夜桜舞う里

32話 



 紺の袖が動いた。

「参る!」

 声が鼓膜を揺らした時には、横に並んでいたはずの望が雄緋の正面に踏み込んでいた。

(速ェ……!)

 五歩と離れていない距離にいたのに、動く気配に気づかなかった。
 巡察で望が戦っている姿は何度も目にしているが、いずれも雑魚ばかり。
 強敵を相手に共同戦線を張るのは、鏡面の時以来だ。
 あの時は怪我人で消耗していたから、本来の力を出すところを見るのは今日が初めてということになる。

 空色のパーカーが妖気に揺れた。
 金属がぶつかり合う音が誰もいない屋敷に響く。
 暗灰と赤が入り混じった渦が二人を中心に広がった。

「この霊格……!やはり、隠人のものではない……!これだけの力を持ちながら、何故、現などに留まられる?」
「ッ」
 望の眉が吊り上った。
「僕は……隠人だって言っているでしょう……!」
 持ち主に応えるように刀身が炎を帯びる。
 妖気と霊気が交えた刃を介して鬩ぎ合い、小規模な爆発を引き起こす。

 ウッ

 畳が焦げて削れ、部屋の周りの障子が全て粉々に砕けた。
 爆音の余韻が残る耳に刃が打ち合う硬い音が響く。
 晴れていく視界の中で二人は爆発をものともせずに攻防を続けていた。

(スゲエ……)

 剣の腕は、ほぼ互角。
 雄緋の放つ妖気が望の霊気より若干、強いだろうか。

(これなら、いけるんじゃねェか……!?)

 しかし、弾んだ気持ちは二人の表情が見えた瞬間に打ち消された。

 ――マズイ……!

 雄緋の眼は戦いよりも望の動きと霊気の変化に集中している。
 つまり、まだ本気で戦っていない。
 望はというと、全てを戦いに回している。その顔には余裕はない。

 ガッ

 何度目かの打ち合いの後、二人が離れ、間合いを取った。

(今だ……!)

 木刀に霊気を込め、上段に構える。

「食らえっ」

 振り下ろされた刀身が碧の刃を生み出す。
 刃が妖気を切り裂きながら真っ直ぐに突き進んだ。

「なっ!?」

 僅かに目を見開き、雄緋は後ろに跳んでかわした。
 部屋を通り過ぎた刃が庭を囲う塀を切り裂く。ガラガラと乾いたものが崩れ落ちる音と土埃が舞った。

(やっぱかわしたか……!)

 こちらも、それくらいは予想済みだ。
 木刀はまだ碧の光を宿している。
 間髪入れずに放った刃が雄緋に迫る。

“壁!”

 妖気が濃度を増して壁を造り出す。
 刃がぶつかり、壁共々砕け散る。
 四散した刃の一部が狩衣の袖を切り裂いて消えた。

「チッ」
 これで倒れるとは思っていなかったが、さすがに手強い。
 しかし、雄緋は自らの切れた袖口を凝視した。
「碧の木の霊気……だと……?」
 記憶を辿るような呟きには明らかに動揺が滲んでいる。
「貴殿……」
 何事か言いかけ、雄緋は正面に向き直った。
 間合いを詰めた望が刃をまっすぐに突き出す。
「その太刀筋……、やはり、貴殿は……ッ!?」
 応戦しようとした妖獣の顔から余裕が消えた。
 間合いの外へと退きながら構えた太刀に深紅の炎を纏った刃が食いつく。
「まさか……!?」
 雄緋の目つきが変わった。

 深紅の残像を残し、再び突かれた深紅の刃が太刀に纏わりつく妖気をことごとく焼き消していく。
 望が自らの火の霊気と剣技を合わせて使う技――、閃紅牙だ。
 実戦で使っているのを見るのは初めてだが、妖気を焼くほどの威力があるとは――。

 望は素早く刃を引き、再び踏み込んだ。
 深紅の閃光の軌跡が一際強く光った。

「この技は……!」

 深紅の刃を受け止めた太刀から妖気が散った。
 刀身を染める紅い光が獣のように踊りかかる。
 目をくらますほどの深紅の閃光が周りを紅く染める。

「なんとっ!?」

 驚嘆のような声が漏れた。

 ドウッ

 大砲のような音と共に生じた深紅の砲弾が青年を吹き飛ばした。

「やったか!?」

 よほど強い衝撃だったのか、奥で天井が落ちるような瓦解音が響く。
 もうもうと立ち込める土埃で何も見えない。

(さすがに決まったんじゃねェか!?)

