夜桜舞う里

10話



 瞼を上げると、どこかの建物の中だった。
 外から差し込む赤光が薄暗い部屋を照らし、全てが赤く染まっている。
 部屋の隅に置かれた鏡に寝間着姿の望が映っている。自室で寝ている姿と同じだ。
 熱くなっていた左手の甲はもう冷めている。

「……古風なところだなあ……」
 木造の建物に畳が敷かれた和室。照明器具の類は一切なく、部屋の外から差し込む赤だけが光源のようだ。置かれている箪笥も望の部屋にあるような洋風の縦長のものではなく、どっしりとした木製で引出しが沢山ついている。

(お雛様に、こういうのあったっけ……)

 子供の頃、家に飾られていた大きな雛壇を思い出す。
 大がかりな雛壇なので、時期が来るごとに姉と一緒に飾った。
 飽きてくると、鉛筆の半分ほどの長さしかない人形用の刀を手に、姉とプチチャンバラごっこをしては祖父に叱られたが……。
 数少ない子供の頃の楽しい思い出はさておき、雛壇の下段に、こういった感じの箪笥があったような気がする。
 裏返しに置かれた木簡に何気なく伸ばした手がすり抜けた。

(……この場に干渉できないってことか……)

 あの光に呑み込まれたというよりは、同調して光の中に記憶されているものを観ているのだろう。つまり、リアルな夢の中にいるのだ。
 これ自体は珍しいことではない。
 人間でも起こりうることだし、霊的なモノに同調しやすい隠人になってくると、その確率が増すというだけだ。ごくまれに、邪の類が潜んでいたりするのだが……。

(困ったなあ……。日付が変わるまでに帰りたいんだけど……)

 時刻を確認したいが時計がない。
 夜番の交代時間までには戻りたい望は頭を抱えた。
 いくら一真が優秀だといっても、この邪霊が多い時期に一人で丸々一夜を担当するのは厳しい。まして、まだ実戦二日目。邪霊を一晩中追うのは、修業の何倍も体力と集中力を必要とする。新人のうちは霊力の配分が分からずにバテやすいのだ。

「それにしても……、完成度が高いなあ……」

 良くない事態にもかかわらず、思わず感嘆する。
 こんな事態は初めてではないし、同調を解く方法も知っている。この世界のどこかにあるはずの術の歪を探しだし、そこから脱出すればいいだけの話だ。
なのだが――、通常ならば、難なく探し当てられるはずの歪が、どれだけ目を凝らしても揺らぎさえ見つけられない。よほど霊格の高い者が作ったのだろうか。

 暫し、うろうろと歪を探していた望は立ち止まった。

(もしかして……、かなりピンチなんじゃ……)

 解除できない限り、ここに望を呼んだ誰かが帰してくれるのを待つしかないが、いつになるのかわからない。そもそも、誰かの意志が働いているのかどうかもわからないのだ。
 邪気を感じないので襲撃される危険が低いのが救いだが、安全というわけでもない。
 残留思念のようなものに巻き込まれているのならば、出口のない迷路に閉じ込められてしまったのと変わらない。このまま脱出できなければ意識が戻らず、肉体は昏睡状態に陥ってしまう。
 そんなことになれば――。

(おじいさまに叱られるなあ。壬生君や関戸さんからのお説教は確実だろうし……。最近は一真君もちょっと怖い時あるからなあ……。でも、これは自分で突っ込んだわけじゃないからなあ……)

 望の脳裏を「目が覚めるなり説教しそうな四天王」が過った。自分が昏睡に陥るよりも彼らの小言のほうが怖い。本気で心配してくれているのが霊気からわかるだけに居たたまれない気分になる。下手な霊力の攻撃よりも、そちらのほうがよほど痛いのだ。

「それにしても、不気味だな……」
 空に浮かぶ月が真っ赤に染まっている。
 禍々しいまでの赤い光が畳を染める様は血に濡れているようだ。
 庭にはほとんどの花を散らした山桜が赤く染まっている。ハラハラと舞う花弁が夜風に運ばれて部屋の中に落ちた。
(霊気を帯びてるけど……)
 畳の上に落ちた花びらは見慣れた桜とは少々異なっている。かといって、霊染め桜とも形が違うようだ。
 風が吹き、花弁が望の周りに舞い落ちた。
 桜をよく視ようと廊下に出ると、流れてくる話し声が耳に届いた。

『…………』

『……』

 人数は多くない。二人くらいだろうか。
 誘われるように声が聞こえる部屋へと歩き始める。
(おかしいなあ。このお屋敷、来たことあったっけ……?)
 内心で首を傾げる。
 屋敷の構造だけでなく、土地から吹き上げる火の霊気も、初めて来る場所とは思えなかった。



『本当に宜しいのか?』

 他の部屋よりも広く、豪奢な装飾がなされた一室で火と水の霊気が揺れた。
 向かい合って座る人影の一方が遠慮がちに念を押した。
『構いませぬ。この地にて眠りにつくことを望まれているのならば、喜んでお守りいたしましょう……』
 向かい合って座っているのは二十代半ばくらいの青年だ。神主のような装束を纏い、口元を引き締めた表情は、どこか祖父の宗則に似ている気がする。座っているだけなのに火の霊気を感じるということは、かなり霊格が高いということだ。

