夜桜舞う里

6話



 白を基調とした廊下を歩いていた一真は足を止めた。

「……第五会議室って……どこだ……?」

 人通りのないひっそりとした廊下には「会議室」と書かれたプレートがドアの上にかかっている。だが、第一会議室、第二会議室、第三会議室はあっても、肝心の「第五会議室」がない。
「二階だって言ってたよな……?」
 彰二から聞いた場所は二階の実験棟への渡り廊下の手前の通路――、一真が今いる廊下のどこかにあるはずなのだが。
「……寝ぼけてるってことはないよな……」
 廊下の端に戻り、もう一度プレートを眺めてみる。

 生徒会室、第一会議室、第二会議室、第三会議室……。

「やっぱ間違えてねェよな……」
 一真は携帯機器を取り出した。
 土地が霊波を出している影響で電波事情がとにかく悪い浅城町だが、学園では独自にアンテナが設けられているので学園内では携帯機器も普通に使用できる。
 逆に言えば、人目に付きやすい学園内では仮宿りの法よりも携帯機器のほうが無難だということでもある。
「ったく、もうちょっと詳しく聞いとくんだったぜ……」

「ここでは電波は繋がらないわ」

 涼やかな声に振り向くと、資料らしき紙の束を抱えた一人の少女が立っていた。
(すっげえ美人……!)
 肩の下まで届く絹のような黒髪に真っ黒な切れ長の瞳。スタイルもよく、制服が長身によく映える。
少しファンシーなヘアバンドが大人びた容姿に可愛らしさを添えている。
 年は一真よりも下だろうか。
 「可愛い」というよりも、「美人」という表現がしっくりくる少女だ。十二単でも着ていれば完璧だろう。
「なにか?」
「わ、悪い!」
 まじまじと見ていたことに気づき、慌てる。
「ちょっと、第五会議室探しててさ……」
「第五会議室?」
 一瞬だけキョトンとし、少女はすぐに笑みを浮かべた。
 こほん、と咳払いし、
「私もこれから行くところです。一緒に行きますか?」
「マジ!?頼むわ!」
 まさに渡りに船である。
 一真は携帯機器を鞄に仕舞い、少女の横に並んだ。
 少女はにっこりと笑った。
「昨夜が初巡察だったそうですね。手応えはいかがでしたか、斎木守役?」
「へ?」
 いきなり放たれた鎮守役絡みの言葉に一真は思わず少女を凝視した。

 「守役」というのは、主座以外の鎮守役につける敬称だ。西組ではトップの望があまり形式にこだわらないこともあり、この敬称をつけて呼ぶ者がいない。こうして改まって呼ばれると違和感がある。

「な、なんで、んなこと知ってんだ?自己紹介したっけ?」
 黒い瞳に知的な光が灯った。
「第五会議室は鎮守隊の中でも補佐頭と鎮守役が主に作戦会議場所にしている部屋です。霊格がそんなに高い人が、場所がわからずに困っているということは、新しく入隊された斎木守役しかいないもの」
「えっと……、アンタは?」
 一真が知る限り鎮守隊の隊員ではない。葉守神社でも見かけたことがない。
 少女はぺこりと一礼した。
「中等部二年、槻宮玲香。学園内の邪気を祓う邪霊対策室所属。鎮守殿とは協力関係になります。対策室の窓口は私になりますから、以後、お見知りおきを」
 槻宮学園には独自に邪霊対策室があるとは聞いていた。学園内で起こる邪霊絡みの事件をサポートしてくれる実働隊だと。しかし、それよりも気になるのが――。
「槻宮って……、もしかして、学園の?」
「ええ。この学園の理事長は私の祖父になるわ」
 こともなく玲香は肯定した。
(やっぱな……)
 雰囲気が違うと思った。
 槻宮学園は、大企業の創業者一族が創設したと聞いたことがある。理事長の孫ということは、彼女はその大企業の社長一族のご令嬢というやつなのだろう。
 玲香は立ち止まった。ちょうど廊下の突き当たりだった。
「第五会議室は関係者以外入れないわ。鎮守印か隊員証のどちらかに霊気を集中させてください」
 玲香の手首でブレスレットが、一真の胸元で鎮守印がぼうっと光った。
(なんだ?)
 昨日、霧の中に飛び込んだ時のように視界が微かにぶれた。

