春暁の前に

19話




 ゴウッ

 巻き起こった碧の風が邪霊達の動きを止める。

“風よ!我が意に従え!!”

 突き出した手の平に風が集結する。
 風の中で碧が光った。
 碧が拳の先で渦巻き、風を纏った光弾を作り上げる。

“撃て……!風撃!!”

 ドウンッ

 碧の光が固まっている三体の邪霊目掛けて進む。
 軌道を逃れた邪霊も、渦巻く風に巻き込まれ、次々に光の中に呑み込まれていく。
 ザア……
 碧の光に呑まれた邪霊が砂のように崩れ、空気に溶けて消えていく。
 復活する様子はない。
「終わった……のか……?」
 あまりにもあっけない勝利に、一真は結界内を見渡した。
 隅々まで風が吹き抜け、黄のはずの天井が碧に染まっている。
 邪霊が潜んでいる気配はない。
「……霊風には破邪が入ってるってことなんだろな」
 望が風を使うように言ったのは、そういうことだろう。
(霊風か……)
 右手の甲で碧の光を放つ霊紋を眺める。
 ダンダラ模様を縁取ったような山の連なりは碧の稲妻のようにも見える。
 伸真の霊紋は詩織のものと同じ、アルファベットのVのような模様で、光咲は円のような模様だ。
(父さんと母さんも詩織と同じ紋だって言ってたっけな……)
 伸真によると、家族に一真と同じ紋を持っている者はおらず、鎮守役だった頃にも見たことはないらしい。
「つっても、先輩とも微妙に違うんだよな……」
 現時点で、唯一、一真と近い紋を持つのが望だ。霊紋は表れる場所にも個人差があり、家族でも異なっているらしい。一真も望も、左右の違いはあるが、どちらも手の甲に紋が浮かんでいる。霊風を操れることといい、何か関係があるのだろう。
(共鳴の話がホントなら、オレ達の前世は狼の霊獣ってことになるから……。種類が違うとか、そーいうのだったりしてな……)
 犬でいえば、柴犬とかマルチーズとかチワワとか……。そういう犬種ならぬ、狼種でもあるのかもしれない。
「近いってことだから……、柴犬と北海道犬くらいか……?」
 聞いたことのある名前を適当に思い浮かべてみる。狼、それも霊獣なので、もっと別の分け方があるのだろうけれど。
「まあ、いっか……。結界出て若菜のフォローしてやらねーと……」
 望はともかく優音からの説教は確実だろう。上級生に叱られたくらいでめげるような奴ではないが、先ほどの動揺は少々気がかりだ。放っておくわけにもいかない。
 風を収めようと霊紋に触れる。
(ん?なんだ……?)
 スイッチが入ったように耳鳴りがした。
 覚醒する前も耳鳴りがしたが、あの時の甲高い音とは異なり、ザー、というノイズのような音だ。
「なんか聴こえる……?」
 ノイズの合間に、澄んだ女の声が混じる。
 声は少しずつ大きくなり、ノイズの中でも聞き取れるようになった。

『なんと……じゃ……。……者が……地に二人…………とは……』

 悪寒が走った。
「…………嘘だろ……?」
 声の主が想像通りの奴ならば、できれば二度と関わりたくない。
 しかし、それは次の瞬間、ノイズを押しのけて鮮明に耳の奥に木霊した。

『なんと良き日じゃ……。一門の者が、かような地に二人も集っておったとは……』

 ぶわっと全身から汗が噴き出した。
 視線を走らせて結界内の気配を探る。
(い、いねェよな!?マジ、やめてくれよ……)
 女の声を持つ仮面――、鏡面は望が倒したはずだ。
 砕け散った仮面は補佐によって回収され、神社でお祓い中だと聞いている。
(こんなとこにいるわけねェ……!いるわけねェし、今すぐ消えろ……!)
 なんとか止めようと頭を振ったり、耳を塞いでみるが全然効かない。
 女の声は同じ言葉をひたすら繰り返す。
「き、キモすぎる……。どーしろってんだよ……」
 目の前に出てきたならば戦えばいいが、声しか聞こえない状況ではどうしようもない。
 物凄く嫌な攻撃だ。
「……オレにとり憑いてるってのだけは勘弁してくれよ……」
 望ならばわかるのだろうが、到着までにもう少し時間がかかるだろう。
 鏡面が潜んでいるかもしれないのならば、結果を解くわけにもいかない。
(は、早く来てくれ、先輩……!さすがに、これはツラすぎる……!!)
 謎の怪奇現象に弱気になっていた一真だったが、一分が過ぎる頃には苛立ちが弱気を上回っていた。
「くあああああ、鬱陶しいっつーの!ったくよぉ、だいたい、口ねェくせに気色悪いこと、しゃべってんじゃねーよ、仮面女……!」
 どこにいるかもわからない鏡面に怒鳴っていると、かなり気が紛れてきた。
 それでも声は消えない。
「あーー、クソ!良き日も一門も、どーでもいいから、黙れ……って……」
 ドクリ、と紋が大きく脈打った。
 ――一門……
 自らが口にした音が魂の奥から光を引きずり出していく。
「一門は……、天、地、幻……の……」
 唇が勝手にその音を紡いだ。
 鏡面の声が消え、風の音が耳の奥で鳴り始める。
「そうだ……、オレは……」
 深淵から浮かび出た光が視界を埋め尽くした。
 うっすらと黄の光が揺れるバス停の景色がごつごつとした岩肌に変わっていく。
 赤く燻る夜空に凶星が輝いた。
 風が吹き荒れる岩場に一真は立っていた。

 ――どけ……!

