夜桜舞う里

12話



「ここだよ、斎木君」

 剛士達と交代で巡察に戻った一真が彰二の案内でやってきたのは、浅瀬橋だった。
 なんとなく気が進まずに、立ち止まって橋を眺める。

「数が多いから気をつけて……、どうしたの?」
「なんでもねェ……」
 彰二はにんまりと笑った。
「わかった!鏡面のこと思い出したんでしょ?」
 ムカつくことに当たっている。
 黙っているのを肯定と受け取ったのだろう。彰二はうんうんと頷いた。
「組長と一緒だったっていっても、あの鏡面だもん。いくら斎木君でもトラウマになるよねえ」
「別にトラウマじゃねェよ……」
「ムリしなくてもいいって!」
 彰二はポンポンと肩を叩いた。
「あれから浅瀬橋が苦手になった補佐もいるくらいだもん。後片付けしただけで、怖いっていう人続出だったんだから」
「そういや、お前も参加したのか?」
 あの時、望は治療の為に松本医院にいた。
 後始末を補佐に任せたと言っていたから、彰二や剛士も参加していたのだろう。
「したよ〜〜。組長が動けなくなるなんて、西組の一大事だもん。包囲網を補強してまわらなくちゃいけなかったし、橋の上はとんでもないことになってるし……」
「そんなにか?」
 当時を思い出したのか、彰二は顔をしかめた。
「あの組長が真っ青な顔で血まみれだし、斎木君と詩織ちゃんは気絶してるし……、橋の上は邪気でどんよりしてたし……。あの組長がボロボロで結界もまともに張れないところなんて、初めて見たよ……。すぐに結界張り直して、飛び散った破片の回収を始めたけど、破片も気味悪くてさ……。斎木君達も松本医院まで運ばなくちゃいけなかったし、組長も朦朧としてて夜頭が病院に連れて行って……。まだ夜中だったのに昼頭が駆けつけてきてくれて現場指揮執ったんだよね……。他の昼番や非番の人も参加してくれて、二番隊や三番隊も来てくれて……、あの日は、西組全員参加だったんじゃないかな……」
「……大ごとだったんだな……」
 目を覚ましたのは病院で、望からは鎮守役推薦の話を聞いただけ。鏡面については何も話さなかった。まさか、あの裏で補佐が総出で浅瀬橋を片づけていたなんて。
「ん〜〜、でも、あの『鎮守狩りの鏡面』を、たった二人だけで鎮めたんだもの。あの程度で済んだのが信じられないって、お見舞いに来た他の組の主座とか組長がびっくりしてたらしいよ。夜頭も昼頭も戦ったのが鏡面だって知ったら青ざめてたもん……」
「あの昼頭が青ざめるって……。凄かったんだな、あいつ……」
「凄いなんてもんじゃないよ。組長と斎木君を別にして、あいつに出くわして無事だったのなんて南組の主座くらいらしいよ。無事だったのも、仲間の救援に駆けつけたら去って行くところだったっていうだけで。直に戦った南組の鎮守役は全滅だっていうし」
「全滅って……。殺されたのか……?」
「殺された人はいないけど、まだ入院してるらしいよ……。皆、意識が戻ってなかったり、ぼんやりしちゃって話せる状態じゃなかったりするらしくて、鏡面がどんな奴か、とかは全然情報が入ってこなかったんだよね……」
「あいつ、そこまでヤバかったのかよ……」
 やたらと強くて不気味な奴だとは思っていたが、そこまで大物だったとは。
 あの望でさえ鏡面の話題を嫌がるわけである。
「そんなのに勝っちゃったんだもの。斎木君なら大丈夫だよ!」
 彰二はグッと拳を握りしめた。
 彼なりに励ましてくれているのだろう。
「サンキュな。とっとと済ませてくるから、頼むわ」
 嬉しそうに彰二は頷き、包囲網に手を翳した。
 黄色いドームに生じた揺らぎに一真は飛び込んだ。



