夜桜舞う里

18話



 赤い塊がぶつかる度に天井が嫌な音を立てる。
 一つの塊が半開きの扉にぶつかった。

(ヤベっ)

 木刀を構え振り向く。前方は防壁があるが、背後は幕しかない。
 後ろからぶつかってこられたらマズイ。
 けたたましい音と共に固定されていた扉が全開になる。飛び出した赤い塊は外の赤く揺らめく光にぶつかり、砕け散った。

(なんか、邪霊を倒した時と似てるな……)

 塊が再生する様子はない。放っておいても危険はないだろう。
 前を向き、黒板を二枚並べたような大きさの防壁の向こうを睨む。

「しっかし、スゲエよな。妖獣って……どんなのが封印されてんだよ……」

 望によると、祀られているご神体は刃守の里を襲った妖獣を封じた鏡で、初代宮司が霊山から預かったものという曰くつきの代物らしい。
 その初代神主の名が城田紡――、霊獣の少女が呼んだ名だ。
 そして、紡に鏡を預けた人物は、恐らく戒――。

「僕も詳しいことは……。ただ……」
 防壁を十干の霊符で補強し、望はブルーな目をした。
「うちの神社ができたのは千年くらい前……。ちょうど、刃守の里が浅城町から移った頃と同じくらいの時期なんですよね……。隠れ里はそんな頻繁に移転したりしませんし……、その頃に、里を襲った妖獣を封じた鏡を受け取ったっていうことは……」
「おいおいおいおいおいっ!?」
 恐ろしすぎる推測に焦る。
「それって……、まさか、里が移転しなきゃいけない原因作った妖獣が、あの中に封印されてるってことか!?」
「……やっぱり、そう思う……?」
「逆に、そいつじゃなかったら、他の何が封印されてるんだよ……」
「……普通に考えると……そうなるよねえ……」
 気軽な口調だが、望の顔は引きつっている。
 ただ単に里を襲っただけの妖獣と、里が移転しなければならない原因を作った妖獣では、その凶暴度は段違いだ。
 後者だった場合、霊獣ですら歯が立たないような化け物が封じられていることになる。
「伝令役の指示だけど……、あれだけを結界で隔離するのは不可能です。破壊するしか方法は残ってないけど……厳しいなあ」
「結界が不可能って……、先輩が挑戦済みなんだよな、やっぱ……」
「歯が立ちませんでしたよ。空輪を定めようとしたら弾かれちゃいましたし」
「マジかよ……」
 望の結界は西組の補佐が全員でかかっても破壊することはできないと優音が言っていた。
結界を形作る霊気の質が違うのだと。
その望でも歯が立たないなんて――。
「鏡を壊すしかねェってことか?」
「近づけたら、ですけどね……」

 防壁と幕のおかげで暢気に話していられるが、正殿の中は悲惨なことになっている。
 増え続ける赤い塊は既に三十を超えているし、塊がぶつかっていなくても装飾用の布が破れ、布きれとなって宙を舞っている。それだけの霊圧が正殿内にかかっているということだ。

 防壁の外へ飛び出すのは自殺行為だろう。
 箱の暴れようを見る限り、鏡は小さく、箱の中を動き回っているようだ。
 あの箱からも何らかの抵抗はあるだろうし、霊圧の中、ぶつかってくる赤い塊をかわしながら鏡を正確に突かなければならない。

「……無理じゃね?」
「僕もそう思います……」
「っていうか、これ、人間がどうこうできる話じゃねェって思うんだけど……」
「鞍馬の宵闇が絡んでるような話ですからね……。伝令役は他に何か言っていませんでしたか?」
「里から応援が来るから、それまで持ちこたえてくれって言ってたけど……」
「霊山のことは?宵闇が来てくれるなんてことは……」
「何も言ってなかったと思うけど……。里だと不安なのか?」
「そうじゃありませんけど……」
 言いつつも、望は見るからにガッカリしている。

(里よりも霊山のほうが力あるってことか……?)

 里に住んでいるのは霊獣のはずだ。応援に来るのも、当然のごとく霊獣だろう。
 対して、霊山の天狗は隠人出身のはず。宵闇といっても、元は隠人。
 霊獣と隠人だったら、霊獣のほうが強いような気がするのだが――。

