夜桜舞う里

2話



 ひらりと一枚の符が黒い影の真ん中で赤く舞った。

 “十二天が一、騰蛇!”

 ぐんっと伸びた赤い光が邪霊を巻き込んで燃え上がった。
 火が消えた後には結界内に閉じ込められていた十体を超える邪霊の姿も消えていた。
「スゲエ……!」
 一真は自分の手と符が発動した場所を見比べた。
「合格です。破邪を使いこなせてますね」
 少し後ろで見守っていた望が頷いた。
 戦闘中は自らの霊気で薄紫に見えるパーカーは空色のまま。望が臨戦態勢もとらず見学に徹していたことを意味している。
「剣技、霊符、どちらも問題ありません。威力も十分です。あとは実戦経験ですね。状況に応じて上手く使い分けてください。この調子なら、夏前には鎮守役として正式に入隊できますよ」
「先輩……!」
 文句なしの賞賛に一真は師匠を振り返った。
「霊符って強かったんだな!」

 ずしゃっ

 望がコケた。
「大丈夫か?ちょうどベンチあるし、昼寝……じゃねェか。夜中だから、仮眠……?」
「あ、あの、一真君?霊符って鎮守役でも苦手な人が多くて、霊符が得意っていうだけで、皆から凄いって言ってもらえるんですよ?」
「へ?結界張る為とか治療の為の小道具じゃねェの……?」
「あはは、小道具は酷いなあ……」
 望はやや顔を引きつらせた。
「霊符は霊山でも使われてる、れっきとした神通力なんですから。込める霊力や破邪が大きければ大きいほど威力も強くなる、立派な武器なんですよ?」
「んなこと言ったって……。霊符って、なんか弱いイメージしかないんだよな……。俺が今まで見た霊符使いが沖野とか若菜とかだったからっていうのもあるかもしれねェけど……。壬生先輩は霊符がスゲエっていうより、先輩のテクニックがスゲエって感じだったし……」
「あ、あのね……」
 望は頭痛がするのか、額を抑えながらバス停につかまって立ち上がった。
「霊符が弱いんじゃなくて一真君が異常なんですよ。沖野君クラスの霊符使いって、武蔵国現衆全部の組でもなかなかいないんですから。壬生君は武蔵国でも一、二を争う使い手だから強くて当たり前です。あの人、補佐なのに霊符で鎮守役を倒せるんですから……。逆に、力技だけで沖野君や壬生君の霊符を破る一真君がおかしいんですよ……。鏡面の後、沖野君なんて、『素人に破られました!』って壬生君に泣きついてたんだから」
「あ〜〜、あれか……。とりあえず、気合入れて引き剥がしたら何とかなるかなって……」
「やり方は乱暴だけど考え方はそれで合ってます……。霊符を破るには、込められている霊力を上回る霊力をぶつければ解除できます。引き剥がさなくても、霊力を集中すれば勝手に剥がれますから覚えておいてください。理屈は分かっていても普通はなかなかできませんけど……」
「そんなこと言ったってなあ〜〜」
 戦っている時はいつも必死だった。
 直感でとった行動が偶然上手くいっただけだ。
「なんとなくやれそうな気がして、やってみたらできたって感じなんだよな……。ジイちゃんに言ったら『危ないから理論も勉強しろ』って怒られたけどさ……」
 望は琥珀の瞳を丸くして、小さく笑った。
「僕もそうでしたよ……」
「先輩も?」
「僕と霊筋が近いってことは、一真君も僕と同じことができる可能性が高いってことですから……。きっと、破邪の法の呑み込みが異常に早いのも、霊符を直感で破れるのも……」
「そっか……」
 手の甲でダンダラ模様を縁取ったような文様は碧の輝きを放っている。
 霊紋と呼ばれる紋は覚醒した隠人の証だ。
 黒い手袋をはめているが、望の左手の甲にはダンダラ模様のような三角形の連なりが赤く光っているのだ。
 珍しい霊紋で高位の霊狼の証らしく、現在のところ、一真以外に似た紋を持つ者はいないのだという。
「そういえばさ、オレは手袋しなくてもいいのか?霊紋って、普通の奴には見えてないみてーだけど……」
 霊紋は霊力を使っていない時は薄い墨汁のような色をしていて、大きな痣のように見える。覚醒した隠人でなければ見えないらしいので問題ないといえばそうなのだろうが、一真のように目立つ場所にあると少し気になる。
「そうだなあ……。今のところは問題なさそうだけど……」
 一真の手の甲をしげしげと眺め、望は考え込んだ。
「……問題って……。その手袋、霊紋が目立って嫌だからつけてるんじゃねェの?」
「それもありますけど……」
 望は左手の手袋を外した。赤い火花がチカチカと舞った。
「僕の場合、火属性だから無意識に霊力が高まった時に火の気を撒き散らして危ないんですよ。目立つからっていうより霊力を抑える為っていうほうが大きいかなあ。一真君は木属性だから、霊格が高くてもそこまで危険ってことはないと思いますけど……」
「ちょっと待ってくれよ」
 一真は自分の師匠の顔をまじまじと見てしまった。
「それって、先輩は常に力をセーブして戦ってるってことか……?」
 一真と戦った時も鏡面と戦った時も、望は手袋をつけていた。
 あれが全力ではなく、まだ余力を残していたのだとすれば――。
(ウソだろ……?めちゃくちゃ強かったのに……。あれで、まだ本気じゃなかったっていうのかよ……?)
 戦慄する一真の内心に気づいているのかいないのか、望はカラカラと笑った。
「多少は制御されますけど、そんなに強い封印じゃありませんよ。自分で手袋の取り外しできるくらいだもの。一真君は風の能力が強いみたいだから、霊紋に風が巻き始めたら手袋が要るかもしれませんね。生活するのに不都合が出てきたら教えてください」
「あ、ああ……」
 最強の鎮守役と称される望の凄さを垣間見た気がした。
 破邪を使えるようになって少しは追いついたと思っていたが、まだまだ遠いようだ。


