夜桜舞う里

29話



「どうやら、里長様はお屋敷のほうにいらっしゃるそうです」

 刃守の里の最奥部。緋色に瞬く鳥居をくぐったところで紡は神主らしい青年と言葉を交わして戻ってきた。
 戒達は「里長の客」として桜祭りに参加するらしく、彼らに面会するには里長の許可をもらわなければならないらしい。

「では、僕達、里長様のお屋敷にお邪魔することに……?」
「ええ。私どもも共に参りますので、ご心配なさらず。狼の霊筋の仲間を里長様が拒まれるはずがございません」
「さっそく参りましょう!社のすぐ横ですから」
 弥生はソワソワと先に立って歩き出した。
「望殿?いかがなさいました?」
「あ、いえ……、里長様にお会いするんだって思ったら、ちょっと緊張しちゃって……」

 これは本音だろう。
 浮かべた笑みが少し強張っている。

(先輩は刃守の里長に会ったことあるんだよな……)

 千年も経てば代替わりしているのだろうけれど。
 紡や弥生が気さくなので忘れがちだが、ここは霊獣の隠れ里だ。
 「里長」という立場になれば、どんな堅物が出てきてもおかしくない。

「いやですわ、望殿。そんな、鬼の親玉に会いに行くようなお顔をなさらないでくださいな」
 弥生はクスクスと笑った。
「少々生真面目で無愛想ですけれど……、そんなに怖い人じゃありませんから」
「何を仰います、弥生様!?」
 わたわたと紡は周りを見渡した。
「こんな屋敷の傍で、大きなお声で……。里長様のお耳に入ったら叱られますよ?」
 弥生はぷうっと頬を膨らませた。
「紡殿は少し怯えすぎです。お兄様はそんなにお心の狭い方じゃありません」


 少女が発した一言に一真と望は顔を見合わせた。

「『お兄様』って言ったよな……?」
「言いましたね……」
「それって……」


 二人が怖い想像をしている間にも、紡は焦った顔でフォローに回っていた。
「そ、それはわかっておりますが……!」
「あれでしょう?不愛想で暗くて頑固。お腹の奥底で何を考えているのかわからないのが、怖いのでしょう?」
「や、弥生様!?先ほどよりも悪口が増しております……!」

「あの、ちょっといいですか……?」

 身内の会話を続ける霊獣達に望がおずおずと割って入った。
「『お兄様』って……、もしかして、弥生様は里長様の……?」
 弥生はキョトンとした。
「あら?まだ申し上げておりませんでしたっけ?」
「そういえば、お話しておりませんでしたね。里の外の方と接するのは久方ぶりでしたので……、つい……」
 小さく咳払いして、少女は微笑んだ。
「刃守の里長・刃守雄緋は、私の兄です。もう一人、小兄様がいるのですが……、明後日まで里の東部で開かれている歌会へ……あ……!」
 弥生は小さく声を上げた。
「どうしましょう!戒様達のご来訪をお知らせしなければ……!清山兄様もお会いするのを楽しみになさっていましたのに……!」
「お帰りは早くても明々後日……。残念ですが、今年は……」
「そんなの、ダメ!小兄様が落ち込まれると、後々まで鬱陶しいんですもの!紡殿も知っておられるでしょう?小兄様はお優しいけれど、優柔不断でいつまでも小さなことにクヨクヨなさって……器が小さすぎます!雄緋お兄様みたいに、何事にも動じるなとは申しませんけれど、もう少し、おおらかに生きられたら宜しいのに……。雄緋兄様と清山兄様は、どうしてあんなに偏っておられるのかしら……」
「……言いたい放題ですね、弥生様……」

 弥生が身内の陰口大会をしている後ろでは、望が完全に固まっていた。
「なあ、先輩……。清山って確か……」
 ぼそっと囁いた一真に、ブルーな顔の望が振り向いた。
「それ以上、聞かないでください……。たぶん、一真君の想像通りだから……」
 疲れた表情で望は息を吐いた。





