夜桜舞う里

17話



 和風な建物の中を赤い中型犬ほどの大きさの塊が駆け回り、そのたびに焦げ臭いにおいがあちこちから漂う。
 音を立てて揺れていた紋章が入った幕が吹き飛ばされ、足元まで飛ばされてくる。丸い火のような円に斜めに入った大きな尖った葉の紋がチカリと光り、ただの布に変わった。
 目の前の惨状のわりに平然と構えていられるのは、すぐ横に浮かぶ霊符が造る防壁と、望が作った防幕のおかげだろう。

 一真は畳に転がった姿勢のまま暫し考え、
「……正殿の中か?」
「正解です」
 早くも疲労の色を滲ませた望は、はあ、とため息を吐いた。
「驚いたなあ。発動中の結界に滑り込んでくるんだもの……。一真君は本当に予想できないや……」
「だって、結界の空輪が定まってなかったからさ……。定まっちまったらアウトだけど、まだいけるかなって……」
 鼻先に霊力を集中させながら身を起こす。
 覚醒して体が頑丈になろうとも、この手の傷はやはり痛い。
「……飛び込んでくる少し前に定まってたんだけど……」
「げ、マジで!?」

 結界を張る時、まず、隔離する空間の範囲を霊気で定めてから隔離を始める。
 この隔離する空間範囲を「空輪」と呼び、空輪が定まり結界が発動してしまうと、外から入るのが難しいばかりか、術者が閉ざしている場合、こじ開けるしかない。
 尚、空間の隔離中は危険で、運が良ければ弾かれるだけだが、最悪の場合、巻き込まれて時空の狭間(玉響)の中に放り出されてしまうらしい。

「上手く結界に入り込めたからよかったですけど……。あと少し遅かったら、玉響の中で迷子ですよ?あそこで遭難しちゃったら、宵闇でも捜索するの大変なんですから……」
「んなこと言ったって……」

 拝殿を出たところで正殿を包もうとする望の霊気を感じたものの、霊圧で前に進める状態ではなかった。
 伝令役から聞いていた防御陣はどこにもなく、困っていると正殿から水の気が伸び、蒼い光の道を作った。
 直感で蒼い光に飛び込んで走り出したら、急に加速を始め――、畳で鼻を擦っていたのだ。

「蒼い道みてェなもんに入って走ってて、気が付いたら結界発動中の正殿に放り込まれてたんだぜ?オレの意志、関係ねェって……」
「蒼……?」
 呆れているだろうかと思って望を窺うと、顔からいつもの笑みが消えていた。
(げ。めちゃくちゃ怒ってる……!?)
 普段、多少のことがあっても怒らないだけに焦る。原因が自分にあるだけに。
「そりゃ、突っ込んできたのは悪かったけどさ……。あの蒼いのに入ったら強制的に正殿に入っちまうなんて知らなかったんだし……。今回はさ、ほら、不可抗力ってヤツじゃねェかな〜〜って……」
 慌てて言い繕うが、望は全く聞いていないように考え込んでいる。
 別の不安が過った。
「……大丈夫か?もしかして、あんま寝れなかったとか……?」
「誰かに会いませんでしたか?」
「へ?」
 望は一真の前にしゃがんだ。
 目がいつになく真剣だ。
「拝殿から出た時、誰かに会ったり、声が聞こえたり……、しませんでしたか?」
「拝殿から出た後……?」
 あったものといえば、水の気が造った蒼い帯だけだ。
 人に会うこともなかったし、誰かの声も聴こえなかった。
「誰もいなかったけど……」
「そうですか……」
 何事か考え込みながら望は立ち上がった。一真も慌てて立ち上がる。
「先輩の時は誰かいたのか?」
「……いたと……、思うんですけど……」
 望にしては曖昧な答えに違和感を覚える。
「誰が?」
 少し躊躇いながら、望はその名を口にした。
「たぶん……、『戒』さんが……」



 荒れ狂っていた火の気が消え、限界を迎えつつあった拝殿がミシミシと音を立てた。
 望が貼って行った霊符が無数の亀裂を僅かに修復していく。
 何が起きたのかと息を詰めて見守る補佐達の中、元鎮守役と南組の鎮守役だけが正殿で起きただろうことを理解していた。

