夜桜舞う里

9話



 碧の光が軌跡を残して結界の中に大きく弧を描く。
 飛びかかってきた三つ目の黒い影が数体、霧散した。

「これで全部か……」
 他の邪霊の姿がないのを確認し、一真は木刀に破邪を込めて軽く振った。
 結界内に拡散していく薄緑の光が澱んだ気を浄めていく。
 こうしておけば、数時間の間、この付近の邪霊の出没を抑えられる。
「さて、次行くとするか……」


 結界を解除すると剛士が待っていた。
「お疲れさん。壬生が寝不足だからフォロー頼むとか言ってたが、調子いいじゃねえか」
「組長じゃねェけど、邪気を感じたら目ェ覚めたっていうか……。もしかして夜型なのかもな」
 巡察が始まり暫くすると、睡魔ばかりか、それまでの疲労が嘘のように消えた。望と同じ――、邪気を感じることで軽い興奮状態に陥っているのだろう。
「隊にとっちゃ有難いが、程々にしとけよ。お前まであの人の真似することなんてねえ」
 剛士は下げていたコンビニの袋からペットボトルを取り出した。
「差し入れだ。これからフル稼働してもらわにゃならんからな」
「お、サンキュー」
 よく冷えたスポーツドリンクだった。
 自覚はなかったが喉が渇いていたらしい。一気に半分ほどを飲み干した。
「他の補佐は?」
「包囲に向かってる。まだ前半だってのに、どうも邪霊が多くてな」
「そっか……。じゃあ、包囲網ができるまで待機しとけばいいのか?」
「ああ。もう暫くかかりそうなんでな。神社に戻って先に休憩しててくれ。包囲網が完成したら、交代で俺達が休憩に入る。沖野が先に戻ってるから、夜食やらはあいつに聞いてくれ」
「沖野が?」
「サポート役だ。お前は実戦のほうは問題ないようだが、包囲網の場所を探し出したり、網を維持したまま中に入ったりっていうのはまだ慣れてねえみたいだからな。
あいつはそっちが得意なんでな」
「……バレねェようにしてたつもりだったんだけど……、わかるもんなんだな……」
 事実だった。
 包囲網の扱いは補佐の修業で体得するはずだったが、一真はその修業をほとんど飛ばしている。一刻も早く破邪の法を身につけなければならない事情があったからだが、いざ鎮守役として参加してみると、その必要性を実感する。
 優音や宗則から方法そのものは教わっているが、どうにも苦手だ。性格的なものもあるのかもしれない。
 強面が少し得意げに緩んだ。
「伊達に夜頭やってねえさ。ま、そういうのは慣れだし、そこをフォローする為に補佐がいるんだ。面倒なとこは俺達に任せて、お前は邪霊を鎮めることだけに集中してくれりゃいい」
「さっすが夜頭!頼りにしてるぜ」
「おうよ、頼りにしてくれ。もし、あいつの手に余るようなら言伝を飛ばしてくれりゃ、すぐに向かう」
「りょーかい」


 分かれ道までの間、並んで歩いていると、剛士が切り出した。
「昨日の霊域の件は手を引くことになったそうだな」
 さっそく優音から引き継ぎを受けたのだろう。
 会議室での攻防までは聞いていないだろうけれど。
「霊山と里に任せるって言ってたけど」
「……それは組長の考えか?」
「へ?」
「今朝の感じじゃ、組長は関わるつもりだったはずだ。ちょっと話したぐらいで簡単に考えを変えるような人じゃないからな」
 ――鋭いな……。
 言っていいものかどうか、少し迷いながら一真は口を開いた。
「壬生先輩……、昼頭の判断だよ。組長は、どっちかっていうと関わりたそうだったけどさ……」
 昼間のやり取りを思い出し、一真はため息を吐いた。
「危険すぎるって押し切られたんだよな。結界酔い起こしたばっかだったから、昼頭も心配してたんだろーけど」
「ま、そんなことだろうとは思ってたけどな」
 剛士は立ち止まった。
「お前はどう思ってんだ?」
「オレ?」
「壬生の判断に賛成してるのか?それとも、組長寄りか?」
「そんなの聞いてどうすんだ?あの組長が逆らえなかったんだぜ?見習いが何言っても変わらねェと思うけど……」
「見習いとかは一旦、置いとけ。組長と一緒に霊域に入った鎮守役として、お前はどう感じたのかを聞きてえんだ」
 剛士は当たり前のように言った。

(そっか……。オレはもう……)
 ――鎮守役という立場の現場指揮官なのだ。
『もう立派な鎮守役だよ』
 夕方の誠次の言葉を思い出す。
 鎮守印を持ち、鎮守役として巡察に出て邪を鎮めるということ。どれだけ見習いで実戦経験が浅いといっても、補佐にとっては上司であることは変わらない。
 剛士の言葉は、鎮守役として一真を認めてくれていることを意味している。
(見習い気分でいちゃいけねェってことか……)
 この先、一真の判断で補佐の彼らを危険に晒してしまうことだってあるかもしれない。

