夜桜舞う里

26話



「玉響から刃守の里へ、かあ……」

 大まかな現状を聞き終え、望はおっとりと呟いた。

「城田紡さんがご存命ということは、ここは、千年前の刃守の里ということでしょう……」

 霊獣は永い時間を生きるが、それは霊域での話だ。
 現に住みつくと器が穢れ、人間でいう「死」が訪れるのだという。
 城田紡が現に移り住んだというのならば、生きたとしても人間よりも多少長い程度の時間。千年後に生きているはずがない。

「あんまり驚かないんだな」
 リアクションの少なさに逆に戸惑う。
「驚いてますけど……。結界酔いしてる時に霊気みたいなのは感じてましたから……。なんとなく、そんな気がしてました……」
 ご神体が暴走を始める直前、望は夢の中で紡と戒に会ったのだという。
 まるで、全ての前触れのように……。
「ここに来る直前、玉響で聞いた声が妖獣のものなのは間違いないでしょう。鏡からっていうよりも、妖気そのものから意志が伝わってきてるみたいでしたから……」
「なんか、変なこと言ってたよな。『懐かしい』とか『あのお方』とか……。鏡面みてーなこと言ってんじゃねェよって」
「……鏡面は置いておきましょうよ……」
 望は嫌そうな顔をした。本当に苦手らしい。
「妖獣に覚えられてるような心当たりなんてないし、一真君もなさそうだから……人違いでしょうね……。ただ……」
「ただ?」
「紡さんは刃守の里出身みたいだし、鏡の封印を守ってきたから……。僕の霊気に紡さんを感じたっていうことはあるかもしれません。一真君は、ご先祖は京都出身だから関係ないでしょうし……」
「へ?京都?オレの先祖って京都から来たのか?」
「僕も詳しいことは知りませんけど……。一真君のご先祖は、京都で一、二を争う霊刀鍛冶師で、鞍馬の霊山御用達の名門だったそうですよ。こっちの霊刀鍛冶師が途絶えてしまったから、狼の霊筋繋がりで信濃の霊山が頼み込んで来てもらったって聞いてますけど……」
「マジ?」

 そういえば、信濃の霊山にも仕事場があって、天狗の弟子がいると祖父が言っていた。
 この間の出張も、実は信濃の仕事場で刀を鍛えていたらしい。
 信濃の霊山とやけに太いパイプがあると思っていたが、そんな事情があったとは。

「今でも、鞍馬から注文があるっていうし、大坂のほうの師匠がご健在らしいですよ。四年前の引っ越しだって、あちらから緊急の招集がかかったけど大量の注文を抱えてて動けない匠の代わりに、ご両親が家族を連れて大坂に行ったって聞いたけど……」
「え……?」

 初耳だ。
 大坂への引っ越しが、実は霊刀鍛冶師の仕事絡みだったとは聞いたが、そんな事情だったなんて。

「……なんつーか……、隠人ってホントに霊獣と関わって生きてんだな……。先祖ってだけでも、いまいち実感ねェのにさ……」
「普通はそうですね。壬生君なんて、お伽噺とか伝承って割り切ってるもの」
「そうだよなあ。てか、ホントに狼なのか?壬生先輩なんて、狼っていうより、狐とか鷹って感じするのにさ……」
「あはは、壬生君は頭脳派ですからね」
 望はカラカラと笑った。
「東京一帯の狼の霊筋の人は、ほぼ皆、ご先祖は霊獣ですよ。元々、刃守の里に住んでた霊獣が千年ほど前に里から出て現に住みついて……、その子孫のはずです。鎮守隊の皆だって、遡れば、ご先祖は同じ里の仲間です。鎮守隊のチームワークがやたらいいのは、そういう霊的な繋がりも影響してるそうですよ」
「前世の仲間ってヤツか?」
「う〜〜ん、ちょっと違うかな……。狼ぽく言えば、同じ群れの仲間っていうほうが近いかも……」
「へェ、じゃ、群れのリーダーが先輩になるわけだ」
「ヤダなあ。リーダーは刃守の里長様ですよ」
「そうなのか……?」
 隊員達の態度を見る限り、明らかに「リーダー」は望だと思うが。
「妖獣の話に戻りますけど……。あの感じだと、たぶん、鏡の中に吸い込まれたんでしょうね」
「じゃあ、ここって……、あの石の鏡の中ってことか……?」
「正確には、鏡の向こうに創りだされた霊域の中かなあ。どうして、その霊域に紡さん達がいて、普通にお屋敷があるのかはわかりませんけど……。鞍馬の霊山の天狗が造った霊域です。何か理由があるんでしょう……」
「でもさ、どうやってここから出るんだよ?妖獣が出られないようなとこに入っちまったって……」
「そうだなあ……」
 望は暫し、黙考した。
「封印は妖獣に対するものだから、僕達を留めているのは妖獣の力でしょう……」
「あ、そっか……」

