追憶の夕刻

8話 



 記念館を抜け、裏庭へと続く林に入るなり奇声がいくつも上がった。
 散り始めた桜の木の陰から飛び出してきた黒い猿が、総矢が振るった刀に呆気なく散っていく。

「いよいよ、おいでなすったぜ……」
 霧散していく邪霊には目もくれず、総矢は前方を睨み笑った。
「はは、これまた大量だなあ」
「ったくよ、よりによって、ここで出てきやがって……」
 符を取り出し、前後左右の邪霊の数を測る。かなりの広範囲――、裏庭一帯から邪気が漂っている。

“十二天が一、勾陣!”

 黄に光る符が頭上高くに舞い上がって静止し、周囲に黄色のドームを造り出す。
 裏庭そのものが気のドームの中に封じられ、時空を現から切り離す。

(悪い予感ってのは当たるもんだな……)

 裏庭の奥へと続く小道。邪霊がうじゃうじゃと集まってくる小道を百メートルほど行けば、あの石の鳥居が立っている。

(ただの邪物っていうオチ希望だけどな……)

 場所が場所だけに不吉この上ない。邪物だろうと雄緋と無関係ならばいいのだが――。
 黄色い壁に退路を阻まれた一つ目の黒い猿達が殺意も露わに集まってくる。その数、ざっと七十。なかなか一度にお目にかかれない大軍だ。

「うーわ、わんさか出てきたなあ……」
「どこから湧いてんだよ、こいつら……」
 目に見えている以外にも、桜並木の向こうの闇から邪気を感じる。百を軽く超えているだろう。
「あーあ、面倒くさ……。旦那、ちょっと下がっててくれ。一気に燃やしちまうわ」
 本当に面倒くさそうに言って、総矢は霊符を取り出した。
「それはいいけどよ……」
 彼が取り出した符をしげしげと眺める。
「それ、火の斗だよな?」
 霊符の中で実際に魔法じみた力を発揮するのは十二天将の符だ。総矢が手にしている火の斗の符は十干のひとつ。十二天将の補強用のはずなのだが。
「んなもんで何するんだ?」
「あ〜〜、現じゃ、こーいう使い方は珍しいかもしれねえな。ま、見ててくれよ」
 飛びかかってきた邪霊をひょいとかわし、符をひららひと振って見せる。

(……任せて大丈夫だよな……?こいつ、霊獣だし、里の偉いヤツだし……)

 一抹の不安に木刀に霊気を込めつつ下がる。一真が知らない方法を駆使するのは望も同じなのだが、どうして、望の時より不安になるのだろう。
 高まる総矢の霊気に邪霊の目玉が一斉に動いた。夜の中にぬらぬらと目玉が光る。

(うげ、気色悪……)

 血走った歪な目に注目される不気味さに片っ端から木刀で殴り倒したい衝動を抑える。
 火の気が高まった。

“宿れ、火の斗よ”

 赤く光る符が揺らめき刀身に吸い込まれた。ユラユラと赤い光が揺らめき立つ。
 上段に構えた総矢の全身から霊気が立ち上った。宿った炎が切っ先に収束していく。
 邪霊の群れに向け繰り出された切っ先から放たれた火の玉が楕円形に膨らんだ。

“火車よ、廻れ!”

 急激に膨張した炎が渦巻き、グルグルと回転を始めた。速度を上げて廻りながら小道を進む炎の車輪が邪霊を次々に呑み込んでいく。

“散開!”

 火車が三つの火の玉に分かれて渦巻いた。小道の脇に逃れた邪霊を呑み込み、車輪は消えた。炎が消えた後、小道からも桜の木の陰からも黒い猿の姿は消えていた。
「スゲエ!やるじゃねェか!」
「へへへ、だろ?」
 総矢は少し得意そうに愛刀の峰を撫でた。
「十干の符は、霊格を上げたらこーいう使い方もできんだ。十二天将でもできねえことはねえんだけど……、十干と比べると個性が強くてさ。俺の格じゃ言うこと聞いてくれねえ」
「アンタでもダメなのか?」
「ムリムリ!鞍馬の宵闇でも班長くらいじゃねえと厳しいと思うぜ。刃守の里でできるとしたら、先代の里長……様、くらいじゃねえかな……」
 声がやや沈んだ。飄々とした表情が曇る。

(雄緋のこと、知ってんだな……)

