追憶の夕刻

14話 遠い背中



(ちょっと寄り道しようかな……)

 学校からの帰り道、光咲は少し進路を変えた。陽が傾いているが空はまだ青い。いつもならば初級講習を受けている時間だ。昨日の巡察で危険なものが見つかったらしく、葉守神社は暫く対応に追われるからと、今週の講習は休みになった。久しぶりに予定のない放課後だ。学園内のカフェでクラスメイトと話し込んでしまったが、思ったよりも時間が経っていない。
講習がなければ、こんなに手持無沙汰だったのだと初めて気づいた。

(若菜は合宿の先生に会いに行くって言ってたっけ……)

 とにかく早く入隊したいらしい妹は、今朝、葉守神社から連絡が来るなり春休み中に参加していた合宿の講師に電話していた。特別に訓練してもらえることになったと息巻いていたので、今頃はバスに乗り込んでいるだろう。

(詩織ちゃんのお手伝いに行こうかな……。でも……)

 もう一人の妹のような詩織は、今日の夕食は望が来るとはりきっていた。一真も早く帰ってくるので、鎮守役二人に美味しいものを食べてもらうのだと。それを聞いた若菜が衝撃を受けたように固まったのはともかく、今頃は夕食の準備を頑張っているのだろう。

(私が行ったら……、邪魔になっちゃうよね……)

 葉守神社が緊急対応に追われるような危険な邪物を回収した張本人が一真だ。望が一緒に来るということは、夕食はその話題でもちきりだろう。鎮守隊の相談役のような立場の伸真がいるとなれば尚更だ。詩織のように身内ならばともかく、初級講習を受講しているとはいえ、現衆に正式加入さえしていない光咲がいれば、彼らに気を遣わせてしまう。

(なんだか、皆が遠くなっていくなあ……)

 鏡面の一件からまだ一ヶ月ほどだ。
 この僅かな時間で、幼馴染は七不思議の存在「鎮守様」になって、日夜「蛇」と戦っている。妹の若菜は鎮守隊に入ることを目標に、ずっと前を走り続けて、更に加速している。あんなに自分の力を怖がっていた詩織だって……。どんどん霊気を使いこなせるようになって、最近は霊刀の手入れを伸真に教わっているという。もしかしたら、若菜よりも鎮守隊に近い立場にいるのかもしれない。

 ――寂しいな……

 幼馴染や妹達がそれぞれに必死に戦っているのに。素直に応援できない自分がいる……。
 そんな自分が嫌で仕方がなかった。
 ただ、昔のように四人で楽しくしていたい。それだけなのに……。何もかもが怖いくらいのスピードで変わっていく。胸の奥から息を吐き出して顔を上げると、微かな桜の香りがした。

(……こっちって……、並木道だっけ……)

 幼い頃に遊んだ桜並木へとフラフラと向かう。特に理由はない。懐かしい場所に行ってみたくなっただけかもしれない。並木道に呼ばれているような気がしたからかもしれない。
 正門から続くなだらかな坂道を下り、住宅地へと向かう大通りから反れて桜が並ぶ小道に入る。槻宮学園は丘の上に立っていて、住宅地から少し外れていて、町との境界線を引くように桜がずらりと並んだ小道が横切っている。この桜が浅城町の邪気を和らげる浄化の陣の一つだと聞いたのは、こないだの講習だっただろうか。桜が咲いている間は、傍で霊気を浴びると霊体に良い、と。

(皆でお花見、来たかったな……)

 桜が満開だった頃は望が入院してしまって、一真だけでなく鎮守隊も現衆も、町全体がピリピリしていた。お花見がしたいなんて……、暢気なことを言える状況ではなかった。
 舞い降りてきた花びらを手の平で受け止める。
  久しぶりに訪れた並木道は人の気配がなく、ほとんど散ってしまった桜が温い風に揺れている。急に泣きたくなってベンチに腰を下ろした。

(私だけ、止まっちゃってるよね……)

 一真のように必要とされているわけでもなく、若菜のように強い目標もなく、詩織のように才能もない。何もない自分はどうすればいいのだろう?どうしたいのだろう?  隠人として覚醒したといっても、光咲程度の霊格ならば、霊感の強い人間とさほど変わらない。初級講習を終えれば普通の高校生として鎮守隊と関わらずに生きていくことができるし、両親もそれを望んでいる。無理もないだろう。鎮守隊に関わることがどれだけ危険で、光咲の霊格ではとてもではないが務まらないことくらい、自分自身もわかる。だけど――、その選択をしてしまえば、彼らとの距離は更に開いていく気がする。

(置いて行かれるのは嫌だけど……、足を引っ張るのは、もっと嫌……)

 自分にできることがないか――、考えなかったわけではない。
 だが、隠人にとって最も重要視されるのは霊格だ。いくら修業によって上げることができるといっても、生まれ持った霊格の差はどうしようもない。講習を受け、霊気の扱いを覚えるたびに、自分の霊格がどれだけ低いのかを自覚する。一真の霊格が途方もなく高くて、追いつこうなどと考えるだけおこがましいことも……、わかってしまう。
 枝に残っていた桜の花が風に散った。

(え?)

