追憶の夕刻

11話



「は〜〜、えらい事になってきたよな〜〜」
 主座の執務室ともいえる刃守の間で一真は足を延ばし、天井を見上げた。
 甲矢の話が終わって解散した後。玲香は学園に戻り、優音は屯所で休憩していた昼番と合流して夕方の巡察へ向かった。甲矢はいつも通り正殿の陣の修復を行っている。
 望はというと、夕方の引継ぎ前に伸真と約束があると言うので、それまでの時間、二人で溜まった書類整理をしようということになった。
「あのオッサン、マジで迷惑だって……。玉響で流されてりゃいいのにさ。現にまで来んなって……」
 ぼやきながら他の部屋から持ってきた机に積まれた書類に鎮守役の承認印をポンポンと押していく。霊符用の和紙の補充、霊薬の補充……、隊を運営する為の消耗品絡みがほとんどだ。優音が作ったものなので改めてチェックする必要もない。
 主座用の文机では望がややこしそうな書類を睨んでいる。
 本来は主座が実働隊を纏め、組長がデスクワーク等の隊の運営を担当するらしいが、西組では望が両方を兼任している。当然、運営まで手が回るはずがないので、いつもは彼の祖父の伝令役が代行している。今回の件ではその伝令役が里や霊山、現衆の他の組との調整で大忙しなので、書類整理がどっさりと溜まってしまったらしい。そんなわけで、望が面倒な件を片づけている間、見習いとはいえ副主座の立場になる一真が単純な作業を手伝うことになった。
「……一真君は、どう思う?」
「どうって?」
「雄緋殿が千年経って暴れ始めた理由……」
 ペンをクルクルと回しながら、望は窓の外の夕焼けを眺めた。
「仮にも刃守の里の前里長が何の理由もなく暴れるなんて考えられません……。二百年経って暴れた妖獣じゃないけど、何かきっかけがあるんじゃないかなって……」
「何かのきっかけはあるかもしれねェけど……。オッサンを封じた戒は千年前に死んじまってるし……」
 天狗の転生は格が高い者ほど時間がかかるらしい。通常の天狗ならば二百年から三百年ほどで転生してくるというが、高位の宵闇となると、その倍以上、場合によっては千年以上かかってしまうらしい。宵闇の中でもトップクラスにいるだろう戒が転生しているかどうか――、彼が他界してから千年経ったといっても微妙なところなのだ。
「鞍馬への問い合わせって、まだ返事来てねェの?戒が戻って来てたら、オッサンが血迷った原因とか知ってるかもしれねェし、本人が出てくるってことも……」
 事態を重くみた信濃の霊山が鞍馬へ報告したと聞いている。その際に、戒のことも問い合わせてもらったはずだ。
「何も。あちらも対応に困っているのかもしれません……。でも、」
 ペンを置き、望は机の上で手を組んだ。
「ただの勘ですけど……、戒さん達は今回の件とは無関係だと思うんです……。鞍馬の霊山が動かないのは、それを察してるのかも……」
「実際に妖獣が暴れてんだぜ?放っておいたらヤバいじゃん。戒がまだ転生してきてなくても、他の宵闇がいるだろーし」
「霊山が動かないっていうことは……、こちらで対応できるって判断している可能性もあるんです……。妖獣が千年経って暴れ始めた理由も含めて……」
「それって、信濃と里だけで対応しろってことだよな?信濃って、そんなに戦力あんのか?」
「いいえ。信濃は奥羽霊山の出張所みたいな立場です。常駐する宵闇も少ないから、里が武蔵国の現衆を束ねて、鎮守隊の援護に武術士を派遣してくれてるくらいですよ」
「じゃあ、主戦力は里の武術士ってことか……」
 総矢の口ぶりでは、雄緋は妖獣化する前からかなり霊格が高かったようだ。里長付の武術士というからには、総矢は武術士でも実力者のほうだろう。その彼がああいう言い方をするということは……。
「……正直、武術士はあんまり当てにできません。あの人達は里長様と里を護るのが第一の役目です。千年前の惨劇を繰り返さないために、最悪、里を閉ざすこともありえます。総矢殿はいい人だけど……、里長様直々の命令には逆らえないでしょう……」
 琥珀の瞳に苦悩が揺れた。
「それに、雄緋殿は……、僕の霊筋を異様に気にしていました……。もしかしたら、雄緋殿にきっかけを与えてしまったのは……」
 言わんとしていることを察し、ハンコを押す手を止めた。
「それはねェって。先輩はずーーっと、神社に住んでて、神社の手伝いしてんだろ?先輩の霊気がきっかけだっていうんなら、もっと早くに暴走してるだろーぜ」
「そうですけど……」
「なんか思い当たることでもあんのか?」
「……思い当たるっていうか……。ちょっと待ってくださいね」
 望は気配を探り結界を張った。よほど周りに聞かれたくないことを話そうとしているということだ。
「鏡面が言ってたこと、覚えてる?」
「そんなはっきり覚えてねェけど……」
 望から鏡面の話を振ってきたことに少し驚く。口に出すのも嫌そうにしていたはずなのだが。
「あいつ……、僕と一真君のことを、『一門の者』だって言ったんですよね……」
「あ〜〜、そういえば言ってたっけ。試すとかなんとか、クソ偉そう……。って、待ってくれよ。あのオッサンもそーいうこと言ってなかったか……?」
 憂鬱な表情で望は頷いた。
「……気になって、この一週間、こっそり調べてみたんです」
「アンタ……、療養中に何やってんだよ……」
「だって、寝てたらそんなことばっかり考えちゃうし……。夜なんて、だんだん眠れなくなってくるんだもの……」
「寝る前に、その手の考え事しねェほうがいいぜ……」
 雄緋の言葉を否定したいのだろう。自分が太狼の霊筋だという宣告を。
「んで、何かわかったのか?」
「あんまり解決になるようなことは……。とりあえず、狼の霊筋で一門っていうと、三大勢力のことを指すらしいです」
「三大勢力のひとつが太狼だっけ?」
「ええ。霊狼の最高位の霊筋のひとつです。天狼、太狼、幻狼。それぞれが天狼一門、太狼一門、幻狼一門って呼ばれてて、狼だけじゃなくて霊獣全体でも桁違いの力を持っているそうです」
「……あの血迷ったオッサンが、その太狼っていうのが、なんかビミョーだけどな……。他の二つは?別のとこに刃守の里みたいなのがあるとか?」
 望はかぶりを振った。
「三大勢力で大規模な里があるのは、太狼の刃守の里だけだそうです。天狼は少人数で京の霊山を拠点にしていて鞍馬や愛宕と協力関係をとっています。幻狼に至っては存在するかどうかさえ怪しくて、その名の通り、幻の存在らしいです……」
「……トップ三つがそんなんで大丈夫なのか、狼の霊筋……」
「僕も、ちょっと思いました……」
 三大勢力のうち、独立した里があるのが太狼だけとは。しかも、その最大勢力が刃守の里ときた。
「調べられたのは、このくらいですけど……。太狼が刃守の里に集まっているとすれば、雄緋殿が探してる『お館様』は、現の何処にもいないっていうことになるんですよ……。弥生さんや紡さんが言っていたみたいに、どこかの時空に行かないと会えないってことじゃないかなあって……」
「……先輩。一応、訊くけど……、『お館様』を探してやろうとか考えたりしてねーよな?」
「まさか。ただね……」
 望はため息を吐いた。
「最悪のことを考えておいたほうがいいのかなあって。なにせ、先代の里長様が相手なんだもの。ちょっと調べたんですけど、今の里長様は温厚な文化人タイプだけど、先代の雄緋殿は好戦的で、どちらかというと武将タイプ。武術士が束になってかかっても敵わなかったそうです」
「うげ。元からソッチ系か、あのオッサン……。やることキツいと思ったんだよな……」
「そんな人が妖獣化してるんです……。仮に武術士が総出で出撃してくれたとしても、安心できません。雄緋殿の感じだと、『お館様』本人を連れてこられなくても、安否がわかるだけでも、ある程度は効果があると思うんですよね……」
「自分の妹殺すわ、里潰すわ、マジで狂ってんのな……。ここまできたら、あのオッサンが忠誠誓うような『お館様』が、どんな奴か見てみたいような気もするけどな……」
「あの雄緋殿が心酔しきってる人ですよ?きっと、雄緋殿を軽く上回る暴君ですよ……。織田信長とか、ああいう感じの……」
「だよな……」
 結界の中に沈黙が落ちた。