 耳の奥に自分の声が響く。
 目の前には、角を生やした魔物の群れ――。
 突き出した自分の腕に軍服のような袖口がダブる。

 ――邪魔だ!

 放たれた碧の風が魔物の群れを吹き飛ばした。

 ――雑魚が……!

 吐き捨てる声には焦燥が滲んでいた。
「ここも崩壊が近い……」
 一真は呟いた。
 周囲は魔物達の屍ばかり。探す姿はない。
「兄上……」
 故郷も崩壊に巻き込まれつつあると先ほど聞いた。
 城はまだ無事だというが、このまま大地が崩れてしまえば……。
「クソ!」
 襲いくる不安を頭の隅に追いやる。
 大丈夫だ。兄は強い。きっと、無事でいるはず。
 留守を頼んだ部下達が兄を守ってくれるはずだ。
 今は使命を果たすことだけを考えなければ。
 それが、この紋を持つ者の宿命なのだから……。
 遠くでガラスが割れるような音がした。
 擦りむいた先で赤い光が揺れる。
「え……?」
 光の中に佇む人影に戦装束が重なる。
 穏やかな笑みは記憶のものと同じだ。
「…………様……?」
 呟いた名は自分でも聞き取れないほど掠れていた。
「一真君!」
 火を纏った少年が呼んだ。
「大丈夫ですか?邪霊は!?」
 刀を手に、駆け寄ってくる少年は全くの無傷だ。

 ――何故……?

「痛っ」
 額を抑えてよろめく。
 何かがおかしい。
 最後に見た姿は、とてもではないが自力で動ける状態ではなかった……。
「どうしました!?どこかやられたんですか!?」
「……ご無事……、だったのですか……?」
 少年はぎょっとしたように後ずさった。
「え?ど、どうして敬語!?僕より一真君が大丈夫!?変な物でも食べたの!?」

 ――別人か……?

 いいや、そんなはずはない。
 同じ声、同じ容姿、同じ霊気――、纏う雰囲気も、こんな感じだった。違う点があるとすれば、記憶よりも遙かに低い霊格――。
「霊格が凄く上がってるじゃないですか……!抑えなきゃ!!」
 何かに気づいたように、少年は手を翳した。

 キインッ

「ぅわっ!?」
 少年は目を丸くして左手を押さえた。
 黒い手袋ごしに霊紋が浮かび上がる。甲の下半分を深紅に染めるダンダラ模様が――。
「霊紋が……共鳴を起こしてる……?」
 赤と碧の風が結界の中を吹き荒れた。
 自らの風を突きぬけてくる火の霊気に一真は笑った。
「……はは、やっぱ、生きてたんだな……。そうだよな……。貴方ほどの人が……、あんな簡単に……」
 ――やられるわけがない……
 きっと、あれは見間違いだったに違いない。
「なに……、言って……?」
「参りましょう……。あのお方の元へ……」
 ズキリと頭が痛んだ。
「違う……。あの方は……。じゃあ、どうしてオレは……」
「一真君!」
 間合いを取り、少年は左手の平を突き出した。深紅の光が炎となって揺らめき立つ。
「しっかりしてください!霊筋に呑まれないで!!」
 放たれた深紅の閃光が一真を呑み込んだ。
 周囲に渦巻いていた碧の風を吹き飛ばしていく。
「ッ!?」
 急激に景色が薄れ、ぼやけ始めた。
 戦装束が空色のパーカーに変わっていく。
「一真君!大丈夫ですか!?」
「……先輩?」
 必死な表情の望と目が合った。
「どーしたんだよ、怖い顔して……。つか、いつ入ってきたんだ?」
「……ついさっきですよ」
 安堵したように望は息をついた。
「よかった……。元に戻ったんですね……」
「戻った……?」
 一真が張った結界が消え、赤い幕があたりを包んでいる。
 望が外側から張った結界だろう。
「あれ……?オレ、何やってたんだ……?」
 耳の奥のノイズは消え、頭がぼんやりとした。
 怖い夢を見た直後のように軽い疲労が残っている。
「何があったんです?邪霊は倒したみたいだけど……」
「オレもよくわからねーんだよな……」
 さっきまで視ていたはずの景色がもう思い出せない。
「邪霊倒して外に出ようとしたら、鏡面の声みてーなのが聴こえて……、そっから覚えてねェ……」
 望が顔色を変えた。
「鏡面!?な、なんであいつが出てくるの!?」
「オレもわからねェ……!とり憑かれてたりしねェよな!?」
 琥珀の瞳がしげしげとこちらを凝視した。平静を装っているが、こめかみを一筋の汗が伝っていく。
「……今も聴こえる……?」
「いや、今は何にも……」
「そう。よかったぁ〜〜」
 鏡面は望にとっても苦手な奴らしい。
「あいつの邪気は感じないから問題ありませんよ。直接触れた影響かもしれません。最後に強烈な言霊を残してましたからね……。他には?」
「白昼夢みてーなの見た気が……」
「さっきのですか?」
「さっき?」
「寝言みたいなの言ってましたよ?無事だったとか、あの方とか……」
「……オレが?」
「覚えてないの?」
 頷くと、「まさか」と呟き、望は黙り込んだ。
「先輩?」
「ごめん、何でもないから」
 いつもの穏やかな笑みを浮かべ、望は歩き出した。
「戻りましょう。若菜さんが心配しています」