追憶の夕刻

7話 



 槻宮学園の正門前には黒い影がひしめいていた。

“十二天が一、勾陣!”

 黄色い光が正門一帯を覆う。閉じ込められた邪霊達が奇声を上げてこちらを睨み付けた。
「どっから湧いてきたんだ!?」
 飛びかかってきた数体を木刀で叩きのめす。横では総矢が二体を斬り捨て、結界内を睨んだ。
「土地の霊気で成長したって感じじゃねえ……。こいつらを呼び集めてる奴がいるな……。邪物かもしれねえ」
「邪物だあ!?」
「いくら浅城町だからって、毎日、昼も夜も俺らが退治してんのに、こんなわんさか出てくるはずがねえ。こういう時って、邪物が邪を呼んでることが多いんだ」
 総矢は犬のように小さく鼻を動かした。
「近いな……。旦那、補佐殿達の包囲網でここらを隔離ってできるか?」
「聞いてみねェとわからねェけど、できんじゃねェか?」
 勾陣が隔離したのは正門からバス停に至るまで。浅瀬橋より狭い。夜番は浅瀬橋を丸ごと隔離できるほどの使い手が揃っている。問題ないだろう。
「んじゃ、補佐殿達との打ち合わせ頼むわ。こっちは片づけとくからさ」
 言うが早いか、総矢は邪霊の群れに突っ込んだ。火を帯びた刀が黄の光を弾くたびに邪霊が十体単位で霧散していく。霊気に宿る破邪が強力な証拠だ。里長付の武術士というだけあって、性格はともかく腕は確かだ。

(……なんとなく先輩と似た太刀筋してんな……)

 総矢の剣技は里で古くから伝えられている流派だと言っていた。里長も同じ流派の剣技を習得するのだと。

「その太刀筋……、やはり、貴殿は……ッ!?」

 雄緋の言葉が過り、慌てて考えを中断する。
 望と似た太刀筋だからといって何だというのだ。武蔵国をまとめているのが刃守の里で、里の霊獣が現に転生してきているならば、彼らと似た剣技を操っていても不思議はない。偶然、似ているだけに決まっている。
 鎮守印に霊気を込めて呼びかけると、すぐに黄色い光が水晶に灯った。

『斎木か?』

 剛士の声が耳に、というよりも霊体に届く。
 最近知ったが、鎮守印からの呼びかけがあった時は非番でない限り補佐頭が応答することになっているらしい。

『どうした?もうじき休憩時間だぞ?』

 伝わる霊気からは焦りや戦闘時に特有の激しい上昇も感じられない。邪霊の大軍に出くわしている様子はない。むしろ、平穏な状態に近い。

「夜頭。今って邪霊を追ってんのか?」
『いや。異常なしだ。あんまり静かだから、早めに休憩とろうか考えてたとこだ』

 「静か」。確かに、そうだ。
 今夜はまだ一班とはいえ、邪の出没が少なかった。長々と雑談できたのも、そのおかげなのだから。

「悪い。休憩は後回しにしてくれ。大至急で学園に来てくれねェか?」

 水晶の向こうで気配が強張った。

『何があった?』
「学園の正門前で邪霊が大量に出没してる。総矢の見立てだと、邪物の可能性があるらしくてさ……」
『邪物だと?』

 剛士の後ろでざわめきが起こった。
 鎮守印を介しての会話は、音声というよりは霊気による意思疎通だ。直接回線を繋いでいる者同士にしか会話は聴こえない。望がやっていたように、傍にいる仲間にも会話を聴かせることは可能だが、隊員証にも同じ機能があるのかは不明だ。

『邪物の形はわかるか?伝令役に報告しておいたほうがいい』
「それが、まだ邪物かどうかもはっきりわからなくてさ。これからちょっと探してくるから、夜頭達は学園の正門前を警戒しててくれ。邪霊が出てきたら隔離頼む」
『任せておけ。そっちも無茶すんじゃねえぞ?』
「ああ」

 通信を終えて顔を上げると総矢が刀を収めたところだった。
 邪霊は一体も見当たらない。代わりに、破邪が宿る赤い霊気が結界内に広がっていく。
「夜頭殿はなんて?」
「『任せておけ』ってさ」
「さすが。じゃ、俺らは邪物探しだな」
 勾陣を解くと静かな夜の景色が広がった。巡察で見慣れてきた夜の学園だ。しかし、正門前を吹き抜ける風は濁り、夜の空気を澱ませていく。
「……この風、学園の中から吹いてきてねェか?」
「おっかしいな……。この中に邪物が転がり込むなんて……」
 総矢は何度も鼻を動かし、首を傾げた。
「どーいう意味だよ?」
「この槻宮学園は、千年前まで里長様のお屋敷と社があった場所なんだよ。もちろん、現じゃなくて、この位置に霊域を作ってたんだけどさ……。その影響で余所よりも土地の霊力が強いから、移転の時に霊域を封じただけじゃなくて、現の土地も祓って陣を敷いてるんだ。邪物の類が入り込もうとしても弾かれるはずなんだけどな……」
「そんな曰くありまくりの場所だったのか!?」
 何気なく通っていた学校をマジマジと凝視する。
 あの鏡の中でも奥まった場所が里長の屋敷だったので位置的にはそうなるのだろう。
 戻ってきてから考えたことがなかったわけではないが、関係者に指摘されると重いものがある。

(ここで……)

