夜桜舞う里

7話



 三十分後――、

「ふう、温まるなあ……」
 約十分で復活した望はホットミルクの入ったマグカップを手に一息ついた。
「ごめん、また迷惑かけちゃったみたいですね。ちょっとフラフラするなあって思ってたんだけど……」
「自覚があるなら、倒れる前に休んでくれるかい……?」
「もう少し、もつと思ったんだけどなあ……」
 こめかみをピクピクさせている優音はかなり怖いものがあったが、望は悪びれずに頭を掻いた。常習犯なのだろう。
「毎回、そんなこと言って結界酔い起こしてるのは誰だい……?松本先生が脱出不可能の特別室を空けてくれてるんだけど、二泊三日くらいしてきてもいいんだよ?」
「あはは、怖いなあ、壬生君……」
 力なく笑う顔にはまだ生気が足りない。
 優音は諦めたように自らもマグカップを傾けた。ちなみに、マグカップの中身はアールグレイのストレートである。

 この第五会議室は他の組の鎮守役や現衆の重鎮が集まることが多く、戦いの合間に徹夜で邪の対策を話し合うこともあるらしい。いろいろな飲み物が揃っているのは、せめての息抜きになればと学園側が用意してくれているらしい。西組は十代・二十代の隊員が多いが、他の組は社会人も多く、飲み物の好みも多岐にわたるのだという。

「先輩、とりあえず何か食えって。朝も昼も抜いてんだろ?」
 望が倒れている間に購買部で調達してきたサンドイッチと菓子パンを並べると、望は少し迷ってサンドイッチの一つを手に取った。
(……栄養足りてねェんだからハムサンドとかカツサンドにすりゃいいのに……、よりによって野菜サンド食うのな……)

 買い物に行ったのは一真だ。
 望の好き嫌いがわからなかったので、種類を買えば何か当たるだろうと棚に並んでいた定番のものを適当に選んだ。余りが出れば、後で鎮守隊の希望者にでも配ればいいからという優音の指示だったのだが。

(……鮭にぎり食ってたから、肉が食えねェってことはねェだろうし……)
 昨夜、鮭フレークがぎっしり詰まったおにぎりを美味しそうに食べていたので、肉が一切食べられないということも、菜食主義ということもないはずだ。ただの好みの問題だろう。
 顔を上げると優音と玲香も同じことを考えているような顔をしているが、食べないよりはマシと判断したのだろう。何も言わなかった。
「えっと……、皆は食べないの……?」
「食う。先輩は何も考えねェでサンドイッチ食っててくれ」
 「後で食べるから、先に会議をやりましょう」とか言い出しそうだったので、一真はカツサンドを手に取った。
「じゃあ、僕も」
「私も頂こうかしら」
 やはり同じことを考えたらしい優音と玲香もそれぞれに手を伸ばした。
 ちなみに、優音はハムサンド、玲香はツナサンド。どれも四つずつパックに入っている。三人は無言で頷き合った。
 その後、三十分ほどの間、隙あらば肉が入ったサンドイッチも食わせようとする三人と、怪訝な顔で拒否する望による緊迫したやりとりが続いたのだった。



「そろそろ始めましょうか」

 軽食を終えて一息ついた頃。望は、玲香が用意したプリントをパラパラと見ながら切り出した。
 断わり切れずに全員から一つずつサンドイッチをもらうことになったためか、少し苦しそうにしている。最後はホットミルクでパンを喉の奥に流し込むようにしていたので、胃の容量をオーバーしているのだろう。男子高校生として、あの小食はどうかと思うが、普段からほとんど食べていないのならば仕方ないのかもしれない。

「昨夜の巡察中に僕と一真君が迷い込んだ霊域のことですけれど……。あの鳥居は、過去に何かあったりしたわけじゃなさそうですね……」
 優音と玲香はノートを広げている。

 剛士がここにいないのは、夜番明けに大まかのことを伝えているのと、剛士自身が会議のような場が苦手だという理由からだ。必要があれば、後で優音が要点をまとめて伝えているらしい。剛士が優音に全幅の信頼を寄せているのは、この辺りの事情もあるのかもしれない。

