夜桜舞う里

28話



 月に照らされた夜桜が並ぶ道を弥生は飛び跳ねるように進んでいく。
 その上機嫌な様子に、はしゃいでいる詩織や若菜が重なり、一真は鼻の頭を掻いた。

「なんか、スゲエ嬉しそうなんスけど……」
「いらっしゃるのが、戒様と宮様ですからね……」

 弥生とは対照的に、紡はやや緊張した面持ちだ。

 夜更け頃に鞍馬から戒達が来るという。
 せっかくだから、社で待っていてはどうかという紡の提案を断る理由もなく、里の中を四人でぞろぞろと里の奥へと向かっている途中である。

「お二人は、弥生様と仲が良いんですか?」
 並んで歩く望がこそっと聞いた。
「仲が良いと言いますか……、憧れておられる方、でしょうか」
 紡ぎの目に畏怖が浮かんだ。
「私どもは霊筋と霊格を重んじます。鞍馬の宵闇は隠人でありながら霊獣に匹敵する霊格を有する方が数多くおられますが、戒様と宮様は別格です。我々を超える霊格を持ちながら、決して力に驕られることもなく、まさに高貴な方々で……。特に宮様は……」

「なあに?宮の姉様のお話?」

 耳ざとく聞きつけ、弥生は振り向いた。
「姉様は、とってもお綺麗で、お強い方です。この里の近くの土地が穢れてしまった時なんて、瞬く間に祓ってしまわれたんですよ。この里の誰も……、兄様でさえ手に余っておりましたのに……。戒様も、とっても強い水の気をお持ちで……。姉様と並んでいらっしゃると、お二人の霊気が重なって、その神聖なことといったら……!きっと、お兄様が仰る、私達の主様も、あのような方なのでしょう……!」
「あの一件以来、里長様もすっかり信頼されております。あの方々でしたら、きっと、良いように取り計らってくださることでしょう」
「へえ、凄いなあ。なんだか、お会いするのが楽しみになってきました」
 声音がいつもより明るい。本当に楽しみなのだろう。
「望殿と一真殿の霊格ならば、きっと鞍馬に招いて頂けるでしょう。修業は厳しいかもしれませんが、頑張ってください」
「鞍馬かあ……。なんだか、夢みたいです」
 弥生が少し頬を膨らませた。
「羨ましいです。私も、鞍馬に行って、お二人と一緒に各地を回ってみたいですもの」
「それはいけませんよ、弥生様。貴女には、この地の桜を守るお役目がおありでしょう?」
「わかっております。だから……、羨ましいのです……」
 若草色の瞳が寂しげに夜空を見上げた。
「私は……、桜が咲くこの時期に、お二人がお越しになるのを待つしかできないのですから……。桜の咲く頃に来てくださるって約束してくださっても……、毎年というわけにはいかないんですもの……。前にお会いしてから、もう三年が経ってしまいました……」
「仕方ありませんよ。戒様と宮様はお忙しい身……。各地の穢れや妖獣を鎮めるために日夜、飛び回っておられるのですから。本来であれば、お約束をすることすら難しい御身でいらっしゃるのですよ?」
「ええ……。わかっています。お二人の御力を必要とする仲間が各地にいるのですもの……。独り占めしてはいけないわ……。だから!」
 気を取り直したように、弥生は笑った。
「この里にいる間だけでも、楽しんで頂かなくちゃ。とびきり落ち着く香りと美味しいお茶をお願いしますね、紡殿」
「承知いたしました」

 夜の風に甘い桜の香りが漂った。

「さっきのお香と似た匂いしねェか?」
「そういえばそうですね……」
「おや、一真殿は随分と鋭い……。もしや、霊気の属性は木ですか?」
「一応」
「少々、意外ですね」
「へ?」
 霊獣にそう言われると少し不安になってくる。
「オレの霊気、何かおかしかったりするんスか?」
「あ、いえ、失礼」
 紡は咳ばらいをした。
「そういう意味ではございません。どちらかというと、望殿のほうが木属性のような雰囲気をお持ちなもので」
「あ〜〜、オレもそれ思うし。なんで、オレが木属性なんだろって……。火とかのほうが強そうだよな〜〜」
「そう仰らずに。薬師をやっている身としては、木属性の方が羨ましゅうございます。なにせ、草木のほうから語りかけてくれるのですから」
「あれ?紡さんは木じゃねェの?」
「私は火属性でして」
「そっちこそ、意外だって!木とか水ぽいのに……」
「ははは、よく言われます。この里は太狼の刃守家が統べておられる地……。刃守家は火属性の御家柄でして、その親戚筋の私も火属性なのですよ」
「え……?」

 ――太狼……?

 ドクリと何かが脈打った。

 トンッ

 魂の奥から溢れようとする流れを、肩への小さな衝撃が遮った。

(先輩……?)

