夜桜舞う里

3話



「そろそろ行きましょうか……」

 望が立ち上がったのは時計の針が十一時半を回った頃だった。
「皆も巡察を始めたみたいですし」
 神社の方角から賑やかな霊気を放つ集団を感じる。剛士達だろう。
「夜ってわかりやすいんだな」
「ほとんどの人が寝てますからね。その代り、昼間に剥がれ落ちた邪念が夜の間にくっついたり、土地の霊気を吸い上げたりして邪霊化するんですよ。
余所の組だと、少し違うタイプの邪が出ますけれど」
「へえ、邪にもタイプってあるんだな。どんなのがいるんだ?」
「僕達が戦う相手だと、こないだの鏡面みたいに、霊的な力を持つ道具が穢れた邪物が邪霊の次くらいに多いかな。あと、邪霊がパワーアップした鬼とか。南組の担当地域だと、人が邪気を溜め込んで鬼化する人鬼とかが多いですね」
「人間が鬼化?」
 思わず師匠を凝視する。漠然とだが「邪=悪霊のようなもの」と思っていた。
「それって人間が鬼みてーになるってことだよな?そんなの、どうやって祓うんだ……?」
「戦い方は同じですよ。ただ、生身の人間が相手なだけに、ちょっとやりづらいかな……」
「……先輩も戦ったことあるんだよな、やっぱ……」
「そんなに多くないですけど……」
 琥珀の瞳に影が過った。鎮守役などという立場にいると、人の暗部を見てしまうのかもしれない。
「学校みたいに長時間人が集まる、閉鎖された場所は要注意です。ああいう場所って、人鬼が生じやすいんですよ。でも、そういう人は鬼化する前に邪気を放ったり、異常な行動をとったりしますので、早めに見つけて祓うことができれば手前で食い止められます」
 ふと、琥珀の瞳が正門の向こうを見つめた。
「先輩?」
 視線を追い、一真は息を呑んだ。
 正門の向こうに白い霧が立ち込めている。門の外には霧の気配すらないというのに。
 鼓膜を揺らした微かな音に一真は耳に手をやった。
「今、何か聞こえなかったか……?」
 望はジッと霧の向こうに目を凝らした。
「……一真君、ここで待っててくれる?関戸さん達から包囲網完成の連絡が来たら行ってあげてください。邪物みたいに鎮め方がわからないヤツだったら結界を閉じて待っていて。すぐに戻りますから」
 言うが早いか、望は駆け出し、軽々と正門を飛び越えた。
「ま、待ってくれよ!いきなり突っ込むのはヤバいって!」
 声が届いていないのか、空色のパーカーが霧の向こうに消えた。
「あ〜〜!んな無茶やってるから、補佐が心配するんだろーが!トップが危険なとこに一人で突っ込むなよな〜〜!」
 メモ帳を取り出し、剛士の霊気がある方向へ翳す。
 術者の霊気に応え、白い紙切れはムクリと起き上がると、白い燕に姿を変えて夜空を飛び去っていった。
 鎮守隊が連絡手段に使う、「仮宿りの法」である。レトロな方法だが、電波事情に左右されず、宿った霊気から相手の状況を読み取ることができるなど、意外と使い勝手がいい。
「あの霧、絶対おかしいって……!スゲエ嫌な風が吹いてやがる……!」
 正門を飛び越えると、結界の中に飛び込んだように視界が一瞬ぶれた。
(なんだ……?)
 懐かしい匂いが感覚を刺激したような気がした。



 学園の中の景色は一変していた。
 入学したばかりの高校だ。まだ数えるくらいしか来ておらず、校舎の配置に詳しいわけではない。
「クソ、全然視えねェ……!」
 校舎へと向かう歩道の両脇には校庭があり花壇やベンチが並んだ、洒落た公園風になっていたはずだが、全て真っ白な霧に覆われている。歩道の両脇に並んでいた電灯も、桜の木も白い霧に紛れてしまい、どこに何があるのかもわからない。
「こんな深い霧が出てるのなんて初めてだぜ……」
 浅城町もよく霧が出ているが、こんな、自分のジャケットの袖口も見えないほど濃い霧の中を歩いたことはない。まるで、大きな雲の中にいるような気分だ。
 異様な景色に呆気にとられつつ霧の中を進んでいた一真だったが、ものの数分で限界を迎えた。
「あ〜〜!クソ、面倒くせェ!吹き飛ばしてやるぜっっっっ!!」
 右手の甲で霊紋が碧に輝いた。
 周囲で風が応え、霧が渦巻く。
 左拳を握りしめた。

“風よ!我が意に……”