 金の属性を持つ橋は、あの夜と同じように白く光っていた。
 違うのは二十体を超える邪霊が飛び跳ねていることくらいだ。

「今日は随分と賑やかじゃねェか……」
 雑魚が跳ねているのが、こんなに安心するものだったとは。あの邪霊を鎮めれば苦手意識もいくらか消えてくれるだろう。
 入ってきた一真に気づいた一体が奇声を上げた。
 他の邪霊も次々に猿のような甲高い鳴き声を上げ、こちらに歪な目を向けた。

「できるだけ力を温存する、か……」
 木刀を手に、暫し思案する。
 この数は確かに多い。今夜の包囲網では最多だろう。
 猿のように跳ねまわる二十体を一太刀で倒すのは無理だ。
 だからといって霊風を雑魚に使うのは勿体ないし、霊符はあまり使いたくない。符を作るのが面倒だからだ。
「やってみるか……」
 木刀を構え、自らの霊気を集中する。
 同じ属性を帯びた得物は即座に反応し、刀身に碧を宿す。
 破邪の法の修業中に望が何度か見せてくれた。霊力と剣技や体術を組み合わせることで、技を編み出すことができるという。見せてくれた技の名は「閃紅牙」と言っていた。

『どう?』
 技を見せ、年の近い師匠は無邪気に笑った。
『これと同じようなこと、一真君もできるんじゃないかって思うんですよね』
 期待を込めて言われると挑戦しないわけにはいかなかった。
 一人でこっそりと練習した結果――。

「食らえ!」

 向かってくる邪霊に向け、上段から木刀を振り下ろす。

 ごうっ

 一真の身長よりも長い碧の刃が邪霊を切り裂きながら一直線に突き進む。
 続けざまに一真は木刀を横に薙いだ。
 橋の幅ほどの横一文字の碧の刃が僅かな時差で先行する刃を追う。
 直撃を逃れた邪霊も碧の余波にことごとく呑み込まれていく。
 たった二振りで包囲網の中は完全に鎮まった。

「ふーむ……、いい感じなんじゃねェか?」
 木属性は鉄の刀を持つことができない代わりに、木刀を持つことでその内に秘められた木の霊力を味方につけることができる。
 独自の技を身につけやすい属性だと望が言っていた。
 刀を持てないからといって、相手が苦手な金属製の得物を振るってくるからといって、決して不利になるわけではないのだと。
「技名、どうすっかな……」
 この先、望や補佐の前で使うこともあるだろう。
 ただの気合では流石に格好がつかない。
 浮かれた気分で眺めていた木刀がぶれた。

『別に名前なんてねェけど……』

「っ!?」
 内側から浮き上がってきたような声に耳を抑える。
(まただ……!)
 自分のものであって、自分ではない誰かの声。この後にやってくるのは異常覚醒と夢現の中で彷徨っているような感覚だ。
 あの夢現の時間のことを望は「魂の記憶」かもしれないと言った。
(鎮まれ……!鎮まってくれ……!)
 目を閉じ、自身に念じる。
 視えてきたものが本当に魂の記憶なのかどうかわからない。
 正気に戻った時、視えていたものの記憶はなく、いつもその時間は空白なのだから。
 しかし、本当にそうだとすれば――、それは蝕の前兆。
 望や祖父が危惧したように、そう遠くない未来に一真は蝕を迎えることになる。
(こんな早く霊山行きってのだけは勘弁してくれ……!)

 ――まだ、やらなければならないことがある……!

