夜桜舞う里

25話



「先輩!大丈夫かよ!?」

 上半身を起こし、望は笑った。
「ええ。もう何ともありません。ただの結界酔いですよ」
「それはわかってるけどよ……」
 紡の診察を思い出す。
「結界酔いってさ、先輩達が思ってるよりヤバいみてーなんだけど……。暫く安静にしてろって言ってたぜ?」
 望は苦笑を浮かべた。
「あはは、聞いちゃったんですね」
「聞いちゃったって……、知ってたのかよ?」
「ええ、まあ。隊員には内緒だけど補佐頭は知ってますから……。壬生君や関戸さんに監視されてるんですよ」
「そりゃそうだろーな……」
 軽く伸びをして、望は香炉を見た。
「それにしても驚いたなあ。白桜香焚いてるなんて……」
「知ってんのか?」

 少し驚く。
 鎮守役に関係することについては網羅しているとは感じていたが、まさか、霊獣の持ち物まで把握しているとは。

「霊薬の一種ですよ。刃守の隠れ里の桜の中でも樹齢三百年以上の木から作られるお香です。里の霊気をたっぷり含んでる木を、散ったばかりの桜の花で作った霊薬につけて、十年ほど月明かりに当てて造るそうです。月光の霊力を吸収すると、黒くなった木片に白い模様が出るから、白桜香っていうらしいです」
「は〜〜、なんかスゲエな……」
 製造方法も材料も、現ではありえない。
 だからこそ、霊薬というのだろうけれど。
「にして、先輩。よくそんなもん知ってたよな……」
「僕が主座になった時、里長様がお祝いに贈ってくださったんですよ。ちょうど、これくらいのサイズの貝殻に白桜香が詰まってて……。その時に伝令役から、いろいろとね。現衆でも少しだけ流通していますけど……」
「流通してるって……、もしかして、売ってんのか?」
「そんなに多くありませんけど」

 一真の横に座り、望は香炉を覗き込んだ。
 手で扇ぎ、目を閉じて香りを嗅ぐ。

(なんつーか、「和」って感じだな……)

 シャツにジーンズというラフな格好ではなく、彼が時々、神社でしているような袴姿だったら、さぞや絵になっているだろう。
 主座ともなれば、こういう雅な行動を自然にできないといけないのかもしれない。

(……オレは絶対、主座やれねェな……)

 なりたいとも思わないが。
 望は瞼を上げて、ふうっと息を吐いた。
 彼の周りだけ雅な空気が流れているように思うのは、気のせいだろうか。

「すごく香りが良いなあ。霊力も強いし……、最高級品ですね」
「そ、そうなのか?」

 やや気圧されながら、香炉と師匠を交互に眺める。
 桜のいい匂いがするとは思っていたが、最高級品とは。

(お香か……。そういや、詩織と光咲が集めてたっけか……)

 二人が使っているのは、こんな粉ではなく、線香のような細長いものや三角のスナック菓子みたいな形のものだったが。

「現衆でも売ってるって……、神社でも売ってんのか?」

 手が届く様な値段なら、妹と光咲に買って行こう。
 鎮守隊に参加してからというもの、詩織には家事を任せてしまっているし、光咲と若菜もよく家に来ては詩織を手伝ってくれている。
 さすがに申し訳ない気分になり始めていたところだ。

(若菜は……どうだろな……)

 光咲と詩織がお香を焚き始めると、「煙たい」と言っては窓を開けていたような気がする。

(あいつは鎮守隊絡みのもんのほうがいいかもしれねェが……、基準がよくわからねェんだよな……)

 夕方も講習を終えて家に来た若菜に、食べようとしていたメロンパンを奪われたのを思い出す。
 一真が袋を開けようとしているパンなど見向きもしていなかったはずだが、会議室で望用に買ってきたパンの残りだと言ったら、袋ごと奪って行った。
 よくわからないが、若菜は鎮守隊に関係のあるものを見ると何かのスイッチが入るらしい。
 鎮守役になりたいからなのかどうか、真相は謎である。

