり、壁に触れる。霊気を高めてみても手応えはほとんどない。結界を張っているならば、術者の霊気を宿すはず。霊気の属性に光るはずだ。松本医院は特に結界を強化していて、破邪を持つ丁以上の者が結界のメンテナンスを行うことになっている。霊気を込められた物がぶつかれば、もう少し反応するはずだ。
「弱まってるだろう?ここ三日で急激になんだ」
 困ったように笑う学の霊体も少し不安定だ。

 ――マズいな……

 時間の有無の問題ではない。これは一真や望――、隠人の手に負えるモノではないかもしれない。専門家に視てもらったほうがいいだろう。
 天一と六合、太常の符を何枚か取り出し、霊気を込める。太常には強めに霊気を込め、学に渡した。
「すぐに太常で結界強化を頼む。天一と六合は先生達の霊体強化に充ててほしいんだ」
「わかった。有難く使わせてもらうよ」
 霊符を手に学は頷いた。
「戻るのかい?」
「呼び出されちまったから。みさ……、北嶺のこと頼みます」
「任せておきなさい」
 学は少し意地の悪い笑みを浮かべた。
「君達、昔から本当に仲が良いね。光咲ちゃんのこと、どう思ってるんだい?」
「はあ!?」
 いきなり振られた話題に素っ頓狂な声が出た。学は楽しそうに笑いながら、霊符をヒラヒラとさせた。
「冗談だよ。鎮守役のプライベートは現衆のトップシークレットだからね。下手につつけば、謹慎処分ものだよ。でも、悩んだらいつでも相談に乗るよ?」
「……若センセー……。暇なのか……?」
「まさか。ただ、僕は後輩の味方だってアピールしとこうかなって思ってね。斎木守役は元気だろう?お見舞いくらいしかうちに来ないから、滅多に話す機会がないし」
 カラカラと笑う副院長にツッコみを入れようとした一真は眉を顰めた。
 学の霊気が不安定に揺れている。受け継いだ霊獣の本能が姿の見えない脅威に対して警戒を露わにしているのだ。

 ――皆、不安なんだな

 意外な相手から冗談を言われるのは、今日二回目だ。覚醒した隠人ならば、はっきりとわからなくてもおぼろげに大気に混じる妖気を感じ取っているはずだ。多少のことがあっても大丈夫そうなヤツに冗談でも言って気分を紛らわせたくもなるだろう。
「じゃあ、そろそろ行くから」
「恋愛相談なら二十四時間受け付けてるからね」
「あのさ、先生。オレ達、ただの幼馴染だって……」
「そうかあ。まだまだなんだね……」
「ったく。何を期待してんだよ……」
 がっかりした様子の学を残し、待合室を出る。
 隠人専用棟のドアをくぐる時には一真の顔は鎮守役のものになっていた。

(やっと帰ってきやがったか……)

 上着のポケットに突っ込んだ手に霊気が触れた。

 ――総矢……!

 聞きたいことも、訊かなければならないことも。この数日でできてしまった。

 葉守神社への道を急ぐ一真の行く手に浮遊していた霊達が怯えたように避けていった。