 結界を解き、望は何かに気づいたように振り向いた。
 バス停に備え付けられた時計は十一時を指している。
「そろそろ休憩時間かあ……。戻らないと怒られちゃうなあ……」
「そうだぜ、戻って休憩とらねーと……」
 巡察は一晩のうちに町内を三、四周する。夜間は邪の出没が昼間の倍以上になるので、それでも足りないくらいだという。邪との遭遇率が高く、それだけ体力・霊力の消耗が大きいので、夜番は前半後半で二班に分かれ、途中で交代することになっている。
 今はちょうど一巡目が終わった頃だ。剛士達は神社に戻って夜食でも食べているだろう。
「一真君、神社に戻ってくれる?休憩してきてください」
「先輩は?」
 望は伸びをした。
「僕はいいです。ここで休憩してるから巡察が始まったら戻ってきてくれる?」
 一真は眉を顰めた。
「なんで?伝令役と喧嘩でもしてるのか?」
「違いますよ……」
 琥珀の瞳が困ったように空を見上げた。
「沢山の人と一緒に過ごすの、苦手なんですよ。隊の皆も、いい人達だってわかってるんですけれどね……。僕の感覚って……、ちょっとズレてるみたいだから……。変なこと言っちゃって気味悪がられたくありませんし……」
(そっか……。そうだっけな……)
 天狗の転生体でもないのに天狗の証である霊風を操り、誰にも習うことなく神通力を扱えた望は、幼い頃から周囲の奇異の目に晒され続けてきたのだという。
 鎮守役となった今でも、当時のことがトラウマになっているのかもしれない。
「その点、一真君は話しやすいな。霊風のことも、霊格も、気にしなくていいもの」
「光栄だけどさ。先輩、そんな気にするほどズレてねェと思うけど……」
「そう?」
 望は少し嬉しそうな顔をした。
(この人……、けっこう重症かもな……)
 一真にとって他人事ではない。
 同じように天狗ではないのに霊風を扱い、ほとんど習うことなしに霊符を始めとする神通力の類を使い――、望という先例がなければ、きっと一真も今頃は「化け物」の烙印を押されていただろう。
 覚醒の時期が逆だったならば、こうなっていたのは一真だったかもしれないのだ。
(鏡面の時も一人で戦おうとしてたっけな……。怪我してたのに……)
 鎮守隊と関わってひと月ほどだが、補佐達の望への信頼は相当強いことがよくわかる。
 破邪の力がないとはいえ、補佐でもサポートくらいできるはずだ。頼めば、危険な相手だろうと喜んで一緒に戦ってくれるだろうに。
 鎮守様と補佐達の間には空まで届くほど高い透明な壁があるような気がした。
「早く戻ったほうがいいですよ。夜食も用意してくれてるはずですから。ゆっくり食べてきてください」
「それじゃ、」
 一真はバス停のベンチにどっかりと腰を下ろした。
「オレもここで休憩。いいだろ?」
 望はハッと何かに気づいたように真剣な顔をした。
「も、もしかして、新人いじめに遭ってる?さっき、関戸さんに何かされたとか……?」
「それはねーって……」
「で、でも……!なんだか様子がおかしかったですよ!?」
「えっと……、それはだな……」
 まさか、望の危険な体力をネタに決起集会をしていたとは言えない。このトップの生活破綻のおかげで補佐達と絆が生まれたような気はするが。
