夜桜舞う里

16話



 息ができないほど強い霊圧が叩きつけた。
 防幕を張っていなければ、外まで吹き飛ばされていただろう。
 赤い霊気の塊がいくつも正殿内を駆けまわり、火の粉と衝撃波を撒き散らす。
 装飾は壊れ、畳や壁、天井に至るまで焦げ跡が走っている。

(前へ行かなくちゃ……)

 取り出した刀を構えようとして呻く。

(刀が……重い……!)

 腕が疲労しているのではない。
 襲いかかる風圧が桁違いなのだ。物理的にも、霊的にも。
 なんとか畳の上に上がることに成功し、望は息を吐いた。

(マズイな……)

 刀を振るうのではなく、畳に突き立て、自分の周りに張った防幕に霊気を送り込む。
 補強された防幕に赤い塊が突進した。

「うあっ!?」

 衝撃によろめく体を刀にしがみつくようにして支える。
 足に力を入れていないと、まともに立っていられない。

(封印が解けかけてる……)

 目を凝らした赤の向こう――、神座に安置された黒い箱が蒼く光り、ガタガタと生き物が入っているように揺れている。
 箱は紐で封をされているが、結び目は随分と緩まり、揺れるたびに僅かに開いた箱の隙間から内側の赤が零れ落ちては赤い塊は生きているように正殿内を駆けまわっている。赤が零れるごとに増えていく赤い塊は、赤い狼の群れのようだ。
 あの紐が解けるようなことがあれば――。
 恐ろしい想像を振り払い、望は刀に霊気を込めた。片手でブレスレットから一枚の霊符を取り出す。

“十二天が一、勾陣!”

 手を離れた霊符が黄に光り、防幕のすぐ前方に黄色い壁を作り出す。霊圧が弱まり、刀が軽くなった。

“貫け……!焔刃!”

 突き出した切っ先から赤い閃光が走り、防壁を形作っていた霊符が弾け飛んだ。
 黄壁を貫いた刃が霊圧切り裂き、神座のすぐ上の霊気を打ち消す。閃光牙の応用技だ。
 間髪入れず、霊符を取り出す。

“十二天が一、天后!”

 蒼く光る霊符が風の中を突き進んだ。
 しかし、裂かれた火の気が勢いを取り戻すほうが早かった。
 発動直前の霊符が押し返される。
 跳ね返ってくる符に思念を送る。

“護れ!”

 術者の命じた通りに蒼が伸び、蒼い防幕を生み出した。
「……さすが……手強いや……」
 強化された防幕の中で無防備になっていた体勢を立て直す。
 水の防御幕を張ることができる天后で箱から零れる火の気を抑えれば、他の霊符を使いやすくなると思ったのだが――。
 水の防幕に赤い狼が突進した。
 火に水をかけたようなジュウっという音がして大きさが半分ほどになるが、消滅には至らない。

(結界で隔離するしかない……)

 解決にはならないが、結界で箱を隔離すれば時間を稼ぐことはできる。
 結界で隔離し、外側から幾重にも補強して抑え込んでしまえば――。
 手に霊力を集中し、神座に狙いを定める。
 箱だけを隔離しないのは、神座にも邪封じの陣がかけられているからだ。
 神座を囲もうとする赤い光に箱から漏れる赤い塊が食いついた。

「くう……うっ」
 凄まじい抵抗に思わず呻く。
 何千、いや、何万体という邪を鎮めてきたが、結界を閉じられないほどの力を持つ邪はいなかった。
「はは、困ったなあ」
 あまりにも常識を超えた力に勝手に笑みが浮かぶ。
 ビリビリと腕に衝撃が伝わった。掌は既に感覚がない。
 戦う以前の問題だ。
 ただ結界を張るだけでこんなに苦戦するなんて――!

「本当に……、化け物だ……!」

 これだけの霊圧を放っているのに結び目はまだ解けていない。
 本体は鏡の中にいるのに、漏れてくる霊気だけで、こんなにてこずるなんて……。
 こんな奴が現に復活するようなことになれば――。
 考えるだけで恐ろしかった。

「痛ッ」

 競り負けた結界が砕け散り、両腕にピリリとした痛みが走る。
 皮膚が裂けたのか、パーカーの袖口に血の染みが広がった。
 霊力を集中させて傷口を塞ぐ。
 痛みが引いたところで、状況は良くなることはない。有効な手が見つからなかった。

(どうする……?)

 斬りかかるのは危険すぎる。
 箱に施されている封印は、千年経っているはず。火の霊気を封じるものである以上、望の火の霊気に反応して解けてしまう可能性もある。
 霊符による封印の強化が無理なのは先ほど試したばかりだ。
 霊符も結界も効かないとなれば――。
 赤い塊がまた防壁にぶつかった。天井から駆け下りて来たらしい。

(そうだ……)

 思いつき、霊符を取り出す。

“十二天が一、勾陣!”

 土の防壁を再び造り出し、結界の構えをとる。
 意識を集中し霊圧の荒れる感覚と駆け巡る赤い群の動きを探り――、霊気で封鎖する空間を包み込む。
 赤い光幕が覆ったのは神座ではなく、この正殿と外の邪封じの陣の間、スレスレの空間全て――。

(やっぱり……!)

 抵抗が返るが、先ほどよりは随分と軽い。
 正殿と陣によって勢いがいくらか抑えられているのだ。

(これなら……)

 やれる……!

 望一人の力では抑え込めなくても、古くから邪を遠ざけ続けてきた陣の助けを借りれば不可能ではないはず――!
 霊気の集中に両手が紅く光った。
 手の平に痛みが走り、腕が痺れるが構わずに霊力を集中し続ける。

(隔離さえしてしまえば……!)

 結界の強化版が霊域だ。つまり、結界とは現と僅かに時空がずれた玉響に一時的に現を再現した亜空間を作り、その場にいる者を隔離する術――。

“閉じよ……!”

 声ではなく霊体で叫ぶ。
 正殿ごと結界の中に隔離してしまえば、最悪、封印が解けて結界を破ったとしても、そこは現から僅かに時空をずらした玉響の波間。現には何の影響もない。
 一つだけ問題があるとすれば……、術者ごとの隔離のため、結界を破られると望も玉響の中を彷徨うことになることだけだ。

(今度こそ……!)

 確かな手ごたえに笑む。
 恐怖はなかった。
 あるとすれば、この「強敵」を抑えられるという高揚のみ。

“時空封鎖!”

 激しい抵抗を気迫で押し返す。
 正殿を浮遊感が襲った。
 結界が不安定なせいだろう。
 いつもならば結界の発動でここまで揺れることはない。
 玉響への移動速度も随分と遅い。
 背後で水の気が膨れ上がったが振り向く余裕はない。
 時空の波が揺れ動く扉の向こうから蒼い光の塊が防幕の中へ飛び込み――、

「どわっ!?」

 蒼い光から転がり出た人物が勢い余って畳に顔面から突っ伏した。
 扉の向こうの景色がぶれ、赤い光がカーテンのように覆って消えた。
 結界が完成したのだ。
 安堵するよりも、望は飛び込んできた人物をまじまじと眺めた。
「なんだってんだよ、ったく……。クソ、鼻が痛ェ……」
「……一真君……、何やってるの?」
「あれ?先輩??じゃあ、ここは……」

 畳で擦ってしまったらしい鼻先をさすっていた弟子は、望よりも状況を分かっていない様子でこちらを見上げた。