追憶の夕刻

4話



「一真君!」

 葉守神社から出て数歩行ったところで、見知った声が呼後ろから呼んだ。
 制服にふわふわとしたツインテールが揺れる。

「今って巡察じゃないよね……。何かあったの?」

 講習が終わったのだろう。神社から小走りで出てきた光咲は不思議そうな顔をした。
 光咲達が受けている初級講習が終わる時刻は、ちょうど昼番が最後の巡察の終盤に差し掛かり、夜番が交代の為に神社に集まり始める時間帯だ。昼と夜の隊員が町内をうろついているので、町内の隠人にとっては安全な時間帯の一つだ。
 一真はというと、この時刻は家で仮眠をとるか夕食を食べているかなので、講習が終わった光咲と神社で顔を合わせることはほとんどない。

「何かあったっていうか……。ちょっと城田先輩の見舞いに……」
 きょろきょろと周りを見渡し、光咲は声を潜めた。
「先輩、大怪我しちゃったんでしょ?大丈夫なの?」
「……なんで、んなことを光咲が知ってんだ?」

 望の負傷は武蔵国現衆の中でも各組の鎮守隊員しか知らないはずだ。
 望が鎮守役だということは学園内でも伏せられていて、表向きはインフルエンザで倒れたということになっている。やや季節外れな気がしないでもないが、見た目が病弱そうなためか、三年一組の隊員以外のクラスメイトは全く疑問を抱いていないらしい。

「えっと、成り行き、かなあ……」
「もしかして、おばさんから何か聞いたのか?」

 光咲の母は松本医院で隠人専用病棟の看護師をやっている。隊員以外に望の容態を知っている数少ない例外的な人物だ。とはいえ、鎮守役絡みの情報は機密事項。たとえ自分の娘であっても簡単に話すはずがないのだが。

「お母さんからっていうより、婦長さんから、かなあ。あの日、松本医院から電話がかかってきて、お母さんが夜勤に入っちゃって……。忘れ物してたから、お父さんと若菜と、皆で届けに行ったんだけど……」
 光咲は少し照れたように笑った。
「葉守神社で大変なことが起きてて人手がいるかもしれないからって、私達もそのまま病院に待機することになったの。お父さんは神社に行っちゃって、そのまま巡察に参加しちゃったけど……」

 現衆に所属していると、緊急事態の際に協力を要請されることがある。強制ではないが、よほどの事情がない限りは参加してくれるらしい。
 講習を受けている段階の光咲と若菜は厳密には現衆仮所属で、協力要請はないはずだ。
 彼女らの場合、両親が隠人専門の看護師と南組鎮守役という事情が大きかったのだろう。

「マジかよ。じゃあ、オレ達が病院に行った時もいたのか?」
「うん。若菜と一緒に隠人専用棟の炊事場で皆の朝ごはん作ってたんだ。一真君も食べてくれた?」
「あの朝飯、光咲が作ってたのか!?」

 あの夜、望と一真はすぐに松本医院へ行って診察を受け、誠次達は巡察を続けた。
 知らせを受けた優音が病院に駆けつけて里との連絡に追われる宗則の代わりに南組に連絡を取ってくれた。あちらの組長の許可が下りたとかで、誠次は午前中まで留まって巡察を引き受けてくれることになり、その間に一真は病院で仮眠をとり、昼から巡察に出た。そのバタバタしていた時、光咲達が同じ場所にいたなんて――。

「あの卵焼き、なんか食ったことある味だな〜〜とか思ったんだよな……。てことは、あのウインナーは若菜の担当だろ?普通に焼けばいいのに、切り刻んでるのとか、焦げてるのとかあったし……」
「あは、若菜ったらタコさんウインナーにチャレンジしたんだ……。いきなり上手くいかないよって言ったんだけどなあ……」
「……タコのつもりだったのか……あれ……」

 言われてみれば、片方だけが歪に裂けていたり、三分の一ほどが削げたウインナーはタコぽく見えなくもなかった。随分と前衛的な感性のヤツが作ったのだろうと思ったが、疲労と空腹であまり気にならなかった。
 隊は「組長が妖獣との戦いで重態」という異常事態にショックを受ける補佐続出で、ウインナーが焦げていようが切り刻まれていようが気にした奴はいなかっただろう。

「じゃあ、あの日は光咲達も学校休んだのか?」
「若菜は行ったよ。詩織ちゃんを一人にできないって」
「あいつらしいな」
 若菜はがさつだが面倒見がいい。
 新学期が始まったばかりで学校に馴染めていない詩織を心配してくれたのだろう。
「そういえば、おじさん、オレが寝てる間に帰っちまったんだよな。鎮守役やってるなんて全然知らなかったから、ちょっと話したかったんだけどさ……」
「そうなんだ?」
 さらりと答える光咲に違和感を覚える。
 理由はすぐにわかった。
「光咲はおじさんが鎮守役やってるって知ってたのか?オレ、あの時まで知らなかったぜ?」
「実は私もそうなんだよね……」
 並んで歩きながら、光咲は困ったように笑った。
「神社に行こうとするの、若菜と一緒に止めちゃったもん。こんな時間に行ったら、邪魔になっちゃうって。そしたら、観念して鎮守印見せてくれたの。それでも若菜が信じないから、証拠だよって数珠から刀出すんだもん。ビックリだったよ」
「そりゃそーだろな……」
 普通の刑事だと思っていた父親が、刀を出して自分は鎮守役だ、などと言い出したのだから。
 光咲はふうっと息を吐いた。
「私……、なんとなく、お父さんは鎮守隊と全然関係ないって思ってたんだよね……。まさか、こっそり鎮守役やってて、刀持って邪と戦ってたなんて……。ちょっとショックだったな……」
「オレも。夜中に急におじさんが神社に来て、伝令役と普通に鎮守隊の話始めた時は頭固まったって……。それも、南組だぜ?」
「そこなんだよね。西組でもショックだけど、南組だもん。あそこって、全国でも激戦区の一つだって、婦長さんが言ってた……」
 少し目を伏せ、「西組も激戦区だけど……」と彼女は付け加えた。
「でも、どうせ鎮守役やるなら、地元の西組で戦ってほしいよ……。怪我しちゃうかもしれないのに……」

