追憶の夕刻

5話 刃守の武術士



 “十二天が一、騰蛇!”

 邪霊の真ん中を舞う一枚の符から火の蛇が伸びた。
 周りにいた十体ほどの邪霊が赤い蛇に次々に呑まれていく。
 後には静かな夜の公園と揺れる黄のドームが残った。

「こんなもんか」
 霊符の扱いにも随分と慣れた。玉響に放り出されるようなことがあれは、前よりは戦力になるだろう。ああいう事態は頻繁に起きてほしくないが。
 背後で結界が揺れた。

「いい腕してんな、斎木の旦那」

 警戒も緊張も欠片もない暢気な声に振り向く。
「霊符一枚であの数を一掃かあ。一介の鎮守役にしとくにゃ、もったいねえよ」
「なに言ってんだよ、総矢」
 柴色の髪を紐で縛り、右から垂らした少年は暢気に公園の遊具を眺めた。あるものといえばブランコ、すべり台、鉄棒、あとはベンチと砂場くらいだが、彼には珍しいのだろう。
「アンタのほうが霊符とかは力を出せるはずだろ?霊獣なんだからさ」
「そいつは偏見ってヤツだぜ、旦那」
 総矢はブランコに腰を下ろした。
「霊獣の皆が皆、霊符使ったり、刀振り回すと思っちゃいけねえや。そりゃ、隠人に比べりゃ格は高いけど、修業してなきゃ平凡なもんさ。霊格の差があるから補佐殿の術は効かねえかもしれねえけど、腕利きの鎮守役殿が相手じゃ、まず敵わねえ。旦那や望殿くらいの使い手だったら、里でも即戦力だぜ。武術士務まるよ」
「そんなに褒めても、何にも出ねェぜ?」
 木刀を取り出し、霊力を込める。
 鎮守役といても所詮は隠人。人間と霊獣のハーフの子孫だ。霊格も身体能力もオリジナルの霊獣には及ばないはずなのだが。
「ん〜〜、褒めてるっていうか、事実だよ。噂にゃ聞いてたけどホントにスゲエのな。霊気の質もオレらと変わらねえし……」
 総矢は結界内に拡散していく碧の霊気を眺めた。
 堅物の印象がある妹と対照的に、総矢はジャージを愛用する、くだけた雰囲気の持ち主だ。ちなみに、ジャージはフード付が好みらしく、現衆から取り寄せているらしい。
「つか、その『旦那』っていうのはやめろって。アンタ、霊獣だし、すっげえ年上なんだろ?」
 見た目は高校生くらいだが、小耳に挟んだ話では武術士になって数百年らしい。もはや、「年上」という表現が妥当かどうかすら怪しいレベルである。
「まあ、俺らは人間と時間の流れ方が違うからしょうがねえさ。年齢は置いといてさ、旦那はある人に似てるからなんとなく……。なんで、そんな嫌そうな顔してるんだ?」
「気にしねェでくれ。最近、物騒な奴に立て続けに人違いされて、そろそろ鬱陶しくなってきてるだけだ……」
「へえ〜〜、そーいうの、現ではモテモテっていうんだっけ?」
「その使い方は今すぐ忘れたほうがいいぜ。全っっ然!違うから」
「ふーーん……。難しいのな……」
 夜の公園にキイコキイコと錆びた金属の音が響く。気に入ったのか、総矢は何度もブランコをこいでは楽しそうにへにゃりとにやけた。
「そーいや、誰に似てんだよ?」
 少し興味が湧いたので話に付き合ってやることにする。
 総矢が包囲網の中まで世間話に来たということは、次の包囲網が完成していないということだ。待機時間ができてヒマになると、この男は加勢という名目で包囲網の中に入り込んできてはひたすら雑談を始める。
「あ〜〜、名前とか素性は知らねえんだ」
「はあ?」
「昔……、まだ俺が修業中のひよっこだった時にすれ違っただけの人なんだけどさ……」
「すれ違っただけ?話もしてねェのか?」
「話どころか、顔もまともに見てねえよ。向こうはこっちのことなんて気づいてもいなかっただろーし。わかるのは、狼の霊筋らしいってことだけさ。でも……」
 総矢は黄色い光が揺れる空を見上げた。その目に強い憧憬が浮かぶ。
「あの圧倒的な霊格と風神のごとき霊風……。碧の疾風がびゅっと過ぎたようにしか見えなかったけど、凄すぎて忘れられねえよ。あの人にちょっとでも近づきたくて必死に修業してたら、いつの間にか、やる気のねえ落ちこぼれが、里長様付の武術士にまでなってたんだ」
「スゲエじゃん。里長付ってことは、かなり偉いんだろ?」
「まーな……」
 彼にしては珍しく少し照れたように笑い、
「でもさ、本当はあの人に弟子入りして、いろんなとこを回ってみてえんだよ。里長様と里を守るのが不満ってわけじゃねえんだ。ただ……、ずっと里の中にいたら、そこで止まっちまうような気がしてさ……。ちょっとだけでいいから外に出て、もうちょい上に行ってみてえんだ」
「へえ〜〜、アンタにも、そーいう真面目な目標があったんだな……」
 このやる気があるのかよくわからない霊獣に、そんな背中を追いかけるような憧れの人物がいて、そんな大きな夢(?)があったなんて。少し見直した。
「甘いぜ、旦那。自慢じゃねえけど、そーいうもんでもなきゃ、俺は絶対にやる気出さねえ」
「マジで自慢にならねェって、それ……」
「あ、そーだ。甲矢には内緒な。あいつの耳に入ったら、キレるからさ」
「そーだろな……」
 似た顔ながら、全く違う表情の霊術師を思い浮かべてみる。
 ちなみに、総矢が夜型ならば、甲矢は昼型だ。活動時間がはっきり分かれているので、常にどちらかが動いている代わりに夜と昼で交代はできない。そのため、総矢は昼の巡察には参加できず、夜の巡察のみに参加している。隠人だとそこまではっきりと夜型と昼型が分かれることはないが、霊獣にはしばしばみられるのだという。
「つか、アンタら……、本当に双子か?顔似てるだけの他人ってことは……」
「あ〜〜、そこは間違いないって。れっきとした双子だよ」
 甲矢も同じようなことを言っていたのを思い出す。
 これ以上、こいつらの血縁関係を疑っても無駄だろう。
「でもさ、その凄いヤツ、里にいんじゃねェのか?狼の霊筋なんだろ?」
 一真はブランコの柱にもたれた。
 霊気を探っても包囲網の外は静かだ。言伝が来ている気配もない。
「俺もそう思ってたんだけど、いねえんだな、これが。武術士になってから里のいろんな情報が入ってくるけど手がかりは一切ねえ。それに……あの人が里にいてくれたら、千年前の惨劇なんて起こらなかったさ……」