「実物は置いてないけど、申し込みは受け付けてますよ。社務所で鎮守印や隊員証を見せれば申し込めます。現衆は会員証ですけど」
「へー。例えば、これくらいのヤツだったら、いくらくらいするんだ?」
 気軽に尋ねたつもりだった。
 望は香炉の中の香を鑑定するように見つめた。
「そうだなあ……。こんなに質の良いものだったら……、この量で五億円くらいするんじゃないかな……」
「ご、五億ううううううううう!?」
「ええ。時価で五億です」
 聞き間違いではないらしい。
「ま、マジで?これが……?」
 とんでもない金額に香炉を凝視する。
 冴えない黒い香炉まで、とてつもなく高価なものに見えてくるから不思議だ。
(こ、これが……!五億の匂いだってのか……!?)
 鼻でくんくんと嗅ぐのが急に申し訳なくなり、望がしていたように手で煽ってみる。
 甘い桜の香りがふわりと漂った。
 先ほどよりも香りが上品に思えるのは、「五億円」というフィルターを通しているからだろうか。
「こんなバカ高いもん、神社で売ってんのか?」
「ここまで凄いのはありませんよ」
 パタパタと手を振り、望は笑った。
「現衆に流通しているものは質が悪いから、値段もリーズナブルです。そうだなあ……。だいたい、これくらいのサイズの貝殻一つで五百万円くらいじゃないかな……」
「それ、十分、高ェから!全っっ然!リーズナブルじゃねェし!!なんだよ、その狂った値段!買う奴いんのかよ!?」
「嫌だなあ、買う人がいるから流通しているんですよ。里に頼んで、捨てるような粗悪品を安値で分けてもらってるらしいけど……。ほしい人が多くて、三年待ちって言ってたかなあ」
「はああ!?捨てるもので五百万!?三年も待つのか!?」
 もはや、遠い世界の話である。
 望はカラカラと笑った。
「初めて聞いた時は、僕も同じこと思いましたよ。でも、材料費とか考えると、里で造られた霊薬で五百万円って、安いらしいですよ。材料自体が現では手に入らないもの」
「そうかもしれねェけど……」
 手袋が覆っていない指先がそっと香炉から放出される霊気に触れた。
「このお香から出る霊気は霊体を癒やして安定させるだけじゃなくて、穢れも祓ってくれるんです。取り扱いも簡単ですし」
「……でもよ、棄てるようなゴミで効果あんのか……?」
 三年も待って、五百万円も払って、効果がいまいちでは詐欺ではないだろうか。
「捨てるっていっても、里の基準では役に立たないっていうだけだもの。隠人にとっては、ちゃんと五百万円以上の力はありますよ」
「五百万円以上の力って……、どんな?」
「人間の日常的な悪意や土地に残る思念程度なら、祓って浄化してくれるし、肉体の病が霊体の穢れからきているものなら、一つ焚いている間に治ります。現では不治の病って言われてるようなものでも、一晩で治るそうですよ。香の霊力が届いた範囲は浄化されて、向こう十年ほど邪が寄り付かなくなりますし、香りを浴びた肉体は五年ほど若返るっていいますし」
「フツーにスゲエじゃん。霊獣って、そんなのでも棄てちまうのか?」
 浄化に、病気治癒に、若返りの効果まであるとは。
 そこまでいけば、五百万円でも安いかもしれない。
 かといって、一真の手が届くような金額ではないことは変わらないが。
「霊獣の霊体は隠人とは容量が違いますからね。隠人には十分でも、霊獣を癒やすには足りないんですよ。邪が寄りつかないっていっても、浅城町みたいに土地の霊気が強い場所だと効果も薄くなります。粗悪品だから、香りなんてほとんどしないし、霊気が薄いから効果が出るのも時間がかかるけど……、その分、扱いやすくて安全なんですよ」
「あ〜〜、なるほど……」
 霊気を使い慣れていない隠人が取り扱いを間違えても、大ごとになる可能性が低いということだ。
「そういや、先輩がもらったのって、やっぱ最高級品だったのか?」
 望はポリポリと頬を掻いた。
「……あの時って、西組の鎮守役が僕一人になったばかりだったから……、里長様が凄く気を遣ってくれたらしくて……。里でも滅多に造れないような幻の傑作品をくださったんですよね……。僕の霊格だったら霊獣が使うのと同じ質の物でも問題ないだろうって……」
「へ〜〜!スゲェ!使ったのか!?」
 「幻の」というからには、五億を超えているのだろう。
 霊獣の里長から、そんな超高級品をプレゼントされるとは。さすが最強の鎮守役である。
「……使おうとしたら、伝令役に叱られちゃったんですよ。『それが、どれだけ高価な物か、わかっているのか!?』って……。現での値段聞いたら、怖くなっちゃって使えなくなったなあ……」
「……それ、意味ねェじゃん……」
「あ、でも、貝殻を閉じてても桜のいい匂いがするから、疲れてる時に枕元に置いてますよ。漏れてくる香りをちょっと嗅ぐだけで、ぐっすりだもの」

(ご、五億円を超える香を枕元に置いて寝てるだと……!?金庫とかに入れとかなくていいのか!?)

 五億のお香でも部屋に置いておくのが怖いのに……。
 堂々と枕元に置いて眠れるあたり、この師匠は大物だ。

(にしても、あの紡って人……。太っ腹だよな……)

 そんな高価な代物を、見ず知らずの一真達に何の躊躇いもなく使うなんて。
 霊獣には現での価値など関係ないのかもしれないが。
 それよりも、一真は個人的に物凄く気になることがあった。

(く……、幻の傑作か……。いくらくらいするんだ……!き、気になるぜ……!)

 深い意味はない。
 お宝の鑑定番組が好きなのだ。昔から。
 妹、両親、祖父に至るまでが同じ趣向なので、家系的なものなのかもしれない。

(……幻ってことでプレミアムついてるから……、倍はするよな……。最高級品で五億だから……、十億?いってて二十億ってとこか……?)
 どちらにせよ、一生縁がないお宝だし、ほしいとも思わない。
 里長からもらったような物、売るわけにはいかないし、望のように扱いに困るのがオチだ。
 安眠グッズにできるほど図太くない一真には、仮にもらったとしても、何とかに小判そのものだ。

(き、聞いてみるか……?)

 今ならば、ノリで答えてくれるような気がする。
 いや、逆に、今しか聞けないだろう。
 三秒ほど悩んだ挙句、一真は好奇心に従った。

「ちなみに、先輩がもらったのって、どれくらいするんだ……?」
「えっと……」
 口に出しづらいのか、望はピッと人差し指を立てた。
「え?一億……?」
 フルフルとかぶりを振り、
「………………一千億らしいです……」
「いっせん……お………く……?」
 ボソッと呟かれた値段に、頭が完全にフリーズした。






「この霊気……、やはり似ている……」

 暗い天井に硬い声が吸い込まれた。
 月光が差し込む屋敷の一角で獣の眼が静かに開いた。