追憶の夕刻

2話



 部屋の中に咀嚼音と液体を啜る音が響いた。

「うう……。そんなに信用ないなんて……。頑張ってるつもりなんだけどなあ……」
 望がチミリチミリと緑茶を啜りながら凹む横で、
「だーかーらー、あれは先輩の体力面の話だけだって。昼頭は心配してるだけだろーし。気にすんなよ」
 煎餅をバリボリと齧る合間に一真が宥める。
 優音が去ってから十分ほど。不毛なやりとりが続いていた。
「にしても、この煎餅、美味いよな。屯所にも時々置いてあるし、どっかから仕入れてんのか?」
 三枚目の煎餅に手を伸ばす。
 手作りだろう。一枚一枚、職人の手で丁寧に焼かれているのか、全てが同じ形ではないが、そこがまたいい。

(さっすが浅城町だよな。霊格高いヤツが作ってんだな……)

 醤油の香りに混じって僅かに漂う霊気に目を細める。屯所の休憩室に置かれていても人気で、いつもすぐになくなってしまう。
 それを休憩中に夜食を食べながら彰二に零すと、何故か横で聞いていた剛士が袋ごと差し入れてくれたのが一昨日だっただろうか。

「町内で売ってんだったら帰りに買って帰ろっかな。こないだ夜頭がくれたんだけどさ、家に置いといたら徹夜明けのジイちゃんに食われちまってたんだよな」
「匠はお煎餅に目がありませんからね……」
 立ち直ったのか、望はのほほんとお茶を啜った。
「これはね、差し入れなんですよ」
「へーー、誰が持ってくるんだ?」
「関戸さん。おじいさんがお煎餅屋さんをやってるんですよ」
「へ?夜頭のじいちゃん、煎餅屋だったのか?」
「あれ?初耳?関戸さん、報告に来た時に一真君が家のお煎餅気に入ってくれてるって言ってましたけど……」
「なんで夜頭が煎餅持ってんだろ……、とは思ってたけどさ……」
 望は自分も煎餅を一枚、手に取った。
「たぶん、このお煎餅は関戸さんの御手製じゃないかな……。非番の日や大学の授業が午前中だけの日はお店に手伝いに行ってて、満足できる出来だったり、お店の新作ができたら持ってきてくれるんですよ。これは今朝、報告に来てくれた時に持ってきてくれたお見舞いです」
「じゃあ、これ、夜頭が焼いてんのか!?めちゃくちゃ美味いんスけど!?」
「全部が関戸さんのお手製かどうかはわかりませんけど……、霊気が宿ってるのは確実にそうでしょうね。それだけ頑張って作ってるんですよ」
「夜頭が煎餅焼きねえ……」
 刷毛を手にハチマキを巻いた剛士が浮かんだ。
 かなり似合っているかもしれない。
「ま、いっか。こんな美味いの、タダで食えるんだし」
 一真は手にしていた煎餅を口に放り込んだ。
 光咲や玲香のような美少女の手作りだったら最高だったが、美味しいのは間違いないので贅沢は言えないだろう。

「ところで一真君、」

 望は外の気配を軽く探り、少し声を落とした。

「あれから、霊格や体に変化はありませんか?」
「特にねェけど……」
「そう……」
 何事か思案し、もう一度周りの気配を探った。

(さっきから何を警戒してんだ……?)

 部屋の外――、廊下にも窓の外にも誰かの気配はない。この家は邪封じの陣が張り巡らされているので、邪の類が侵入してくることはほぼない。だとすれば、望が警戒しているのは、この周囲にいてもおかしくない人物――、彼の家族や見舞いに来る隊員、あるいは里から来た術者の二人――?

「……ねえ、一真君……。ひとつ、確かめておきたいんだけど……」
 琥珀の瞳がこちらをジッと見つめた。
「最初に断わっておくけれど、気を悪くするかもしれません。途中で席を立ってくれても構いませんから」
「その手の前振りされると、逆に気になるんスけど……」
 曖昧な笑みを浮かべて軽く深呼吸し、望はゆっくりと口を開いた。おっとりとした表情が俄かに鋭くなる。
「一真君は、本当に、ただの隠人なの……?」
「は?」
 望はどこまでも真剣な表情で続けた。
「本気を出した雄緋殿を前に、僕は手も足も出ませんでした……。だから、アイツを倒したのは僕じゃありません……」
「戒だろ?わかってるって」

 妖獣の一件を里に報告したのは望だ。よほど詳しく話したのか、宗則も里から来た術者達も、一真には特に何も聞いてこなかった。
 噂によると、鏡に施されていた何らかの術が発動したのだろうということで落ち着いたらしい。戒の霊気が二人を正殿まで導いたことといい、念入りに封印が施されていたことといい、まず間違いないだろうと。

