追憶の夕刻

1章 帰還、そして……

1話




「お疲れ様。邪の様子はどう?」

  明るい暢気な声が二人を出迎えた。
  広々とした和室の真ん中に敷かれた布団に身を起こした寝間着姿の望は入院中よりも随分と元気そうだ。
 玉響から戻った後――、望は問答無用で松本医院に運ばれ、即入院になった。
 深手な上に妖獣に斬られた傷だ。松本医院では手に負えないのではないかと皆が案じたが、いざ診察してみると傷は既に塞がり、妖気も残っていなかったらしい。
 傷よりも失血と体力、霊力の消耗のほうが問題で、丸一日入院した後、自宅での療養になった。

「問題ありませんよ、組長」

 慣れた様子で布団の横に腰を下ろし、優音は手帳を取り出した。

(……こんな元気そうにしてるとこ初めて見たかもな……)

 入院中は見舞いに行ったが、自宅療養になってからは気軽に立ち寄るわけにいかず、顔を見るのは約一週間ぶりだ。
補佐頭の優音と剛士は巡察終わりに毎日報告に来ているが、その時間帯、一真はたいてい疲労と空腹のあまり屯所で補給しているか仮眠しているかでまともに動いていない。気になってはいたが、補佐頭にくっついてくる機会はなかなか訪れなかった。

(しっかし、片付いてるっていうか……、物が何もないっていうか……)

 初めて入る師匠の部屋に眉を顰める。
 日頃の生活破綻っぷりから、相当散らかっていると思っていたのだが、全くの逆だ。
 少々広い部屋にある物といえば、机と箪笥、本棚のみ。机の上に立てられているのは教科書や参考書くらい。本棚に至っては町内の地図や史跡、剣道関連、各地の伝承……、どれも鎮守役絡みのタイトルばかりだ。
 机の傍に張られたカレンダーもびっしりと予定らしいものが書き込まれていて事務的な雰囲気が漂い、可愛らしい犬の写真がどこか浮いている。もう少し、漫画やら食べかけのスナック菓子やらが置いてあったり、服が散らかっていてもいいような気がするのだが。

「鏡の影響はないようですね……。今のところ、ですけど……」
 報告を聞き終え、望は少し真剣な眼をした。
「妖獣の件は、まだ終わっていないと考えてるってことかい?」
「鏡の破片はまだ玉響を彷徨っています。いつ、現に流れ着いてくるかわかりません」
「破壊したんだろ?入り口が壊れてしまった以上、封じられている妖獣が復活することは不可能。万一、破片が現に戻ってきたとしても、何にもならない……っていうのが、里と信濃の霊山の結論のはずだよ?」
「そうなんですけど……」
 望は顎に手をやり、暫し考え込んだ。
 優音は心得たように頷いた。
「了解。邪の動きがおかしかったら、すぐに組長に知らせよう。それでいいかい?」
「ええ。お願いします」
 優音が手帳を閉じた。
 報告は終わりらしい。時間にして僅か五分ほどだ。

(この二人、上司と秘書って感じだよな……)

 望が全てを口にしなくても的確に察している。
 学校ではクラスメイトのはずだが、どういう顔で会っているのだろう。

「お待たせ。もういいよ、斎木君」

「へ?あ、ああ……」
 不意に話を振られて、一瞬、焦る。
「ごめんね、一真君。巡察丸投げしちゃって……。ちゃんと寝てる?」
 ――アンタが人の睡眠時間を気にするか!?
 喉まで出かかったツッコミを一真は呑み込んだ。
「あーー、えっと……、普段の先輩より寝てるから問題ねェって」
「斎木君は優秀ですよ。里から応援が来てくれたことですし、巡察は問題ありません。組長は、何も気にせず!大人しく寝ていてください!」
「ちゃんと寝てますよ。でも、そろそろ動かないと、体が錆びちゃいそうなんだけどなあ……。庭で木刀振ろうとしたら、おじい様が怒るんですよね……」
 ピシッと優音の周りで空気が音を立てた。
 ヤバいものを感じ取ったのか、望は慌てて手を振った。
「や、ヤダなあ、壬生君。今回はかなり危なかった自覚あるし、皆が怖すぎるから、ちゃんと寝てるんですから!」
「自宅療養が嫌で散々ごねた挙句、逃走企てたのは、どこの誰だったかな……?」
「だって、退院できたんだもの。もう大丈夫って思うじゃないですか。まさか、その後に甲矢殿の許可が出るまでずっと自宅療養だなんて思わなかったから……」
「組長……」
 優音の体から怒りの霊気が揺らめいた。

 ――マズイっ!

