追憶の夕刻

13話



 宙を漂う蒼い靄が小石ほどに固まり、礫となって飛来する。かわしざまに一閃した刃から放たれた火の気が礫をことごとく斬り捨てる。水の気が宿った札が四散した。

「どうじゃ?」
「よく馴染んでいます」
 赤く光る刀身を眺め、望は頷いた。驚くほど刀からの霊気の抵抗がない。
「でも、よかったんですか?」
「何がじゃ?」
「沢山注文が来てるのに……、僕の刀を優先してくださったんでしょう?」
 霊刀鍛冶「誠の匠」が鍛える霊刀は打たれ強いことで有名で、自ら意思を持っているように持ち主の霊力に波動を合わせてくれる。その姿の優美さも加わり、全国から注文が殺到しているという。修理ならばともかく、新品となれば三年待ちで手に入れば、かなり運がいいほうだ。それを、注文から一ヶ月も経たずに……。
「構わん、構わん!」
 伸真は豪快に笑い飛ばした。快活な笑い顔は、どこか孫の一真と似ている。
「本当は、主座昇格祝いに渡すつもりで鍛えておったんじゃが、間に合わなくてのう。ちょうど良い機会じゃよ」
 望の霊気を吸収して赤く瞬く刀身を満足げに眺め、伸真は頷いた。
「霊気をよう宿しておる。刀も君を主と認めたようじゃ。永く使ってやってくれ」
「ありがとうございます」
 促されるままに試し切り用の部屋から出て客間に入る。庭に設けられた鍛冶場は外からみれば物置小屋のようだが、その内部は小規模な霊域をいくつも組み合わされていて、槻宮学園の中庭がすっぽり入るくらいの広さだ。ここに入れてもらえるのは、伸真から自分の霊刀を扱うに足ると認められた者のみ。鎮守役であっても誰でも入れるというわけではない。鎮守役にとって、ここに招いてもらえることが一つのステータスだと聞いたことがある。
「しかし、大変じゃったのう。鏡面に続き、妖獣とは……。よく無事で戻ってこれたもんじゃ……」
「僕一人の力じゃありません」
 出された緑茶を啜り、望は息をついた。
「鏡面の時も、今回の妖獣も、一真君が一緒に戦ってくれましたから。一人じゃ、とてもじゃないけど切り抜けられませんでした……」
 本心から言うと、伸真は驚いたように目を丸くした後、笑い出した。
「気を使ってくれんでもいいぞ。一真なんぞ、まだ入隊したての見習いじゃろう?勇み足で弟子入りしたものの、望君の足を引っ張っておるんじゃなかろうかと、気が気でないわい。己の未熟さも省みんと、妖獣との戦いにまで首を突っ込みおって……」
 少しの違和感に、「ああ」と思い至る。
 現在の一真を伸真は知らない。伸真と話をするのは、前に一真の推薦状を受け取りに来て以来。あれから、まだ一ヶ月も経っていないが、この僅かな間に一真は恐ろしい勢いで強くなっている。もはや、「入隊したての新人」が当てはまらないほどに。
「そんなことありませんよ。一真君は……、僕が思っていたよりも、ずっと強い人です。何回助けてもらったかわかりませんし、正直なところ、頼りにしています」
 どこまで話したものかと考え、当たり障りのないところでやめておく。一真の力のことは、今一つ掴みきれていない。ただでさえ蝕を心配している伸真に不確かなことを話しても心労を増やすだけだ。
「そうか……。もうそんなに強くなっているんじゃな……」
 伸真は茶を啜り、意を決したように口を開いた。
「望君は、一真の霊風を見たことがあるんじゃったな」
「ええ」
「どんな感じじゃったか……、聞かせてもらえんか?」
「……僕から聞くよりも直接ご覧になったほうが……」
 一真本人に見せてもらえばいいのではないだろうか。巡察で忙しいとはいえ、夕方は帰宅しているし、伸真と顔を合わせる時間はあるはずだ。霊風くらい頼めば見せてくれるだろう。
「……近頃、ある伝承がやけに思い出されての。どうにも一真の霊風と結びつけて考えてしまうんじゃよ。実のところ、この目で確かめるのが怖くてのう……。悪い考えほど当たるからの」
 耳を疑う。かつて鎮守役として名をはせた伸真が「怖い」と言ったのだろうか。
「情けないことじゃが、どうも身内となるとのう」