「そうだな……」
 一真は真剣に昨日のことを思い返してみた。率直に胸の内を話すことが、日も浅い自分を認めてくれた夜頭に応えることになるはずだ。
「正直、もう一回、霊域に行ってみてェよ。霊獣の子、ちょっと病んでたけど、何かされたわけじゃねェし。組長も言ってたけど放っておくのも気の毒だし……。叩き出される前に感じた邪気が何だったのかもわからねェ。そんなのが学校の後ろ側の時空に潜んでるっていうのも気持ち悪いしさ。それに……」
 その先を言っていいのか、少し迷った。
 だが、剛士が本当に聞きたい答えは、この先のような気がする。
「なんとなくだけど、霊域に入る時、呼ばれたような気がしたんだ……。逃げちゃいけねェって思うんだよな……」
「……呼ばれたのは、お前だけか?」
 予想していたのか、剛士は静かに聞いた。
「わからねェ。組長にはまだ聞いてねェし」
 昨夜は霊域から戻った後は邪霊鎮めに走り回っていたし、会議室では聞ける状況ではなかった。会議が終わると、望は優音に連行されるように葉守神社に帰宅させられてしまった。今頃は伝令役に監視されて就寝中だろう。
「今日の巡察に出てきたら聞いてみようって思ってるけどさ……」
「……たぶん、お前の意見と近いだろうよ……。いや、もっと強く霊域に行かなきゃいかんと思ってるかもな……」
「え?」
 どこか達観した意見に一真は背の高い夜頭を見上げた。
「……お前は組長と霊筋が近いらしいからな……」
 剛士は夜空を見上げた。
 昨夜よりも丸みを帯びた十三夜の月が輝く。
「お前がそう感じたんなら、組長も感じたって考えたほうがいいだろうぜ。もしもそうなら、組長は一人でも霊域に向かおうとするだろうな」
「一人で……?そりゃないだろ……」
「そういう人だ。霊格が異常に高いせいか、どうにも一人で抱え込んで突っ走っていくとこがあってな。いくら壬生が押し切ったところで、組長が本気で飛び出しちまったら止められねえ。だからって俺らじゃ、同じ舞台に上がることもできやしねえ」
 強面に寂しそうな色が浮かんだ。
「だから、俺も壬生も、お前に期待してんだ。お前なら、たとえ霊域だろうと突っ込んでいけるんだからな」
 剛士は正面からこちらを見た。
「頼むぞ、斎木。もしも、あの人が霊域に突っ込むようなことがあったら追ってほしい。俺達の分まで」
 視線を受け止め、大きく頷く。
「そのつもりだぜ。霊域だろうとどこだろうと関係ねェ。んな程度でビビるんだったら、最初から鎮守役になんてならねェよ」
「それでこそ、西組の鎮守役だ」
 満足そうに頷き、剛士はまた歩き始めた。
「そういえばさ、夜頭はなんで鎮守隊に入ったんだ?」
「恩返しだ」
 短く答え、剛士は空を見上げた。
「あの人に助けられてなかったら……、俺は今頃生きてねえからな……」



 深い眠りに沈んだ意識の中にぼうっとした光が揺れた。
(……霊気…………)
 光から滲み出た微かな霊気に意識が僅かに覚醒する。
 望は意識の中で光を眺めた。
 星のようにチカチカと瞬きながら、光は消えることなく留まっている。
 時折、光の中から霊気が漏れては通り過ぎていく。眠りを妨げたのは、あの漏れてくる微弱な霊気らしい。
(特に怪しい所はないな……)
 邪気は感じない。
 敵意も放っていない。
 何者かが攻撃を仕掛けてきているわけではないようだ。
 それもそのはず。葉守神社は浅城町で最も強い邪封じに守られている。
 望の部屋も幾重にも邪封じが施されていて、邪の類が入ってきても数分と持たずに散らされてしまう。部屋の中にいる望に外から術をかけてくること自体が、まずありえない。
(夢……?)
 体は動かない。相当深く眠っているのだろう。
 意識が起きているといっても、ほんの僅か。大部分は眠っている。
 眠っている以上は、これは夢だ。
 だが――、夢というには光の中で揺れる霊気は強すぎる――。
(……霊域で何かもらってきちゃったかなあ……)
 霊獣に直接触れられたのだ。彼女の霊気がまだ纏わりついているのかもしれない。

 ワッ

 突如、光が膨張して広がった。
「なっ!?」
 両腕で顔に突き刺さる光を遮ると同時に、眠っていた意識を覚醒させる。
 左手の甲が熱を帯び、赤く輝く。

 伸びた光が瞬時に張った防御幕ごと望を呑み込んだ――。