追憶の夕刻

10話 妄執潰えず



「あれ?」
 屯所の奥まった一室。
 ミーティング用の和室の入り口で一真は小首を傾げた。ここにいるはずがない人物が並んでいる。
「お疲れ様です、二人とも」
 巡察用にしているらしい空色のパーカーを羽織った望が振り向いた。まだ午後の巡察を終えたばかり。彼は夕方の引継ぎからの参加のはずだ。この場にいるということは甲矢から許可が下りたということなのだろうか。それはまだわかる。
「お疲れ様。斎木守役、壬生昼頭」
 望の横に正座している制服姿の少女は、通常ならばこの場にいるはずがない人物だった。
「槻宮、なんでアンタがいんだよ?」
「関係者だからよ」
 颯爽と長い髪をかきあげ、玲香はそれだけを言った。
「関係者?てことは、このミーティングは……」
「昨夜、斎木君達が回収した邪物絡みだろうね」
 さして驚いた様子もなく、一緒に入ってきた優音は玲香と向かい合うように座った。入り口で立っていても仕方がないので、望の前に座る。並べられた座布団は五つ。二つずつ向かい合うように並べられ、一つが議長席のように外れている。
鎮守隊の集会では、決定権を持つ鎮守役主座を中心に鎮守役が固まり、補佐頭がサポートの為に鎮守役と補佐の間に座るのが暗黙の了解で、どこの組も同じらしい。この配置ならば、通常は議長席に望が座るはずなのだが……。

(……伝令役でも来んのか?)

 空いた隣の座布団を横目で眺める。伝令役が参加する時は、彼が司会を務めるのでこの席順になる。妖獣の一件以来、忙しく飛び回っているらしく、神社に来ても顔を合わせていない。
「ところで組長。ここにいるってことは、夕方の巡察からの復帰ですか?」
 巡察を早く切り上げてまで参加することになった緊急ミーティングの内容よりも優音はそちらのほうが気になるのか手帳を取り出した。
「ああ、それは……」
「その件については、私からお話しよう」
 淡々とした口調に目をやれば、黒い箱を手にした甲矢が入ってきたところだった。空いた席に座り、皆に見えるように真ん中に箱を置く。
「まずは、これを」
 重箱のような黒く光る箱を開けると、中から僅かに澱んだ気が立ち上った。
「これ、もしかして……」
 望が顔色を変えた。文字を書かれた和紙の真ん中に黒い石の破片が安置されている。タバコのような薄い煙が時折、漂う。
「昨夜、一真殿と総矢が回収した邪物だ。二人の見立てでは、例の鏡の破片ではないかということだったが……」
 甲矢は望を見た。
「望殿はどう見られる?」
 心得たように頷き、望は石の上に右手を翳した。瞼を閉ざした彼から立ち上る霊気が部屋の空気を祓っていく。その場にいた誰もが何も言わず、主座の判断を待った。
「……僕も同じ意見です」
 数秒後。手を下ろし、瞼を上げた望からはいつもの笑みが消えていた。
「かなり薄いけれど、これは妖気です。波動も例の妖獣のものと似ています。恐らく、鏡の破片でしょう。こんな黒い石でできていましたし……」
 予想していたように甲矢は頷いた。
「昨夜、槻宮学園内で邪霊の群れの発生に加え、結界内にも関わらず数体の邪鬼が発生した。これの呪力だろう」
 まるで見てきたかのように甲矢は昨夜の巡察のことをすらすらと話し始めた。
 完全な昼型の彼女はその時刻、深い眠りの中にいたにもかかわらず、だ。

(……やっぱ双子なんだな……)

