追憶の夕刻

12話



「昼頭?」
 少し前を歩いていた隊員の一人が呼んだ。
「どうかしたんですか?」
 いつの間にか自分が立ち止っていたことに気づき、優音は足早に追いついた。
「呼ばれた気がしたんだけど……、気のせいかな?」
 ブレスレットに組み込まれた補佐頭証の水晶は沈黙を保っている。一真や望から通信が入っている様子はない。
「それ、疲れてるんですよ」
「休憩しますか?」
 優音の様子に気づいた他の隊員達が揃って心配そうな顔をした。
 妖獣の一件から一週間。組長不在の西組で、伝令役も出張続き。必然的に優音に回る隊の雑務は倍増した。巡察に影響が出ないように上手く処理してきたつもりだったが、さすがに昼番の隊員達にはバレバレらしい。
「これくらいで音を上げてたら、組長と斎木君に会わせる顔がないよ。あっちは昼も夜も出動してるんだから……」
 真面目に言ったつもりだったが、隊員達は一斉に笑い出した。
「あの二人と張り合ったら倒れますよ〜〜」
「そうそう!組長は何かを超越してるけど、斎木さんも隠人超えてますって!妖獣と戦って帰ってきて、次の日から普通に巡察してるんだもんなあ。入隊してきた時は、もうちょっと普通の人と思ってたんだけどなあ」
「何言ってんのよ〜〜!あの組長が直々にスカウトしたってところが、もう普通じゃないでしょ!?」
「そりゃそーだ!」
 ケラケラと笑う隊員達は制服姿だ。夜番は一度帰宅してから集合するので私服だが、昼番は基本的に学校帰りに屯所に集まり、そのまま制服で巡察に出る。談笑しながら町をぶらぶらと歩いている高校生のグループが、まさか、町の七不思議「鎮守様」の一行などと――、一般人は夢にも思わないだろう。
「ていうか、斎木さんって、もう鎮守役でいいよなあ?あれで見習いって言われてもさあ〜〜」
「組長の弟子できるような人が、見習いっていうのがムリなんだよ。最初から鎮守役で正式入隊したらよかったのにさ〜〜」
 他の隊員が頷く。

(さすがだね。斎木君は心配なさそうだ)

 一週間ほど前は、ほとんどの隊員、特に昼番の隊員は斎木「君」と呼んでいた。
 一真は夜番に参加していたので、夜番の補佐の間では初日から「西組の救世主」と評価が高かったが、昼番の間では不安の声の方が多かった。昼番を束ねる昼頭として手を打たねばならないかと思案していたが、望が療養に入ったことで全て杞憂に終わった。
 里から来た武術士が夜型だったので、昼番の担当が自動的に一真になったのだ。戦いぶりもさることながら、昼番の評価を一変させたのは一真の性格だった。
 昼夜を問わず顔色一つ変えずに戦い続ける望と違い、一真は腹が減ったり眠かったりすると、普通に大きな欠伸をして辛そうにし、邪霊の出没件数が多い夜の翌日は普通に学校をサボる。屯所で待機している間も、補佐から漫画を借りたり、余った差し入れを賭けて真剣にじゃんけん大会に参加したりと、補佐の輪に入って騒いでいるか、いびきをかいて寝ているかだ。珍しく静かにしていると思えば、必死の形相で翌日締め切りの課題を写させてもらっている。
 挙げればキリがないが、鎮守役=超人、のイメージを持っていた西組の補佐にとって普通の高校生めいた行動の数々は衝撃だったらしい。どれだけ霊格が高く、強敵と戦っても、あくまで自分達と同じ高校生。一真の先輩にあたる補佐が多い西組では、睡眠不足に耐えて昼も夜も戦う後輩をフォローしてやらねばと思う者が続出した。
 そういう場合、今度は慣れあいを心配するところだが、突出した戦闘力を目にした補佐達は同時に尊敬を抱いたらしい。狼の霊筋は好戦的で他の霊筋よりも戦闘力と霊格に惹かれる傾向が強い。好戦的で頭抜けた戦闘力を持つ一真は「副将」として申し分がないのだ。そればかりか、望と補佐との間にある大きな距離を縮める役割も果たしてくれるかもしれない。

「昼頭!斎木さんって、いつまで見習いなんですか?」
「見習い期間っていうのは特に決まってないから、組長と伝令役の推薦待ちだよ。まだ巡察に出て十日くらいだからねえ……。あと二ヶ月くらいはこのままなんじゃないかな」
「あと二ヶ月も!?」
「僕としては、すぐにでも昇格してほしいんだけどね。余所の組の正規の鎮守役よりも一日に鎮める邪霊の数は多いんだ。組長と一緒だったっていっても、あの鏡面や妖獣と戦って無事に戻って来てるわけだし。並の鎮守役よりも強いのは誰が見ても明らかだよ」

