夜桜舞う里

31話 



(え……?)

 現れた「妖獣」に一真は目を疑った。
 横では望も目を丸くしている。
 妖気の中から現れたのは、「里を襲った妖獣」から連想されるような凶悪な化け物ではなかった。
 佇んでいたのは知的な雰囲気の漂う、真っ赤な眼をした青年だった。
 紺に金の丸い紋が入った狩衣のような衣装に紐で束ねられた赤茶色の髪が揺れる。
 ただし、その手には血に濡れた抜身の太刀が握られている。

「にい……さま……」

 見開かれた若草色の瞳から涙が溢れた。

「里長様……!」

 紡が咆えた。
 穏やかだった彼の目には怒りだけがあった。

「刃守の長ともあろう方が、穢れに喰われるなどと……!それに飽き足らず、実の妹君まで手にかけられるとは……!恥をお知りください!」

 赤い目が冷たく光った。

「話すことはない。下がれ」

 紡と弥生の姿が薄れ、暗灰の中に消えていく。
 二人だけではない。
 倒れている人影も、外から聞こえていた悲鳴も。全てが幻のように消えていく。
 後には妖気が流れていくだけのがらんとした屋敷と三人だけが残された。

「テメ、何しやがった!?」

「残留思念を黙らせたまで」

 青年は太刀を振った。血糊が障子にビシャリと染みた。

「城田望殿と斎木一真殿か……。あやつらを介して視ておったが、いずれも記憶にない名よ……。真に、何者だ?」

 淡々とした声は玉響で聞いたものよりもずっと若く、落ち着いている。

(なるほどな……。あの人達を差し向けて、オレ達のことを探ってたってことか……)

 「妖獣」に対して抱いていたイメージを修正する。
 正殿での霊気から、手当たり次第に破壊するような化け物を想像していたが、ちゃんと言葉が通じるどころか、頭を使った手を打ってくるらしい。

「へ、知らねェよ。そっちこそ、訳わからねェこと言ってんじゃねェぜ……」
 プレッシャーをはねのけるように、一真は木刀に霊気を込めた。
「残留思念だろうが、自分の妹斬って涼しい顔してんじゃねェよ……」

「ご用件を伺いましょうか?」

 軽く手で制し、望が半歩前に出た。

「……僕達に用があったようですね。こんな回りくどいことをしたのも、その為だったんでしょう?」

 温和な瞳が鋭く青年を射抜く。
 全身から立ち上る霊気には玉響で感じた高揚はまるでない。あるとすれば、「怒り」だろうか。

「その霊気……。玉響で我が気を圧したのは、貴殿か……」
 青年の眼が望を映した。
「城田望殿、といったか……。名を聞く限り、城田家の眷属のようだが……。その霊筋、どうも解せぬ……」
 思案する表情には威嚇の色はない。それが逆に不安を煽る。

(先輩……?)

 望のこめかみを汗が伝った。平静を装っているが、かなり動揺しているのが分かる。
 無理もない。
 妖獣とはいえ、この青年は刃守の里長だ。
 霊獣の里を統べる男が、自らの親戚筋の子孫、それもたかが隠人の霊筋を真剣に思案しているのだから。

「……何が言いたいんです……?」
「貴殿の霊気は城田の者とは根本的に違う……。いや、この刃守の里にも、その霊気の者はおらぬはず……。そもそも貴殿、真に隠人か……?」
「何を……言って……?」
「妖獣の言うことだぜ!聞くなって」
 一真は青年を睨んだ。
「アンタ、仮にもここの長だろ?それが、妹やら親戚やら部下の残留思念使って、せこい小細工してんじゃねェよ」
「貴殿は斎木一真殿といったか。異なことを言うものよ」
「寝惚けてんじゃねェぞ、コラ。テメエの身内使った挙句に、格下の隠人相手に姑息な精神攻撃してんじゃねェよ。それとも、オレら程度、手を下すまでもねェって言いたいのか?だったら、とっとと、ここから出しやがれってんだよ」
「貴殿こそ、何を言っている?」
 青年は心の底から不思議そうな顔をした。
「私の妖気に触れ、平然としていることこそが、貴殿らが隠人どころか霊獣の域を超えている何よりの証ではないか」
「はあ?オレ達が霊獣超えてる?何言ってんだ?」
「おかしいと思わぬか?私の妖気に触れただけで消耗して倒れた里の者達を見たであろう?貴殿らが見たものは幻などではない。千年前にこの里で起きたことだ。我が霊筋に連なる紡でさえ、この妖気の前にはあの様だったのだぞ?」

(そういや、なんで……、なんともねェんだ……?)

 葉守神社の正殿では、浄化された霊気でさえ防ぎきれなかったはずだ。
 なのに、今、一真達は妖気の主と対峙しているのに、体には何の変調も起きていない。

(いつだ……?いつから、こうなってる……?)

 玉響では妖気の塊に簡単に圧されたはず。
 何ともなくなったのは、この鏡の中に入ってから……?

「脆弱な肉体を持ちながら妖気が浸食せぬ……。貴殿らの魂の本質が霊獣を超えていることに他ならぬ……。そのような霊格を持つ者など、鞍馬でも一握りしかおらぬ。この現にいながら蝕も迎えずにいるなどと、まさに魔物……」

 ビクリと空色のパーカーが震えた。
 自らの霊筋に悩んで生きてきた彼には今の言葉は堪えただろう。

「……どうせ、アンタが何かやってんだろ?そうでなきゃ、妖気が半減してるとかなんじゃねェのかよ?何もかもオレらの霊筋のせいにしてんじゃねェぞ……」
「一理あるな。だが、私は妖気を抑えておらぬし、この場では封印は力を持たぬ……。貴殿らの霊気が、この霊域の気に呼応しておるのだ。現より隔てられたこの場で、本来の姿に戻ろうとな……」
「呼応だぁ?」
「さよう。貴殿らの霊気……、玉響よりも明らかに格を高めている。それこそ魂の呼応に他ならぬ。この場は鞍馬有数の高貴なる霊筋の天狗によって編まれた霊域……。あの方の霊気に呼応するなど、現に住まう隠人にはありえぬこと……」
 青年は目を細めた。

「今一度、問おう。貴殿ら、真に何者だ?」

 沈黙が落ちた。
 一真も望も何も言おうとしない。
 いや、何も言えなかった。

「……それを聞いて、どうするつもりです?」

 ややあって望は静かに問い返した。
 何かが吹っ切れたようにも見えた。

「僕達が何者だろうと、貴方には関係ないでしょう?それとも……」
 穏やかな瞳が紅に染まった。
 妖獣のそれよりも濃く、澄んだ赤が全身を縁取っていく。
「僕達の素性を知るために、ここに引きずり込んだ、とでも仰いますか?」
 挑戦的な視線を、愉悦を孕んだ視線が受け止めた。
「その通り、と言えば、どうなさるかな?」
 望は自嘲気味に笑い、刀を構えた。
「随分と買いかぶってくださっているみたいだけど……。僕達は、現に住まう隠人。それが全てです。貴方が望むような答えは出てきませんよ」
「ならば、魂の底より本性を引きずり出すのみ……」

 緩やかに流れていた妖気がざわめいた。
 灰色が昏く染まっていく。


「刃守が長・刃守雄緋……、お相手、仕る……」