 恐れていた映像は視えない。意識もはっきりとしている。
 代わりに、

『ちゃんと名前つけなくちゃ技が可哀想ですよ。技も刀と同じ……、ずっと一緒に戦ってくれる仲間なんですから。そうだ、碧刃なんてどうです?』

 鼓膜の奥に別の声が響いた。
 おっとりとした口調は望と酷似しているが、望であるはずがない。
 この技は、まだ誰にも見せていない。時折、修業の相手を務めてくれた伝令役にさえも。
「碧刃……」
 碧の刃が消えた道路の向こうを眺め、呟いてみる。
 ずっと昔――、あの刃をそう呼んでいた気がした。
「……碧刃でいっか……。なんかしっくりくるし」
 木刀に破邪を込め、軽く振る。
 拡散していく碧の気が一点で微かに乱れた。
(なんだ……?)
 通常ならば気にも留めないような微細なものだろう。だが、明らかに何かが一真の霊気に抵抗を返した。
 気のせいであることを願いながら、もう一度、霊気を放ってみる。
 やはり同じ場所で何かが抵抗を返してくる。
(何かいんのか……?)
 目を凝らしても橋の上には邪霊の姿も人影もない。碧刃を逃れた邪霊がいるわけではないようだ。
 緊張が走った。
 ここは一真にとって因縁のある場所だ。
 些細なことでも気になるし、あの邪物と結びつけて考えてしまう。
(あ〜〜、クソ!頼むから出てくんなよ、のっぺらぼう!)
 仄かに白い金の気を放つ橋の上を走り、立ち止ったのは――、
「よりによって、ここかよ……」
 げんなりと呟く。
 あの夜、鏡面と戦ったのがちょうど、このあたりだった。
 木刀に霊気を込め、抵抗を返した物を探す。
 土の属性を持つ霊符によって形作られた包囲網の中は静かだ。残った邪霊が潜んでいる気配もなければ、一真の霊気に反発するような物も落ちていない。
「……特に何にもねェな……」
 粉々に砕け散った破片は残らず回収されたはずだ。治療を終えた望が確認したが、何も見つからなかったと聞いている。
(気のせいだったのか……?)
 自分が思う以上に、鏡面への苦手意識が強かったのだろうか。
 警戒を緩めようとした背後で気配が動いた。

 ュッ

 振り向きざまに突き出した木刀は夜の空気を貫いただけだった。
 背後にも左右にも誰の姿もない。
(なんだ……?)
 胸騒ぎがする。
 何か、とんでもないものが潜んでいるような焦燥がじわじわと込み上げてくる。
 数メートル向こうで黒い影が密度を濃くした。

‘久しいな’

 声というよりは意志が頭に響いた。
(……誰だ……?)
 声からは男なのか女なのかもわからない。
 霊気もほとんど感じない。なのに……。
「テメェ……!」
 一真は影を睨み付けた。
 激しい怒りが体中を駆け巡り、右手の甲が碧の閃光を放つ。
 碧の風が周りで渦巻いた。
「オレの前に……出てくんじゃねェ……!」
 ぐるぐると渦巻く怒りに頭がおかしくなりそうだった。
 何故、これほどまでに怒っているのか、自分でもわからない。
 いや、これはもはや怒りではなく、憎しみ――。
 気づいた時には猛然と斬りかかっていた。
 碧を帯びた木刀が影を切り裂く。
 影は何の抵抗もなく、驚くほどあっさりと霧散した。耳障りな笑い声を残して。
「なんだったんだ……?」
 気配が去った橋の上で一真は汗を拭った。
 鏡面どころではない。とてつもなく不吉なモノがここにいたような気がする。
「チクショ……!わからねェ……!」
 乱暴に額を押さえ、吐き捨てるように呟く。
 こんなにはっきりと嫌悪感があるのに――あれが何処の誰なのか、そもそも人なのか、それすらわからないのだ。
 影が消えると同時に怒りや憎しみが薄れ始めた。
 乱暴に霊気を放つ。橋の上を流れていく霊気に乱れがない。
 あの影が元凶だったのは間違いないだろう。

 ――これで終わりじゃない……

 きっと、あいつはまた自分の前に姿を現す。
 これはあいつからの挨拶であり、始まりだ――。
 理由もなく、そう思う。
 まるで魂が知っているように、当たり前のことのように確信した。
(なんだ……?)
 結界の向こうから漂ってくる異様な霊気に顔を上げた。
 ――何かが起きている……!
 慌てて結界を解除する。
 橋の向こうから彰二が息を切らせて走ってきた。
「斎木君!急いで葉守神社に戻って……!」
「神社?何かあった……」
 ゾクリ、と悪寒が走った。
(なん……だ……?)

 見上げた先――、火の気を帯びた葉守神社の方角で水の気が鎌首をもたげた大蛇のように膨れ上がった。