夜桜舞う里

4話



 頭上に夜空が広がった。
 満月が青白い光を地上に投げかけ、遠くから吹いてくる風が草の香りを運んでくる。
 歩いた距離から考えてみても、まだ学園の中にいるはずだが校舎のような建物はどこにもない。
 あるものといえば――、一面に広がる草むらと真ん中に立つ一本の大きな桜の木だった。

「これが……霊域?」
 現実にもありそうなあっさりとした景色にやや拍子抜けする。
「油断しないで。何が潜んでいるかわかりません……!」
「お、おう……」
 頷き、感覚を澄ませる。
 草原の真ん中に巨大な桜の木が一本だけ。
 だが、どうにもおかしい。誰かがいるような霊気を感じるが、どこにいるのかわからない。望が言う通り、誰かが潜んでいてもおかしくない。
 どちらともなく桜に向かって歩き出す。
 近づくほどに幹は太く、樹齢数百年は経ているだろうことが窺えた。
「なあ、先輩……」
 違和感に一真は少し前を歩く望に声をかけた。
「今って、あんなに桜咲いてたっけか……?」
「……僕も、ちょうど同じことを思っていたところです……」
 数日前に桜の開花宣言が出ていた気がするが、浅城町ではまだ三分咲き程度だ。
 だが、目の前の桜は満開の花を咲かせている。
 花も見慣れた薄桃色のものとは異なっている。花弁の数が多く、花の色も白、桃とまちまちで一色ではない。
 辺りは静まり返り、さわさわと風が花を揺らす音だけが草原を滑っていく。
 木の下に立ち、二人は無言で木を見上げた。
 手が届く高さにある枝も見事な花をつけている。
「……八重桜の類だと思いますけど……、霊力を帯びてる……?」
 花びらに触れ、望は呟いた。黒い布が覆っていない指先に触れた白が仄かに色づいた。
「色変わったよな、今……」
「……僕の霊気に反応してるんですよ……。これ、もしかして……」
 琥珀の瞳が大きな桜の木を映した。
「霊染め桜……?」
「ち、血染め!?死体でも埋まってんのか!?」
 思わず後ろに跳び、桜の根元を凝視する。
「あ、そっち系じゃありませんから。足どかさなくても大丈夫です」
 望は笑いながら手を振った。
「血じゃなくて霊体のほうの霊ですよ。邪気や妖気を吸収して成長し、霊力に換えて放出する特殊な桜です。現には存在していなくて普通は目にする機会はありません。京都のほうの霊山。特に鞍馬に群生してるって聞いたことがありますけど……」
「じゃあ、これを植えた奴は……」
 天狗が住まうという霊山。天狗の中でも戦闘を生業とする「宵闇」の総本山が京都の鞍馬だ。宵闇の戦闘能力は天狗の中でも図抜けていて鎮守役の比ではないという。その鎮守役でも例外中の例外の強さを誇るのが、このおっとりした師匠なのだが。
「……霊染め桜を植栽できるとなれば、普通の天狗だと厳しいんじゃないかな……。たぶん、宵闇以上の存在でしょう……。もしかしたら霊獣かもしれないけれど……」
「待ってくれよ。宵闇以上の存在って……、宵闇の上がいんのか……?」
 望や祖父の口ぶりから、宵闇というのが天狗でも一番強い連中だと思っていた。
 望は記憶を呼び起こすように桜を眺めた。
「僕もよく知りませんけど……。鞍馬には大天狗様直属の精鋭部隊がいるはずです。隠人でありながら霊獣を軽く超える力を持っているって聞いたことが……」
「霊獣って、オレらの霊力のオリジナルだよな……?人の血が入っててオリジナル超えれるもんなのか……?」
「あくまで噂ですけど……。でも、霊染め桜は根付きにくい上に、植えようとすれば相当な霊力と技術がいるって聞いたことがあります。京都からこんなところまで持ち込むなんて……」
 澄んだ夜の中で気配が動いた。
 得物を手に、身構えたのは同時だった。
 いつからそこにいたのか、幹の反対側に白い影が佇んでいる。
(女……?)