「あの鳥居がある場所は、千年前、里と現の出入り口の一つだった」
 ピシリと固まった一同に甲矢は続けた。
「槻宮学園の位置は、かつて里長様のお屋敷と社があった場所だ。あの鳥居は、お屋敷の裏口にあたる。当時、お屋敷や社にいた大勢の仲間達が、あの通路から現に逃れたと聞いている。千年前に里を封じた時に出入り口も閉じられたが……」
「何故か、その出入り口が開いたっていうことですか?」
「開いてはいない。だが、とてつもなく不安定な状態になっていた。夕べ、総矢が処置を施したようだが……」
 玲香が身を乗り出した。
「それじゃ、出入り口の封印は、もう安定しているっていうこと?まだ妖気が漏れるようなことがあるなら、当分の間、裏庭を立ち入り禁止にしなくちゃ」
「あの一帯の霊気を穢していた元凶は、この破片で間違いないだろう。今朝がた、私も確認したが、学園内の邪封じに異変はない。ただちに邪が現れることはないと思うが……。そうだな、明日の夕刻あたりまで、人を遠ざけて頂いたほうがいいだろう」
「明日の夕方まで?」
 手帳にペンを走らせながら、玲香は怪訝な顔をした。
「何かするつもりなの?」
「この破片は、望殿達と共に現に来たのではなく、この七日の内に玉響より現へ流れ着いてきている。それが偶然なのか、妖獣の意志が働いているのか……、見極めなければならない。そのために、明日の夕刻までお時間を頂きたい」
「それは構わないけれど……、見極めるって何をするの?危険なようなら対策室も動かなくちゃいけないし、城田組長にも協力をお願いしなきゃいけないでしょうし……」
「そうですね。妖獣が絡んでる以上、僕達も待機したほうがいいでしょう」
 甲矢は静かにかぶりを振った。
「その必要はない。玲香殿と望殿には通常通り、現の見回りをして頂ければいい……」
「でも、相手は妖獣ですよ?万一、妖気が漏れるようなことがあったら……」
「可能性は低いだろう……」
 甲矢は日が傾き始めた窓の外を見やった。
「今宵、総矢が玉響に入り、他の破片を探す。玉響の中ならば、妖獣が健在でも現への影響はないはずだからな……」