 僅かな浮遊感の後、目の前にそれまでと同じ廊下と「第五会議室」と書かれた部屋が出現していた。
「まさか、霊域……?」
「超小規模ですけれどね」
 玲香はドアに手をかけた。
 再びブレスレットが瞬き、カチャリと内側で音がした。
「学園内で鎮めた邪物を一時的に保管することもあるから、現と隔離しているの。刃守の里や霊山の協力で作られたって聞いているわ」
「へえ……」
 部屋の中は普通の会議室のように円形に並んだ机と椅子、ホワイトボードが壁際に置かれていた。部屋の隅には棚が備え付けられていて、木箱がいくつも置かれている。普通の部屋と違うのは、木箱からは霊気が放出されていて、空気が妙に澄んでいるということだ。
「あれ?オレ達だけか?」
「おかしいわね……。城田組長と壬生昼頭がいらっしゃるって聞いていたんだけど……。ホームルームが長引いているのかしら?」
 玲香は手にしていた書類を置き、一真に座るように促した。
「コーヒーでも淹れましょうか?眠いでしょう?」
「あ〜〜、頼んでいいか?」
 頷き、玲香は準備室らしい部屋に入って行った。
 高飛車なお嬢かと思ったが、意外とよく気が付くようだ。

(ヤベ……。また眠くなってきやがった……)
 静かな部屋と緩やかに巡る部屋の霊気……。棚からは甘い花のような香りが漂ってくる。
 リラックス効果は抜群だった。
(これから会議するかもなのに……、マジで寝るって……)
 部屋の隅には柔らかそうなマットが立てかけられている。何に使うのかは不明だが、あれを敷いて大の字になって寝転がったら気持ちいいだろう。
 うつらうつらとしていると、苦い香りが鼻腔をついた。
「どうぞ」
 机の上に置かれた紙コップに黒い液体が揺れる。
「あ〜〜、サンキュな……」
 温かい液体を一口啜る。苦みが睡魔を少し吹き飛ばしてくれた。
「コーヒーって効くもんなんだな……」
 自分の分のコーヒーを啜り、玲香は柳眉を顰めた。
「かなりキツそうね……、エスプレッソのほうがよかったかしら……?」
「そんなのもあんのか?」
「ええ。ブレンドの他に、アメリカンやカフェオレ、カプチーノ、ココア、紅茶、緑茶、いろいろと……。好きなだけ飲んでくれてもいいけれど、セルフサービスよ。斎木守役も専用のカップを置いておけばいいかもしれないわね。近頃は壬生昼頭の希望で焼き菓子も常備してるわ」
「壬生先輩が?なんか意外だな。あの人、会議中はそういうの食いそうにないのに……」
 カフェや学食が遅い時刻までやっているし、購買部にも弁当やサンドイッチやパンがかなりの種類並んでいる。
 優音ならば会議の後に、そちらに行きそうなものだが。
「どちらかというと、城田組長の栄養補給用ね……」
「そっちか……」
 妙に納得し、一真はコーヒーを啜った。
(ホントに何やってんだ……?邪でも出たのか?)
 カップの半分ほどを呑み終わっても二人はまだ来ない。

「ところで、斎木守役」
 玲香は持ってきた資料を手に取った。
「昨日、学園から霊域に入ったって聞いたけど……」
「もう学園に話がいってんのか?」
「夜番明けに城田組長から協力要請があったわ。とりあえず、裏庭の鳥居について調べてほしいって……」
「夜番明け?」

 夜番は午前六時に葉守神社の境内で解散し、一真は家に帰った。
 あれから寝るのもダルかったので、そのままシャワーを浴びて着替え、ぐたーっと朝食を摂っているうちに家を出る時間になったのだが――。

(まさか、あの後、学園に行ってたのか……?)
 望も疲れた顔をしていたので、さすがにあの後は家に帰っただろうと思っていたのだが。
(ダメだ……。どうやっても勝てる気がしねェ……!つか、そこまでいったら病気だろ……)
 優音や剛士が心配する理由が本当の意味で理解できた気がした。

「今日の会議は、そのお話だと思うわ。朝は時間がなかったから、後で詳しい話をするって仰ってたもの」
「あ〜〜、それで、オレも呼ばれたわけか……」
「あら?斎木守役の場合は参加が基本よ?鎮守役として、西組の運営や作戦に関わっていかないといけない立場なんだから」
「でもオレ、まだ見習いだぜ?仮入隊中だし……」
「関係ないわ。仮入隊の見習いでも、貴方が西組の鎮守役候補で、初巡察を済ませたことは事実ですもの。貴方が思っている以上に、城田組長や補佐頭達は期待しているはずよ。見習いなんて気にしてちゃダメ。遠慮なく意見してあげればいいのよ」
「あ、ああ……」
 相手が中学生だということも忘れ、頷く。
 貫録負けというのはこういうことを言うのだろうか。
 妹とひとつしか違わないはずの少女に反論一つできない。
(さ、さすが、槻宮家のお嬢だぜ……)
 上級生の一真にタメ口で話しているというのに、「生意気」や「下級生のくせに」という感情が不思議なくらい湧いてこない。容姿が大人びているせいもあるだろうが、それだけではない。
(あれ?こいつ……?)
 玲香の霊格が測れないことに気づいた。
 弱すぎるから、ではない。捉えどころがないのだ。
 望が、あのおっとりした青白い顔の裏に、最強の鎮守役としての顔を隠し持っているように――。
 学園の邪霊対策班がどういう組織なのかは不明だが、鎮守隊上層部の会議に出席するくらいだ。邪霊対策班の中でもかなり上位にいると考えていいだろう。霊格もそれなりに高いはずだ。

