夜桜舞う里

8話 桜呼ぶ十三夜



 斎木金物店に紙袋を手にしたスーツ姿の男が訪ねてきたのは、その日の夕暮れ時だった。

「あれ?」
 昼番と夜番の引き継ぎ時間中、休憩に帰ったついでにシャッターを下ろそうと店に出ていた一真は、男の顔を思わずまじまじと眺めた。
 茶色がかった髪に人好きのする温厚な表情。仕事が忙しいのか、四年前よりもやつれているが見間違うはずがない。
「誠次おじさんだよな?」
「やっぱり一真君か!見違えたよ!」

 光咲と若菜の父・北嶺誠次は警視庁の刑事で、剣道や空手だけでなく護身術にも長けている。家族ぐるみの付き合いをしていることもあり、たまに家に帰ってきた時には護身術や空手を教えてくれたり、忙しい一真の父母に代わって光咲達と一緒に遊びにつれて行ってくれた。

「光咲から聞いていたけど、背が伸びたなあ。私と変わらないじゃないか」
「まだおじさんより低いって」
 温厚だが熱血漢で、誰かが困っていると聞けば遊園地の中でも走って行ってしまう。心配する光咲に若菜と詩織を任せ、後を追いかけたこともしょっちゅうだ。困っている人を放っておけない一真の性格は、少なからず誠次の影響を受けているのだろう。
「おじさん、一ヶ月くらい帰ってこなかったよな。暫くゆっくりするのか?」
「そうしたいけれど、仕事でこっちに来ただけでね。明日の朝には向こうに戻るよ」
「え〜〜」
 唇を尖らせると、誠次は困ったように笑った。
「課の仲間が立て続けに入院してしまってね。
なかなか休めないんだ」
「……入院って……、そんなに仕事、大変なのか?」
「まあ、いろいろとね……」
 温和な目元にくっきりとクマができている。あまり寝ていないのだろう。
 望の青白い顔を思い出し、一真は神妙な顔をした。
「おじさん……、忙しくても、ちゃんと飯食って寝ろよ?完徹した後に仮眠もしないで走り回っちゃダメだぜ?」
「……えらく具体的だね、一真君……。何かあったのかい?」
「何もないけど……」
 本当は山ほどいろいろあったが。
 誠次は店の奥を眺めた。
「ところで一真君。伸真さんはいらっしゃるかい?」
「いるにはいるけど……」
 一真が帰宅するなり、「店を閉めておいてくれ」と言い置いて庭の作業場に籠ってしまった。あの様子では暫く出てこないだろう。
「上がって待っててよ。呼んでくるからさ」
「お忙しいのかい?」
「忙しいっていうか……」

 どこまで話していいものか悩む。
 店の奥の「仕事部屋」は一般の客でも知っているが、庭の作業場は身内でも覚醒するまで秘密にしていたほどだ。霊刀鍛冶師のことも、現衆以外の者には話さないように口止めされている。
(おばさんも光咲も若菜も関係者だけど……)
 一真の認識では、誠次はごく普通の刑事だ。隠人であることは間違いないはずなのだが、現衆に入っているのかまではわからない。

「ああ、なるほど……」
 誠次は察したように笑った。
「匠に、時間がかかるようなら待っていますので、どうぞごゆっくり、と伝えてくれるかい?約束の時間より、少し早く着いてしまったんだ」
 弾かれたように誠次を見上げた。
「匠って……」
 伸真を「匠」と呼ぶのは現衆や霊山関係者だけだ。その呼称を使ったということは――。
「おじさん、現衆だったのか!?」
「私も隠人だからね。ちゃんと覚醒しているよ。ほら、」
 開かれた右掌で薄い痣が黄色く光った。光咲の紋とよく似ている。
 それよりも――。
「……なんか……、霊格高くね……?」
 僅かに面に出しているだけの霊気でもある程度は相手の霊格を判別できる。まだ霊格の測定は不慣れだが、誠次から感じる霊気は補佐よりもずっと高い。
 いや、それどころか……。
「……破邪の匂いするんだけど……。葉守神社で霊格測ってもらったほうが……」
「ははは、そうかい?でも、一真君には敵わないよ。凄い霊気だね。宿っている破邪も研ぎ澄まされた刀みたいに鋭いじゃないか」
「え?」
 思わず自分の右の甲を見る。霊紋は墨色だ。一真はほとんど霊気を表に出していない。この状態で霊格を見破るなんて――。
「実は、一真君のことも聞いているんだ。早く来たのは、巡察前に会えるかもしれないと思ったのもあるんだよ」
「へ?オレ?聞いてるって……何を?」
「鎮守隊に入ったんだろう?あの最強の鎮守役・城田組長の一番弟子だそうじゃないか」
 一真は言葉を失った。現衆のネットワークがどういうものなのか知らないが、鎮守隊の新入隊員の名前までわかるものなのだろうか。
「一応、入ったけど……。まだ見習いっていうか……」
「見習いでも巡察に出ているんだろう?君が邪を鎮めることで光咲や若菜は守られているんだ。もう立派な鎮守役だよ」
「そ、そうかな……?」
 隊員ならばともかく、「一般人」だと思っていた相手に面と向かって言われるとなんとなく照れくさい。
 誠次は表情を改めた。
「君こそ無理をしないようにしなさい。鎮守役は過酷な職務だ……。
くれぐれも体を壊さないようにね」
「おじさん……?」
 店の奥から足音が聞こえた。

「馴染みのある霊気が店に来とると思ったら、誠次君じゃないか。
元気そうじゃの」
「ご無沙汰しております」
 誠次は深々と頭を下げた。
「近堂が連絡していた件ですが……」
「例の刀か。霊気の調整が済んだところじゃ。それにしても、まさか君が来るとはのう。近堂殿に何かあったのか?」
「事件が発生しまして、そちらのほうに。急遽、私が代わりに来ることになりました」
 誠次は紙袋を差し出した。
「近堂からです。直接伺えなくて申し訳ない、とのことです」
「本人に試してもらえんのは残念じゃが、仕方ないのう。上がってくれ」
 呆気にとられる一真に伸真から声がかかった。
「よいのか、一真?」
「なにが?」
「早く仮眠をとらんと時間が無くなるぞ?今夜は一班を任されとるのじゃろう?」
「ヤベっ……!」
 一真は慌てて店の外に飛び出し、シャッターに手をかけた。
 詩織がもうすぐ初級講座を終えて帰宅するが、妹の身長ではシャッターを下ろすのは厳しい。

「驚きましたよ。もう一班を担当できるなんて……」
「人手不足じゃからの」

 ガラガラという音に紛れ、遠ざかっていく声が聞こえた。



 夜の帳が降りはじめた校舎に佇み、男は裏庭を見下ろした。

「千年を経ても消えぬ忠義か……」

 ひっそりと静まり返った廊下には誰の気配もない。
 天井に照明の光が灯った。
 暗く沈んだ窓に映った口元が楽しげに吊り上った。

「その忠義、さぞや行き場を求めていることだろう。存分に思い知らせてやるがいい……」
 瞳が淡く瞬き、すぐに人間のものへと戻った。

「我らの再会の前に余興といこうではないか、双牙……」