 ――光咲も堪えてんだな……

 鏡面の事件からまだひと月ほどだ。あの時は一真が負傷し、今回は望が重傷を負った。鎮守役がどれだけ危険な立場なのか――、隊員でない彼女でもわかるだろう。

「大丈夫だって!伝令役に聞いたけど、おじさん、西組に所属替えてもらえるように申請してるらしいぜ。そのうち、こっちに替われるってさ」
「そうだよね」
 ふと大切なことを思い出す。
「そういえばさ、あの時、おじさんも寝てなかったけど、大丈夫だったのか?」
 あの日、誠次は完徹で午前中も巡察だったはずだ。巡察後、すぐに戻ったはずだから、全然休んでいないということになる。
 光咲は思い出すように空を見上げた。
「ん〜〜、大丈夫なんじゃないかな……。目の下にクマはあったけど、なんだか、スカッとした顔してたし……」
「……おじさん、ストレス溜まってんのか……?」

 誠次の巡察について、腕は確かで、指示も的確だったと剛士から聞いている。ただ、巡察中はゲームセンターでモグラ叩きゲームをしている子供のような目で包囲網を回っていたあたり、望と同じ人種――邪気で興奮状態に陥り、過労で卒倒パターン――に違いない、というのが両補佐頭の見立てだ。

「どうだろ?お父さんのお仕事ってあんまり知らないんだよね……。家に帰ってきても何にも言わないんだもん。愚痴とかも聞いたことないからなあ……」
「あ〜〜、そうだっけな……。おじさん、あんま仕事のこと話さないよな、昔から」

 こうして学校から帰る途中、他愛ないことを話すのは昔と同じだ。
 しかし、自分達を囲む状況は大きく変わってしまった。
 いや、見えていなかったモノが視えるようになっただけなのかもしれない。
 角を曲がると、五色橋が夕陽を浴びていた。

「ね、一真君」

「ん?」
「鎮守役になったの、後悔してない?」
「んだよ、急に」
「だって……、大変そうだよ?巡察始まって、まだ一週間くらいなのに、ずーーっと戦ってるんだもん。最近は学校でも寝てばっかりだし……。大怪我しちゃうことだってあるんでしょ……?」
「……休みがねェのは、ちょっと不満だけどさ……」

 光咲は知らない。
 一真の入隊が早まった本当の理由を。
 いや、蝕のことを知っているのは、祖父の他に鎮守隊でも伝令役と望だけだ。いずれ、本当に蝕が始まった時は優音や剛士にも話さなければならないだろう。

「退屈しねェぜ?魔法みたいな力使ってモンスター退治してるみてーなもんだし、全力で暴れられるし。ああいうスゲエの体験しちまったら、今更、部活やる気にならねェよ」
 うまくごまかしたつもりだったが、光咲は心配そうにこちらを見上げた。
「……それだけが理由?」
「ああ……」
 それ以上突っ込まれたくなくて他の話題を探す。
「講習始まって結構経つけどさ、どんな感じなんだ?詩織のヤツ、ちゃんとやれてるか?最近、そういうこと話す時間なくて……」
 言葉を切った。
 セピアの瞳がこちらを凝視していた。
「……今、話逸らしたよね?」
「え……?」
 ギクリとする内心を必死に落ち着ける。
 ここで動揺すれば、彼女は更に鋭い質問を投げてくるかもしれない。かわし続ける自信は――、情けないことに全くない。
 しかし、光咲は寂しそうに笑っただけだった。
「一真君って、けっこう、独りで抱え込んじゃう派だよね……」
「そ、そんなことねェよ。隊のことは光咲に言えねェこと多いけど……。ジイちゃんとか先輩に相談してるから、大丈夫だって」
「……そっか……。それなら、いいんだ……」
 それまでの不安そうな表情を消し去り、光咲は夕焼け空を見上げた。

 ――変わらねェな……

 一真が明らかに困っていると、彼女はそれ以上の追及をやめて一歩退く。
 本当は知りたくて仕方ないだろうに。

「今日はハンバーグ作るって詩織ちゃんがはりきってたよ。ちゃんと巡察前に食べてあげてね」
「おう。詩織のヤツ、最近腕上げててさ。光咲が教えてくれてんだろ?」
「えへへ、まあね」

 ――悪いな……

 明るく笑う幼馴染の横顔にこっそり謝る。
 蝕を迎え、霊山へ行く――。
 本当にそんな日が来た時、この少女にどう言えばいいのだろう?
 別れを切り出すことができるのだろうか――?
 赤く染まった空に雄緋の眼の色が重なった。
 自分を現から遠ざけようとしているような嫌な考えが襲い、慌てて振り払う。

「ま、無茶しねェ程度にやるさ。光咲も講習頑張れよ?」
「……うん」

 光咲は静かに頷き、ジッと道の向こうを眺めた。

 ――この少女は、勘付いているのかもしれない……

 そんな考えが過った。