 一真は咄嗟に盆を持ち上げ、自らも下がった。
 先ほど、望の姉が運んできてくれた盆の上には緑茶が七分目ほどまで入った湯呑が三つと美味しそうな煎餅が盛られた皿が並んでいる。まだ誰も口をつけていないので、零れれば被害は甚大だ。

「当たり前でしょう!?妖獣に斬られて致命傷スレスレの重傷に大量失血、霊力も枯渇寸前まで消耗……!それでたった二日やそこらで巡察に参加しようとするバカが何処にいるんです!?」

 恐れていた畳しばきはなかった代わりに、優音の水の霊気に反応した茶がちゃぷちゃぷと湯呑の中で音を立てた。

(ホントに、この人、なんで霊格が丁じゃねェんだろな……)

 丁じゃなくても、この気迫だけで邪を蹴散らせそうな気がするのだが。

「え〜〜、だって……」

 望は不満げな顔をした。反論するつもりらしい。

(やめときゃいいのに……。口じゃ、絶対に勝てねーんだから……)
 一週間ほどの休養でかなり回復したのだろうが、無謀極まりない。

「ちょっと皆の巡察を見に行こうとしたら、甲矢殿が結界張って閉じ込めるんだもの。酷くないですか?」
「それくらいされるといいよ……。妥当な判断だと思うけどね……」
「え〜〜〜〜〜!?」
 主座の威厳もなく、望は唇を尖らせた。思いっきり不満そうだ。
「組長……。里が休めって言ってるんだから、何も考えずに寝てればいいでしょう……。この期に及んで何をごねてるんだい……?」
「でも、もう怪我も治ってるし、霊力も回復してるし……」
「甲矢殿が許可を出さないっていうことは、回復していないってことだよね……?」
「う……。そ、そんなこと……」
 蛍光灯を反射し、眼鏡がギラリと光った。
「そんなことがあるから、許可が出ないんでしょう?」
「うう、そ、そうです……」
 望は意味もなく布団を指先でグニグニと揉み始めた。八つ当たりしているらしい。

(ま、予想通りだな……)

 望が優音を言い負かす姿など全く想像できない。
 ただし、今回は優音の言い分が正しいだろう。

(巡察なんて見に来たら、療養の意味ねェじゃん……)

 望の性格なら、絶対に巡察に乱入するに決まっている。
 部屋に結界を張られてプチ軟禁されても仕方がないし、そうでもしなければ止められない。ちなみに、甲矢というのは里から応援に来た術士である。

(そういえば、昼頭って何で鎮守隊に入ったんだろうな……)

 校舎ですれ違ったことがあるが、周りが優音に向けるのは尊敬と憧れの眼差しばかり。彰二によると、優音は成績トップで入学し、その後も学年トップどころか全国三位以内の成績を常にキープしているという。
 生徒会長としても優秀で、時として校長や理事長相手でも物怖じせずに意見するので、他の生徒会メンバーからの信頼も厚いらしい。
 おまけに、容姿端麗ときた。モデルのスカウトに声をかけられたことも一度や二度ではないらしい。さらに親は代議士らしく、自宅は広いお屋敷だ。
 嫌味なくらいに何でも揃っている優音が、何を思って危険と隣り合わせの鎮守隊に志願したのか――、七不思議以上に謎である。

(補佐の誰も知らねェし、先輩はそういうこと言わねェし……。本人には聞きづらいんだよな……)

 剛士は自身の入隊理由を「恩返し」だと言っていた。望に助けられなければ、生きていないだろう、と。
 優音にも何かよほどの事があったのだろうということは感じるものの、興味本位で聞いていいことでないこともわかっている。
 ただ、優音といい、剛士といい、補佐頭の二人は望を尊敬しているというより、心酔しきっているところがある。
 望が倒れるようなことがあれば、我を忘れて仇討に走るのではないか――?
 そんな危うい感じがする。

