夜桜舞う里

19話



 強まった霊圧に天井が吹き飛んだ。
 頭上に結界の赤が広がり、駆け回っていた赤い塊が次々に頭上へと飛び出しては結界に激突してべしゃりと四散する。
 崩壊間際の正殿には目もくれず、一真達は神座の上の箱を注視していた。

「……ヤバすぎだよな……?」
 無言で頷く望のこめかみを一筋の汗が伝った。
 蝶結びの真ん中あたりで紐の半分ほどが切れ、箱が先ほどよりも開いている。
 残りが切れるのも時間の問題だろう。
「里からの術者は……、間に合いませんね……」

 遠い目で呟く師匠に大きく頷く。

 あの様子では、あと十分もつかどうかも怪しい。里からの術者はまず間に合わないだろう。
 この結界に入ってこようとするならば、まずは別の結界を外側に張るはずだ。
 望ならば、自分の結界の外側に別の結界が出現すれば気づくはず。
 望の様子を見る限り、宵闇が駆けつけてくることもないようだ。

「……一真君の作戦でいくしかありません……。空輪を定める直前で霊気を止めるから、一真君は僕の霊気の軌跡に沿って霊気を重ねて……」
 望は笑った。
「やっぱり難しいなあ。思いつきで言ったでしょ?できるかどうかとか考えないで」
「もうちょい簡単だと思ったんだけどな……」

 ただ霊気を重ねるだけではない。
 霊気を補強した状態で結界を張るのだ。
 一真の霊気は箱の中の化け物の霊気とも相生関係にある。
 望の霊気だけを補強するには、神座の手前で空輪を定める前に霊気同士を重ねなければならない。
 それには、同じ軌跡で霊気を放たなくてはならないし、放つ霊力も同程度でなければならない。

「仕方ないなあ。失敗したら、玉響を漂流しましょうか……」
 吹っ切れたような顔で望は派手に開いた天井を見上げた。
「漂流って……」
「そのままの意味です。時空の間を流されるんですよ。里の術者か宵闇が見つけてくれるまで……」
 一真も頭上を見上げた。
 玉響がどういう場所なのか――、よく知らない。
 だが……。
「いいんじゃねェか?先輩がちょっとくらいサボったって文句言うヤツいねェだろーし。オレはちょっと後ろめたいけどさ」
「あんまり長い間サボっちゃうと、壬生君や関戸さんが困るんだけどなあ……」
「そこは大丈夫なんじゃね?誠次おじさんが来てくれたし……」
「北嶺守役が倒れたら、光咲さんや若菜さんに怒られますよ?」
「う……」
 詰まると、望がケラケラと笑った。
「冗談ですよ。北嶺守役の後ろには南組がついてますから。あんまりうちに鎮守役を回すと、あちらが大変なことになっちゃうんですけどね……」
 神座の一部が崩れ、木片が上に巻き上げられていった。
「練習する時間もなさそうですね」
 望は刀を抜いた。
 赤く光る刀身を神座の箱ではなく床に向けて構え――、突いた。

 ガッ

 ガッ

 ガッ

 赤い閃光が銃弾のように畳を貫く。
 神座までの間に三つ、間隔を空けて畳が削れた。

「あの傷と神座を目印に霊気を放ちます。タイミングに注意してください」
 望の全身から霊気が立ち上った。
 真っ直ぐに突き出された手に赤い光が集結する。
「……いきます」
「ああ」
 同じように霊気を集中させた手を構える。
 先ほどよりも強まった赤に防壁がビシビシと音を立てている。
 既視感が襲った。

(前にも、こんなこと……なかったか……?)

 この場所でない、どこかで。
 この時代ではない、いつかに。
 こうして二人で何かを抑えようとしたことがあった気がする――。

 黒い手袋に覆われた手の平から赤い霊気が放たれた。

(今……!)

 赤い軌跡を追い、自らの霊気を放つ。
 赤と碧、二つの霊気が重なった。

 キイイイイイイイーー……、

 木の霊気を吸収し、火の霊気が勢いを増した。深紅の光が霊圧の中を突き進む。
 箱を幾重にも取り囲んだ赤い光が布のように伸び、球体を形作っていく。
 零れ落ちた赤がぐしゃりと潰れた。

(いける……!)

 防壁を叩く霊圧が弱まっていく。
 箱の周りを完全な球体が覆った。

「やった……」

 同時に呟いた二人の耳に、小さな音が届いた。
 何かが千切れるブチリという音が――。

(なんだ、今の……)

 目を凝らしても望の霊気と箱からの霊気がぶつかり合い、中の様子がよく視えない。
 隠人の眼は霊的な存在を捉えるが、霊的な力が入り乱れた状況では限界がある。
 人間の目が不透明な入れ物の中身を透視できないのと似ている。

 望の目に緊張が走った。

「今すぐ霊気を遮断して!」

「え?んなことしたら……」
 結界はまだ安定していない。
 ここで一真が霊気を遮断すれば、中から押し返されるかもしれない。
 しかし、望はそんなことを忘れているかのように急かした。
「早く!」
「あ、ああ」
 師匠の鬼気迫る表情に疑問を一旦引っ込めて霊気を遮断する。
 望もまた霊気を遮断し、
「防壁を造ります!一真君は僕の壁に内側から重ねて!補強してください!」
「防壁?そこにあるのに……」
 すでに目の前に築かれている防壁を指すが、望は二人の前に二メートルほどの高さのスクリーンのような防壁を作り出した。

(え……?)

 赤く光る壁に目を見張る。
 ただ防壁を造っただけでなく、望は更に壁に霊力を送って強化していく。
 望が造る壁は強い破邪を宿している。弱い邪霊程度ならばぶつかるだけで滅されてしまうほどなのだ。
 それを、ここまで強化するなんて――。

「先輩!?いったい何作ってんだよ!?」
「急いで!一真君もありったけの霊力を防壁に回してください!」

 望は霊符を放った。

“十二天が一、太常!”

 一真と望の間に浮かんだ霊符が光り、オレンジに輝く球状の陣が周りの空間ごと包み込む。
 防御陣を術者の周囲に張り巡らせる守りの霊符だ。ほとんどが勾陣で事足りてしまう為、実際に使う機会はほぼないと聞いている。
 それを使ったということは……。
 プラスチックにヒビが入るような音がした。

 ――ヤバい!

 頭の中で警鐘が鳴った。
 球体に変化はない。
 だが、あの中で確実に何かが起きている。
 慌てて防壁に自らの霊力を注ぐ。
 火に薪をくべるように、木属性の霊力を得た火の壁が更にその強度を増す。

「これでいいのか!?」

 横を振り向き、言葉を失う。
 望は射るような目で神座を睨んでいた。

「何が起こってるか、先輩は視えて……」
「足を踏ん張って!全霊力を回して防壁の維持に専念してください!来ますよ!」
 「何が?」と問う必要はなかった。

 オオオオオオオッ

 獣の咆哮のような音――、感覚が捉えることができたのはそれだけだった。