 ブンッ

 廊下で低い音がした。
 火と水の霊気が出現する。
「到着みたいね」
「さてと、気合入れなきゃだな」
 一真は残りのコーヒーを飲み干そうと紙コップに口をつけた。
 しかし、すぐに開くと思われたドアは開かず、妙な間があった。
(城田先輩ならともかく、壬生先輩がドアの開け方忘れるはずがねェし……)
 三秒が経ち、五秒が経った。
 様子を見に行ったほうがいいのだろうかと思い始めていると、べシャッと何かが廊下に倒れたような音がした。

「城田!?じゃなくて、組長!!」

 優音の慌てる声に思わず紙コップを置いて立ち上がる。
「な、なんだ!?」
 あの優音が慌てているなんて。よほどの大ごとがドアの向こうで起きているに違いない。
「まさか……」
 同じく立ち上がった玲香が硬い表情で呟いた。
「また……?」
「え?またって……何が……?」
 やや乱暴にドアが開いた。
「斎木君!いるかい!?」
「壬生先輩!?どうしたんだよ!?」
 ブレザー姿の優音は鬼気迫る表情だ。
 肩を貸して支えているのは同じく制服を着込んだ――、
「城田組長……!やっぱり……!」
「先輩!?顔、真っ青じゃねェか!?何があったんだ!?」
 望は青い顔で瞼を閉じ、ぐったりとしている。意識もないようだ。
「き、救急車か!?救急車呼んだほうがいいよな!?」
 携帯端末を取り出した一真を玲香が制止した。
「ダメ!救急車はマズイわ!斎木守役!」
「そ、そうなのか?」
「霊的なダメージは人間用の救急外来に行ったところで何もできないの。この町で鎮守役が倒れたら、とりあえず、松本医院に運ぶのが基本よ!」
「じゃあ、松本医院に連絡か!?」
「いいや、連絡しなくてもいい」
 冷静に答え、優音は部屋の隅のマットを指差した。
「斎木君!すぐに、そこのマットを敷いて!」
「え?あ、ああ」
 言われるままに隅から引っ張り出したマットを敷く。その間に玲香は棚から商店街で配っているような団扇を取り出していた。
「斎木守役、これを使って!」
「使うって……何に?」
 普通の団扇かと思ったが、柄の部分に小さな水晶が埋め込まれている。何らかの霊具だろう。
 一真が団扇を手に困っている間に、優音はマットに望を寝かせてシャツの第一ボタンとネクタイを外し、玲香は準備室から毛布と濡れタオルを持ってきていた。恐ろしいほどの手際の良さである。
「斎木君!とりあえず、三十センチほど上からゆっくり扇ぐんだ!柄に霊気を込めて!」
「お、おう……」
 望は真っ青な顔で額に大量の汗を浮かべ、ハアハアと浅い呼吸を繰り返している。貧血の症状と似ているが、元が細くて青白いだけにとてつもなく危険そうに見える。重傷を負っているところは見たことがあるが、ここまで弱っている姿を見るのは初めてだ。
 優音が軽く青白い額に触れた。霊気の波動を診ているのだろう。
「……容態はどう?壬生昼頭……」
「落ち着いてきている。このまま十五分ほど様子を見よう……。意識が戻らないようならここじゃ無理だ……。松本医院に連絡だな」
「保健室の牧瀬先生は応急処置程度ならできると思いますが……」
 一真は恐る恐る声をかけた。
「城田先輩、どうしたんスか?」
「ああ、斎木君は見たの初めてか……」
 優音は眼鏡を押さえた。
「結界酔いだよ。結界を超える時って揺れるだろ?あの時、霊体に僅かな負荷がかかってるんだ。過労がピークの時に結界を超えると、負荷にやられて貧血みたいな状態になるんだ。だから、昼休みの邪は斎木君に任せて寝てろって言ったのに……」
「昼休みも出動してたんスか……?」
「午前中二件くらい鎮めてるよ。せっかく斎木君が夜番の負担を減らしても、朝も昼も食べないで走り回ってたらダメに決まってる……」
 午前中は起きていたにもかかわらず一度も言伝が飛んでこなかったのは、そういう理由らしい。

「壬生昼頭。斎木守役も入隊したことだし、そろそろ強制入院を検討したほうがいいんじゃない……?城田組長の場合、病室に隔離でもしないと治らないと思うの……」
「……斎木君……、本当に期待してるからね……」
「頑張るッス……」

 三者三様のため息が重なった。