夜桜舞う里

13話 葉守の鏡 T



「望殿が霊染め桜の元へ……。あの場へ辿り着いたということは、桜に呼ばれたのでしょうな……」

 結界で隔離された一室に男の声が静かに響いた。

「呼ばれたのは望殿お一人ですかな?」
「いいえ。見習いの斎木一真も供に……」

 宗則は縋るように炎を見つめた。
 望から報告を受けてすぐに里との交信を試みたが、いつになく乱れた地の霊気に遮られ、ようやく里長と話ができたのが、数分前だった。
「おお、例の匠の孫殿ですな。冶黒殿から聞いておりますぞ。なんでも、人の域に留まりながら霊風を操られるとか……」
「もうお耳に入っておりましたか……」

 あの鏡面と戦った夜――、一真は冶黒と会ったらしい。
 酒の席で聞いた時は非礼な真似でもしなかっただろうかと血の気が引いたものだ。
冶黒はというと、随分と上機嫌で「あの気性ならば鎮守役どころか宵闇でも務まりますぞ。いや、鞍馬でもやっていけるやものう。望殿同様、末恐ろしい少年ですぞ」などと笑っていたが。
 いったい、信濃の重鎮相手に何をやらかしたのか気になるが、怖くて未だに本人に聞けていない。

「格は恐らく望と同等。覚醒してまだ数週間でございますが、既に破邪の法を体得しております。類稀な才を持つ使い手にて、今に正規の鎮守役として入隊を果たしてくれましょう」
 炎の向こうで感嘆の声が上がった。
「なんと。それは頼もしい限りですな。同格の年の近い仲間となれば、望殿もさぞやお喜びでしょう。早う、お目にかかりたいものじゃ……」
「畏まりました。早いうちに……」
 炎が肯定するように小さく光った。
「それにしても妙じゃ……。何故、今になって入り口が開いたのか……」
「と、仰いますと……」
「城田殿もご存じの通り、この浅城町は刃守の里があった場所。千年前に里が移った際、当時の里は切り離され、以来、固く閉ざされておる……。何人たりとも入り込めぬはずじゃ」

 宗則は頷いた。

 かつて、この浅城町には刃守の里が存在した。
 ただ存在したというだけでなく、里長の屋敷がある里の中心部で、格の高い霊獣が集まっていた。現在でも浅城町の土地が強い霊力を宿しているのは、その名残だという。
 多くの霊狼が住まい、賑わっていた隠れ里だったが、穏やかな里は一夜にして妖気が渦巻く地獄と化した。たった一体の妖獣によって――。

「城田殿、『鏡』に変わりはありませんかな?」
「夕刻に拝した際は、何の異変もございませんでしたが……」
 長は「さようか……」と呟き、黙り込んだ。

 里を襲った妖獣を封じた鏡こそが、葉守神社で祀っている『葉守の鏡』だ。
 本来、妖獣を封じたような危険な物を現に保管するなど考えられないが、葉守の鏡については例外中の例外だ。伝え聞いているところでは、新たな隠れ里に持ち込もうとすると、封じられた御魂が再び荒れる兆を見せた為、この葉守神社を建てた初代宮司・城田紡がご神体として祀ることにしたのだという。
 神社に残る言い伝えでは、紡は隠人ではなく難を逃れた里の生き残り――、純血の霊獣で、里でも指折りの格の持ち主だったという。真偽は不明だが、そう考えれば城田家が浅城町で最も強い霊力を宿す家系だというのも理解できるし、そんないわくつきの鏡が神社に祀られていても、それほど不思議ではない。

「この清山も、一度、鏡を拝しに伺うべきやもしれませぬな……」
「里長様が直々に、でございますか?」
「直に見ねば、わからぬこともありますからの……」
 平静を装いつつ、宗則は内心の動揺を必死に隠した。

 武蔵国現衆を束ねる刃守の里。その里を統べているのが、この刃守清山だ。
 こうして宝珠を介して話すことはあっても、里長本人が現に姿を見せたことはない。
 匠である伸真が専用の鍛冶場を持っていることもあり、交流のある信濃の霊山からちょくちょく客人が来るのとは意味が全く異なるのだ。

「ときに城田殿。望殿とお話ができますかな?できれば、ご本人よりお話を……」
 炎が色を変えた。
 宗則もまた顔を上げた。
「……いかん」

 これまでに聞いたこともないような硬い声が炎の向こうから聞こえた。

 結界で遮断されているにもかかわらず、強力な火の霊気と水の霊気が入り込んでくる。
 この葉守神社でこれほど強力な水の気を持つものといえば、正殿――、葉守の鏡を収めた封箱しかない。だが、それも伝承の中の話。
 実際に水の霊気を放つところを目にした宮司はいない。今日のこの時まで――。