 見習いと正規の隊員の最大の違いは、その行動範囲だろう。見習いの間は、あくまで自分が所属する組の中でも、所属する隊の守備範囲内のみでしか動けない。
 一真のように並の鎮守役よりも遙かに強くても、見習いである以上、この浅城町内の巡察しか参加できないのだ。そのため、望が療養に入ってからのこの一週間、西組の他の隊では昼間に包囲しておいたものを夜に総矢が出かけていって鎮めることで乗り切った。
 今回は偶然、武術士が調査を兼ねて滞在しているが、こんなことは滅多にない。一日でも早く、一真には鎮守役に昇格してもらう必要がある。

「昼頭の推薦でなんとかできないんですか?」
「できるならやっているよ。鎮守役の推薦は、主座か鎮守役でないとできないんだ。まあ、斎木君の実力は組長が一番わかってるだろうから、そんなに長くかからないんじゃないかな。里の武術士殿も斎木君の戦闘力を絶賛してるらしいから、こちらで動きがないと里から推薦があるかもね」
「里からですか!?」
「スゲエ!さすがだぜ、斎木さん!!」
「あの人が昇格したら、うちが武蔵国最強の組になるんじゃね!?」
「え〜〜!あの南組よりってことはないっしょ!北嶺守役みたいな人がいっぱいいるんだよ〜〜?」
「伝令役と夜頭が話してたんだけどさ、北嶺守役は南組の五強に入るらしいぜ!こないだ、午前中の巡察に入ってくれた時に、本人が斎木さんのほうが強いって言ってたから、もしかすると……!」
「現衆最強の鎮守役と、その弟子のコンビだもんな!」
 盛り上がる隊員達から優音は目を逸らした。

(戦闘力だけなら、南組に匹敵してるだろうけどね……)

 鎮守役が二名じゃ、状況が厳しいのは変わらない……

 この浅城町以外の西組の管轄地域では、邪の出没は一日にせいぜい十体程度。他の組の管轄地でも似たようなものだ。南組の管轄地は少々特殊で、出没件数は他と同じくらいだが、一件あたりの厄介さと凶悪性が他の地域の比ではない。
 対して、浅城町の邪の出没数は一日に平均百五十から二百体。雑魚の邪霊が多いということもあるが、それでもこの発生件数は異常だ。
 他の地域ならば、鎮守役が二名しかいなくても交代で巡察できるだろうし、非番を作ることも可能だ。
巡察だって日に数度、定期的に見廻るだけで足りる地域もあるらしい。
 だが、この西組、特に浅城町は――、毎日、昼も夜も邪霊が出没するので、鎮守役は常に戦える状態でいなければならないし、補佐も当番でないからと気を抜くことができない。
この町が他の地域と同じくらいのシフトになろうとするならば、補佐は今の五倍、鎮守役は十倍ほど必要だろう。

(鎮守役になるには、丁以上の霊格が必要、か……)

 触れた右肘から自分のものではない波動が返り、鼓膜の奥深くで雨の音が微かに木霊した。上着ごしに感じる波動は、あの事件が夢などではなかった証だ。そして、自分が鎮守役になれない現実を突きつける非情な声でもある。

(このままじゃ……)

 鏡面、霊域、妖獣。ここひと月ほどで望が巻き込まれた戦いは隠人の手に負える域を超えている。しかも、事態は解決どころか、どんどん混迷を極めていっているような気がする。

 何か、とてつもないことが起きようとしていて、自分達は、今、その岐路に立とうとしているのではないか――?

 そんな考えが初めて過ったのは、望が鏡面と戦った夜だっただろうか。
 あの夜、浅城町を吹く風が、いや、自分達を取り巻く何かが変わった。そう遠くない未来、望と一真は風に乗り、自分達の手の届かない場所へ行ってしまうのではないだろうか。
 その時、自分達はどうすればいいのだろう?

 見送るべきか、引き留めるべきか――。

 どちらにせよ、丁に至らない自分では足手まといにしかならない。同じ舞台に上がることさえできないのだ。

『その尺度では我々には届かぬ』

 甲矢の言葉がまた蘇った。
 そんなことはわかっている。だが、どうすればいい?補佐から上に進めない自分に、どうやって霊獣の戦いに割り込めというのだ?

 まだ、あの事件の償いさえできていないのに……。

「昼頭?」
「大丈夫ですか?」
「え?」
 我に返ると、隊員達は心配そうな顔をした。
「ぼーっとしてましたよ。やっぱり休憩したほうがよくないですか?」
「そうですよ、昼頭が倒れたりしたら、西組はどうなるんですか?」
「大丈夫……、いや、」
 頭がごちゃごちゃして霊気が不安定になっているのが自分でもわかる。とてもではないが巡察に集中できそうにない。
「お言葉に甘えて、少し休憩させてもらうよ。巡察コースは〈夕の弐〉で変更なし。少ししたら追いかけるよ」
 横のベンチを指して言うと隊員達は笑顔で頷いた。浅城町には公園でなくてもベンチが至る所に設置されている。住民の数に比べると明らかに多すぎるベンチが鎮守隊の休憩用に設置されたものだと知っているのは、現衆に所属している者だけだ。隊員達が通りの角を曲がったことを見届け、優音はベンチに腰を下ろした。

(やっぱり聴こえる……)

 雨音が耳の奥で鳴った気がした。