追憶の夕刻

9話 



 飛び出してきた人影の手が真っ直ぐに突き出された。
 大きく跳び退き、襲ってきた相手を見据える。

(人……?いや、こいつは……)

 それは一真よりも頭二つ分ほど小柄で、猿よりも人に近い形をしていた。全身を黒い毛のようなもので覆われていて、指には長い爪が生えている。頭部は毛に覆われ、巨大な一つ目の他に裂けた大きな口が開き、二股に裂けた舌と牙が並んでいる。そして額には一本の黒い角――。
 奇声を上げ、それは跳躍した。
「チッ」
 爪をかわし、すれ違いざまに斬りつける。碧に光る刀身が異形の腹を薙いだ。
 邪霊のようにそれは崩れ落ち、霧散していく。
「こいつら……。もしかして……」
 同じような形状の異形を斬り捨て、総矢は険しい表情で頷いた。
「邪鬼だ……」
「ぐわ、マジかよ……」
 邪鬼とは、霊気を喰らった邪霊が「成長」した姿だ。邪霊はただ人を襲い霊気を奪うだけだが、邪鬼となると更に性質が悪い。
 あくまで霊体の邪霊と異なり、実体を持った邪鬼は攻撃力・防御力も上昇するばかりか、怪異をも引き起こす。それを維持するために大量の霊気を必要とするので、より多くの人を襲うようになる。
 更に性質が悪いことに、邪霊のように霊感が強い者や覚醒した隠人にしか視えないわけではなく、邪鬼は一般人にも見えてしまう。ただし、邪霊が邪鬼まで成長するには、相当な霊気を必要とし、その過程で平均にして二十人以上の人を襲う。槻宮学園で二十人も生徒が襲われれば、とっくに対策室から連絡が入っているはずだ。
「なんだって邪鬼が、こんなとこに……?」
「……旦那。浅城町って邪鬼が頻繁に出るのか?」
「わからねェけど……。オレが巡察に参加してから出くわしたのはこれが初めてだな……」
 望や優音、剛士、伝令役でさえも邪鬼のことは何も言っていなかった。そういうモノがしょっちゅう出るのならば、誰かが知らせているはずだ。あの話好きな彰二でさえ、邪鬼のことなんて一度も口にしていない――。
「なるほどな……」
 険しい表情のまま総矢は走り出した。
「お、おい!?」
 慌てて後を追う。頬に当たる夜の空気がどんよりと重くなっていく。
「何だってんだよ!?」
「旦那。ちょいとヤバいかもしれねえ。気合入れといたほうがいいかもな」
 いつになく硬い声音に違和感が大きくなった。

(総矢……?)

 硬い表情だ。それに、この霊気……。
 この先にいる邪物よりも邪鬼よりも、横にいる霊獣のほうが心配になってくる。
「ヤバいのはわかってるけどよ……。アンタ、さっきから霊気が乱れてねェか?どっかやられてんなら……」
「気のせいだって」
 林から飛び出してきた数体の人影には邪鬼を象徴する角がある。
「ったく、邪霊の大群が収まったら……!」
 木刀に邪霊よりも硬い手応えが返る。霊体ではなく、現に身を置く肉体の質量だ。

(邪鬼がこんな出てくるって……、ヤバくねェか!?)

 一体や二体ならばともかく、こんなに一度に発生するなんて……!
 石の鳥居の傍が見え、小道から鳥居の立つ茂みにそれる。
「なっ!?」
 大人が通り抜けられるほどの鳥居の下に灰色の靄が渦巻いていた。吹きつけてくる重苦しい気には覚えがある。
「まさか……、妖気……?」
「なるほど……、そーいうことかい……」
 鳥居と渦を見比べ、総矢が刀を構えた。
「隠人は下がってろって言いてえとこだが……。旦那はこの程度の妖気は平気みてーだな。援護頼めるか?」
 声は普段のものに戻っている。だが、霊気は変わらず不安定だ。戦いで昂っているのとは違う。不安や恐れでもない。どちらかといえば、これは怒りの波動。それも憎しみが混じったような……。
「オレが斬り込み役でもいいぜ?」
「こーいう時は、霊獣に譲ってくれよ」
 少し笑みを浮かべ、総矢が渦に突っ込んだ。遅れて一真も地を蹴る。横から躍り出た邪鬼に木刀を突き立てている間に、総矢は渦に向けて刀を突き出していた。
 破邪を帯びた刀が渦の中央を突く――。
 ガラスを錆びた釘で引っ掻いたような不快な音が結界内に大音量で響いた。
「痛……」
 側頭部を抑える。ただの不快な音ではない。霊体にダメージを与える波動を含んでいる。
「んの……ヤロ……」
 総矢の体から火の気が立ち上った。彼を包む霊気が怒りに膨れ上がる。
「……れ……!」
 呻くような声は総矢のものとは思えないほど低かった。

(この霊気……?)

