夜桜舞う里

27話



「霊気が随分と安定されましたね」

 帰宅するなり様子を見に来た紡は、起きている望に安堵したような笑みを浮かべた。

「ご気分はいかがです?」
「ありがとうございます。おかげさまで、すっかり良くなりました」

 望はというと、いつもの調子でおっとりと笑っている。
 緊張感の欠片もない。

(……なんつーか……、やっぱ、先祖と子孫だよな……)

 向かい合って談笑していると、纏う空気がどこか似ている。
 客間の空気が和みまくっているのは、二人から放出される温和な霊気が原因だろう。
 望と宗則も孫と祖父だが、どうも事務的な空気がある。当代鎮守役主座と先代鎮守役主座となると、ほのぼのとしていられないのかもしれないが。

「しかし、驚きましたよ。隠人に、貴方がたほど霊格が高い方がいらっしゃるとは……。こうして座っていると、まるで里長様にお会いしているような気分になってまいります」
「ご冗談が上手いなあ。どれだけ霊格が高くても、所詮は隠人です。城田殿の霊気にはとても及びませんよ」
「私のことは紡で結構ですよ、望殿。奇しくも同じ姓、同じ狼の霊筋なのです。きっと、近しい縁にあるのでしょう」
「あはは、光栄です」

(……演技派だな、確かに……)

 望の笑顔は屈託がなくて、自分が彼の子孫だということを全く気取らせない。
 あの柔和な笑顔の裏で、何を考えているのかわかったものではないが。

「斎木殿も。遠慮なくお呼びください」
「え?あ、じゃ、じゃあ、オレも、一真でいいんで……」
 急に振られて慌てる。
「では、一真殿。お見受けしたところ、霊気から京の香りがいたします。もしや、一真殿は京のご出身では?」
「え?」

 先祖が京都出身らしいと聞いたが、霊気でそんなことまでわかるものだろうか。
 さすが霊獣である。

 望がすかさず助け舟を出した。

「彼は、小さい頃にこちらに逃げて来たらしくて、京のことはあまり知らないんですよ。近頃は京も物騒で……。人の心も荒んでいますから、正体がバレると何をされるか……」
 紡は痛ましそうに頷いた。
「現では不安事が起きると、その因を隠人に求める者が多いと聞いております。このような時世では、ご苦労も多かったでしょう?」
「僕達は運が良いほうです。里に辿り着けたんだもの。ねえ、一真君?」
「あ、ああ……」

 この場は望に任せておいたほうがいいだろう。
 一真には、平安末期くらいの京都の状況と言われても、全然、ピンと来ないのだから。

(ヤベェ……。マジで日本史必須じゃねェか……!)

 家に帰ったら、日本史の猛勉強をしなければならないだろう。古典も。
 音もなく障子が開き、侍女が膳をそれぞれの前に運び、下がっていった。
 時代劇に出てくるような黒い膳の上に菓子と茶が乗っている。

(……和菓子みてーだけど……。変な気はないから……食っても大丈夫だよな……)

 綺麗な紙が敷かれた皿の上に、柔らかそうな桜色の生菓子がちょこんと乗っている。
 添えられている茶は鮮やかな緑色で、どちらも仄かに霊気を漂わせている。
 毒入りや邪気が入っていると、その食物に邪念が残るのでわかる。
 現ならば全く問題はないが、ここは妖獣が統べる霊域である。もう少し注意した方がいいだろうか。

(やっぱ、フツーに美味そうだよな……)

 目を凝らしてみても、やはり変な気は感じない。

「いい香りですね。桜を模しているんですか?」
「ええ。里では今、桜祭りの最中でしてね。花を使った菓子が毎日のように届きます。お口に合えば宜しいのですが……」
「んじゃ、いただきます」