「たぶん、オレが池のとこで会ったのもアイツだろーし。どんなヤツだったか、ほとんど覚えてねェけどさ」
 誰かに会ったことは覚えているが、日が経つにつれて全てが霞んでいく。雄緋に吹き飛ばされるまでと、戦いが終わった後のことはしっかりと覚えているというのに、その間のことだけが空白なのだ。
「にしても、術かけてるんだったら、もっと早く発動しろってんだよな。あとちょっと発動が遅れてたら、先輩なんてマジでヤバかったんだし」
 いつも通りに応えると望は悪戯が成功した子供のように笑った。
「……相手が妖獣だったから、ちょっと無理のある説明でも通っただけですよ。実際は、かなり違います」
「へ?」
 言葉通りなら、望は事実を曲げて報告したことになる。
 そんなことをしたところで何の意味もないばかりか、バレれば叱られる程度では済まないかもしれない。
 怪訝な顔をしていると、望は遠くを眺めるような目をした。
「天狗は前世の記憶を持って転生してきて、すぐに前世の続きを生きようとするって、前に言ったでしょう?」
「聞いたけど……」
 突然変わった話題に戸惑う。
 望のことだ。事実を曲げた理由と何らかの関わりがあるはずだが、話がまるで見えない。
「だけど、例外もいるんです。覚醒しても霊山に戻らずに人の世に溶け込んで生きる人が。大抵は宵闇ですけれど……」
「何のために?」
 鎮守隊内で鎮守役が少人数のように、宵闇は霊山でも人数が少ない。
 同一人物としての転生が可能ならば、仲間達はきっと帰還を待っているはずだ。
「約束を果たす為ですよ」
「え……?」
 妙な既視感が襲った。
 「約束」。その単語がやけに引っかかる。
 一真の様子に気づいているのかいないのか、望は続けた。
「もちろん、人とじゃありません。自分と縁を持った妖獣との、です。彼らは……、例え、命と引き換えに相手を封じたとしても、それで終わりじゃありません。転生してきた時に、その妖獣が自分を呼ぶ声を聞いたら人の世に留まり、その呼びかけに応じるそうです。そして、また戦って、命と引き換えに封じて、また転生して……、そうやって、何百年も一人の妖獣を抑え続けている人もいるそうです……」
「なんか不毛だな、それ……」
 胡坐をかき、一真は眉を顰めた。
「……何回も殺されてるんだったら、諦めて仲間呼んだらいいのに……」
「でも、わかるような気もしませんか?妖獣があんなとんでもない存在なら、霊山に帰ってられませんよ……」
「そりゃ、あんなの野放しにしたら責任感じるだろーけどさ……。一人でダメなら、他の宵闇と一緒にボコればよくね?あんな頭おかしいヤツに一対一とか言ってる場合じゃねェよ。妖気が外に漏れたら、これくらいの町が数分で全滅しちまうんだぜ?そんなヤバいヤツ、取り逃がすほうがダメじゃん」
「あはは、そうですね。でも、」
 琥珀の瞳が窓の外を眺めた。
「あの雄緋って人、狂ってたけど……、忠誠心みたいなものは本物だった気がします。『お館様』に会わせてあげられれば、治まるんじゃないかなあって……」
「げ〜〜、先輩、お人好しだな……。殺されかけたのに……」
「だって、妖気から伝わってきた意志がずっと哭いてたから……。なんだか、時間が経つと気の毒になってきちゃって……」
「先輩らしいけどさ。あのオッサンの事情はそうだとしても、無関係のヤツ殺していいってことにならねェぜ?」
「それは当たり前です。僕だって、もう一回戦えって言われたら嫌だもの」
 もう一度、望は周りの気配を探り、こちらを見つめた。
 部屋の空気がピンと張りつめる。
「一真君も、誰かとの約束を果たそうとしてるんですか?」
「はあ?オレが??なんでだよ?」
「あの時……、雄緋を止めに入ってくれたのは、戒さんじゃありません」
「へ?そうなのか??先輩が自力で切り抜けたとか?」
 望はかぶりを振った。
「一真君ですよ。僕の見間違いじゃなかったら、あの時の一真君の霊格は……、戊の上、己をも軽く超えていました……。異常覚醒の時みたいに夢現じゃなくて意識がはっきりしてて……、雰囲気も違ってて……、まるで、」
 望は手元に視線を落とした。
「宵闇……いえ、宵闇のさらに上の存在……」
「それって……」
「大天狗様直属の精鋭部隊・御山颪。エリートとされる鞍馬の宵闇の中でも頭抜けた力を持つ天狗達……。現衆や里に残る伝承に登場するだけで、その実態は霊山のトップシークレットの一つだといいます……」
「オレが、その精鋭部隊の天狗だってのか?」
「あくまで、僕の想像です。一真君は、前世で縁を持った誰かとの約束を果たそうとして、この現に留まっている鞍馬の天狗……、違いますか?」