 当時の里長が妖獣と化し、実の妹を手にかけたばかりか、その妖気が多くの里の者の命を奪った……。あの惨劇が起きたのは、この学校と僅かに時空をずらした場所――。

「あの時はさ、信濃の霊山もなくて、里にこの場所を抑えるための術者を出す余裕もなくて……、妖獣を鎮めてくださった天狗の伝手で京から有力な隠人が管理の為に来てくれたって聞いてる」
「もしかして、その隠人が槻宮家の先祖か?」
「そ。槻宮の本家は京だろ?元々は鞍馬と縁のある霊獣の隠れ里の眷属なんだ。力はあるし、悪い奴らじゃねえのはわかってんだけどさ。あそこの家系って、どうも匂いが澄ましてて、やりづらいんだよな。何考えてるのかわかんねえヤツ多いし」
「言えてるな……」
 邪霊対策室の少女を思い出し、頷く。
 コミュニケーションが取りにくいわけでもなく、どちらかというとズバズバと意見してくるタイプなのだが、妙なプレッシャーを感じる。隊員達に感じるような親しみはまず感じない。
 総矢はクルリとこちらを向いた。
「そんなわけで、俺、槻宮の連中はちょっと苦手なんだよな。旦那、ここに入る許可取ってくれねえ?」



「学園内に邪物が?」
 対策室からかかってきた緊急の内線に玲香は眉を顰めた。
「捜索を許可します。すぐに入るように伝えて。そうね、こちらは……」
 壁の時計に目を走らせた。日付が変わるまで、あと一時間を切っている。
「この時間に外出している生徒はいないでしょうけど、念のため確認を。緊急で学園内の見回りをお願いします。現場で斎木守役達から要請があれば協力してあげてください」
 対策室は二十四時間体制だ。
 表向きは学園専属の警備員ということになっているので、実働部隊の対策班が学園内をうろついていても一般生徒からは不審がられない。対策室所属の職員は皆、隠人で、昼班と夜班に分かれ、鎮守隊と同じような体制で動いている。対策室そのものには常に班員が待機していて鎮守隊からの緊急連絡を受け付け、室長代理の玲香の部屋にも対策室からの内線が備え付けられている。とはいえ、こうして実際に鳴るのは稀だが。

(学園に邪物が迷い込むなんて……)

 葉守神社よりは劣るとはいえ、この学園も邪封じの陣が張り巡らされている。
 邪の類がそう簡単に侵入できるはずがないし、そんなものがあれば見回りで班員が見つけているだろう。
 片手でカーテンを引くと、窓にネグリジュ姿の少女が映った。
「待って」
 電話を切ろうとした班員を呼び止める。
「私もこれからそちらへ向かいます。ええ、そう……」
 窓に映る切れ長の瞳が鋭く細められた。知的な黒い瞳が風を追う。
「宿舎に連絡を。対策班を増員して警戒にあたって。室長へは今から連絡を入れるわ」
 突然飛び出した「室長」という単語に、宿直の班員が慌てふためいていた。
 クスリ、と玲香は口元だけで笑った。
「外をご覧なさい。こんなに不吉な風、そうそう吹くものじゃないわ」
 長い黒髪が風のない室内でざわめいた。

 ――この風……、あなた達にはどう聴こえてる……?

 京の方角へ、声に出さずに問いかけた。



 濁った風が頬に吹きつけた。
「さすが槻宮学園だな。こんだけ濁ってても邪霊がいねえや」
 並んで走る総矢が感心したように黒い山のように静まり返る校舎を見渡した。
 邪霊の群れが発生していた正門前に比べ、学園内は拍子抜けするほど静かだ。
「邪封じの陣の力ってヤツか?」
 巡察は正門前までだ。学園内は対策室に任せている。
 学園の対策班は補佐レベルだという。邪霊が出れば鎮守役が鎮めに行かなければならないと聞いているが、一度も要請を受けたことはない。
「念入りに術かけてるからな。つっても、学園は広いから中心部から外れるほど陣も弱くなってくんだ。邪物が転がってるとしたら、陣の隅っこのほうじゃねえかな」
 総矢は鼻を動かした。
「だいぶ奥から吹いてきてんな……。ただの邪物にしては濁りが強い……。ここまできてんじゃ、普通の隠人に影響出てくるかもな……。人が寝泊まりしてるとこって、この近くじゃねえよな?」
「この方向だと寮から離れてるはずだから大丈夫だろ。対策室が外に出てる奴がいねェか確かめるってさ」
 校舎の中を懐中電灯の明かりが動いている。この霊気の強さは警備員に扮した対策班員達だろう。異変があれば、一真に連絡が入ることになっている。
「んじゃ、そっちは槻宮に任せといていいかあ。旦那、こっち行ったら何があるんだ?」
「このまま走ったら……」
 中庭を抜け、中等部、高等部の校舎を通り過ぎ、大学の校舎へと差し掛かっている。
 校舎を抜けると、カフェがあって、記念館があって、その先は……。

(げ…………!)

 思わず立ち止まる。
 総矢が不思議そうに振り向いた。
「旦那?」
「悪い……」
 不吉な考えを振り払い、再び走り始める。
「こっちのほうに何かあんのか?」
「何かあるっていうか……」
 校舎の間の通路の向こうに黒い小さな山が見える。行き着くのは……。
「霊域から戻ってきた時と、鏡から戻ってきた時の着地点っていうのが、この先の裏庭の鳥居なんだよな……」
「旦那……、笑えねえ冗談はやめようぜ……」

 一真が言いたいことを察したのだろう。総矢が珍しく顔を引きつらせた。