 千年前に里を襲った妖獣の正体を。考えてみれば、現在の里長は雄緋の弟だ。里長付の総矢が知らないはずがないだろう。
「ありゃ?」
 総矢は小道の奥を眺めた。
「まだ残ってる……?」
「んなわけ……」
 視線を追い、言葉を失う。先ほどまで火車が暴れていたあたりにポツポツと黒い染みができていく。墨汁を垂らしたようなそれらは煮立ったように泡立ち、邪霊へと姿を変えていく。
「……かわしたって感じじゃねえな……。この先にいる奴が邪に餌をやってんだよ」
「ほぉ……。そいつはまた性質が悪いじゃねェか……」
 結界で隔離してしまったら、結界内で邪霊がそれ以上増えないということはない。
 邪霊化する前の邪念が結界内に閉じ込められ、内側の穢れた霊気を吸収して邪霊と化すことはわりとよくある。あらかじめ補佐から聞いていた数と、実際に包囲網に入ってからの邪霊の数が十体ほど違う、ということはしばしば起こることなのだ。
 だが、それは鎮守役が包囲網に入るまでに時間がかかった場合の話。邪念が穢れた霊気を取り込み、邪霊化するまでにはいくらかの時間がかかる。
 倒した直後。それも、破邪がまだ漂っているというのに、こんなにすぐに次の邪霊が生じるなんて……。
「槻宮でここまでやるなんてな。かなり大物だろうぜ……」
「じゃあ、遠慮はいらねェな……」
 霊気を高め、同時に邪霊の群れに突っ込む。黒い塊が積み上がり壁のように立ち塞がった。
「どけよ、コラ」
「うわ、まだまだ出てくるじゃねえか」
 碧と赤の刃が振るわれるたびに、壁のような黒い影が霧散していく。しかし、その数は増えることはあれど減ることはない。
「しっかしスゲエな。こんな大群、初めてだぜ!」
「俺も初めて見たよ。にしても、旦那は、えらく楽しそうに邪霊叩くよな」
「そうか?アンタも楽しそうだぜ?」
「楽しいけどさ。旦那の場合は、なんていうか、全身で楽しんでる感じがスゲエっていうか……」
「だって、気持ちいいじゃん。暴れんの。雑魚すぎるといじめてるみてェだから、もうちょい強い奴のほうがいいけどさ」
 当然のように言うと、総矢は噴き出した。
「さっすが旦那。これでもかってくらいの狼の霊筋だよ。武術士でもそこまで好戦的なのはあんまいねえって」
「そうか?」
 頭上の木から飛び降りてきた数体を叩き斬る。黒い靄が霧散していく。

(なんだ……?)

 不意に違和感が込み上げた。
 構わず走ると十体ほどの邪霊が茂みから飛び出てきた。違和感の正体に気づく。

(こいつら……)

 ――でかくなってきてねェか……?