「ところで組長。冗談は置いておいて、実際のところ容態はどうなんですか?」

 霊気を収め、優音は目を細めた。
 落ち着いたようなので、一真は盆を元の場所に戻した。

「見たところ、順調に回復してるようだけど……」

 布団の横には教科書と参考書が数冊積まれている。勉強する時間がないとぼやいていたので、この機会に教科書を開いたのはわかるが、望の性格ならば机に向かうだろう。何ともないように振舞っているが、起き上がるのも厳しいのかもしれない。

「それなんですけど……」

 望は目を輝かせた。

「明日から復帰できそうなんですよ!」
「は?」
「でもさ、先輩。起きるのもキツいんじゃねェの?そんなんで明日復帰できんのかよ?」

 目を点にしている優音の代わりに参考書を指して聞いてみる。

「ああ、それは……」
 望は掛布団を持ち上げてみせた。布団の内側と寝巻きで数枚の霊符が光っている。
「青龍の符……?」
「甲矢殿が逃走防止って言って、毎日霊力注いでるんですよ。おかげで重くて布団から出るの、億劫で……」
「……そういう問題じゃないと思うけどね……」
 眼鏡を押さえ、優音は深々とため息を吐いた。

 青龍の霊符は誘眠の力がある。
本来は治術用らしいが、相手をほぼ無傷で確保できるので、巻き込まれた隠人や一般人を保護する際にも重宝がられている。
 青龍のみならず、霊符は格が高くなればなるほどその能力を引き出せるらしく、鎮守隊で扱うのは霊符の力の一端らしい。霊獣や天狗になって初めて、霊符の力をフル活用できると彰二が言っていた。
 霊獣が貼った霊符が重りにしかならないということは、望の霊格が霊獣に匹敵しているということでもある。最強の鎮守役にして宵闇匹敵とされる所以だろう。

「明日、甲矢殿から許可が出れば復帰です。たぶん、夕方の引継ぎから出られるんじゃないかな」
「……甲矢殿はどちらに?」
「この時間なら本殿で陣の補修をしてくれてると思いますけど……」
 優音は緑茶を一口啜り、立ち上がった。
「斎木君、夜番の一班開始は、いつも通りだ。開始までに何かあったら言伝を寄越すから」
「りょーかい」
「あれ?もう行くの?まだ引継ぎまで時間あるのに……。今日は一真君も来るって言うから、皆でババ抜きでもしようって思ってたのに……」

(先輩……、暇なんだな……)

 徹夜していようが食事を抜いていようが、昼も夜も巡察に参加してきたのだ。急にできた療養という名の休日をどう過ごしていいのかわからないのだろう。

「甲矢殿に詳細の確認だよ。組長は自分の体のこととなると、希望を口走ることが多いからね。悪いけど、ババ抜きは斎木君とやってくれるかい?いい勝負になると思うよ」
「え〜〜、明日復帰は僕の願望じゃないですよ?いくら希望言ったって、甲矢殿と総矢殿、聞いてくれないもの」
「なるほど。いつもの自己申告より信憑性が高いってことだね。じゃあ、特別に六割ほど信用しておくよ」
「特別で六割って……、いつもの僕、どれだけ信用されてないの……?」
「ご想像にお任せするよ。お大事に」
「え?そ、想像って!?壬生君!?」

 無情にもドアが閉められた。

「ど、どういうこと……?嫌われてるってこと……?一週間も休んじゃってるし……。もしかして、皆、怒ってたりするの、一真君!?」
「あ〜〜、落ちつけって。つか、さっきの昼頭のセリフをどう解釈したら、その発想になるんだよ……」
「ほ、他にどういう解釈があるの……?」
「だからーーー!って、なに泣いてんだよ!泣くほどのことじゃねェじゃん……!」
「だって……っ!こんなに休んだの初めてだし……!ッ」
「先輩の感覚が麻痺してるだけだって!今までの二十四時間年中無休状態が異常すぎんだよ!!」

 西組の影の権力者が去った部屋には、狼狽えるあまり涙ぐむ西組組長と、とばっちりを食らった見習いの鎮守役が残されたのだった。