「まさか、この水の霊気は封箱の……?」
「さよう……」
 清山は重々しく肯定した。
「あの封箱には強力な水の封印が施されておる……。火属性の妖獣を封じるためのな……」
「なっ!?」
 宗則は言葉を失った。
 もう一つの火の霊気は妖獣から発されていることを示していた。
「すぐに鏡を箱ごと結界の内に封じられよ。それが叶わぬならば……」
 僅かな逡巡の後、清山ははっきりと口にした。
「もろともに破壊を」
「は、破壊でございますか?」
 思わず、炎を凝視する。
 鏡を破壊してしまえば、中に封じられた妖獣が外に出てくるのではないだろうか――?
「安心なされよ」
 こちらの不安を見透かしたように、清山は続けた。
「鏡は出入り口にすぎぬ。妖獣はあの鏡を扉とする霊域に封じられておる。出入り口さえ破壊してしまえば、妖獣は現へ出る術を失うはず。一先ずは難を逃れよう。急がれよ。里からも至急、応援を出そう」
「はっ」
 ぶつりと炎が消えた。
 結界を解き、宗則は部屋を出た。
 炎が消えた上座の座布団には宝珠が忘れられたように転がっていた。



 正殿は異様な霊気が渦巻いていた。

(これは……!)

 望は顔を強張らせた。
 正殿を囲む大蛇のように水の霊気がとぐろを巻いている。拝殿からぐるりと正殿を囲む瑞垣が内側から突風でも吹いているかのように外側に傾いている。内側から漏れる火の霊気と押し止めようとする水の霊気が相殺し合う衝撃がそれだけ大きいということだ。
 外側に影響が及んでいないのは、瑞垣と拝殿によって巡らされている邪封じの陣が、衝撃を抑えている為だ。瑞垣のあの倒れようでは陣が破れるのも時間の問題だろう。

 霊符を取り出し、拝殿の前に集まっている隊員に叫んだ。

「下がってください!」

「組長!」

 夜番の隊員達が一斉に振り向き、道を開けた。

“我が気を食らいて、その威を現せ……”

 指の間で符が赤く輝いた。

“火の斗よ、護れ”

 放たれた符が赤い光を放ち、拝殿の柱にピタリと張り付く。
 火属性の陣が勢いを盛り返す。
 続けて数枚の赤い符を放ち、陣の霊気を観察する。
 放ったのは十二天将ではなく、補助用の十干の霊符だ。十二天将のように単体で超常現象を発動させることはできないが、十二天将と組み合わせることで術の補助や防御用として使用できる。使い勝手が良いが、隊では十二天将の習得を推奨しているので、十干まで使いこなす者は少ない。

(ダメだ……。これじゃ、時間稼ぎくらいにしかならない……)

 瑞垣の枝が落ち、拝殿が軋む。
 葉守神社内の社や瑞垣は木製だ。火の霊気を吸い上げ、火の力を通すように調整されている特殊な種類だが、基本は木属性であることに変わりない。属性が異なる霊気を大量に放出し続ければ、数時間ももたないだろう。
 陣の内側に留まっている霊気が外に漏れてきたら――。

 抜刀し、拝殿の奥を睨む。
 拝殿を抜ければ、正殿までは数メートルの距離がある。敷かれている砂利にも邪封じがかけられていたはずだ。瑞垣の陣のように正殿を抑えるためのものではない。最悪の事態が起きた時、その場に居合わせた人を守るためのものだ。
 人の身長程度、地面から二メートルほどの高さの避難用の防御陣が発動しているはず。

(土の気は……)

 防御陣を作っているのは土の霊気だ。拝殿の向こうで揺れる黄色がそれだろう。

「組長!?」
 剛士が駆け寄った。
「刀なんて持って、どうするつもりだ!?まさか……」
「正殿に入ります」
 自分でも驚くほど落ち着いた声が出た。
 一斉に隊員達がざわついた。
「無茶だ!せめて伝令役が来られてからに……!」
「この霊気……ただ事じゃありません。早く手を打たないと……。関戸さん達は、できるだけ下がって。陣の外に霊気が出てくるようなら屯所まで退避を。伝令役が到着したら指示に従ってください」

 返事も待たずに駆け出す。
 刀を軽く振ると、反応した陣が望を招き入れた。
 後ろで剛士が呼び止める声と隊員達の悲鳴のような声が聞こえたが、拝殿に飛び込むと全てかき消された。最大出力で発動した破邪の陣は結界に近い遮断能力を持つ。
 この状態で発動してしまったら、丁以上の霊格の者しか入ることはできない。

(皆のことはおじい様に任せておこう)

 霊格が高くなるほど、事態の危険度を本能が感じ取る。
 補佐が務まるほど霊格が高ければ、この場に入ることを本能が止めるだろう。
「……あれ?」
 誰かを忘れているような気がして立ち止まる。
「……しまった……!一番怖いもの知らずな人が野放しだ……!」

 例外は存在するものである。
 あれだけ霊格が高いのに異常事態に対する危険判断能力が欠如しているような弟子に「待機」の指示を出してこなかった……。
 優音ならば止めるだろうが、剛士はきっと乗り気で送り出すだろう……。

「関戸さんと一真君って……、コンビ組んだら危ないかもしれないな……」


 台風が直撃したような嫌な音を立てる拝殿の中で、望は軽く頭を抱えた。