 景色が歪んだ気がして瞬きを繰り返す。伝わる小さな反応に上着のポケットから布袋を取り出す。葉守神社の紋が刺繍された御守りは黄に光っていた。
「嘘……!これって……」
 御守りを隠すように握り締めて立ち上がる。
 初級講習でもらった御守りは持ち主の霊気を常に吸収し、邪避けの術が発動し続けるようになっている。邪の出没が異様に高い浅城町で、光咲のように護身術もまともに扱えない紋付隠人が暢気に町を歩いていられるのは、この御守りのおかげといっても言い過ぎではない。
(こんなに強く光ってるの、初めて……)
 強い光を放っているということは、それだけ強く術を発動させているということ。傍に強い邪気を放っている何かがあるということだ。この浅城町では、大抵の場合、邪だが。
(どうしよう……。鎮守隊の人は近くにいないし……)
 桜並木はひっそりと静まり返っている。先週くらいまではお花見の人が大勢いた通りも、シーズンを過ぎてしまえば人通りのない、寂しい林だ。邪霊らしいものはいないのに、光は強まっていく。
(えっと……。こういう時って……)
 講習で教わったことを必死に思い起こす。ゆっくりと周りを見渡し、大きく息を吸って吐く。
(大丈夫……、大丈夫……)
 自身に言い聞かせ、光咲は駆け出した。
 鎮守隊が傍にいない時に強い邪に出くわしてしまった時に一般の隠人が取ることができる行動は、唯一つ。逃げるだけだ。ただし、闇雲に逃げればいいというわけではない。できる限り霊気を穏やかな状態に保って逃げるのが望ましい。特に、今のように邪霊が襲ってきていない場合は。
(大丈夫……!きっと、まだ気づかれてないから……!)
 何度も自身に念じる。邪霊は不安定な霊気に引き寄せられる性質がある。気づかれていないということは、光咲の霊気は邪霊が感知するほど乱れていないということ。このまま逃げ切ってしまえば……!


「光咲」


 よく知った声に足を止めた。恐怖も警戒心も吹き飛んで振り向く。ブレザー姿の少年が並木道の向こうから歩いてくるところだった。
「一真君!」
「こんなとこで何やってんだよ?」
「えっと……、お花見……。じゃなくて、」
 いつもと変わらない姿に普通に答えてしまってから、慌てて御守りを一真に見せる。
「さっきから御守りがこんなに反応してるの!これって、異常だよね!?近くに強い邪霊がいるのかも!」
「そうか?何にも感じねェけど……」
「え?そ、そう?」
 光を放ち続ける御守りと一真と。見習いとはいえ鎮守役の彼が何も感じないということは、御守りのほうがおかしいのだろうか?
(もしかして、私の霊気が不安定とか……?)
 注ぐ霊気が不安定に揺れていると御守りの光が不安定に明滅すると講習で聞いた。自分はそんなに凹んでいたのだろうか。
 一真はお守りの異変など、どこ吹く風と言ったように傍の木を見上げた。
「懐かしいよな。ここ、よく花見に来たっけ?」
「うん……。今年は来られなかったね……」
 四年で随分と高い位置に行ってしまった横顔を眺める。
 再会した時は、こんなことになるなんて思わなかった。鏡面が詩織にとり憑いた夜、何もかもが急激に変わった。相手が邪だろうが鎮守様だろうが、一真は一真だった。詩織を助ける為に正面からぶち当たって、過労死しかけている望を放っておけなくて鎮守役になってしまって……。寂しいけれど、どこまでも彼らしい選択だ。大雑把なようでいて、彼は人一倍、「誰かを守る」という意識が強くて、自分から矢面に立とうとする。小さな頃からずっと。
(あれ……?)
 急に違和感が生まれた。
(なんだろう……。何かがおかしい……)
どんどん大きくなっていく違和感に光咲は数歩後ずさった。
「光咲?どうかしたのか?」
 不思議そうな顔も、声も、一真のものだ。だが……。
「あなたは……、誰?」
「は?何言ってんだよ?」
 光を強くする御守りを握り締め、「一真」を見つめる。
「一真君なら……、邪避けの御守りが異常な反応してるって聞いたら、『見せてみろ!』って顔色変えるはずだもの……。こんな、邪霊がいるかもしれないところで、のんびり話始めたりしないよ……!」
「はは……、そーいえばそうだっけか……」
 後半は一真の声ではなかった。耳障りな笑い声と共にブレザーが黒く滲む。周りの空気が急速に澱んでいく。一真の姿が崩れ、黒い靄の塊になっていく。

