春暁の前に





 屯所の最奥の一室。代々の西組主座が使うという「刃守の間」の障子を開け、一真は眉を顰めた。
「先輩……、電気つけようぜ……」
 夕闇が満ちた室内で望は明かりもつけずに座っていた。
「不便?視えないならつけるけど……」
「視えるけどさ……。癖っていうかさ……」
 暗くなると照明をつける生活をずっと送ってきたのだ。視えるには視えるが、室内ではなんとなく心もとなく感じてしまう。
「闇の中で動くのにも慣れておいてください。邪は夜のほうが多いですから」
 促されるままに、一真は腰を下ろした。
「話って?」
 広間では昼番と夜番が引き継ぎを行っている。望は昼夜両方に参加しているので、顔を出さなくても問題ないらしい。
「匠から預かりました」
「ジイちゃんから?」
 一枚の書類が畳の上に置かれた。
「え……」
 それは祖父が持っているはずの推薦状だった。空欄だった保護者の署名欄に伸真のサインと印がある。
「なんで……」
「今日のことを話したら渡してくださいました」
「今日って……、先輩、あの後、うちに行ってたのか?」
 結界を出た後、優音に何か話してフラリと姿を消したと思っていたが、一真の家に行っていたとは。
「どうしても、匠と直接話しておきたいことがありましたので……」
「ジイちゃんと?」
「一真君が戦闘中に異常覚醒を起こしたのは、二回目です。覚醒したばかりや、若菜さんのように不安定ならばともかく、普段は安定しているのに戦闘中だけ急上昇を繰り返すなんて、普通はありません。このあいだの鏡面ならば、あいつの強い邪気に反応した可能性もあるけど、今日のは雑魚だったし……」
「オレ、今日も異常覚醒起こしてたのか?」
 前も記憶が飛んだのを思い出す。今日のことも、鏡面の声が聴こえた後から望が入ってくるまでのことはほとんど覚えていない。
「僕が結界に入った時の一真君は普通じゃありませんでした……。まるで、どこか別の世界にいるみたいで……。僕のことも誰かと混同してるみたいだったし……」
「白昼夢のことか?」
「……あの時の一真君の霊格は異常でした。異常覚醒を起こしている時にそういうものが視えるっていうことはね……」
 望は一度、言葉を切った。
「一真君が見たのは夢とかじゃなくて、魂の記憶の可能性があるんです……」
「魂の記憶……?そんなもん、視えるもんなのか?」
「天狗の転生体に頻発する症状です。彼らは生まれ落ちたその瞬間から、前世の続きを生きようとします。そして、もう一つ、同じような症状が出ることがあります……」
 再び登場した「天狗」という単語に一真は息を呑んだ。この先、霊山や天狗と離れられないような気がした。
「天狗の転生体でも、いろいろ解決しなきゃいけないことがありますけど……。僕達が恐れているのは、もう一つの症状……『蝕』の前兆なんじゃないかっていうことなんですよ」
「蝕……」
「もう匠から聞いていますね?」
 頷くも実感はない。
 伸真から話を聞いても、どこか遠い未来の話のような気がしていた。
 それが――、こんなに早く関わってくるなんて……。
「ホントに蝕なのか?」
「まだ決まったわけじゃありません。でも、対策を打っておいたほうがいいでしょう」
「対策って……、んなもんあるのか?」
「多少、遅らせることはできます。肉体を浸食して蝕を引き起こすのは、霊体の中に在る破邪の力ですから」
「破邪の力が?なんで……」
「破邪は全ての穢れを打ち破る力です。肉体は常に現の穢れを受けていますから、破邪が強まるほどに肉体をも浸蝕してしまうんですよ。霊格が高まると蝕が起きやすくなるのは、破邪も霊格に比例して強まっていくからです。だから、破邪を内に溜めこまないように霊力を発散させて循環させ続ければ、その分、蝕は遅れます。そのためには、邪相手に常に霊力を叩きつけ続けるのが有効です」
「それで……」
 伸真は許可したのだ。蝕を迎えるよりはいいだろうと。
「それでも、完全には止められないんですけどね……」
「すぐに変なことになるよりいいって……」
 今はそう考えるしかなかった。
 結局は蝕ではなかったという結論希望だが。
「でもさ、先輩は大丈夫なのか?」
「なにが?」
「今でもクソ忙しいのに、オレに稽古つけられんのかよ……?」
「……う〜〜ん、そこなんですよ……」
 望は考えるそぶりをした。
「なんとかなるといいなあって……」
「や、それダメだろ!?アンタがぶっ倒れたら、オレが補佐にフルボコにされるって!」
「大丈夫ですよ。補佐の皆が襲ってきても、一真君なら蹴散らすでしょう?」
「そーいう問題じゃねェ!」
 鎮守様が倒れて補佐にも怪我人が出たら、この組は壊滅ではないか。
「ま、まあ、冗談はこのくらいにして……」
「本当か!?本当に冗談だったのか?めちゃくちゃ顔がマジだったぜ!?」
「そ、そう?」
 望は咳払いをした。
「正直なところ、あんまり修業はみてあげられないから、一緒についてきてもらって、今日みたいに実戦で覚えてもらうことになるんじゃないかな……。霊符も、実戦で使い方を覚えてもらえたら嬉しいんだけど……」
「……やっぱ、そうだよな……」
「ど、どう?そんな感じでなんとかなりそう?」
「ああ」
 一真はニヤリと笑った。
「オレとしちゃ、コツコツ修業やるより、そんくらいのほうが性に合ってるぜ」
「頼もしいなあ。一真君なら、そう言ってくれるような気がしたんですよ」
 望は横に置いていた紫の布の包みを手に取った。
「受け取ってください」
 包みを開けると、水晶のブレスレットと望が首から下げているのと同じデザインの水晶のペンダントが夕闇の中で淡く瞬いた。
「袋玉と鎮守印。袋玉は鎮守隊の隊員証、鎮守印は鎮守役の身分証みたいなものです。どちらも肌身離さず身につけていてください。今、この時から、一真君は鎮守役見習いとして、仮入隊になります」
「……じゃ、今からオレは先輩の弟子ってことか。師匠って呼んだほうがいいのか?」
「これまで通りでいいですよ。一真君が敬語使うと、なんだか怖いし……」
「……どーいう意味だよ、それ……」
「深い意味はありません」
 望は推薦状を手に立ち上がった。
「光咲さんの病室で妹さんが待っています。帰りに寄ってくださいね」
 「また明日」と言い置き、望は部屋を出て行った。
 誰もいなくなった部屋で、一真はブレスレットを手首につけた。
 水晶が一真の霊気と波動を合わせ、うっすらと碧に染まり、すぐに透明に戻った。
 ペンダントを首から下げ、一真もまた立ち上がった。
「……こーなったら、行けるとこまで行くしかねーか……」
 蝕を迎えたなら、その時に考えればいい。
 鎮守印の水晶が霊気を吸い込んで微かに光った。


 色とりどりの霊気を纏う一行が夜の町を行く。
 夜の巡察が始まったのだろう。
 一行の中に混じる、ひときわ強い火の霊気が槻宮学園のテラスにまで届いた。
「この霊気……、やっぱり、西組の主座は人の域を超えているわね……」
 少女――、槻宮玲香は目を細めた。
 温かい春の風に細めた瞳は、現ではなく、記憶の中の面影に向けて微笑んだ。

「若様……、いかがいたしましょうか……」



 ――第二章 春暁の前に 完――