 そうでもなければ、鏡の傍に近づくだけで吸い込まれてしまう。
 「封印」は霊力と知力が揃って初めて扱うことができる高等術だ。
 封を施したのが鞍馬の宵闇だとすれば、妖獣とはいえ、そう簡単に解くことができないはずだ。

「姿を現さないということは、何らかの意図があるのか、出てこられない理由があるんでしょう……。どちらにしても、対峙することになるでしょうけど……、話し合いで解決できることは、まずないでしょうね」
「妖獣と一戦するのは変わらねェってことか……。玉響より、ここのほうがやりやすそうだけどな。どっかに流されるってこともなさそうだし」
「その前に、一真君」
「どうしたんだよ、改まって……」
 琥珀の瞳がジッと見つめた。
「……今回の一件は、完全に鎮守役の守備範囲を超えています。霊域に入って調査するのと、妖獣を相手に戦うのとは危険度がまるで違います……。成り行きでここまで来ちゃったけれど……、この先は身の安全はないと思ってください。戦いを無理強いはしません」
「へ、冗談。ここまで来ちまったら、守備範囲なんて関係ねェよ。ぶちのめして帰るだけじゃねェか」
「そう言うと思いましたよ」
 望は苦笑した。
「妖獣が相手じゃ、僕もフォローできません。危険だと判断したら下がってください」
「先輩こそ、ヤバかったら下がれよ?アンタ、退くの苦手だろ?」
「それはお互い様でしょう?」
「まあな」
 なんだかおかしくなってひとしきり笑った。
 ずっと昔も、こんな会話をしたことがあるような気がした。
「それと、戦いになったら、霊域をできるだけ傷つけないようにしてください」
「霊力を抑えろってことか?」
 眉を潜めた。
 妖獣相手に力をセーブして勝てるとは思えないのだが。
「抑えるっていうか、あんまり術を外さないように、かな……。難しいけど……」
 望はそっと畳を撫でた。
「ここに来る前、壊すつもりで鏡を攻撃しちゃいましたから……。あんまりこの霊域を刺激しちゃうと、どこかにある出入り口が危ないと思うんですよね……」
「う……」
 思わず呻く。身に覚えがありすぎるだけに。
「……鏡が割れたら、どうなるんだ……?」
「…………出入り口がなくなっちゃうわけですから……。宵闇が見つけてくれるまで、ずーーーっと、霊域に定住、かな……?」
「ううげ……」
 それは嫌すぎる。
「そんなに気にしすぎなくてもいいですけど。変な揺らぎみたいなものがあったら、つつかないでくださいね。たぶん、そこが鏡の面……、出入り口です」
「お、おう……」
「あと、戦うけれど倒すのが目的じゃありませんから」
「え?でも、勝てなくちゃ意味ねェんじゃ……」
「それが理想だけど、妖獣相手に勝つことに拘るのは危険です。弱らせて、僕達がここから脱出するまでの時間を稼げたら十分ですよ。ここから出て、妖獣が回復するまでの間に鏡を破壊してしまえば……、これ以上の事態の悪化は避けられます。後は里と霊山に任せましょう」
「わかった」
 真剣に頷くと、望は障子の向こうを窺った。
「とりあえず、紡さんに会ってみないといけませんね。お礼も言いたいですし」
「あ〜〜、出かけてんじゃねェかな」
 診察を終えた紡は、用事があるからと出かけてしまった。
「すぐに戻るって言ってたけど……」
「……待ちましょうか……。一真君も、今のうちに体を休めて……」
 琥珀の瞳が、香炉の側面――、さきほど、一真が目を留めた紋を見つめた。
「この紋……」
「先輩も気になるのか?どっかで見たような気ィするんだけどさ」
「うちの社紋ですね」
「へ?」
「神社に、この紋が入ってるものがいっぱいあるでしょ?屯所にも。座布団とか、布団とか……。神社でお祓いした物は、この紋が描かれてるんじゃないかな……」