「とにかく、何にもされてねーから!だいたい、番長はこそこそするようなタイプじゃねェだろ?オレに不満があるってんなら、こないだの壬生先輩みてーに正々堂々抜き打ちテストしてくるだろーし……。オレ達が霊力高めて殴り合い始めたら、先輩だったらすぐわかるじゃねェか」
「それもそうですね……」
 本気で心配していたのだろう。望は見るからにホッとした表情をした。
「ここで休憩するのは構わないけど……、夜食食べなくて大丈夫?これから邪が多い時間帯なのに……」
「それなんだけどさ……」
 手首に巻いた水晶のブレスレットに手をやる。
 「袋玉」という神通力の一種で、水晶一粒一粒に超小規模の亜空間を造りだし、中に物を入れて持ち運びできるようになっている。
 霊符や刀といった鎮守隊の必須アイテムはこの中に入れて常に携帯している。
 水晶の一つから一真はやや大きめの弁当箱を取り出した。
「……お弁当持ってきたの?」
 興味をそそられたのか、望は隣に座り覗き込んだ。
 弁当箱の中にはラップに包まれたおにぎりが詰まっている。手を洗わないで食べられるから、これでいこう、などと光咲が妹達に指示していたのが聞こえていた。
「妹と、光咲と若菜が……。今日が初陣だって言ったら、はりきって作ってくれてさ……。オレ一人で食うには多いけど、補佐全員分があるかっていうと、そうでもねェし。どこで食おうかなって思ってたんだよな」
 夜食がもらえると聞いていたので必要ないと言ったが、「補佐の分も奪いそうだから」という理由で弁当持参になってしまった。妹と幼馴染達は、いったい、どういう目で自分を見ているのだろうと、時々、思う。
「ああ、詩織さんと北嶺姉妹ですか。北嶺さん達とは幼馴染でしたっけ?仲良いですよね」
「幼馴染っていうか……、兄妹みたいな感じっていうか……。親同士が仲良くてさ。光咲の家、親父さんもおばさんも家空けること多いから、よくうちに来てたんだ。今もそれが続いてるって感じじゃねェかな」
 幼い頃は何も不思議に思うことなく四人で親の帰りを待っていたが、今にして思えば、全てが隠人絡みの事情だったのだと思う。光咲の母は松本医院の隠人専門棟の看護師だ。現在も在籍していて、急患が増えると応援に行ってしまう。一真の祖父は霊刀鍛冶師だし、大坂にいる両親も現衆関係の仕事に就いているらしいし。
「オレ達、覚醒して初めて自分の家がどっぷり現衆っていうか、鎮守隊と関わってたって知ったんだよな……。昔、店番してたら金物買いに来たとは思えないような奴が店に来てるな〜〜とは思ってたけどさ……。あの時来てた客って、ジイちゃんに霊刀の注文に来た現衆の偉いのとか霊山の関係者とかだったのかなって……。先輩も食うだろ?」
 弁当箱を差し出すと、望は少し戸惑った顔をしたが、礼を言って手前の一つを手に取った。一真も一つを手に取り口に運ぶ。つられるように望もおにぎりを口にした。
(よし、食ってるな)
 意図していたわけではないが今夜の目標は達成したようだ。後で剛士に連絡しておこう。
「なんか、花見みてーだよな」
 傍に立つ桜の木を見上げる。
 満開にはまだほど遠いが、月夜に桜の下で弁当を食べるのは悪くない。
 女子がいないのがやや不満だが、巡察中に文句は言えない。