「伝令役……」
「うむ……」
 互いの硬い表情に同じことを考えていることを知る。
 夜頭の剛士が二人を窺った。
「霊気が収まったんなら、俺達も行くべきじゃねえですか!?組長と斎木の霊気が感じられねえってことは、二人ともぶっ倒れてんじゃ……」
「行っても会えんだろう……」
 宗則は正殿を見つめた。
 荒れていた火の霊気も、それを鎮めようとしていた水の霊気も。
 孫の霊気も、一真の霊気も。
 何も感じない。
「どういうことです?」
「恐らく、望だろう。正殿ごと結界を張り、ご神体もろともに隔離したのだろうな……。あのタイミングならば、一真君も一緒だろう……」
「な……」
 絶句する剛士の後ろで補佐達がざわついた。
 鎮守役が二名とも安否不明となれば、狼狽えるなというほうが無茶だろう。
「正殿は私が確認に行こう。じきに里から術者が到着する。彼らに任せることになるだろう。誠次君は……」
「巡察に出ます」
「北嶺守役!?」
 非難めいた顔をする剛士達を誠次は促した。
「聞いての通りだ。この場は伝令役と里の方々にお任せしよう」
「ですが……!組長と斎木は!?二人とも、まだご神体を抑えようとしてんだぜ!?」
「だからこそだよ、西組の夜頭殿」
 誠次は表情を厳しくした。
 相手がどれだけ年少だろうと関係ない。
 鎮守隊の隊員である以上、それぞれの役職として接するのが現衆の作法だ。
「玉響に場を移した以上、我々には捜索する術もない。仮に見つけたとしても、先ほどの荒れ狂っていた霊気相手に……何かできると思うかい?」
「それは……」
「何もできないだろう?」
 悔しげな顔をしたのは剛士だけではなかった。
 他の補佐達も、ある者は俯き、ある者は唇を噛んだ。
「私もさ。あんな化け物が出てきては何もできないだろうね。あれを一人で隔離してみせるなんて、さすが城田組長だよ」
 驚いたように顔を上げる補佐達に誠次は笑った。
「適材適所というだろう?己の力で、今、できることをやるしかないんだ。我々は邪を鎮めてまわる。戻ってきた彼らの負担を減らすことが我々の最優先事項だ。違うかい?」
「その通りです」
 剛士は頷き、補佐を振り返った。
「行くぞ!組長と斎木が帰った時に一体たりとも邪を残すんじゃねえ!」
 日付が変わる直前、夜番は再び巡察を開始した。



 あまりにも予想外な人物の名に、一瞬、状況が吹き飛んだ。

「戒って、あの霊獣が言ってたヤツだよな?生きてるのか?」
 もしも、望が会ったのが本物の戒ならば、なんとかして、あの霊獣のことを伝えることができれば……。
 どれだけ前の約束なのかわからないが、今でも待っていると知れば、きっと会いに行ってくれるはず。
 そうすれば、あの霊獣と霊域のことは解決できるのではないだろうか。
 しかし、望はかぶりを振った。
「本人っていうよりは……、残留思念に近かったかもしれません……。たぶん、あの鏡を封じたのが戒さんで、箱や正殿に残る霊気が一時的に術者の姿になったんでしょう……」
 望の視線の先では古びた重箱がガタガタと激しく揺れている。
 今にも蓋が内側から押しあげられそうなのを抑えているのは、蝶結びされた細い紐だ。
「あれ、ヤバくねェか?早く結び直さねェと……」
「よく視てください。普通の紐じゃありません」
 言われてみると、ただ揺れているわけではない。
 箱が揺れるたびに紐が蒼く光り、結び目が締められている。
「封印の一種です。僕達じゃ、封印を解いてしまうか、弾かれるかでしょう……。あれだけ強い霊気を抑え続けられるような封印、宵闇でないと無理でしょうね……」
「あの封印をかけた宵闇が戒だってことか……」
「たぶん……」
 紐から立ち上る霊気からは波動を感じることができる。
 霊域の入り口の霧を形作っていた水の気とどこか印象が似ている。
「そういや、伝令役から先輩に伝言があったっけ」
「おじい様から?」
「『鏡を結界で隔離できないかやってみてくれ。無理ならば破壊してほしい』ってことだったんだけど……」
 正殿を見渡す。
 箱が乗っている台のようなものの他は柱を残し、全て吹き飛んでいる。
 拝殿に入る前に聞いた「ご神体の鏡」はどこにもない。
「鏡って……、どこにあるんだ……?」
「あはは、さすが一真君だなあ……」

 望の乾いた笑い声が天井に巻き上げられていった。