 ドクリ、

 鼓動が跳ねた。
 深淵から何かが起き上がり、意識の隅まで上がってきた。

 ――さあて、どうしたもんかな……

 魂が内側で小さな笑みを作った。

「なあ、先輩。もし、そうだとしたら、アンタはどうするんだ?霊山に帰れって言うつもりか?」
「……主座として、妖獣との縁を持つかもしれない人を隊に留めるわけにいきません。巡察中に襲われでもしたら補佐の被害は甚大でしょう……。真実を把握しておく必要があります」
「……アンタ、本当にそれが理由か?」
「ええ」
「どうだかな。そのわりには、霊気が妙に昂ってるぜ?ホントに知りたいことは、他にあるんだろ?」
「どう思ってくれても構いませんよ」
 視線が真っ向からぶつかった。
 戦闘中のような緊張が部屋を満たす。
「本当のことを話してください。一真君は、天狗なんですか?それとも……」
 望の言葉がズブズブと入り込んでくる。
 碧の意志が意識の中に広がった。
「……アンタにはどう視えてんだ?」
 気づいたら口が音を発していた。
「天狗に視えるか?」
「……視えるって言ったら?」
「主座のアンタがそう言うんなら仕方ねェよ。でも、オレが天狗だっていうなら、アンタも同じはずだぜ?同じように風使って、前世の記憶がなくて……、オレらの何が違うんだ?」
 望はこちらの様子をまじまじと観察していたが、諦めたように息を吐いた。
「そう返されるとは思わなかったな……」
 空気が和らいだ。
 広がっていた意志が深淵へ戻っていく。

 ――あとは任せる……

 そう聞こえた気がした。

「一真君、思ったよりも手強いなあ……」
「どーいう意味だよ、それ……」
「もっと簡単に話してくれるって思ってたのに……」
「しょーがねェじゃん。話したくても、約束にしても前世の記憶にしても、何にもねェんだから。雄緋を止めたのがオレだっていうのも、全然、覚えてねェし……」
「……本当に?ウソついてない?」
「つか、それ、ホントにオレだったのか?戒がとり憑いてたりしてたかもしれねェじゃん!アイツと話したところから記憶飛んでるんだからさ。体乗っ取られてたとかなんじゃねェの?」
「あ……!」
 望は目を見開いた。
「その可能性は高いけど……」
「んだよ?まだ疑問あんのかよ?」
「一真君に憑依できるような気概のある人が世の中にいるなんて信じられないなあって……。戒さん、そんな豪快な印象じゃなかった気がするし……」
「……オレを何だと思ってんだ……?」
「だって一真君って憑依されそうになったら、『気持ち悪い』とか言って気合で追い出しそうだもの」
「それは否定しねーけど……。戒は宵闇の中でも上のほうのヤツだぜ?あのおっさんを叩きのめすついでに里ぶっ壊せるようなヤツ、オレが気合で何とかできるわけねーって」
「そこはほら、一真君だから……」
「あのなあ……」
 望は湯気が立たなくなった湯呑を手に取り、一口啜った。
「……仮に、約束があって留まっている天狗だったとしても霊山に報告するつもりはありませんよ。甲矢殿と総矢殿は、今回の件が落ち着いたら帰っちゃうでしょうし……、霊山の指揮から外れている宵闇が鎮守役として常駐してくれているんだったら、凄く有難いもの。だから、何か思い出したら話してくださいね」
「アンタ……、けっこう諦め悪いよな……」
 湯呑を置き、望は黒い布が覆う自身の左手を見つめた。
「だって……、一真君が鞍馬の宵闇だったら……、僕の霊筋のことがわかるかもしれないじゃないですか……。何か知ってるなら教えてほしいなあって……」

 ――ああ、そっか……

 望がらしくない詮索をした理由がわかった気がした。
「先輩さあ、あいつが言ったこと気にしてんのか?太狼の霊筋だっけ?」
 頷き、望はハッと顔を強張らせた。
「一真君、このこと、誰かに話したりは……」
「言ってねェよ。皆、先輩の説明で納得したみてーでオレは何にも聞かれなかったし。だいたいさあ、血迷ったオッサンの言ったことなんてデタラメに決まってんじゃん。んなもん報告する意味ねェし、気にするだけムダだって」
「一真君って、本当にポジティブな思考回路ですよね……」
「悩んだってしょーがねェじゃん。つかさ、太狼って、ここらへんのトップなんだろ?いいじゃん、それ。なんかマズイ事でもあんのか?」
「……マズイっていうか……。この際だから、話しておこうかな……」

 思いつめた表情で望は呟いた。