 言われてみれば、葉守神社のあちこちで見た気がする。
 つい最近だと、正殿の幕に描かれていた。

「城田家の紋がこれなんでしょうね……。葉守神社の社紋にそのまま使ったってことかな……」
 望は、「そういえば」と一真の手の甲を指した。
「霊紋のこと、何か言われませんでしたか?」
「別に……、何も言ってなかったと思うけど……」
 右手の甲では巻きつけられた包帯が少し乱れている。
 玉響の中では我ながら上出来だと思ったが、落ち着いた状況で見てみると、なかなかに不恰好だ。
「僕の紋も?」
「つーか、紋を見てなかったんじゃねェかな……。先輩の診察する時も、手袋触ったりしてなかったし……。最初にオレ達のことを、隠人とは思えないほど格が高いって言ってたくらいじゃねェかな……」
「そうですか……」
 少しガッカリした様子で望は手袋に覆われた自分の左手を眺めた。

(やっぱ、先輩も気にしてんだな……)

 一真達の手の甲にあるダンダラ模様のような霊紋。
 「高位の狼の霊筋」ということ以外、何もわからない紋だが、望の先祖の城田紡ならば何か知っているかもしれない。
 天狗ではない自分達が霊風を操れる理由も含めて。

「紡じゃなくて、あの霊染め桜で会った霊獣の子は、オレ達の霊気が高貴な霊筋とか言ってたけど……」
「あの子が?」
 さっきは城田紡が話に出てきたところで、望が質問を挟んだので、あの少女のことはあまり話していなかったのを思い出す。
「そういえば、名前も聞いたっけ。刃守弥生っていうんだってさ」
 琥珀の瞳が見開かれた。
「刃守……、弥生……?本当に、そう言ったの……?」
「え?ああ……」
 望は何度か口の中で呟き、何事か思案している。
 真剣な表情だ。何か引っかかることがあるのだろう。
「弥生さんは今、どこに……?」
「紡と一緒に出掛けたけど……。知ってんのか?」
「直接は知りませんけど……。彼女の霊筋は想像がつきますよ」
「……誰かの先祖とか?」
「ご先祖ではないと思うけど……」
 言いづらそうに望は視線を泳がせた。
「現在の刃守の里長様の名前は、刃守清山様っていうんですよね……」
「え……と?それって…………」

 その先を考えたくないような気がした。

 霊獣は霊域では永い時間を生きる。
 里長の姓と同じ。
 つまり、それが意味するのは……。

「里長様の……親戚かなあって……」
 望は疲れたように笑った。
 もはや笑うしかないのかもしれないが。
「……お嬢だったんだな……、あの子……」
「……お嬢様っていうよりは……、古風に言うと、里のお姫様かな……」
「姫様……?マジで……?」

 言葉遣いといい、物腰といい、随分と上品だ。
 庶民ではないような気がしていたが、霊獣の里の姫様だったとは。

(先輩の先祖に、里長の親戚って……)

 人間関係を整理するだけで頭が飽和状態だ。
 望は硬い表情になり、「もう一つ、気になることが……」と呟いた。

「まだ何かあるんスか?」
「さっき、夢の話をしたでしょ?」
「戒が、あの鏡を渡してる夢だよな?」

 望が見たものは、ただの夢ではなく、神社に染みついた記憶のようなものの可能性が高いのだという。
 そうだとすれば、戒はあの夢の出来事の後、つまり、鏡を紡に託した後に何かと戦い、そこで……。

「紡さんが弥生さんの名前を出してたんだけど……」
「へえ、何て?」
「弥生さんと一緒に、霊染め桜の成長を見守る、みたいなことを言っていたけれど……。肝心の弥生さんが、その場にいなかったんですよね……」
「それ、どういう……」

 屋敷の中が俄かに騒がしくなった。


「旦那様のお戻りだ。お出迎えの準備を」


 廊下を行く使用人達の声が障子越しに聞こえた。