「他の破片も流れ着いてくるかもってことだよな……」
 うっすらとした赤い光が揺れる天井を見上げた。
 あれで終わったかと言われると、しっくりこなかったのも確かだ。一真も望も雄緋が倒れたところを見ていない。鏡の中で里もろともに雄緋を鎮めたのが誰なのか――、本当のところはわからないのだ。
「破片が雄緋殿の意志で流れてきたのなら、あれ一つだけで終わりっていうことはないでしょう……。破片の数がどれくらいだったかなんて覚えていませんけど、全てが流れ着いたりしたら……」
 憂鬱そうに望は自身の左手の甲を見つめた。
 雄緋が諦めることなく現に来たとすれば、標的は『お館様』の行方を探す手がかり。彼が太狼一門に連なる霊筋と目している望だろう。

(鞍馬の霊山が動いてくれりゃ解決すんだけどな……)

 そもそも、妖獣を鎮めるのは天狗の中でも格が高い宵闇でなければ役不足とされている。
 望は最強の鎮守役にして宵闇匹敵と称されていても、隠人であることには変わりない。
 霊獣の隠れ里を壊滅寸前にまで追い込み、鞍馬の宵闇が出てくるような大物の妖獣を相手にするなど、無理に決まっている。あの霊域から帰還できたのだって、戒の霊気があの場所に残っていて味方してくれたからにすぎないのだ。
「もしも、雄緋殿が現で復活するようなことになったら……、補佐の皆をお願いします」
「『お願いします』って……、先輩は?」
「雄緋殿の狙いは、僕の霊筋です。だから……、僕が結界に誘い込んで、時間を稼ぎます。妖獣が復活してくれば、鞍馬も腰を上げるでしょうから……」
「あのなあ、先輩……」
 深々とため息を吐いた。
「アンタ、殺されかけたの忘れてねーよな?オッサンも今度は最初から本気だろーし……。そんな作戦じゃ、鞍馬から宵闇が来る前に、ほぼ百パーセント殺されるじゃんか……。オレは反対だからな」
「でも、他に雄緋殿を抑える方法なんて……」
「あ〜〜、そーだなあ……」
 腕を組んだ。
「総矢と甲矢に頼んで結界張ってもらうってのは?ジイちゃんに頼んで信濃からも応援呼んでもらってさ……。その外側から、オレらも一緒になって結界張って、鞍馬から宵闇が来るのを待つってのはどうだ?どうしても来ねェなら、この妖獣、現に放すぞって言霊送りまくったら、さすがに誰か来るだろーし……。先輩がやるとしたら、オッサンを結界に誘い込む囮くれーでいいんじゃね?囮ったって、かなり危ないけどさ……」
「一真君って、凄いこと考えるなあ……」
「そうか?」
 望は大きく頷いた。
「あの鞍馬の霊山を脅迫するなんて、普通の発想じゃありませんよ……」
「だって、しょーがねェじゃん。オレらじゃ歯が立たないんだからさ……」
 昨夜、総矢にも似たようなことを言われた気がする。どうやら、自分は鎮守役や武術士の一般的な認識とズレているらしい。直すつもりはないが。
「全員が生き残る方法考えたらさ、鞍馬から宵闇が出てくんのが一番いいじゃん。オレ達が戦って何とかなる相手だったら最初からそうしてんだし」
「そう……ですね……」
 望は静かに笑った。
「とりあえず、総矢殿の調査結果を待ちましょう。手を打つのはそれからです」
「ああ」
 望はパチリと指を鳴らした。結界が消え、現の音が戻ってくる。
 先ほどから随分と時間が経っていることに気づき、二人は慌てて書類整理を再開した。