 少し躊躇した様子の望に代わり、一真は一口齧ってみた。
 何度視ても問題がないのだ。自分の眼を信じるのみだ。
 柔らかいふわふわの餅の甘さが口の中で広がった。

「う、うめえ!すっげえ美味いッス!」
「それはよかった。それにしても、良い食べっぷりですね」
 嬉しそうに紡は自分の菓子を口にした。
「なかなか、このような隠れ里に客人もいらっしゃいませんので……。せっかくの菓子を振舞う機会もないのですよ。我々のために作られた菓子故、人には霊気が強すぎましてね」
「自分が隠人だっていうことに感謝しなくちゃいけませんね。こんな綺麗なお菓子、初めて見ました」
 綺麗なことは間違いないが、こういった繊細な生菓子は老舗の和菓子屋に行けばあるかもしれない。
 望のリアクションを見る限り、この時代、こういう菓子はまだ庶民が口にしていないのだろう。
「人の世では、こういった菓子は珍しいかもしれませんね。我々と人の世は、似て非なるもの……。我らが持つ知識は人の世と無縁のところから来ておりますから」
「無縁?どういうことです?」
「伝え聞いたところによると、我々霊獣は時の彼方より流れ着いたもの。霊薬や菓子といったものは皆、故郷より共に流れてきたと聞いております」
「故郷って……」
 紡は少し寂しげに笑った。
「残念ながら、この地に降りた時に記憶より抜け落ちてしまいましてね。ただ、かつて我々がお仕えしていた御方がお好きだった花だからと、里長様は里中に桜を植えられたと聞いております。どれだけ離れようと、どれだけ時が過ぎようと、我らの忠誠は変わりませぬ。必ずや舞い戻り忠義を尽くす……、遠い時空の果てにおられる、お館様への誓いの花でもあるのだと……」

 茶を啜っていた一真は手を止めた。

(なんだ……?)

 緑の茶に映る自分と目が合った。
 心臓が大きく鼓動し、景色が遠ざかっていく。


『ここは危ない!早く……!』

 崩壊していく地で声を張り上げた。
 桜の花が暴風に吹かれ、雪のように視界を遮っていた。

 ――ああ……。ここはもう……


「一真君?一真君!」
「一真殿?どうかなさいましたか?」

「へ?」

 顔を上げると、望と紡が心配そうな顔でこちらを見つめていた。
「ぼーっとしてましたけど……。大丈夫?」
「ご気分が優れぬのですか?」
「な、なんでもねぇって!この茶、スゲエ霊気が濃縮されてんなあ〜〜って」
「おや、お目が高い」
 紡はかなり嬉しそうに自らの湯呑を手に取った。
「これも、故郷より持参した茶なのですが、現の霊気が混じることで良い味が出ましてね。苦みが強い故、霊薬として使われていたのですが、こうして飲むことを楽しめるように改良したのですよ」
「もしかして、紡さんが?」
「おわかりになりますか?」
「だって、お茶から紡さんとよく似た霊気を感じるもの」
「おお、望殿も鋭いですね。こう見えても里では薬師をさせて頂いておりますゆえ。この茶は鞍馬の霊山の方にもご好評を頂いておりましてね。毎年、この時期になると、祭りへ参列してくださいますので、お土産にご用意させて頂いているのですよ」

(鞍馬……?)

 チラリと窺うと、望は小さく頷いた。

「鞍馬っていうと、京の……、天狗の方ですか?」
「ええ。この里の霊筋の隠人が数名、あちらで天狗として詰めておりましてね。その縁で交流があるのですよ」
「実は僕達、霊山に蝕の相談をしたくて京を目指していたんです。でも、途中で道に迷ってしまって……。鞍馬の方にお目にかかれませんか?」

 心細げに望は青年を窺った。不憫なオーラが漂っている。

(こ、これか……!これが、夜頭が言ってた演技力か……!)

 横にいる一真でさえ、気の毒な気分になってくる。

「なんと……!」

 紡はというと、衝撃を受けたように目頭を押さえた。
 鎮守様の演技、恐るべしである。

「お二人とも隠人とは思えぬ霊格の高さだと思っておりましたが、そのような事情でしたか。幸い、今年はまだお越しになっておりませんが、近いうちにいらっしゃるはず……。お会いできないか取り次いでみましょう」
「ありがとうございます。その、鞍馬の天狗っていうと……、怖い方ですか?」
「お優しい方ばかりですよ。隠人として、人の世で辛い目に遭われた方も多いと聞いております。きっと、お二人の事情を知れば親身になってくださいます。おいでになるまで、この屋敷でお待ちになると宜しいでしょう。満開の頃にいらっしゃいますから、恐らく、三日のうちには……」
 廊下から軽い足音がした。

「失礼いたします、紡殿」

 障子が開き、亜麻色の髪の少女が姿を現した。

「まあ、お元気になられたのですね」
 ちょこんと座った少女は明るく話し始めた。あの霊染め桜の下にいた幽霊のような姿がどうにも結びつかない。
 簡単に挨拶を済ませ、弥生は弾んだ声で告げた。
「神楽の間に焚くお香を合わせて頂きたいと宮司殿が仰っています。あ、あと、お土産のご用意も!」
「では、今宵?」
 弥生は幼子のように頷いた。
「先ほど、お文が届きました。お兄様へはこれからお知らせに参ります」
「そうでしたか。今年はどなたがお越しに?」
 少女は顔をパアっと明るくした。

「戒様と宮の姉様です!」