夜桜舞う里

11話



 ガバリと起き上がり、望は周りを見渡した。
 そこは見慣れた自室だった。
 青白い月明かりがカーテンの隙間から入り込んでいる。

「夢……?」

 それにしてははっきりと記憶している。
 じわりと熱を持つ左手の甲では霊紋が赤く光っている。ただの夢を見ただけではここまで強く反応しない。
 ひらりと白いものが頭から落ちた。
「あ……」
 手に取ったそれは、桜の花びらだった。
 葉守神社に生えているものとは形が違う。どこかから風に乗ってきたのだろうか。
「水の気を帯びてる……?」
 まるで、水の霊気を持つ誰かが霊気を注いだ直後のように。
 神社に生えている桜ならば、帯びているのは木か火のいずれか。水の気を帯びることはない。水の気を帯びた場所にも桜はあるが、ここまで強い霊気を宿していない。

「じゃあ、僕が見ていたのは……」

 霊染め桜の下で少女が言っていた「城田紡」という名の神主がいて、「戒」がいて――。
 霊紋が熱を帯びた。
 一真が異常覚醒を起こした時と似た現象だ。
 彼も同じ――、高位の狼の霊筋だとでもいうのだろうか――?

(あの人が近い霊筋だとしたら、鞍馬なら……)

 自分達の霊筋のことがわかるかもしれない。
 どこかに霊紋が浮かんでいなかっただろうかと、望は赤い光の中に浮かび上がった姿を思い起こそうとした。

「あ……れ……?」

 思い出そうとすればするほど、戒という人物の姿だけが霞んでいく。まるで、その部分だけに封を施されていくように。
 誰かが、その存在を隠そうとしているように――。

「ダメだ……。思い出せないや……」

 ごろんと寝転がる。
 枕元から漂う仄かな桜の香りがガッカリした気分を和らげてくれた。
 霊体と肉体の双方を回復させてくれる香で、焚かなくても置いておくだけでリラックスして良く眠れる。
 妙な胸騒ぎで寝つけなかったので枕元に置いておいたのだが――。

(だいぶ回復したかな……)

 香の霊力がよく効いたのだろう。随分と体が軽い。
 目覚まし時計は十一時半を過ぎたところだ。
 予定していた起床時刻は午前〇時半だ。あと一時間ほどあるが寝直す気分になれず、着替えて窓を開けた。
 まだまだ冷たい春の風が吹き抜け、草木の匂いを運んでくる。
 頬杖をつき、目を閉じると神社の奥にある隊の屯所から賑やかな霊気が漂ってくる。
 隊員達が休憩しているのだろう。

(今日も忙しいんだな……)

 いつもより休憩が遅いことから、邪霊の発生が多いのだろうと推測する。
 望に言伝が飛んできた様子がないということは、一真が一人で片づけているということだろう。
 本当に優秀な弟子だ。
 心の底から頼もしいが、もう少し、頼ってくれてもいいような気がしないでもない。

「城田紡、かあ……。どこかで聞いたような気がするんだけどなあ……」

 伝令役の祖父に報告したのは、夕方。学校から帰ってからだ。
 真っ先に報告するべき相手なのだが、今日は朝早くから武蔵国現衆の会合に出かけていて、夜番明けの望と顔を合わせる機会がなかった。
 それもよくあることだ。
 ただし、今回は様子が違った。「城田紡」という名を聞くなり祖父は顔色を変えた。望に休息を取るように言い置き、どこかへ行ってしまった。

「あの感じだと、おじいさまは知ってるんだろうな……」

 望が知る限り、親戚に「紡」という名の人物はいない。
 先ほど見た夢の中の城田紡は、どこか祖父に似ていた。あれが本人だとすれば、血縁者だという可能性は高いのだが。

「はあ……。もう一回霊域に行ってみたいなんて言ったら、怒るんだろうなあ……」
 祖父と優音は意見が近いことが多い。
 優音があそこまで反対した以上、祖父も猛反対すると思っておいたほうがいいだろう。
「……一真君に相談してみようかな……」
 昼間は、初めて見た優音の剣幕に恐れをなしたようだったが。
 巡察中は一真と二人での行動が多い。話す機会もあるだろう。

「それにしても……、やっぱり引っかかるんだけどなあ……」

 部屋からは神社の境内が見える。奥では正殿から赤い光が立ち上っている。
 ここ葉守神社は火の属性を持つ場所に立っていて、正殿は強い火の霊力を宿している。
 何気なく眺めていた望は眉を顰めた。

「……火の中で水の気が渦巻いてる……?」
 いや、これはどちらかというと――。
 窓から身を乗り出した。
「正殿のものじゃない……!中にある別の火と水の霊気が鬩ぎあってるんだ……!」
 正殿にはご神体が祀られているはずだ。
 確か、祀られているのは――。
「あ……!」
 短く声を上げ、望は部屋を飛び出した。
 頭に古い伝承が浮かんでいた。

(そうだ……!確か、紡っていう名前だ……!)

 鎮守役に就く前、祖父から葉守神社の歴史を教わった。その時に聞いた伝承の中の初代宮司が、そんな名前だったはずだ。城田家は、その宮司の子孫にあたるのだと。
 初代が祀り、現代も正殿の奥に安置されているのが一枚の鏡。言い伝えでは、かつて刃守の里を襲った化け物がその中に封じられている――。
 そして、その鏡が入っているのが重箱のような古びた箱だ。色褪せてしまった箱の表面には水のような模様があったはず。ちょうど、夢の中で戒が紡に渡していたものと同じような模様が。

(まさか……あの夢の中の場所は……)

 既視感のある屋敷、火の霊気を宿す土地、そして、「城田」の姓を持つ神主――。
 彼が受け取っていたのが、ご神体の鏡だとしたら――?

(どうして気づかなかったんだろう!?)

 あれは昔の葉守神社だったのでは――?


 正殿の奥で火の霊気が弾けた。