「町内は桜が多いですからね。槻宮学園の中なんて、もう少ししたら一斉に満開になって綺麗ですよ。毎年、大学生や寮生がお花見大会してるみたいだし」
 望はおにぎりをかじりながら、おっとりと花を見上げた。
「……そういえば、一真君、鍛冶師を継がないんですって?」
「ああ。伝令役に聞いたのか?」
 望は頷いた。
「隊としては、一真君が鎮守役になってくれるのは有難いですけど……。匠もかなり大変そうですよ?本当に無理してない?」
「伝令役も心配してくれてたけどさ。霊刀って持つのキツイんだよな。持つだけでもそれなのに、一日中向かい合って鍛えるのなんて無理だって。それに……、オレの性格じゃ、鍛冶師なんて務まらねェって。霊力使って邪を叩いてるほうが、よっぽど性に合ってるぜ」
 木属性の一真は金属性が苦手だ。
 金の気を放つ霊刀は手にしていてもあまりいい気分がしないし、霊力を通そうとすると刀身からの抵抗を感じて扱いづらい。木刀を使っているのもそのためだ。
「それはわかるなあ。木刀振り回してる時の一真君、本当に楽しそうだもの」
「だろ?それにさ……」
 一真は右手の甲を眺めた。
「霊力使って戦ってると懐かしい気分になるんだ。ずーっと昔にもこうやって暴れてたような気がしてさ……。なんか大事なことを思い出しそうな気がするんだよな」
「わかるなあ……」
 望は黒い手袋に覆われた自分の左手の甲を撫でた。
「時々、ここにいる自分は本当の自分なのかわからなくなるもの……。小さい頃は、そのうち前世の知り合いが迎えに来るんじゃないかってよく思いましたっけ……。天狗みたいに」
「天狗って、そうなのか?」
「ええ」
 琥珀の瞳が瞬いた。
「天狗は永い時間を生きますから……。命を落として転生したら、前世で所属していた霊山の仲間が霊気を感じて迎えに来てくれるそうですよ。特に、宵闇は……」
「……あのさ、先輩……」
 少し躊躇い、一真は口を開いた。
「蝕を迎えて霊山に行ったら……、どうなっちまうんだ?」
「どうって?」
「破邪が体を浸食して限界を迎えたのが蝕の状態なんだろ?霊山に行くっていうことはさ、その……、天狗になるってことなのか……?そうなったら、もう戻ってこれないのか……?」
 望は黙った。
 言葉を探しているようにも見えた。
「……そうです」
 数分の沈黙の後に、望は呟いた。
「僕達が蝕を迎えたら、霊山に入山して天狗道に入って……、『天狗』という、霊獣と似て非なる存在になります。人間という器の制限から逃れ、何百年も老いない体を手に入れて、霊獣に匹敵する霊力を扱い……、本物の『化け物』として生きることになります……」
 琥珀の瞳が安心させるように笑った。
「だけど、天狗道に入る前に蝕が収まって戻ってきた人もいますし。蝕の兆があっても霊紋が急に閉じてしまうこともありますから。今から悩んでも仕方ありませんよ」
「そうだよな」
 つられて笑ったが、心の中には重いモノが残った。
(オレも先輩も……)

 ――いつ、蝕が起きてもおかしくない……。

 こうして話している間にも、霊体の中の破邪の力は肉体を浸食し続けているのだ。
 願わくば、その時がずっと来ないで済んでくれたらいい――。
 人の世と別れを告げる覚悟など、とてもではないが持てそうになかった。