夜桜舞う里

24話 桜舞う里で



近くで気配が動いた。

「………もし………、大丈夫ですか?」

 細い声が呼びかけている。

(……どっかで聞いた声だな……)

 ぼんやりと一真は瞼を開けた。心配そうな若草色の瞳と視線がぶつかる。

「ああ、お気がつかれましたね」
「アンタ……」

 長い亜麻色の髪に愛らしい若草色の瞳。
 霊染め桜の下で出会った霊獣の少女だ。
 巫女のような服装は変わらないが、袴の色は緋ではなく浅葱色で、薄いピンクに桜の花が描かれた袿を羽織り、手には薄紫の包みを持っている。

「痛むところはありませんか?」
「ないけど……」

 身を起こすと、桜の木の根元だった。
 少し離れた所に大きな石の鳥居が立っている。
 空には満月が輝き、八分咲きの桜が少し冷たい春の風に揺れた。
(……玉響は……?)
 直前まで果てしない夜空が続く時空の狭間にいたはずだ。
 しかし、一真は地面に座っているし、手に持っていた木刀はすぐ傍に転がっている。
 妖気に呑み込まれたところまでは覚えているが、その後の記憶はない。

(いったい、どうなってんだ……?)

 夢でも見ているような気分だった。
 霊域にいた少女がいるということは、ここは霊域なのだろうか。
 それにしては、何かがおかしい。
 まず、少女の様子が違いすぎる。
 霊域で出会った時は幽霊のようだったのに……、目の前にいる少女の瞳には強い意志が宿っている。
 少女は顔を明るくして少し離れた所に呼びかけた。

「紡殿!こちらの方は大丈夫です」
「…………つむぎ……?」

 どこかで聞いた名だ。

(ああ、そっか……)

 葉守神社の初代宮司だ。
 初めてその名を聞かされたのは、この少女からだった。

 少女が声をかけた先で、茶色い髪の物静かな雰囲気の青年が微笑んだ。
 こちらも袴姿だ。

「それはよかった……。こちらの方は少し休ませなければ……」
「あ……!」
 一真は思わず声を上げた。
 青年に抱き起されている人物に慌てて立ち上がる。
 少女が目を丸くした。
「まだ立ち上がっては……」
「オレはなんともねェ。そっちは……」
 少しふらつくのを少女が支える。
 気絶しているらしい望を覗き込み、一真は続く言葉を呑み込んだ。
「ご安心を。大事はございませぬゆえ」
 紡はおっとりと笑った。雰囲気のようなものが、どこか宗則に似ていた。
「お怪我はないようなのですが、どうにもお顔の色が優れないようで……」
「真っ青な上に凄い汗……。何か、酷い目に遭われたのでは……?」
 青年は一真を見上げた。
「このまま放っておくわけにもまいりません。私の屋敷が近くにあります。そちらで休ませましょう……」
「それがよろしいわ。紡殿は里でも指折りの薬師でいらっしゃるのです。貴方もお疲れのご様子……。少し、休まれたほうが……」
「え?いや、そこまでしてもらうのは……」

 一真は当たり障りのない「断る理由」を必死に探した。
 いきなり現れた霊域の少女と、城田紡。どう考えても、何かありそうだ。
 この二人が妖獣の仲間だという可能性が全くないわけではない。
 力に物を言わせて振り切るという手もあるが、相手は霊獣だ。刺激しないほうがいいだろう。
 できるだけ関わり合いにならずに、望を引き取って、この場を離れるのが恐らく最善の策だ。

「マジで大丈夫ですんで……」
 しかし、二人は余計に心配そうな顔をした。
「まあ、宜しいのですよ?遠慮なさらないで」
「見たところ、随分と衰弱しておられる……。ただ事ではありません」
 紡は一真をしげしげと眺めた。
「お二人とも、隠人とは思えぬ格の高さ……。もしや、人間に現を追われたのでは……?近頃、人の世では多いと聞いております。我らの力を強く宿すが故に親兄弟からも疎まれ、人里に住めぬようになると……。この方の弱りよう……。きっと、よほど怖い思いをされたのでしょう……」
「そんなに高貴な霊気をお持ちでは、人々から畏れられるのも無理からぬことです……。この里では、貴方がたのような霊筋の方は敬われることはあっても、追われることはありません。ご安心なさって……」
「いや……、その……」

 どうやら、一真達のことを「人間に追われて逃げてきた隠人」だと思っているらしい。
 現代は現衆という組織ができ、隠人も人に溶け込んで暮らしている。一般人に大っぴらにはできないとはいえ、隠人が覚醒しても以前と変わらない生活ができるようになっている。
 しかし、昔は覚醒すれば妖と呼ばれ、人々からは災難をもたらす者として恐れられたらしい。
 強い力を持つが故に人里を追われ、命からがら山奥に逃げ込んだ隠人を見かねた大天狗が保護したのが霊山の始まりだという説もあるくらいだ。
 この二人が間違うのもわかるような気がするが。

(どーすりゃいいんだ、オレは!?)