 巫女のような恰好をした少女が大きな灰色の目でこちらを眺めている。
 年は詩織や若菜と同じくらいだろうか。
「あ……」
 生気のない白い顔に喜色が浮かんだ。
「戒様……!」
「え……?」
「かい……?」
 頭の上に「?」を浮かべる一真と望を気に留めることなく、少女は覚束ない足取りで近づいてきた。
「よかった……!」
 灰色の瞳に涙が溢れた。
「鞍馬から使いの方がいらっしゃって……、お二人とも亡くなったって聞いたから……!私、信じられなくて……!!あの時のお怪我が原因だったら、どうしようって……!」
 泣きじゃくる少女にどう声をかけたものかわからず、一真は固まった。
 横を見ると、望も困り果てた様子で少女を眺めている。
(人違いだよな……。でも、なんでわからねェんだ……?)
 地面には月明かりに照らされた影が桜に向けて伸びている。
 月を背に立っているので少女からはちょうど逆光になり、一真達の顔は見えにくいのだろう。そうだとしても様子がおかしい。
 少女は望に笑いかけた。
「ねえ、戒様。桜、綺麗でしょう?」
 灰色の瞳が虚ろに桜を見上げた。
 愛らしい瞳は穴のように空虚だ。何も映していない。
(なんだ……?)
 まるで幽霊と向き合っているような感覚に一真は眉を顰めた。
「こんなに綺麗に咲くなんて……。きっと、兄様も喜んでくださっていますわ……」
 顔は望のほうを向いているが、瞳に望が映っていない。望に、というよりも彼女だけに視えている幻影に話しかけているかのようだ。
「ところで、宮の姉様はどちらに?ご一緒なのでしょう?桜が咲く頃に、お二人で来てくださるって約束してくださったもの。私、ずっと待って……、待ち続けて……、すっかり待ちくたびれてしまいました……」
 望は何かに気づいたように刀を収め、少女に近づいた。
 そっと細い肩に手を置き、幼子をあやすように語りかける。
「よく視てください……。僕達は貴女が言う人達じゃありませんよ?」
「え……?」
 少女は驚いたように目を丸くした。灰色の瞳は望を通り抜け、肩ごしの虚空を見つめた。
「嘘です……。だって、戒様と同じ……強い破邪の匂いがするもの……」
「……現実から目を逸らさないで……。目に封をして何も見ずに……、記憶に残る幻だけを追っても……、貴女が辛いだけです……」
 望は言い聞かせるようにゆっくりと一言一言に霊気を乗せた。
 灰色の瞳が微かに若草色に染まる。
 虚ろな瞳に望がうっすらと映った。
「ちが……う……?」
 白い手がそろそろと望の頬に触れた。
「あなたは……誰……?戒様は……?」
「城田望。この浅城町で鎮守役を……」
 少女は急に目を覚ましたように望を凝視した。
「城田……?紡殿は?紡殿はどうされたのです……?貴方は紡殿の身内の方ですか?」
「えっと……」
 望は桜を見上げて唸った。知らない名なのだろう。
 一応、一真も記憶を辿ってみるが思い当たる人物はいない。
(城田っていうくらいだから、先輩の関係者なんだろうけど……。本人は知らねェみてーだし……。町内に他に城田って名前の奴、いたっけか……?)
 背後で冷たい風が渦巻いた。
(この風、邪気を含んでやがる!?)
 木刀を構え、臨戦態勢に入る。
「先輩!」
「ええ……」
 望が鋭い表情で振り返った。手には既に抜身の刀を握っている。
 低い風の音が獣の唸りのように草原を駆け抜けていく。
 草原を囲むように邪気が舞い上がった。
「いけません……!お下がりください!」
 細い制止と共に背後で火の霊気が膨れ上がった。
「え!?」
「なにィ!?」
 振り返り、息を呑む。
 少女の瞳が若草色に燃え上っていた。
 長い亜麻色の髪を自らから放たれる赤い火の気に靡かせ、少女は印を切った。両の手の平に炎のような紋が真っ赤に燃える。
「お戻りください。ここは、貴方達が来てはいけない場所……」
 赤い光が弾け網膜を突き刺した。
「ぐぁっ!?」
 咄嗟に手で目を庇ったが、僅かに間に合わず残像に目が眩む。
(ウソだろ!?この霊気……!)