 疑問を確かめる前に突っ込んだ総矢が十体を斬り捨てて振り向いた。

「そーいやあ、旦那。邪物の封じ方って知ってんのか?」
「知らね」
 即答に総矢がコケた。前後左右から飛びかかる邪霊に符を放つ。騰蛇の赤が邪霊を焼いた。
「何やってんだよ。こーいう時に走りながらコケたら危ねェぜ?」
 この程度の邪霊に噛まれたところで、武術士ほどの霊獣にとっては蚊に刺された程度なのかもしれないが。
「すまねえ。あんま普通にしてるから、てっきり知ってるもんだと……」
 身を起こし、総矢は心底呆れたような顔をした。
「見習いだから仕方ねえけどさ。封じ方知らねえで、よく邪物と戦おうって思ったよな」
「んだよ、アンタも知らねェのかよ?」
「知ってるけどさ……」
 パタパタとジャージを念入りに叩いているあたり、意外と綺麗好きなのかもしれない。
「じゃ、問題ねェじゃん。どーせ、邪物も、ぶっ壊して回収すればいいってとこだろ?回収に手順とかあるんだろーけど」
 総矢はポリポリと頬を掻いた。
「……そこまでやらねえでいいんじゃねえかな……。邪気殺いで封じる程度で……」
「壊さねェでいいのか?」
 驚いて聞き返すと総矢が面食らった顔をした。
「旦那あ……、何処で仕入れたんだよ、その滅茶苦茶なやり方……。邪物をぶっ壊そうって発想、フツーじゃねえよ……。邪物って本気で霊力ぶつけても、そんな簡単に壊れねえし」
「どこって……」
 戦った唯一の邪物が最終的に破壊して倒したと聞いていたから、そういうものだと思っていたのだが。
「前に仮面の化け物と戦った時だよ。あの時、組長が仮面ぶっ壊したっていうからさ……。邪物ってとりあえず壊すもんだって思ってたっていうか……」
「仮面って……、まさか鏡面のことか?」
「ああ、そいつ」
 里の武術士が鏡面を知っていたことに少し驚く。東京一帯の現衆を統括しているのが刃守の里だから、把握していてもおかしくない。だが、自分達の行動が霊獣の里にも知られていると思うと、なんとなく不思議な気分だ。
「ごちゃごちゃしゃべる奴だったけどさ……、一応、あいつも邪物なんだろ?」
「鏡面なあ……。それじゃ、望殿と一緒に鏡面を退治した素人の隠人って、旦那のことかい……」
「……そーいうことになるんだろな。言っとくけど、実際に倒したのは組長だぜ?オレは途中で異常覚醒起こしたらしくて、記憶ねェんだ」
「はは、俺の眼に狂いはねえや。旦那は隠人の器に収まる人じゃねえよ……」
「んだよ、それ……」
 邪魔になり始めた邪霊に総矢は符を放った。火属性の霊獣の霊気が込められた赤い炎が小道の邪霊を一掃する。
「鏡面っていえば、凶悪ってことで里でも有名なヤツだぜ?話聞いてる限り、俺も関わり合いになりたくねえよ。術の使い方も知らねえで、よく、そんなもんに喧嘩売ったよな……」
「そーいうこと知らなかったし、つべこべ言ってる場合じゃなかったからさ……」
「あ〜〜、妹君が取り憑かれたんだっけ?鏡面も運がないよな〜〜。よりによって、旦那の妹狙うなんてさ。つか、何考えて西組にちょっかいかけたんだろな」
「それ、皆、言うよな。次に標的になるのは東組だと思ってた、って……」
 南組、西組といっても厳密に方位で区別されているわけではない。南組と西組の間には東組があって、数人の鎮守役がいるらしい。「鎮守狩り」が南組の次に狙うとすれば、鎮守役が一人しかない西組ではなく東組だろう――。武蔵国現衆だけでなく里もそう踏んでいた。地理的にもまず東組を通るはずだ、と。
 西組の鏡面迎撃準備がまるで整っていなかったのは、人手不足だけでなく、そういう事情があった。あの一件は、西組からみれば奇襲されたようなものなのだ。
「そういえば、あいつ、本当に何のためにこっちに来たんだろな。あの時、西組の鎮守役は組長だけだったけどさ……、組長を狙ってたって感じでもなさそうだったんだよな……」
 集まってくる邪霊に霊符を放り投げる。夜の闇の中で伸びた火の蛇が邪霊を次々に貫いていく。こういう雑魚が集まってくる場所で立ち話する時間を作るのに霊符は随分と使い勝手がいい。新たな霊符の使い道に気づいたのはさておき。
「あいつの頭の中はわからねえけど、東組は命拾いしたよ。南組だっけ?あそこで鏡面にやられた鎮守役がけっこうな数いるだろ?信濃から治術師が治療に行ったらしいんだけどさ。体に残ってる邪気が強烈で難儀してるらしいぜ」
「はあ!?んだよ、あいつ、何か変な病気でも持ってたのかよ?」
「そんな感じだな。邪気にクセあるらしくてさ。無理に浄化しようとすると、霊体が危険らしくて、霊薬と術で少しずつ散らしてるって言ってたぜ」
「サイアクじゃねェか……!」
 あの望が、名前が出ただけで嫌がる理由がわかった。巡察を最優先しなければならない現状では、一真にはその手の情報はあまり入ってこない。必要なことがあれば伝令役が要点を簡単にまとめて教えてくれる。鎮守役が少ない西組では、わずらわしいことは伝令役や補佐頭が引き受け、鎮守役は巡察に集中できるようにしてくれている。さすがに、主座の望はそういうわけにいかないようだが。

(誠次おじさん、ホントに無事でよかったぜ……)

 南組と聞いても、どこかの遠い組だと思っていた。しかし、小さな頃から世話になった幼馴染の父親が所属していると知った今は、物凄く身近に感じる。

「そーいうわけで、鏡面は例外中の例外だよ。危険すぎて、望殿もぶっ壊すしかねえって判断したんだろーぜ。普通は……」

 総矢の眼が鋭く闇を睨んだ。一真も木刀に霊気を込める。
 二十メートルほど向こう。緩やかなカーブを描く小道の先で石の鳥居が闇の中に浮かび上がっていた。