 甲矢と総矢は霊気を同調させることで、眠っている間の記憶を「夢」という形で共有できるのだという。つまり、昨夜の巡察で総矢が視たものや体験したこと全てを彼女はリアルタイムで夢に見ていたということになる。恐らく、今は総矢がこのミーティングのことを夢に見ているのだろう。これは霊獣誰もが可能というわけではなく、双子ゆえの特性なのだという。
「……それはつまり、鏡の破片が現に流れ着いた、ということになるんですね?」
 優音が望と甲矢を窺った。
「そう考えて間違いはないだろう」
「ちょっと待って。おかしくない?」
 玲香が柳眉を顰めた。
「鏡を砕いたら、妖獣はもう何もできないっていう話じゃなかった?仮に破片が現に流れ着いても、何も起きない……。信濃と里はそう判断したはずよ?」
「通常はな……」
 甲矢は物憂げな眼をした。
「例外がある。封じられた妖獣の妖気が消えるどころか増している場合……。その妄執が封じられた当初を上回るほど勢いを増した場合だ。滅多にあることではないが……、今回は例外に該当すると見ていいだろう。その場合、鏡の破壊は裏目に出てしまう……」
「どういうこと……?」
 玲香だけではなく、望と優音も真剣な表情で甲矢の次の言葉を待っている。
「鏡は出入り口であり、封印の基盤でもあった。それを破壊したということは、封印が解けてしまったということ……。再び出入り口が元通りになるようなことがあれば、妖獣が外に出てきてしまうということだ」
「それって……」
「僕達が封印を解いてしまったっていうことですね……」
 望が沈痛な表情で呟いた。
 鏡を壊せば、封印そのものが解ける可能性がある――。
 あの時は鏡を破壊することに必死でそこまで考えられなかった。
 いや、知っていたとしても、何か他の手が打てただろうか――?
「望殿と一真殿は里の指示に従われたまで。全ては里が判断を誤った結果だ。お二人が気に病むことはない。かくなる上は、この件は里が全力をもって解決に当たらせて頂く。一つだけ申し開きをするならば、妄執が収まらぬ妖獣は封じられた後、数日と待たず暴れ始めるし、数年経っていた場合でも何らかの兆を見せる。千年もの間、大人しくしていた妖獣が急に暴走するなど、前代未聞だ……」
「確かに変ね……。千年間も何も行動を起こさなかったのに……」
 玲香が細い顎に手をやった。
「何か、きっかけみたいなものがあったのかしら?」
「霊山のほうで封じられた妖獣が二百年ほど経って暴れたことが、かつてあったらしいが……」
 甲矢は記憶を引っ張り出すように唸った。
「この件は、あまり参考にならんか……」
「どうしてです?」
 几帳面にメモを取っていた優音が顔を上げた。
「その妖獣は妄執が収まらなかったのではなく、ただ、自分を鎮めた宵闇に言いたいことがあったが故に、封印を破壊したらしくてな。その宵闇は命と引き換えに封を施し、二百年後に転生を遂げた。妖獣は現に漏れた霊気を感じ取ったのだろうが……」
「災難だな、そいつ……。二百年経って転生してくるなり、んな理由で問題起こされちゃたまったもんじゃねェよ……。つか、そーいうことは戦ってる最中に言えよ……」
「あはは、本当ですね。妖獣って重たいんだなあ……」
「んな執念深い奴と因縁持っちまったら最悪だぜ」
 笑いながら、今回の妖獣が千年越しだったのを思い出す。
「その時は、やっぱり、その宵闇の人が戦ったんですか?」
「他の宵闇が出撃したと聞いているが……」
「あれ?宵闇って因縁持ったヤツからの呼びかけは受けて立つんじゃねェの?」
「それはあくまで宵闇が戦える状態にある場合だ。当の宵闇も妖気を感じたようだが、当時はまだ現に生を受けたばかりの赤子。いくら天狗の転生体でも肉体が赤子では何もできん。宵闇ほどの天狗は赤子の頃から霊気を放出できるということを、その妖獣は知らんかったのだろう」
「うわあ、なんていうか……気の毒ですね……」
「なんとも短絡的だね……。もうちょっと様子を見てからにすればよかったのに……」
 完全に他人事の顔で西組の組長と昼頭は相槌を打った。きっと、自分達が関わりつつある妖獣がもっと性質が悪いヤツだということを忘れているか、頭から追い出しているのだろう。

(……あれくらいじゃねェと鎮守隊束ねられねェのかもな……)

 先輩達に倣い、一真も雄緋のことは棚に上げておくことにした。
「んで?その妖獣、ぶっ飛ばされたのか?」
「妖気はほぼ抜けていた故、灸をすえられて再び封印される程度で済んだと聞いている。当の宵闇も妖気を感じて気にかけていたらしくてな……、成長し、霊山に戻るなり再会を望んだそうだが……。刺激すると危険だからと会わせてもらえなかったらしい……」
「ひどいなあ。本人達が会いたいんなら会わせてあげたらいいのに……」
「いいんじゃね?そんな執念深いヤツに関わったら、その宵闇、また殺されるって。せっかく転生したってのにさ」
「そうかもしれないけど……」
「斎木君の言う通りだよ。組長は気の毒だと思えばすぐに首を突っ込みたがる……。一人で抱えられる数には限界があるっていうのに」
「それはわかってますけど……」
「宵闇……」
 話に参加しないで何やら考え込んでいた玲香が不意に呟いた。
「玲香さん?どうかしたんですか?」
「いえ、なんでも。今回の妖獣も宵闇が関わっていたのを思い出しただけです」
「そーいえば、そうだっけ。てことは、今回の件に関わってる宵闇は戒ってことになるんだよな」
「だけど、妖獣が暴れるきっかけが、その戒っていう宵闇かどうかはわからないよ。その宵闇は千年前に亡くなってるんだろ?」
「それはそうですけど……。その妖獣、何かヒントになるような事を言っていなかったの?」
 前に座る望の瞳が揺れた。

(よくねェな……)

 一真は少しわざとらしく唸った。優音と玲香だけでなく、甲矢もこちらに注目する。
「ん〜〜、どーだろな。あんま戒のことは言ってなかったんじゃねェかな……」
「そうなのかい?」
「妖気撒き散らしてたし、マジで血迷ってるって感じでさ、言ってることも滅茶苦茶でよくわからなかったし。正直、切り抜けんのに必死で、あんま覚えてねェんだよな……」
「無理もないわね。妖獣だもの」
「ああ。荒れ狂ってる妖獣と対峙したんだ。生きて帰れただけでも奇跡に近いよ」
 しみじみと頷く玲香と優音に望がほっとした顔をした。
「本日、集まって頂いたのは、その件についてだ」
 甲矢は箱に蓋をし、印を切った。
「その前に、あの鳥居についてお話せねばならないな……」

 霊獣の少女が語り始めた内容は予想していたよりも深刻なものだった。