 一真の背を見えない力がグイッと引っ張った。
 まるで大きな透明な手に首根っこを掴まれていうように足の裏から地面の感触が消え、宙に投げ出される。
 僅かに開けた目に、遠ざかっていく桜の木と夜空が見えた。



 温かい春の風が頬を撫でた。
 ざわざわと木々を揺らす風の音に一真は目を開けた。
 まだ少し目に赤い残像が残っている。
「ここって……」
「学園の裏庭みたいですね……」
 声はすぐ傍から聞こえた。横で抜刀したままの望が周囲を窺っていた。
「怪我はありませんか?」
「ああ、ちょっと目がチカチカするけど……」
「無理しなくても大丈夫ですよ。何かが襲ってくる気配はありませんから」
 少し警戒した表情をしている望は無傷のようだ。どうやってガードしたのか、あの光にもやられなかったらしい。
「さっきのとこは……」
 満開の桜を探すが影も形もない。あるのは、綺麗に整備された小道の脇に沿うように並んだ三分咲きに花を開かせた桜の木と数メートル置きに立つ洒落た外灯くらいだ。
 裏庭は林になっていて散歩ができるような歩道とベンチが置かれ、テラスのような場所がいくつか設置されている。満開の頃には桜並木が出来上がり、散るまでの間はライトアップも行われるらしい。
 光咲と詩織が学園のパンフレットを手に盛り上がっていた。掲載されていた写真は、この裏庭の小道だった気がする。
 一真達がいるのは、かなり奥まった場所なのだろう。校舎が遠くに見える。
「入り口は消えています。僕達は現に押し戻されたみたいだけど……」
「そっか……」
 とりあえず戻って来れたらしいことに安堵し、一真はまだ治まらない残像を振り切るように瞼を一度、ゆっくりと閉じた。
「霊力を目に集中してください。それで治ると思います」
 集まる霊力でじわりと眼が温かくなり、残像が薄まっていく。
「スゲ、霊力って便利だな」
「ほとんどの怪我はそれで何とかなりますよ。霊力が消耗している時は霊符を併用してください。あと、霊薬も」
 望は何かに気づいたようにこちらを振り返った。
「チェックしてなかったけど、ちゃんと持ってる?」
「救急箱みたいな奴だろ?持ってるって」
 任務に出る時に神社で渡してもらった小箱には大中小の絆創膏に包帯、消毒剤らしい小瓶等のわりと普通の応急処置セットが入っていた。優音によると、どれにも薬草を調合した霊薬が使われているらしい。
「それにしても何だったんだ?スゲエ霊気だったよな……」
 あの少女から放たれた火の霊気――。その大きさに一瞬、足が竦んだ。
「……たぶん、彼女は霊獣……」
 刀を収め、望はポツリと呟いた。赤い光が消え、パーカーが元の空色を取り戻す。
「術を放った時の霊格は戊の穣を超えていました。霊域と現を簡単に繋いだ上に、僕達を軽々と放り出すなんて……。まず人間ではないでしょう……」
「霊獣って……、あんな人間の格好してんのか……?」
 狼の霊獣というから、狼そのままの姿をしていると思っていた。
 以前に会った信濃の霊山の天狗はカラス人間だったので、人に近いとしても、あの類なのだろうと。
「そんなに大勢の霊獣と会ったことがあるわけじゃありませんけれど……。姿はほとんど人間と変わりませんよ。ただ、彼らは霊体が仮初の器に宿ることで現に存在しているようなものですから、僕達の体とは構成が根本的に違うんです。ああ見えて何百年も生きていてもおかしくありません……」
「あれでン百歳……?マジか……?」
 霊力を放っていた時は大人びた表情をしていたが、それまでの幼い言動を見ているせいか、どうもピンとこない。
「それにしても、困ったなあ」
 望は細い顎に手をやって考え込んだ。
 多少のことがあっても緊張感なく笑っている師匠が、こういう表情をしていると物凄い大ごとが起きているような気分になってくる。
「困ったって……、何が?」
「あの人、邪気に侵されてはいなかったけれど……。霊獣が自分の眼を閉ざしてしまう現象って、人間でいう心を閉ざしてる状態と近いんですよね……。約束してたっていう人達が会いに来てくれるといいんですけど……」
「『戒』と『姉様』って言ってたっけな……。鞍馬の天狗だよな、やっぱ……」
「たぶん……。亡くなったっていうのが引っかかりますけれど……」
「……二人ともって言ってたもんな……」
 「約束」していたと言っていた。どちらか一方が生きているならば、訪ねてくるだろう。
 なのに、二人とも来なかったということは――。
「どちらにしても、わからないことが多すぎます。一度、調べてみないと……」
 琥珀の瞳が裏庭の奥を見つめた。
 暗い林の中に石の柱が覗く。
「……鳥居……?なんで、こんなとこに……?」
「……無関係じゃなさそうですね……」
 深夜の林の中にひっそりと立つ小さな鳥居から冷たいモノが出ているような気がして、一真はジャケットを手繰り寄せた。横では、望が同じように空色のパーカーを手繰り寄せて腕をさすっていた。