 ――逃げなくちゃ!

 頭ではわかっているのに、足は地面に吸いついたように動かない。黒い塊から墨のように溶けだした澱みに御守りが一際強く光った。破裂音があたりに響く。

(息が……ッ)

 蹲り、直感で御守りで口元を抑える。破れた布袋に、御守りが破裂したことに気づくが、パニックに陥った頭には、その深刻さを考える余裕なんてない。

 ――なに……これ……?

 澱んだ空気が灰色に濁り、煙に巻かれたように息が苦しい。うっすらと黄に光っていた右手の紋が灰色に染まった。煙を吸ったように意識が薄れていく。

“十二天が一、勾陣!”

 黄の光が舞った。澱んだ空気が遮られる。傍で留まった足音にゆるゆると顔を上げる。
「壬生……、先輩……?」
「意識ははっきりしているようだね。立てるかい?」
 頷くと、貧血のような眩暈が襲った。優音に手を貸してもらい、なんとかして立ち上がる。
「あれ……、邪……ですか?」
 黒い靄を黄色い光が囲んでいる。光の中で動く靄は生きているようにも見える。
「……どうだろうね……。よくない相手なのは確かだよ……」
 眼鏡の奥の眼は鋭く細められている。補佐頭の彼がこれほどまで険しい表情をするようなモノと話していたということに今更ながらゾッとした。
「これを持ってて」
「は、はい……」
 渡された符をしげしげと眺める。水の霊気が込められた蒼い符をどうすればいいのか――、光咲にはわからない。
「御守り代わりだよ。多少の邪避けの力はある。すぐにこの場を離れて斎木君の家へ。組長もそこにいる」
 小声で告げ、優音は数枚の霊符を取り出した。
「二人にこのことを知らせてくれるかい?」
「せ、先輩は!?」
「組長達が来るまで、ここで足止めしてるよ。君は早く」
「で、でも……!」
 少し冷静になってみると、この場の異様さがよくわかる。さっき息ができないほど立ち込めたモノ――、あれはきっと邪気だ。鏡面が放っていたものよりも、ずっと濃い――。
「鎮守役の到着まで邪を抑えるのが補佐の役目だ。僕は補佐頭として役目を果たすだけ。君が負い目に感じることはないよ」
 淡々と告げ、優音は霊符を放った。黄の光が重なり、更に光を強める。
「早く行って。君がいたら隔離できないんだ」
 少し強い調子で言われ、我に返る。今はあの靄の正体を考えている場合ではない。自分がやらなければならないことは――!
「す、すぐに呼んできますから!」
 それだけを言い、蒼く光る霊符と破れたお守りを握り締めて駆け出す。

(ごめんなさい……!ごめんなさい……!!)

 心の中で、それだけを繰り返す。少し寄り道してみようなどと考えた自分を怒鳴ってやりたかった。真っ直ぐに家に帰っていたら、あんな邪に出くわすこともなかったはずなのに。護身術もまともに使えないくせに、どうしてあんな所に行ったのだろう……!?

(私が……、もっと強かったら……!)

 無残に破れた御守りがぼやけた。持ち主の霊気がもっと強ければ、こんなことにはならなかったはずだ。
 咳き込みながら小道を抜けると、背後で黄色い光が膨らんだ。

「あ…………」

 澱んだ空気が消えた。優音の姿も、一真の姿をとっていた黒い靄も。

(どうしよう……!)

 カタカタと体が震える。あの黄色い光が何だったのか、どうして優音が消えたのか。何もわからなくても事態が好転していないことだけはわかる。
 座り込んでしまいそうになるのを何度もこらえ、路地裏に駆け込んだ。

(一真君……!一真君……!!)

 すれ違った人が怪訝な顔をするのも構わず、走り続ける。怒られても呆れられてもいい。一分でも早く一真に会いたかった。