 望は何食わない顔で小突いた手を引っ込めた。
 一真の異変を察し、先に手を打ってくれたのだろう。

「もしかして、紡さんと弥生様はご親戚ですか?」
「ええ。互いに兄妹のようなものでございます」

 少し照れた表情には、「兄妹」とは別の感情が浮かんでいるような気がした。





 屋敷の外で桜が夜風に揺れ、微かな霊気が風に乗って届く。
 近づいてくる懐かしい波動に男は天井を仰いだ。

「どうか……、お許しを……!」

 理性が宿る黄の瞳には天井ではなく、崩れゆく遠い故郷が映る。

 ――守れなかった……

 主より託された地を。民を。
 主が愛でていた桜を。
 主その人を……。

「何故、あの時、戦わなかったのか……!」

 何百、いや、何千回目かもしれない悔恨の言霊に顔を歪める。
 臆していたのではない。
 それが主の命令だった。
 いや、あの命令こそが、主が自分達へ下した罰だったのではないか。
 聡明だった主君は臣下が行ったことを知っていた。
 全てを知りながら咎めることもせず、独り、一門の罪を背負って戦場へ赴いて行った。

『やっと、禍根を絶つことができる……』

 出陣の日の晴れやかな笑みの裏に秘められた言霊を、何人の重臣が感じたのだろう。
 禍根を絶つ――、それは、自らの死を意味していたのではないか。

「我々は……、あなたの為に……」

 そのはずだった。
 誰一人、私欲で動いた者はいなかった。
 いや、だからこそ――、

「誰も罰さなかったのですか……?」

 問いかける主君は雨雲の向こうにいるように霞み、輪郭さえ記憶から潰えてしまった。
 長い時間、傍に仕えていたというのに、年月が行くほどに全てが霞み、魂の奥底に沈んでいく。

 このまま、この地に留まれば故郷の記憶すら消えてしまうのかもしれない。
 この異界の地に留まることを良しとするのかもしれない。

「そのような……こと……!」

 刃守家の当主として、刃守の者として、決して許されることではない。
 主の姿を見失うこと――、それは、自らの存在意義を喪うことだ。
 忠義を尽くせなくなった刃守の民に何の意味があろうか――?






 里の中は、どこもかしこも桜の花が咲き乱れ、白い花が月明かりに青白く光っている。
 奥の社から流れてくる厳かな音色も明るい笑い声と合わされば、陽気な曲に聴こえる。
 あちこちに灯った黄の光が提灯のように揺れ、めいめいに花見を楽しんでいる。

「……花見って、どこも一緒なんだな……」

 満開の桜の元で酒盛りをする集団、弁当や団子をつまむ集団。和歌らしいものを詠んでいる集団……、皆、楽しそうだ。
 こうして歩いていると、ここが鏡の中の亜空間だなどと忘れてしまいそうになる。
 こんなに長閑な里に妖獣が潜んでいるなどと――。

「あら?一真殿の村でもお花見をなさいますの?」
 横を歩いていた弥生が振り返った。
「え?ああ、一応……」
 マズイ事を言っただろうかと焦るが、望は特にフォローに入らない。問題ないということだろう。
「でもさ、ここの桜って、ちょっと違うよな。花の形とか……」

 霊染め桜とも少し違う。
 花弁がやや大きく、色も雪のように白い。
 なによりも、強い霊力をどの木も放っている。

「どれも桜とは思えねェくらい霊力持ってるし……」
「よく気づかれましたね、一真殿。さすがです」
 望と並んで前を歩いていた紡が振り返った。
「この里の桜は、太桜といって現に存在していない種類なのですよ」
「たいおう……?」
「私達の故郷に咲いていた桜だそうです。そして、私達がお仕えしていた御方が好きだった花――」
 誇らしげに弥生は桜を眺めた。
「私達には、その記憶はありませんけれど、お兄様は微かに覚えておいでなのです。いつか、故郷に帰る術を見つけ出して、再び、里の皆で主様にお仕えするんですって……」
「へ?どういう奴に仕えてたかとか、覚えてねェのに?」
「それが、刃守の者の道ですから……」

「……それで、本当にいいんですか?」

 立ち止り、望は弥生を振り向いた。

「望殿?どういうことです?」
「この里は、こんなに穏やかな気が満ちていて、皆が幸せそうなのに……。故郷へ戻って、覚えてもいない人に仕えなくても……」
「それもそうだよな……。自分の部下が幸せに生きてるからって怒るような奴なら、帰らないほうがいいだろうし……」
「そうかも……しれませんね……」
 弥生は笑った。
「ですが……、魂が望むのです。一刻も早く、あの方の元へ戻り、お守りせねば……。記憶がなくとも、共に在った時間までは消えませんから……」
「弥生様だけではありませんよ。この里の者は皆、想いは同じです。この祭りは、里の皆で想いを確かめ合うためのもの……」
 紡もまた桜を眺めた。

 その視線の向こうには桜ではなく、故郷の地が映っているのかもしれなかった。