 善意百パーセントで同情してくれる二人に、一真はどう答えたものか、真剣に悩んだ。
 本気で涙ぐんでいるところを断わりにくいのもあるが、頭が痛いのは、もう一つ。

(あれって……、結界酔いだよな…………?)

 望は第五会議室の時のように蒼い顔で息を切らしている。
 元々が青白くて細いので、結界酔いを起こしていると精神的にも肉体的にもヤバく見え、「怖い目に遭って衰弱している」と言われても違和感が欠片もないのだ……。





 仄かに甘い香りが鼻腔をくすぐる。
 奥まった一室に通された一真は、興味深げに室内を見回した。

(……思ったよりフツーだよな……)

 断わり切れずに招待されたのは、鳥居のすぐ内側に立つ屋敷だった。
 障子で仕切られた室内は綺麗に片付けられて畳が敷かれ、やや背の低い箪笥が並ぶ。
 現代の家に比べると古風で、源平合戦あたりを扱った時代劇にちょくちょく登場する貴族の邸宅のような趣だ。

(霊獣って、もっと、ぶっ飛んだとこに住んでると思ってたぜ……)

 山奥の茂みの中とか、洞穴の中とか、巨大な木の上とか。
 こんな、人間が住んでいるのと変わらない屋敷に住んでいるとは。
 姿だけでなく、生活様式も似ているのかもしれない。

(……どうすっかな……。つっても、先輩がこの調子じゃあな……)

 横に敷かれた布団では望が寝息を立てている。
 屋敷に着いた時は青ざめて苦しそうにしていたが、すっかり顔色も良くなり、霊気も安定している。
 診察した紡によると、霊体が著しく消耗しているらしい。
 爆発的に霊力を使った後に霊体に衝撃を受けると起きる現象で、暫くは安静に……、ということだった。

(爆発的に霊力使ったっていえば、あの時だろーけど……)

 玉響で一瞬、金縛りを破った赤い光――、妖気に紛れていたが、間違いなく望の霊気だった。反対側で何らかの術を放ったのだろう。
 どちらにせよ、望が目を覚まさない限り動きようがない。
 一真には、自分がいる場所がいったいどこで、自分達の身に何が起きているのか――、さっぱりわからないのだから。

(城田紡か……)

 診察を終えた青年は、自らを城田紡と名乗った。
 城田家の先祖のはずだが、彼は望を見ても何も反応しなかった。
 そして、あの霊染め桜の元で出会った少女――、

「ん……?」

 部屋の隅のほうで甘い香りが立つ香炉に目を留める。
 小さな急須のようなサイズの黒い火鉢に黒い網が被せられていて、その中でアサリくらいの大きさの貝殻に詰められた黒い粉がくすぶっている。
 霊体の疲労を和らげる香だといって、紡が焚いていった。
 危険なものではないかと警戒していたが、香炉からは煙ではなく澄んだ木の霊気が立ち上り、焚き始めてからというもの、熟睡した後のように疲労が消え、霊力が回復し始めた。
 香そのものは悪い香りではないし、害があるものではないようだ。
 ぼんやりと一真は香炉の一点を見つめた。

(この紋……、どっかで……)

 斜めの葉を炎の円が囲んだ紋は記号のようにも見える。
 紋を軽く撫でた。

(どこだ……?どっかで見たぞ、これ……)

 それも、わりと最近だ。
 時折、襲ってくる妙な既視感ではなく――。
 ドクリと鼓動が跳ねた。

(違う……。ずっと前にも……)

 これと似た紋が赤く輝いていた。
 炎が囲んでいるのは、葉ではなくて……。
 あれは確か――。

「……白桜香……?」

 背後からの声に我に返る。
 もぞもぞと起き上がる気配がした。