夜桜舞う里





 黄昏が迫る時刻――。
 傾いた陽気が土手に並んだ桜に揺れ、近くの公園から子供達が遊ぶ声が聞こえてくる。
 浅瀬橋の上を数台の車が行き交う、長閑な春の夕暮れ時だった。

 ン

 微かな澄んだ高音が流れた。
 橋の上を行く車が、土手を散歩する初老の夫婦が、子供の声が――、消えた。
 正確には遮断された。
 外界から隔離された結界の中は邪気の気配すらなく穏やかな春の光が変わらず揺れる。
 川の流れと風の流れだけが許された橋の上に長いコートを纏う長身の人影が出現した。
「……やはり、ここで途絶えている……」
 静かに呟き、男は車がなくなった橋の上に歩を進めた。
 数日前に邪物と鎮守役の戦いが繰り広げられた橋の上には道路が伸びているばかり。
 砕け散った邪物の破片は残らず回収され、結界も解除された今、あの夜の戦いを示すものは何一つ残っていない。
 暫し足元を眺めていた男は何かを見つけたように足を止めた。

“応えよ……、我が傀儡よ……”

 翳した右掌に生じた光に呼応するように橋のあちこちで赤い光が瞬いた。砂粒よりも小さな赤い粒は一斉に浮かび上がり、立体パズルのように元の形――、鏡面という名の邪物の顔の真ん中に埋もれていた瑪瑙を形作っていく。
 どれだけ細かく砕け散ろうとも、男にとっては大して意味をなさなかった。
 赤い瑪瑙の塊がコロンと手の平に転がった。
 切れ長の瞳が瑪瑙を眺めた。
 その表情は笑うことを忘れてしまったように硬く、瞳はどこまでも昏く冷たい。
「……お前を討ったのは誰だ……?」
 薄い唇が問うた。
「本体を易々と破壊するほどの破邪……、鎮守役ごときが宿しているはずがない。霊山だろうと、これほどの破邪を宿す者はそうはいまい……。鞍馬の貴人殿が目覚められたか?あるいは、かの魔天狗殿が動いたか……。それとも……」
 声に僅かな期待が籠った。
「あの男が目覚めたか……?」
 ちりちりと瑪瑙の中で光が燃えた。
 手の平から瑪瑙の内に溜め込まれていた霊気が伝わる。
「そうか……。ついに目覚めたか……」
 無表情な顔に笑みが広がった。
 橋の上に笑い声が響く。
 狂ったように男は笑っていた。
「待ちわびたぞ……!」
 笑みを噛み殺し、男は夕闇が閉ざし行く静かな町を振り返った。

「ようやく会えるのだな、双牙……!」