「裏庭の鳥居について現時点でわかるのは、そこに書いていることくらいね。特に何かを祀っているわけじゃないわ」
 渡されたプリントには、裏庭の地図に始まり、鳥居の位置、材質、鳥居が建てられた推定年月が書かれている。
(やっぱ、けっこう前に建てられたんだな……)
 資料によると、江戸時代以前から立っていて正式な時期はわからないらしい。
 一通り目を通し、優音が顔を上げた。
「昔は何かあったってことかい?」
「元から何も。あそこは霊力が強いの」
「ああ、なるほどね……」
 あっさりと頷き、優音は何事か書き込んだ。
「霊力が強いと鳥居立てたりするものなのか……?」
「浅城町じゃ珍しくないよ。ここはパワースポットだらけだからね。霊力が特に強い場所は鳥居を立てたり注連縄を張ったりして霊気を安定させて定期的に祓うんだ。霊力を放出するスポットが邪気に穢れでもしたら町が邪霊だらけになる」
「最悪だな、それ……」
 一真は露骨に顔をしかめた。
 今でもかなりの邪霊が発生するのに、これ以上の邪霊が溢れかえったら――。考えるだけでも恐ろしい。
「霊域と鳥居は現時点では関係なし、かあ……。もしも、何か言い伝えでも出てきたら教えてください。霊域から出てすぐだったからかもしれないけど、ちょっと気味が悪い感じしたんですよね……」
「組長が?それは怖いなあ……」
「霊域の気が周りに漂ってましたからね。偶然、鳥居の傍のスポットの霊力と反応しただけ、っていうこともあるけれど……」
「書庫を探せば何か出てくるかもしれませんけど……、数日はかかるんじゃないかしら?」
「構いませんよ。お願いします」
 玲香はノートにペンを走らせた。
「城田組長、霧はどれくらいの範囲出ていたのですか?危険があるようなら学園としても対処しなくちゃいけませんけど……」
「そうだなあ……。危険といえば危険ですけれど……。一真君から連絡を受けて、すぐに駆けつけてくれた補佐の皆は誰もあの霧を見ていないんですよ。時間的には、補佐の皆が学園に来てくれた時、僕達はまだ霧の中にいたはずなんですよね……」
「組長達にしか視えなかった、と?」
「それはなんとも。ただ、霧は消えてしまって、あの後、一度も出ていません。今の時点では霧が出たら近づかないように、としか言えませんね。見回りの強化をお願いできますか?」
「わかりました。原因がわかるまで寮生には夜間の外出を控えるようにしてもらったほうがいいようね……」
 優音が頷いた。
「あと、体育系の部活に目を光らせてもらえるかい?もうすぐ、大会がある部が多いからね。夜遅くまで練習したがるところもあるだろうし」
「了解です、昼頭。高等部は特に要注意ね……」
 玲香が頷いた。
 この二人が話していると、学校の会議室ではなく、どこぞの企業のオフィスにいるような気がしてくるのは何故だろう。
「肝心の霊域はどんな感じだったんだい?」
「そうだなあ……」
 望は昨日のことを話し始めた。
 メモを取りながら聞いていた優音は途中から恐ろしい怪談を聞いているような顔で望を凝視し始めた。今朝の剛士とよく似た反応だ。
「槻宮学園でもわからないようなら里に問い合わせるしかないですね。鞍馬に直接聞けたら一番いいんだけど、僕達じゃ連絡手段がありませんし……。信濃の霊山にも協力してもらえるか聞いてみますけど……」
「その前に、組長……」
「どうしたの、壬生君?」
 硬い表情で優音は眼鏡を押さえた。
「関わるおつもりですか?」
「そうだけど……」
 優音は深々とため息を吐いた。
「あ、あれ?もしかして、僕、悪いこと言った?」
 望は慌てたように昼頭を窺った。あれだけで相手の機嫌がわかるあたり、長い付き合いらしい。
「ほお……、自覚がないのかい……?」
 優音から怒気が噴き出した。
「いいかい?正体不明の霊域に行っただけでも危ないのに、そこに訳ありの霊獣だよ?眼を閉ざした霊獣なんて僕達の手に負える相手じゃない……!この件は霊山に任せるべきでしょう……!すぐに何かが起きるような事態じゃないといっても、これは宵闇が出撃するレベルの話だ!あなたならわかるでしょう!?」
「そうかもしれないけど……」
 望は困ったように「なんとなく放っておけない感じがしたんですよね」と付け加えた。
「なにを寝惚けたことを言ってるんです、組長!」
 優音ががたりと立ち上がった。
「いくら貴方でも霊獣を相手にするなんて無謀すぎる……!女の子の姿をしていたからって、あの鞍馬の霊山が動くような大物ですよ!?無事に帰れたからよかったけど、下手をすれば霊域に閉じ込められてたかもしれない!わかってるかい!?」
「……それはわかってますけど……。泣いてたし……あのままじゃ可哀想ですよ……?」
「……そのやたらと敬虔なボランティア精神は、一度、煮て焼いて邪霊にでも喰わせてやればいいよ……」
 バシッと優音は机をしばいた。震動にマグカップが揺れ、空になった紙コップがこける。
 邪霊も裸足で逃げ出しそうな迫力である。
(こ、怖ェよ……、壬生先輩……)
 紙コップを起こしながら、一真はこの場は外野に徹することに決めた。
「どんな外見で、どんな気の毒そうに見えても!相手は霊獣です!覚醒した隠人なんて、蚊を叩くみたいに潰せる連中ですよ!?僕達の助けなんて要らないどころか、願い下げでしょう!」
「う……、そ、そうかもしれないけど……」
「そうかもじゃなくて、そうなんです!」
「はっきり断言しなくても……」
「組長」
 ユラリと霊気が立ち上った。望がびくっと肩を震わせた。
 もはや、どちらが上司なのかわからない。
「……そもそも、そんな余計なことに回す余裕はないでしょう?体力も時間も霊力も……」
「頑張れば何とか……」
 優音は眼鏡を直した。照明の光にレンズがギラリと光った。
「組長……、今、寝言をほざきましたか?」
「……何でもないです……」
 昼頭の迫力にさすがに望も反論を引っ込めた。