 弱気な表情が自分の祖父と重なった。幼い頃から「化け物」の片鱗を見せる度に苦悩を浮かべた祖父と。
「僕も、そんなに何度も見たわけじゃありませんけど……。碧に光る、木属性の風としか……」
 「風の威力も、操る力も、恐らく、僕よりも上でしょう……」喉まで上がってきた言葉を呑み込んだ。覚醒してひと月ほどの一真が主座の望を上回っているなどと……、不安を煽るだけだ。聞かないほうがいいに決まっている。しかし、伸真は沈痛な顔で唸った。
「やはり、碧に光っておるか……」
「あの……、碧だと、何か良くないんですか……?」
 一真は木属性だ。木属性の霊気は緑に光る。霊風は霊気によって造られた風で、術者の属性を映す。木属性の彼の霊風が碧に光ったところで、何も不思議はない。彼の霊気は普通の木属性とやや色合いが違うような気がするが、個人差の範疇に収まるはず。
「碧だから悪いというわけではないが……。望君は、風狼斎という名を聞いたことがあるかな?」
「いえ……」
 初めて聞く名だ。風「狼」斎というからには、狼の霊筋なのだろう。
「武蔵国では知られておらんからな。京でも知られているとは言い難い、伝説上の存在じゃ。ワシとて、先代から口伝で聞いたくらいじゃ……」
「匠が、ですか?」
 全国に馴染みの客がいる伸真の元には各地の情報が集まる。誠の匠が代々伝える情報は、下手をすると信濃の霊山よりも多く、その質も高い。そのため、武蔵国の各組は未聞の事態が起きると、まず伸真に相談に来るほどなのだ。
「先代によれば、『碧風と共に現れ、碧風と共に去る、風を従えし狼。その身に宿す木の霊気は大天狗をも凌ぐ最強の霊狼。彼の者が怒りと共に舞い降りれば、一つの里が荒野と化す』……。隠れ里が壊滅する時、決まって碧の嵐が吹くという伝承まで残っておる。いうなれば、霊獣をも狩る魔狼。妖獣をも屠る、本物の化け物じゃよ……」
「碧風を従えた……、木属性の狼……」
 確かに、そこだけを見れば一真はピッタリと該当する。だが……。
「その人の霊筋は……」
「わからん。京を活動拠点にしておったことから、天狼ではないかと言われておるが……。単独行動を好み、風の如く空を駆け巡るが故に、誰も近づけんかったそうじゃ。その素性も目的も、全てが謎に包まれておる」
「匠は、その風狼斎が一真君と何らかの関係があるとお考えなんですか……?」
「関係がある程度ならばよいが……。一真の中に風狼斎が封じられておるのではないか?それを危惧しておるのじゃよ……」
「一真君の中に?どうしてです?」
「風狼斎は千年ほど前を境に姿を消しておる。一説には、千年前の京で起きた動乱に巻き込まれて命を落としたとも、妖獣化し、御山颪によって封じられたとも言われておる。前者ならば良いが……、万一にも後者であった場合……、伝承通りの化け物ならば、霊域や封具に封じるのは不可能に近い。じゃが、禁じ手とされておる人の魂の中への封印ならば……」
「一真君が、その封印の依り代だと……?」
「あくまで推測じゃ。斎木家は天狼に連なる霊筋じゃからの。天狼と目される風狼斎に近しい能力を持つ者が現れても不思議はないが……、一真の場合は、ちと強すぎる気がするのじゃよ……。異常覚醒だけならばまだしも、妖獣と戦い無事に戻ってきたとなれば、何らかの要因を疑いたくなる……。仮に風狼斎の妖獣化が真実ならば……、隠人の魂の中に封じたとしても、そうは長く抑えておれん……」
 疲れた表情で伸真は茶を啜った。
「じゃから、もしも、一真が己の内におるものに呑まれて自我を失うようなことがあれば、遠慮はいらん。容赦なく叩きのめしてやってほしいんじゃ」
「そんなこと……」
「なに、最悪の場合のことじゃ。一真も、自分が認めた師匠に叩きのめされるならば納得するじゃろう」
 他の客には絶対に見せないだろう悲痛な表情に、望は主座の表情で頷いた。
「……わかりました……。その時は、僕が鎮めます。一真君は、僕の弟子ですから」
「すまんな、こんな時に」
「いえ。前もって知っていたほうが、手が打てますから……」
 伸真は「世話をかけてすまん」と呟き、いつもの快活な口調で世間話を始めた。