 良い香りのする木を束ねて造られた塀が途切れ、立派な門が姿を現した。

「どうぞ、遠慮なさらずに」
「そ、それじゃ……」

 里の姫様と親戚が一緒だと、見咎める者もいない。
 それどころか、門番は一真達にまで頭を下げた。

(うわ、マジで姫様なんだな……)

 詩織と変わらないような幼い少女が「姫様」という身分の人物なのだと実感してしまう。
 門をくぐると、大きな池が夜桜と月を鏡のように映していた。
 池の向こうに大きな寝殿造りのような屋敷が山のように鎮座しているのが見える。
 夜桜の下に設けられた長椅子の一つを指し、弥生はにっこりと笑った。

「少し、こちらで桜を楽しんでいてくださいな。お兄様にお話してまいりますね」






『己を見失ってはいけない、雄緋殿……』

 あの夜――、鞍馬から来た少年は静かに言った。

『貴方ほどの方が、そこまで忠誠を誓うような主君が、今の貴方の姿を喜ぶなんて、オレには思えない……』

 穏やかな瞳は、主君のそれと似ているような気がした。
 だからかもしれない。
 あの少年にならば討たれてもいいと思った。
 しかし、彼は封印に留めた。

『生きてください。辛いだろうけれど……、貴方は何があっても生き延びて、貴方達が奉ずる主君に会わなければならない……。それが……、犠牲になった方々への弔いになるはずです』

「わかっているのです……、戒殿……。だが、私は……」

 ――取り返しのつかぬことをしてしまった……。

 過去は消えない。どれだけ時が流れたとしても。
 それでいい。逃げるつもりもない。

「この地に流れ着き、幾年経ったか……。ようやく、我が主に連なるやもしれぬ霊気に巡り会ったのです……。あのお方の行方がわかるやもしれませぬ……。貴方がたに愚行と蔑まれるならば、それも本望……」

 上座に位置する闇に深々と頭を下げる。
 里に来た時、彼らが座していた場所には闇だけが在る。
 千年前――、嵐が通り過ぎた後、彼らの死の一報がもたらされた。
 宮と呼ばれる少女は全霊をもって災いを鎮めた。
 戒は少女の傍で荒れ狂う時空を自ら盾となって食い止め続け――、力尽きたのだという。
 あまりにも、彼ららしい最期だ。
 静かに瞑目し、微かに残る面影に語りかける。

「……いずれ、現に戻って来られる貴方がたに、人の姿でお会いできぬことだけが心残り……。約束を違えること、許してほしいなどとは申しませぬ……」

 脇に置いた愛刀がドクリと脈打った。
 
「来たか……」

 ――今一度、堕ちよう……

 瞼の下から現れた眼が赤く染まった。全身に妖気が満ちていく。
 千年前の、あの夜のように。
 すらりと抜いた刀は持ち主の妖気を吸い、昏く光った。

「お館様……。この刃守雄緋、あなた様の為ならば……」

 ――命は元より……
 ――情も、名も、喜んで棄てましょうぞ……

 軽やかな足音が部屋の前で止まった。


「お兄様!いらっしゃいますか?」


 無邪気な妹の声が呼んだ。
 理由はわかっている。
 鞍馬から知らせが来たのだ。

 ――あの夜、もう少し早く、このことを知っていたら……

 穢れを抑え込めていただろうか。
 何事もなく過ぎていただろうか。
 彼らの到着まで待つことができていたら――、  きっと、彼らは止めてくれたはずだ……。

 それも、今となっては、過ぎ去ったことだが――。


「お兄様?」


 返事がないのを不思議に思ったのだろう。
 無遠慮に障子が開いた。


「お兄様?どうかなさったの?」


 何の疑いもない妹の若草色の瞳は無邪気に澄んでいる。
 もっと、この妹とも語り合えばよかったのかもしれない。

(全ては……)

 ――終わったことだ……。

 情を断ち切り、あの夜と同じように笑んだ。

「弥生……。今一度、逝こうではないか……。死して、玉響の向こうへ……」
「お兄……様……?」

 ゾッとしたように妹は後ずさった。

 妖気が屋敷だけでなく、里全てを覆った。