(ホントに、よく戻って来れたよな、オレ達……)
 優音の剣幕に、どれだけ昨夜の自分達が危険な状況にいたのかを実感する。
 あのまま戻って来られない可能性はあった。というよりも、無事に戻ってこられたのは運が良かっただけかもしれない。

「城田組長」
 優音の剣幕にも動じることなく何事か考え込んでいた玲香が顔を上げた。
 黒い瞳に微かに緊張が走っている。
「『戒』と『宮の姉様』。その霊獣は、そう言ったのですね?この二人が霊染め桜の咲く頃に戻ってくる、と……」
「ええ。二人とも鞍馬の天狗だと思いますけど……」
「霊獣の名前はわかりますか?」
「名前は聞いてないなあ……。もしかして、心当たりがあるの?」
「……いいえ」
 玲香はふわりと微笑んだ。
「少し、調べてみようかなって思っただけです」
「無理しなくていいよ、玲香君。この件は流石に危険すぎる。僕達が関わるべきじゃない。ということで、組長!伝令役から里と信濃の霊山に報告して頂きましょう!今後、貴方もこの件からは手を引く!この期に及んで反対しませんね?」
「こ、怖いなあ、壬生君。少し落ち着いたほうが……。紅茶、淹れてこようか?」
「結構です」
 きっぱりと言い放ち、優音はスケジュール表を取り出した。
「それともう一つ。今日の夜番、一班は斎木君に任せて、貴方は二班から出てください」
 望は思いきり不服そうな顔をした。
「え〜〜、それはちょっと良くないですよ。一真君は、まだ巡察二日目です。見習いなのにいきなり夜番の前半を担当させるのは……」
「ほぉう、『見習い』、ですか……」
 優音は席に着き、パラリと手帳を捲った。
「昨日の夜、二班では斎木君一人で包囲網を四件ほど片づけたんでしょう?倒した邪霊は約三十体。初巡察とは思えない、安定した戦いぶりだったと夜頭が絶賛しています。二班でそこまでやれるなら一班の担当くらい問題ないと思いますが?」
「い、嫌だなあ。関戸さんってば、もう壬生君に報告しちゃってたんだ……」
「鎮守役の戦闘力及び体力面の把握は重要引き継ぎ事項ですから。とにかく、今日は夜番の交代時間まで組長は非番……。伝令役に話しておきますから、家で夕食を食べて睡眠をとる……。異論はないね?」
「……わかりました……」
 圧されたように望は頷き、寂しそうに冷めてしまったミルクを啜った。
 ちょっと拗ねているようだが、優音は全く気に留めていない。
(スゲエ……。鎮守役主座を完全に黙らせてるぜ……さっきから……)
 隊内では優音にだけは逆らってはいけないらしい。
 西組の力関係を知ってしまった気がした。
 優音はくるりとこちらを振り返り、笑みを浮かべた。
「そういうことだから、前半は宜しく頼むよ、斎木君?」
「あ、ああ……」
 有無を言わさぬ迫力に慌てて頷く。
 つくづく、この西組の影の権力者を敵に回さなくてよかったと思う。

「では、この件は里と霊山に任せるということに。対策室に報告しておきます」
 そう言ってノートを閉じた玲香の瞳は、物思いに沈んでいた。