 妖獣を一蹴した師匠を振り返り、一真ははしゃいだ気分を引っ込めた。

「先輩……?」

 望は刀を握る自分の手をジッと見つめていた。
 その顔には喜色は一切なく、代わりに怯えが浮かんでいる。

「どうしたんだよ?あいつにどこかやられたのか?」
「……初めて……、本気で撃ったんです……」

 声が少し震えている。
 怪我をしている様子はない。精神的なものだろうか。

「あんなに威力があるなんて……」
「?いいじゃねェか。強いんだからさ……」
「一真君、」
 紅い瞳に怯えが浮かんだ。

「今の僕は……、人間の姿をしていますか……?」

「え?」

「どこか、いつもと違っていませんか……?」

 よくわからないが、本人にはとてつもなく深刻なようだ。
 紅い光が縁どる師匠をしげしげと眺める。

「いつもと変わらねェけど……、霊気の色がちょっと濃いくらいじゃねェか?つっても、それ、オレもだと思うけど……」
 包帯を巻いた右手に碧の光が灯っている。こんなに強く光るのは、霊風を撃つ時くらいだったのだが――。
「そんなに気にすることでもないんじゃね?呼応ってヤツだろ?あいつもさっき言ってたし、一時的にパワーアップしてるんじゃねェの?ちょうどいいじゃねェか」
 望は自分を落ち着けるように大きく息を吸った。
「……そう……ですよね……」
 吹っ切れていたように見えたが、かなり精神ダメージを受けていたらしい。
 霊獣の里長に正体不明の魔物扱いされたのでは無理もないかもしれないが。
「あいつの言うことなんて、まともに聞いたら疲れるだけだぜ?自分の妹斬って平気なツラしてるようなヤツじゃねェか……」
 自分も妹がいるからだろうか。
 腹立たしい気分が収まらない。
「オレらの霊筋が何処のヤツから受け継いだかなんて、どーだっていいじゃん。蝕にやられてるわけじゃねェし、変なモンにとり憑かれてるわけでもねェんだから……ッ!?」

 背後で膨れ上がった妖気に一真は振り返った。望も刀を構え、奥を睨む。
 雄緋の姿はない。
 しかし、屋敷の奥から燃えるように広がってくる暗灰の炎が、妖獣の健在を告げる。
 幽鬼のような影が暗灰で揺らめいた。

「先ほどの剣技……、あれこそまさに『閃紅牙』……」

 飢えた獣のような赤い眼が望を見つめた。
 望がゾッとしたように顔を引きつらせた。だが、引きつっている理由はそれだけではないだろう。

(……こいつ……、あの技を知ってんのか?)

 望は無言で閃紅牙を放ったはずだ。
 技名を当てたということは、一真同様、以前にどこかで同じ技を見たということになる。

「貴殿、太狼の霊筋か……?」
「太狼……?僕が……?」
 呆然と呟く望に一真は囁いた。
「太狼って……?」
「霊狼の三大勢力の一つです。刃守の長は太狼の霊筋だって聞いてたけれど……、それ以上は……」
 笑い声が響いた。
「なんと、本気で言っておられるのか?剣技のみならばまだしも、あの技を使えるということ――。ただの太狼ではない、ご一門の嫡流の者である証ではないか……!」
「え……?」

 望は完全に固まった。告げられる内容に頭も感情もついていけていないのだろう。
 雄緋は笑いを収め、太刀を構えた。暗灰の気が刀身に宿る。

「ますます解せぬ……。ご嫡流の方でありながら、その霊格の低さ……。閃紅牙をもってしても、あれしきの力しか出せぬとは……」

 耳を疑った。

(さっきの閃紅牙が弱いって言ってんのか……?)

 術者の望でさえ、その威力に驚いていたというのに。
 それを、「あれしきの力」と評するなんて……。
 チラリと望の様子を窺う。

(ヤバいな……)

 顔を引きつらせているのは変わらないが、その頬が先ほどよりも随分と青ざめている。
 目も虚ろだ。
 自分の必殺技がまるで効いていないことよりも、告げられた霊筋に混乱しているほうが大きいだろう。

(よくわからねェけど……、相当ショック受けてるのは間違いなさそうだな……)

 太狼の霊筋だと何か都合が悪いのか……?
 一真には今一つピンとこない。
 ただ、とてもではないが、戦えるような精神状態ではないことだけはわかる。

「その器が本来の御力の枷となっていると見受ける……。ならば……」
 眼が獰猛な光を宿した。
「その汚らわしい肉体を斬り捨て、魂を解き放つことこそ、我が忠義……!」
 数倍にも膨れ上がった妖気が視界を遮る。
「チッ!」

 望を庇うように前に出、左手を握り締める。

“風よ!我が意に従え!!”

 碧が屋敷の中に渦巻いた。

“撃て!風撃!!”

 ブォッ

 放たれた碧の風が妖気を吹き飛ばす。
 開けた視界の中で雄緋が太刀を振り下ろした。

 ゴッ

 木刀と太刀がぶつかり合った。
 爛々と光る赤い眼が見下ろす。

「テメ、頭おかしいんじゃねェか!?」

 妖気の中で一真は怒鳴った。
「無関係なヤツ殺すのが忠義だあ!?クソ迷惑なこと言ってんじゃねェぞ!」
「貴殿にはわからぬだろう……」
 野獣のような眼とは対照的に雄緋は淡々と応じた。
「身命を賭してお守りすると誓った主君を守ることも叶わず……、この異界の地に流れ着いた我らに何ができる……!?」
 太刀に込められた妖気が勢いを増した。
「ようやっと、あの方に連なる者を見つけたのだ……!あの少年の霊体を引きずり出せば……、あの方の行方がわかるやもしれぬ……!」
「テメ……!」

 ――狂ってやがる……。

 赤い眼は空虚で洞穴のようだ。
 あの眼には何も視えていない。
 何を言っても届くことはないだろう。
 反論する代わりに、一真は左手に霊気を集めた。

“風よ……!”

 右手で霊紋が熱を帯びた。
 刀身に風が渦巻く。

「もう一回、吹っ飛ばし……」

「いけません!一真君!退いて……」

 望の焦った声が聞こえた。
 妖獣の眼が笑んだ気がした。
 ぶわりと体が宙に浮く。

「一真君!」

 慌てたような望の声が遠ざかっていく。

「え……?」

 衝撃に吹き飛んだと思ったら、周りで激しい水しぶきが上がった。
 水面に浮き出た顔に枝垂れ桜の花びらが舞い落ちる。

(なに……、が……?)


 身を起こそうとすると、体のあちこちが痛んだ。