 「千年前の惨劇」。その言葉が重く響いた。
 かつて、この浅城町に中心部があった刃守の里で起きた惨劇――。
 目の当たりにしたのは、ほんの一週間前だ。
 千年前の出来事といっても、永い時間を生きる霊獣にとっては遠すぎる過去ではない。あの夜、総矢が妖気の立ち込める里にいたとしても不思議はないのだ。

「そーいうわけで、もう一回会って弟子入り志願してえんだよな。昔は視界にすら入れてもらえなかったけど、武術士としてなら、ちょっとは見てくれんじゃねえかって。今回の出張も、いざって時の為に現に慣れておきたくて志願したんだ」
「へ〜〜、本気じゃねェか」
「ああ、本気だぜ。んで、旦那はその人にちょっと似てる気がするんだよな。印象っていうか、霊気みたいなもんが。霊気の色も同じ碧だったし。旦那も霊風使うっていうし」
「光栄だけどさ。オレ、隠人だぜ?アンタがそこまで言うようなヤツなら霊獣か天狗だろ?ちょっと畏れ多くねェか?」
「意外と律儀だな〜〜。俺がそれでいいから、そう呼んでんだってば。心の師匠と似てる人を他のヤツと同じように呼ぶなんて、できねえよ」
 カラカラと笑い、総矢はブランコから降りた。
「たぶん、どっかの霊山の人だったんだろな。あんな凄いのが野良でうろついてたら評判になってるだろーしさ」
「野良って……アンタ……。一応、心の師匠なんだから、もうちょい別の言い方したほうがいいんじゃ……」
「はは、ホントだな。本人に聞かれたら門前払いされちまうな」
 総矢はへらへらと笑った。
「もし、旦那が霊山で狼の霊筋の天狗の噂を聞いたら、俺にも知らせてほしいんだ。つっても、霊山行きは旦那にとっちゃ絶対に避けたいとこだろーけどさ……」
「んな面倒なことしねェでも、里の武術士だったら直接聞けばいいじゃん。オレなんて頼ってたら、いつになるかわからねェぜ?」
「それが出来りゃ苦労しねえよ。信濃とか交流のある霊山ならともかく、他の霊山は警戒するんだ。特に、京の鞍馬と愛宕。あそこは天狗でも他の山所属の奴は招きがなきゃ入れねえし、里からじゃ、ちょっと問い合わせるだけでも厳しくてさ〜。仮にも里長様付の武術士が鞍馬とかに乗り込んだりしたら大問題になっちまうんだよ。一番、可能性ありそうなのが鞍馬だってのにさ……」
「……そんなに厳しいのか?」
 総矢は大きく頷いた。
「あそこは大天狗様がおわす霊山の総本山だからさ。何重にも結界が張られてて門番も強いのが揃ってるんだ。昔は、里と縁のある宵闇がいたんだけど……、あちらさんも千年くらい前にでっかい戦があったらしくてさ。里出身の連中も全滅しちまったんだよな。宵闇も大半が倒れちまったらしくて、それからは余計に厳しくなっちまってさ……」
「千年前……」
 恐らく、戒が命を落とした戦だ。気になるが望が見た夢以上の情報はない。霊山絡みなので刃守の里ではわからず、新しい天狗で構成された信濃の霊山では当時を知る者がいないので詳細はわからないのだ。
「じゃあ、アンタの心の師匠の件は預かっとくってことでいいか?霊山行きになるかどうかわからねェし、霊山に行っても、そいつの噂が入るかわからねェけど……」
「さっすが旦那!頼りにしてるぜ!」
 子供のように黒い眼を輝かせる里の武術士は、とても数百歳を超える霊獣には見えない。
 本人は「落ちこぼれ」などと言っているが、彼は太狼。里でもエリートの霊筋だ。

(太狼か……)

 夕方の望の言葉が不意に蘇った。