「ただ、宵闇が出てきてくれたら、いろいろ聞けたのにって思ったんですよ……。戒さんのことや宮さんのことも……。向こうから来てくれないと、会えませんからね」
「天狗って、そんなに会えないもんなのか?先輩でも?」
「宵闇は特殊なんです。あちこち飛び回ってて、霊山に訪ねて行ってもほとんどいません。たまにいたとしても、療養中で面会謝絶だし……。あっちも人数が少ないのに、守備範囲は僕達よりも広いんですよね……」
 ビキリと防壁の端が割れた。細かな傷が黄の壁のあちこちに入っている。
「このまま籠城して里からの応援を待つしかないかあ……。たぶん、二、三時間はかかりますよ」
「けっこうかかるんだな……」
「里は厳重に出入り口が閉ざされてますからね。そういう意味でも、宵闇が来てくれると嬉しいんだけど……」
 望は霊符を取り出した。
 指先で符が赤く光る。
「あれ?その符……」
「十干の霊符だけど……。一真君、まだ使い方とか知らなかったっけ?」
「そうじゃなくて、」
 一真は防壁を形作っている勾陣の霊符と補強している十干の霊符を指した。
 どの霊符も土属性を示す黄の光を放っている。
「それ、火の斗の霊符だろ?補強するんだったら土の斗じゃねェの?」
「正攻法ではそうですね。応用編では、こういう使い方もあるんですよ」
 二枚の赤い符が防壁の中核を成す勾陣の符の左右でピタリと静止する。
(え……?)
 一真は目を見張った。
 両サイドの火の斗の霊気が流れ込み、勾陣の霊符が力強く光った。
 防壁の傷がみるみるうちに塞がり、割れていた橋の部分が修復していく。
「五行相生ですよ。火から土が生じる……。沖野君から習ったでしょう?」
「習ったけど……」
「戦いは相克関係を中心に考えがちですけど、実は相生関係もかなり重要です。勾陣は土属性だから、相生の関係の火属性の十干で補強すれば力を増すことができます。瞬発的なパワーアップしかできないから、持久戦には向かないし、他の符とのバランスを間違えると十二天将の符を無力化してしまうから、あんまり多用できませんけれど……」
 望は箱を指差した。
「あの箱と紐、水の霊気を帯びているでしょう?五行相克では水は火に打ち克ちます。中に封じられているのが火属性だから、特に威力を発揮してるんです。逆に、この防壁は相生関係を利用してるんですよ」
「相生?そういや、火の霊圧の壁なのに、水の霊符じゃねェよな……」
 防壁の内側には水幕が張られているが、霊圧を受け続けているのは土属性の勾陣の符が作り出す防壁だ。
 霊気の塊が防壁にぶつかり、勾陣が僅かに光を強める。
「そっか!周りが火の気だから、土属性のほうが補強できるってことか!」
「ええ。霊圧が強いから壁もダメージを受けてますけど、火の気からいくらか霊気を補充してるんですよ。相克関係の金属性の霊符だと、手から離れた時点で符がボロボロになるでしょうね」
「はあ〜、霊符って奥が深いんだな……」
 すっかり感心して一真は宙に静止している短冊ほどの符を眺めた。
「霊符だけじゃありませんよ。戦いでは常に自分の霊気と相手の霊気の属性を考えてください。どれだけ自分より格が低い相手でも、相克の属性を持っていたら用心しないと何が起きるかわかりません……。相生の関係も同じです」
「じゃあ、オレは……」
 さっそく自分の属性を考えてみる。
 木属性の一真は相克では土に打ち克つ関係で、相生では火が生じる関係で――。
「げ〜〜!オレ、全然ダメじゃん!」
 土属性の勾陣は一真の霊気で弱るし、正殿内で荒れている火属性は一真の霊気で勢いを増してしまう。
 軽くこの場にいる存在意義を見失いそうだ。
「そんなに落ち込まなくても……。一真君には風があるじゃないですか。それに、持久戦の場合は人数が多いほうが断然有利だし……!」
 フォローが妙に心に染みた。
「頑張るッス……」

 いくら霊風でも、この霊圧を押し返せるはずがない。
 一真がここでできることは、霊符に霊気を込めることくらいだ。
 凹んでいると、望が防壁に手を翳した。
 補強された火の斗の符が少し弱まり、勢い良く光っていた勾陣の黄が薄まる。
 防壁の修復が済んだので、火の斗の霊符を弱めたのだろう。
 勾陣の霊符は一真も数枚持っているし、望も持っているはずだ。
 霊符切れが起こることはないだろうが、いつ応援が来るのかわからない。
 持久戦を覚悟して一枚でも温存するつもりなのだろう。

(十干の符で役に立ちそうなのは火の斗と水の斗、あと土の斗か……。切らしてたのはねェはずだよな……)

 初巡察に出る時に束でもらっているし、今日の巡察の前にも補充したはずだ。
 この件が終われば、かなりの数を補充しなければならないだろうけれど。
 この調子だと、木の斗と金の斗が余ってしまいそうだ。
 いや、金は水を生じる関係だったはずだから、金の斗も使うだろうか。

(まてよ……?)

 自分の霊気の属性を考えてみる。
 やれるかもしれない。
「先輩!」
 弾んだ声に、防壁の調整をしていた望が目を丸くした。
「どうしたの?なんだか明るいけど……」
「もう一回、結界張らねェか!?」
「結界を?」
 望は少し怪訝な顔をしたが頷いた。
「確かに、このまま応援を待っていても不利になるだけですね。霊力に余裕があるうちにやってみたほうがいいかあ……」
「そうじゃなくて!」
 一真は右手の紋を見せた。
「一緒に結界張ればいいんじゃねェか!?先輩の霊気にオレが霊気重ねたら相乗効果があるってことだろ!?」
「相乗効果?」
 望は目を見開いた。
「あ……!そうか……!」

 木属性は五行相生では、火を生じる――。
 それは、一真の霊気が火属性の望の霊気を補強できることを意味している。
 一真が同時に結界を張って補強すれば、一時的にでも望の結界は力を増すはず――。

「でも、その方法だと……」

 防壁の向こうで何かが千切れるような音がした。