「待って!」
 鋭い制止に術を中断する。霧の中から伸びた手が左手首を掴み、赤い光を放った。
 集まった碧の風が霧散していく。
「先輩?先、行ったんじゃなかったのか?」
「それより、風を収めて……!できるだけ静かに……」
「?お、おう……」
 集めた風をゆっくりと解放していく。
 緩やかになる霧に望はほっとした顔で手を離した。
「その調子で……、静かな海をイメージしてください……」
 琥珀の瞳が散った霊風の行方を追う。
 望はふうっと息を吐いた。
「いきなり危ないことするなあ……。追いかけて入ってくるかもとは思ってましたけど、入ってくるなり霊風を使おうとするなんて……」
「全然視えねェからさ……。こんな視界悪いとこで変な奴が襲ってきたら厄介じゃねェか……」
「気持ちはわかりますけど、風は暫く我慢してください」
 もう一度、望は霧を注意深く見渡した。
「今、霊風を使うのは危険です。たぶん、ここは霊域への入り口……」
「……霊域?」
 聞き慣れない単語に眉を顰める。
 望はいつになく真剣な表情で霧を睨んだ。
「僕達が住まう現の世界と時空を僅かにずらして存在する異空間『玉響』。その中に存在する結界で囲まれた領域です。そこへ至る入り口が現に顔を出した時、こんな風に霊気の霧で覆われていることが多いんです」
「じゃあ、オレ達、その入り口にいるってことか?」
「たぶん……」
 白い気が黒い手袋に纏わりついては前方へと流れていく。
 一真が集めた霊風とは関係なく空気が動いているようだ。
「この霧は水の気で形作られています。霊域を作った術者か、閉ざした誰かが強力な水の気を持っていたんでしょう……」
「そういえば、ちょっと光ってる……?」
 手の平をすり抜けていく霧は仄かに発光している。
 軽く霊力を手に込めると、反応して蒼く瞬いた。水の属性を帯びている証拠だ。
「……この霊気、ほとんど波動を失っちまってるな……」
 霊気は異なる波動を持っている。指紋のようなもので個人により異なっているのだという。霊力の扱いに慣れてくると霊気の波動から相手を判別できるようになってくるが、波動が弱まってしまうと、それだけ判別が難しくなっていく。
「それだけ永い時間、この領域を守っているんですよ。ここまで波動が消えてしまったら、術者が誰なのか特定するのは難しいですね……。ただ、とてつもなく強い力の持ち主だっていうことは間違いありません」
 望は前後を確認し頷いた。
「とにかく進みましょう。霧が消えるようなことになれば玉響の狭間に取り残されてしまいます。そうなったら……、霊山の助けを待つ以外、戻る方法がありません」
「げ……」
 望がわざわざ戻ってきて一真を止めた理由がわかった。
 あのまま霧を消し飛ばしていたら、今頃は――。
「進むのはいいけどさ……」
 迷うことなく霧の中を歩く背に声をかけた。
「霊域って何があるんだ?」
「……行ってみないとわかりません。小規模なものなら何か危険な存在を封じている可能性が高いですけど……」
 一度言葉を切り、望は周囲を見渡した。
 前後左右、どこまでも続く白い世界である。
「ここまで大規模だと、単体で何かを封印しているっていうよりも霊獣の隠れ里や霊山に続いている可能性が高いですけど……」
「霊山!?町の中に入り口なんてあるのか!?」
 なんとなくだが、山の奥深くにあると思っていた。
 望は顎に手をやって考え込んだ。
「それがずっと引っかかってるんですよね……。この武蔵国……、東京には霊山がなくて、一番近いのが信濃の霊山です。だからって、こんなところに入り口が出現する訳ありません。あるとすれば隠れ里だけど……」
「隠れ里?」
「霊獣が住まう里です。この武蔵国だと古くから霊狼が隠れ里を作って暮らしていたそうです。武蔵国に狼の霊筋が多いのは、そのあたりの事情らしいですよ」
「へえ……。そういや、この紋も狼だって言ってたっけな……」
 いつもは痣のような霊紋が碧に染まっている。
 この霧に反応しているのだろうか。
「昔……、浅城町に里の中心部があったって聞いたことがあるけど……」
 浅城町は土地が霊気を帯びていると、以前、望が言っていたのを思い出す。
 そこらへんと関係があるのだろうか。
「じゃあ、それなんじゃねェの?古い霊域が残ってるとか……」
 「昔」というからには、現在は違う場所に移動しているのだろう。
(つっても、百年以上前、とかだったら厳しいかもな……)
 浅城町に人が住みだしたから、里は移動したとかだろうか。
 そういう理由なら、もう少し――、江戸時代くらいまで遡るのだろうか。
 望は腕組みをして唸った。
「僕もそう思ったんですけど……、町の位置に隠れ里があったのって、千年くらい前なんですよね……。そんなに永い時間、入り口を放置するわけないし……」
「はああ、千年!?」
 予想をぶっちぎった「昔」に、思わず師匠を見た。
「江戸時代すっ飛ばしてるじゃねェか!千年前っていったら……、戦国時代くらいか?」
「もうちょっと前……、平安時代末期くらいじゃないかな……」
「平安時代いいいいいいいいいいいいいいっ!?」
 一真の頭の中を少ない「平安時代」の知識が過った。
「麻呂が十二単着て和歌詠んでた時代だよな!?」
「えっと……」
 望のこめかみを一筋の汗が伝った。
「……一真君って……、日本史と古典、苦手……?」
「ふ、実は得意だぜ!丸暗記すればいいだけじゃん!」
 胸を張ると、望が乾いた笑みを浮かべた。
「丸暗記もいいですけど……。流れみたいなのと有名人は押さえておいたほうが……。特に、古代と中世あたり……。できたら江戸時代も……」
「え〜〜!?やる意味あんのか?あんま、人生と関係ないじゃん……」
 暗記で得点を稼ぐ分野だと思っていた一真は顔をしかめた。
「一真君の人生の選択肢には関わってくるかどうかわからないけど……、鎮守役としては関わってきますね……」
「古典と日本史が〜〜??」
「あはは、すっごく嫌そうな顔してるなあ……」
 望は頬を掻いた。
「鎮守役は隠れ里の里長様や霊山の関係者と会わなくちゃいけませんから。ああいう人って何百年も生きてて、戦国時代とか鎌倉時代のことも普通に会話に入ってくるんですよ……。こっちも最低限は知っていないと、話についていけない時があるんですね……」
「マジ……?」
「そのうち、一真君も会うことになりますよ。武蔵国現衆を纏めている刃守の里。そこの里長様に鎮守役として紹介しなくちゃ……」
 琥珀の瞳が赤く染まった。
 伸ばした右手の先に赤が灯る。
「霊域に入ります。一応、警戒してください」

 紅い光の向こう――、真っ白な霧の向こうに夜の闇が広がった。