夜桜舞う里

終 



 春の風に木々が揺れる音がした。
 月明かりに照らされた桜の木の根元に二つの影があった。

 血にまみれ虫の息の弥生と、自らも深手を負った紡が――。

『弥生様!しっかり!弥生様っっっ!』

 呼びかけるごとに紡は激しく咳き込んだ。
 声は枯れてしまっている。
 しかし、彼は自らの体の状態など気にも留めず、蒼白の面に呼びかけ続けた。

『つむぎ……どの……』

 血の気を失った少女の唇が動いた。

『かい……さまと……、みやの……姉さまは……まだ……?』
『もうすぐ来られます……!だから……!』

 若草色の瞳から涙が落ちた。

『あいたい……な……』

 それが最期の言葉だった。
 虚ろに開かれた瞳から涙を流したまま、少女は動かなくなった。

『弥生様?弥生様あああああああああああああああああああああああっ!』

 絶叫し、泣き崩れる紡の背後で風が舞った。
 二つの影が音もなく降り立つ。
 闇色の少年と少女が――。

『あ……』

 言葉を失う紡の前に少年が膝をついた。

『すまない、紡殿……。駆けつけるのが遅れた……』
『戒……さま……』
『この妖気……、やはり刃守の里だったようだな、宮……』

 頷き、少女は弥生の前に屈んだ。

『可哀想に……。辛かったでしょう……』

 白く細い指が虚ろに開かれたままの瞼を下ろし、そっと涙を拭った。

『ごめんなさい……。もう少し早く気づいていたら……!』





 重い瞼を上げた。
 三分咲きの桜と十三夜の月が流れていく白い霧の向こうに透ける。

「……ゆめ……?」

 上半身を起こし、軽く頭を振る。
 戒と「宮の姉様」が出てきた気がするが、その姿はやはり霞んでいる。

「……そっか。あの子……、会えなかったのか……」

 あんなに喜んでいたのに。
 約束通り、戒と「宮の姉様」は里にやってきたのに――。

「……よほど無念だったんでしょう……。残留思念となって霊域に留まるくらい……」

 少し離れた所で望が身を起こしていた。
「ちょ、いきなり起き上がったら……!結界酔いとかは……」
「大丈夫ですよ……」
 望はシャツで光る天一を指した。
 自身で補強したものよりも下に貼られた霊符のほうが青白い光が強い。
「この霊符、凄く強い霊気が宿ってるんですよ。もう痛みもほとんどありません……。きっと、これを貼ってくれた人は桁違いの霊格の持ち主でしょうね……」
「?それ、先輩が自分で貼ったんじゃねェの?」
「あれ?一真君が貼ってくれたと思ったんだけど?」
「オレ?」
 記憶を辿ってみるが、やはり思い出せない。
「どうだろな……。でもさ、オレ、先輩より霊格低いと思うけど……」
 望は瞼を閉じ、軽くかぶりを振った。
「そういうことにしておきましょう……。僕も朦朧としてたから、あんまり覚えていませんし……」
「ところでさ、ここどこなんだ?」
 霊域の入り口によく似ているが、あの時よりも霧は薄く、外の景色が透けている。
 玉響でないことは明らかだ。
「あはは、実は僕もわからないんですよね……」
 緊張感の欠片もなく、望は笑った。
「たぶん、現のどこかに漂着したんでしょう。もう少し霧が晴れてきたら動きましょう。現衆の支部に駆け込めば何とかなりますよ」

 少し冷たい夜風が吹いた。
 白い霧が薄くなり、夜の小道を月明かりが照らす。
 すぐ横に石の鳥居が立っている。

「ここって……」
「槻宮学園の裏庭……?」

 霊域から放り出された時に着地した場所だ。
 上空で羽音が鳴った。
 白い梟が近くの枝に止まる。
 ふわりと霊気が漂った。

「仮宿りの法の応用版ですね……」

 近づいてくる足音に二人は道の向こうを見やった。
 月明かりに照らされた制服に長い髪が揺れる。

「城田組長!斎木守役!」

 端正な顔が安堵したように綻んだ。

「よく無事で……!」

「え?玲香さん?」
「なんでこんなとこに……?」

 二人は現れた少女に、揃って眉を顰めた。

「アンタ、こんな夜中まで起きてて大丈夫なのか……?明日、学校だろ?」
「玲香さん……、学園の中でも、こんな真夜中の散歩は危ないですよ?」

「……二人とも、本気で言ってるの……?」

 少女から噴出した怒気にヤバいものを感じたのか、望は慌てて玲香と木の上の梟を見比べた。

「も、もしかして……、こんな時間まで探してくれてたんですか?」
「え?学園もそーいうことすんのか?」

「当たり前です!」

 室長代理の怒りの霊気が夜の裏庭の桜を揺らした。






 ……この……血の匂い……
 ……やはり……、間違いない……


 玉響を漂う石の破片から思念が漏れた。


 ……まだだ……、まだ、眠るわけにいかぬ……
 ……あのお方の行方を……探さなければ……


 波に流されていた破片がピタリと静止した。
 黒い破片に妖気が立ち上る。


 現へ……


 波に逆らい、鏡の破片が時空の隙間に落ちていく。
 あの二人が下りた道を抜けて――。



 おやかた……さま……



    ――第一章 夜桜舞う里 終――