 離れた場所で動いた邪鬼目掛けて霊符を放ち、総矢の霊気の変化を測る。一真に背を向けた形になっているので彼の表情はわからない。だが、その霊気の震えに、不安定に高まる火の気に、総矢の怒りが溶けている。

「鎮まれってんだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ」

 獣のような声が結界内に響き渡った。高まった炎が刀身から渦へと放たれる。妖気の靄が火に包まれ消えていく。靄が晴れた後に黒いものが視えた。

(あれは……!)

 大きさは消しゴムほど。黒くて石のような材質だ。形は歪で、何かの破片のようにも見える。

(……まさか……?)

 嫌な予感にこめかみを汗が伝った。ムクリと起き上がった邪鬼を斬りながらも、その眼は黒い石に釘付けだった。

「なあ、旦那……」
 ボソリと総矢が呟いた。
「あれ、見覚えあったりしねえか?」
「葉守神社のご神体の鏡が、あーいう感じの石でできてたっけな……」
「はは、やっぱな……」
 総矢は霊符を取り出した。

“十二天が一、勾陣!”

 手を離れた霊符が鳥居に貼りつく。黄の結界が鳥居を閉ざした。
「こいつを頼めるか?」
 放り投げられた小さな袋をキャッチする。
「そいつに霊力を込めて、合図したらこの石に口を向けてくれ」
「了解」
 お守りをハガキほどの大きさにしたような白い布袋に霊力を込めると、文字と模様が浮かんだ。霊気を注ぐに従い、何らかの呪文が浮かび、模様には色までつき始める。

(……霊気って……、どのくらい込めりゃいいんだ……?)

 あまり込めすぎると破裂したりするのだろうか……?
 一抹の不安が過り顔を上げると、総矢が一歩退き、刀に霊気を込めたところだった。
 全身から立ち上る霊気が夜の闇の中で火の粉のように弾けた。
「ハアア―――ッ」
 火の気が迸り、気温が急上昇する。総矢の足元に溜まっている邪念が蒸発した。
 上段から振るわれた刃が石の後方の空間を斬った。
 硬いケーブルを切断したような音と共に、放出されていた妖気が弱まる。
 目の高さほどに浮かんでいた石が胸元ほどにまで高度を下げる。

「旦那!」
「おう!」

 袋を向けると、白い紐が勝手に緩まり口が開いた。袋に浮かび上がった模様が輝き、石の周囲に同じ紋が浮かんだ。大きな静電気のような音がして、手にした袋に妙な手ごたえが返る。小刻みに震えながら、袋の口が勝手に絞まり、白い紐が緑に変わった。

「邪物の回収、終了、と……」
 総矢は一仕事終えたように呟き、鬼化しようとしていた邪霊を鞘で小突いた。
 大して力を入れたように見えなかった一撃で、あっさりと霧散していく。
「なんか急に弱くなってねェか?」
「根っこを消しちまえばこんな感じだよ。そいつが邪念を呼び集めて妖気で肥え太らせてたんだ」
 袋を指されて、ようやく先ほどの石の破片のようなものが袋の中に入ったことに気づく。
「思ってたより簡単なんだな、邪物の回収って……」
 鏡面の時ほどまで行かなくても、もう少し手こずると思っていた。
 総矢は呆れたように息を吐いた。
「そりゃ、旦那にとってはそうだろうよ……。つい渡しちまったけど、その封じ袋は霊獣仕様になってんだ。普通の鎮守役の破邪を込めたところで発動しなかっただろーぜ」
「そーなのか??」
「そいつが発動したってことは、旦那が隠人の域超えてるってことだよ」
 模様が浮かんだ袋を渡すと、総矢は袋の端をなぞった。
「この模様、目いっぱいまでくっきり浮かんでるだろ?破邪が袋の容量を満たしてるってことなんだ。格が足りてねえと模様は薄いし、口だって開かねえ。仮に発動したとしても封印の力が弱すぎて邪物に跳ね返されちまうよ」
「ちょっと待ってくれよ。それじゃ、鎮守隊は邪物が出たらどーやってんだ?」
「隠人仕様の……、もうちょい弱い破邪で発動するヤツ使ってるはずだぜ。それで手に負えねえっていうなら、霊山や俺らの出番だな。西組は望殿が上に立ってから出撃依頼が来たことねえけど、他の組はちょくちょくあるぜ?」
「あ〜〜、そーいうことか……」

 「他の組だと、手に負えない邪が出没して霊山や里が出撃することがあるけど、西組は組長が主座になってから、一度も霊山や里に協力要請したことがないんだよ」

 鎮守役の中でも望の戦闘力が頭抜けているということの証だと、優音が誇らしげにしていた。望の破邪は宵闇匹敵で、彼が鎮められないような邪は宵闇でも厳しいだろう、と。
「じゃ、アンタも時々鎮めに来てんのか?」
「ん〜〜、たまに。いつもは邪を鎮めたらすぐに帰っちまうから、こんなゆっくり現に留まることはないんだけどさ……」
 袋を確かめ、数珠に仕舞う総矢はいつもの飄々とした顔つきだ。先ほど渦に対していた時に彼を包んでいた怒気は綺麗に消えている。

「……今回の出張は長くなるかもな……」

 黒い瞳が鳥居を眺めた。