「あの、ちょっといいですか?」
 声をかけてみるが、二人は望に気づいた様子がない。
「すみません!ちょっといいですか?」
 声を大きくしても結果は変わらない。
 拳を握りしめ、宗則似の青年の顔面に殴りかかってみた。
 決して、祖父が鬱陶しいとか、小言が煩いとか、前の日曜日、楽しみに冷蔵庫にキープしておいた姉特製のシュークリーム、巡察中に食べやがって腹立つ、とかではない。
 案の定、拳はスカッと青年をすり抜けた。
(やっぱりか……)
 予想通りの結果だ。どうやら、望は完全に部外者。二人とは隔てられていて、話もできないらしい。
 長期戦になりそうな予感に溜息を吐き、二人の横に腰を下ろす。
 こうなったら、少しでも手がかりになりそうなことを彼らの会話から拾うしかない。
 盗み聞きをしているようで良心が咎めるが、こちらも死活問題だ。

 宗則似の青年はやはり望に気づくことなく、向かいに座る水の気を持つ人物に話しかけた。

『この地で、霊染め桜の成長を見守りましょう……。弥生様と共に……』
『それほどまでに、ご決意が固いのなら……』

(あれ……?)
 望は目を擦った。
 宗則に似た神主の顔ははっきり見えるのに、向かいに座る人物の顔はまったく見えない。
 彼が月明かりを背にしているせいもあるだろう。
 だが、隠人の視力に夜の闇は意味をなさないはずだ。
 それなのに――、彼が水干と狩衣を足したようなデザインの黒い衣装を纏っているということ以外、わからない。声は聞こえるのに姿を知覚できないのだ。

『では……、こちらを』

 その人物は重箱のようなものを取り出した。

(あの箱……?)

 思わず屈みこんで畳の上に置かれた黒光りする箱を見つめた。
 朱で水のような模様が描かれた箱にきっちりと蝶結びされた水色の紐。どこかで見た覚えがあるが思い出せない。鎮守役になってから関わったならばさすがに覚えているだろうから、箱を目にしたのは、その前ということになる。

『宜しくお願いします。紡殿』
『は。万事お任せを』

 望は深々と首を垂れる青年を振り返った。

(もしかして、城田紡……?)
 茶色がかった髪の青年の瞳に深い悲しみが浮かんだ。
 巡察中に何度か出会った目だ。
(……ああ、この人は……)

 ――きっと、大切な誰かを喪ったばかりなんだ……

 喪失に耐えられずに鬼へと変貌した人達を知っている。
 救えた人もいるし、間に合わなかった人もいる。
 どれだけ霊格が高いといっても、万能ではないのだから……。

 大きな羽ばたきが庭に舞い降りた。
 背に羽を生やした黒い影が赤光の中で膝をついた。
『どうした?』
 闇色の人物は振り向きもせずに背後に立つ烏天狗に声をかけた。
『大至急、お戻りください。宮様がお呼びでございます』
『……わかった……』
 それ以上は何も問わず、彼は立ち上がった。

(……僕と同じくらいか、もう少し、下かもしれないな……)

 顔が見えないので声の感じと気配から推測する。紡と対等以上に話しているが、まだ少年だろう。一真と同じくらいかもしれない。

『戻らなければならないようだ。紡殿、いつまでもご達者で』
 箱を手に、紡も立ち上がった。
 顔に憂いが浮かぶ。
『……このような刻限に宮様が緊急の招集をかけられるとは……。もしや、戦況は……』
 笑う気配がした。
『こき使われているだけだよ。まったく、宮は人使いが荒いから……』
 紡が真剣な表情をしていることに気づいたのだろう。
 彼は諦めたように、肩をすくめた。
『こんなに禍が渦巻いているんじゃ隠し通せるはずがないか……。ご察しの通り、芳しくない。まもなく総力戦に入るようだ。次にお会いできるのは、いつになるか……』
『そんな……。貴方や宮様のお力をもってしても厳しい、と……?』
 声を震わせる紡に彼は明るく笑った。
『案じられるな、紡殿。必ず食い止めてみせる。これ以上、誰にも手出しはさせないよ。だから……、紡殿は封印を守ってくれ。貴方が引き受けてくださったおかげで、オレも宮も何の憂いもなく戦いに行ける……』
『は』
 紡は深く礼をし、顔を上げた。
『ご武運、お祈りいたしております。どうかご無事で――、戒様』
『ああ』

 弾かれたように庭へと降りる影を見つめた。

(戒……!?戒って……!!)

 あの少女が呼んでいた名だ。
 亡くなったという――、鞍馬の――。
 赤い月明かりに闇色の衣装を纏った少年が映し出され――、

「あ……」

 魂の奥で何かが跳ねた。
 脳裏に巨大な闇が波のように逆巻いた。
「どう……して……?こんなところに……?」
 唇が勝手に震え、音を紡ぐ。自分が何を言っているのか望自身にもわからなかった。
 ふらふらと無意識に足が動き、去って行く少年を追う。
「待って……。僕も……一緒に……」
 稲光が走った。
 庭も屋敷も少年も全てが白く染まる。
「うわっ!?」
 迷い込んだ時と同じように眩しい光に呑み込まれる。
 しかし、望は必死に目を開けた。先ほどまでいた部屋がどんどん遠ざかり、小さな点になっていく。

(もう少し……!もう少しでいいから……!!)

 あの場所に留まらせて――。

 ――僕は……、あの人と会わなくちゃ……