(風狼斎、か……)

 早速、聞いたばかりの伝説に思いを馳せる。
 望にとっては「厄介ごと」というよりも、新たな有力情報だった。最強と称される霊狼ならば、自分達の霊筋のことを知っているかもしれない。一真のことも含めて答えを持っていてもおかしくない。

(なんとか会えないかな……)

 聞いた限りでは、とんでもない化け物だ。妖獣化が本当ならば、その凶悪さは雄緋の比ではないだろう。会ったところで話をできる相手かどうかも怪しい。だが、どうにも悪人だと思えない。根拠などないが、親しみのようなものを感じている。彼もまた、一真と同じ碧風を操るからかもしれない。

(少しでも手がかりがあれば……)

 例えば、京のどこを拠点にしていたのか?最後に目撃されたのは、いつなのか?彼を知る霊獣や天狗はいないのか?
 それとも、本当に一真の中に……?

 伸真の世間話に相槌を打ちながら、伝説の狼探しの方法を思案していた。



 軽快な音が台所に響くたびに、まな板の上で見事なキャベツの千切りが生み出されていく。
「上手くなったじゃねェか、詩織!」
 ほどよく焦げ目がついた唐揚げを油から取り出しながら、一真は久しぶりに見た妹の包丁さばきに感嘆の声を上げた。
「そのキャベツ、学校の食堂のよりも細いんじゃねェか!?」
「なんだかね、覚醒してから包丁さんと仲良くなっちゃったんだ〜〜」
 可愛らしいイラスト入りの割烹着を着た詩織はチラリと油の入った鍋を見た。
「お兄ちゃん、手前の二つ、もういいみたいだよ」
「お、おう」
 言われてみれば、ほんの十秒ほどでこんがりと揚がっている。バットに取り出し、下処理済みの鶏肉を新たに投入する。
「どうしてわかったんだ?」
「お鍋さんが教えてくれるの。『美味しくなってるよ』って。おじいちゃんにお話したら、これも金属性の力なんだって!」
「へえ〜〜、金属性って便利なんだな〜〜」
「うん。お鍋さんや包丁さんが教えてくれるから、お料理がどんどん上手くなるんだ〜〜」
 最近、妹の手料理が急激に美味しくなったと思っていたが。まさか、隠人としての力が原因だったとは……。

(詩織は家の力を強く継いでんだな……)
 斎木家は代々続く霊刀鍛冶師の家系だ。そのためか、霊気も金属性の者が多く、祖父も両親も金属性で、他界した祖母も金属性だった。金属性が苦手な木属性の一真は、斎木家の中では異端者といえる。そのおかげで霊刀鍛冶師にならずに済みそうなので、個人的には問題がないが。
(マジで才能あるんじゃねえか?そのうち、霊刀と話し出したりとか……)
 まだ初級講習に参加して間もない詩織が、霊力の応用法など習っているとは思えない。この応用は詩織が自分でやっているということだ。霊力や属性を日常に違和感なく応用できるということは、霊気を扱うセンスがいいということでもある。
(そのうち、ジイちゃんを超える鍛冶師になったりとか……。『武蔵国の美少女霊刀鍛冶師』か……。いいじゃねェか……!)
 木属性の自分は詩織が鍛えた刀を扱えないことが不満だが。

「あ、お兄ちゃん!そっちのがちょっと揚がりすぎちゃってる!」
「なに!?」
 慌てて取り出し、新たな鶏肉を投入しながら壁の時計を見る。

(やけに時間かかってんな……)
 祖父と望が鍛冶場に入ってから三十分ほど。試し切りや微調整があるからと言っていたが、こんなに時間がかかるものなのだろうか。
(まあ、いっか……)
 昨夜の邪物の影響なのか、今日は邪の出没が少ない。望が復帰前に新しい刀を受け取ることになったこともあり、鎮守役の夕方の巡察同行はなくなり夜番からの参加になった。ゆっくり夕食を食べた上、仮眠もとれるだろう。緊急事態さえ起こらなければ。

「ね、ねえ。お兄ちゃん。唐揚げの味、どうかな?」
 少し緊張した面持ちで詩織がこちらを窺った。味見してもいいらしいので、湯気の立つ唐揚げを一つ口に放り込む。程よい醤油の風味が口に広がった。真から、今日の夕食は望も一緒だと聞いていたらしく、いつもよりも気合が入っている。ただ、望は小食なので、いつもの二倍以上の量の唐揚げは多すぎるような気がするが。
「ウマい!これなら先輩も喜ぶぜ」
「本当!?」
 詩織にとって望は西組のトップというよりも、個人的な恩人であり一真の師匠としての印象のほうが強い。その彼が夕食を食べに来ると言われれば、はりきりたくもなるだろう。

(……これは何が何でも食わせねェと、だな……)
 嬉しそうに目を輝かせている妹をガッカリさせるようなことだけはしたくない。しかし、望の小食っぷりは尋常ではない。
恐らく、唐揚げならば三つも食べればいいほうだろう。
(いくらなんでも三つは少ないよな……。詩織や光咲でも、もうちょい食うだろーぜ……)
 昨夜から頑張って準備していた詩織の為だ。多少の力技を使ってでも五つは食わせなければ……。欲を言えば、一真と同じくらいがっついてほしいが、望がそんなことをした日には雨や雪どころか刀が降るだろう。
(……問答無用で皿に盛っちまうか……。真面目な話でも振っておいて、その隙にでも……)
 唐揚げを盛り付け予定の大皿を眺めながら小さく唸る。望の場合、大皿から取るよりも、皿に取り分けておいたほうがいいのだろうが、胃の許容量をオーバーすると残しかねない。そちらのほうが詩織の精神ダメージが大きいに違いないと、大皿を提案したのだが……。
(邪より先輩の小食のほうが強敵だよな……。力づくで解決できねェし、腹壊させでもしたら、補佐に後ろから刺されそーだし……)
 詩織が忙しくサラダをかき混ぜているのをいいことに、唐揚げをもう一つ口に放り込んだ。口の中に肉汁が広がった。
(マジでウマいって。余ったら夜食に持ってくか。こんだけあったら総矢に差し入れてやってもいいな。つか、玉響に入るとか言ってたけど、下手すりゃ、オッサン出てくるかもしれねェんだよな……。ホントにあいつ一人で大丈夫なのかよ……)
 霊獣相手に失礼極まりないことを考えながら、また一つ唐揚げを口に放り込む。

 ――なんだ……?

 芳醇な肉の旨味を台無しにするような澱んだ気配が感覚を刺激した。