春暁の前に

17話




“十二天が一、玄武!”

 符から広がった青い波動が数匹の邪霊を囲んだ。

“圧!”

バシャッ

 砂の人形を押し潰すように黒い粉をまき散らし、黒い体が潰れる。
「やった……!?」
 喜んだのも束の間、若菜は慌てて次の霊符を構えた。
 玄武の圧を逃れた黒い影が牙を剥きだした。

“十二天が一、勾陣!”

 黄の壁にベシャッと黒い手の平が激突した。
 顔のパーツが不足した出来損ないの猿のような姿をした邪霊が、耳障りな声を上げながら壁を掻きむしる。
 その背後で、潰れた邪霊がビクビクと痙攣した。
「ウソ……!なんで膨らむのさ!?」
 数回の痙攣を繰り返し、邪霊がムクムクと膨らんだ。瞬く間に元の形に戻り、何事もなかったように目玉がこちらを向いた。
「もう一回、潰してやる!」
 ポケットに手を突っ込んだ。
 残る霊符は――、一枚。
「作ってくるんだったな……」
 一度に持ち運べる霊符の枚数などしれている。
 鎮守隊が巡察道具を持ち運ぶのに使用する袋玉。あれがあれば、作った分だけ持ってくることができるのに。
「あ〜〜、もう!合宿終了したら、袋玉もらえたらいいのにさ……!」
 使い方は習ったが、袋玉で編まれたブレスレットは鎮守隊の隊員証でもある。入隊していないと支給してもらえない。
 一見すると普通の水晶のブレスレットのようだが、水晶玉一つ一つを清め、各隊員の霊気に馴染むように調整された特殊仕様だ。ストーンショップで売っている普通の水晶では術も上手く発動しないのだ。

バンッ

 復活した邪霊が勾陣の盾に飛びついた。
 壁がビキリと音を立てる。
 さすがに六体もの邪霊の邪気を耐え切るのは難しい。
 更に、勾陣は土の属性。水の属性の若菜の霊気は相克の関係だ。若菜の霊力では、霊符の力を引き出しきれないのだ。
(どうしよう……)
 このまま戦い続けるか。
 結界を解いて逃げるか。
(ダメ……!逃げるなんて、絶対に……!!)
 若菜は首を振った。
(あたしは……、鎮守役になるんだから!)
 盾に張りついた邪霊達を睨み、霊符を構える。

“我が気を食らいて、その威を現せ……”

 ありったけの霊力を一枚の札に込める。

“十二天が一、白虎!”

 符が白く光り、手の中で白く光る大振りのクナイを形作る。
 飛び道具のイメージがある霊符だが、接近戦用の符もちゃんとある。
 ただし、他の霊符よりも消耗が激しいので使い手は少ないが。

 バリンッ

 壁が砕け散った。
 後ろに下がり、先頭の一体に狙いを定める。
「やっ!」

 ザシャッ

 クナイを突き立てた邪霊の腕が砂のようにざらざらと崩れ落ちる。
「たあああっ」
 白い刃が掠るだけで、邪霊が動きを止めていく。
 白虎は霊力を注ぎ続けて霊符を武器に変える。他の攻撃用の霊符に比べて、接近戦しかできないが、命中した時に叩き込める霊力は群を抜いている。邪霊の復活が、叩き込む霊力の不足が原因だというならば、白虎ならば倒せるはずだ。
 あるものは半身を吹き飛ばされ、ある者は頭が吹き飛び、ある者は胴に大きな穴が開いて、崩れていく。
 ――勝てる!
 最後の一体に狙いを定める。
 右腕に鋭い痛みが走った。
「え……?」
 ポタリと赤い滴が落ちた。
「ウソ……!手応えあったのに……!!」
 崩れ落ちたはずの邪霊の腕が後ろから伸びていた。
 爪が赤く染まっていく。
 周りを見渡せば、他の邪霊達も吹き飛ばしたはずの部位に黒い砂埃が集まっていく。
「なんで……!?なんで復活するの!?」
 クナイを持つ手に霊力を送り込む。
 ここで結界を解けば逃げられるだろう。
 だが、それは負けだ。
 若菜が逃げる代わりに、この六体の邪霊を外に逃がしてしまう。
 そんな大失態、すぐにでも隊に知られてしまうだろうし、組長の耳にも入ってしまうだろう。
(それだけは……、嫌!嫌すぎ!!)
 ――組長に失望されてしまう……!
 その恐怖が若菜を結界の中に踏み止まらせた。
「あたし、絶対に鎮守役になるんだから!!」
 飛びかかってきた邪霊にクナイを突き立てる。
(組長……!)


 半年前。兆が現れて間もない頃、若菜は邪霊に襲われた。
 空が真っ赤に染まった夕方だった。
 部活帰りに路地裏をうろつく犬のような影を見かけた。ちょうど、ランドセルの中には家庭科部が実習で作ったクッキーの残りが入っている。家で飼うことはできないが、お腹を空かせているのならば――。
 だが、振り向いたのは――、顔の真ん中に真っ赤な目玉を一つ持ち、黒い舌が二つに分かれた化け物だった。


「ていっ」
 すぐ横で復活しかけている邪霊にもう一度斬りつける。


 あの日――、恐怖に声も出ずに腰を抜かすしかできないでいた時。助けに入ってくれたのが赤い光を纏った少年――、城田望だった。
「かっこいい……」
 一撃で化け物を蹴散らす姿に恐怖も何もかも吹き飛んで、ただ、それだけを思った。
 あんな風になれたら。
 どうせ覚醒するのならば、この力で、あんな化け物と戦えたら。
 姉や両親、中学から戻ってくるという親友、本当の兄のように思っている親友の兄――、大事なものを守れたら、どんなにいいだろう。あの人の傍で。
 そう願った秋の黄昏時だった。


「はあ、何なのさ、こいつら……!」
 息を切らし、若菜は汗を拭った。
 隠人でも、体力に限界がある。霊力を放出し続けなければならない白虎は、同時に接近戦も行わなければならず、体力面での消耗も大きい。この霊符が敬遠される理由の一つだ。

 覚醒が始まった若菜の霊格は通常の隠人よりも高かった。
 すぐに鎮守役になれるほどではなかったが、霊格は修業を積めば高めることができると聞き、勇み足で合宿に参加した。
 戻れば、すぐにでも入隊して、いずれは霊格を高めて鎮守役になろう。そう心に決めて出かけたはずだった。
 だが、現実は――、自分の霊力に振り回されて、隊に参加するどころではない。
 そのうえ――、守りたいものの一つのはずだった一真が、何故か自分よりも霊格が上で、鎮守役候補として望の傍にいるなんて――。

(カズ兄が悪いわけじゃないけど……)
 なんだか悔しい。
 一人だけで遠くへ行ってしまったような気がする。
 せめて、もう少し待っていてくれてもよかったのに。
「くうぅ……」
 手が痺れ始めた。
 過度な霊力の集中は肉体を傷つける。
霊力の制御が不安定ならば、その危険は更に増す。
近くに来た邪霊の顔面目掛けて振り下ろす。
「あ……」
 ポロリとクナイが手から零れた。霊力の供給を失った刃が元の符に戻っていく。
 後ろにいた邪霊が耳障りな鳴き声を上げながら向かってくる。
(組長……!)
 迫る邪霊に思ったのはそれだけだった。

 バリンッ

 うっすらと覆っていた黄色い幕が粉々に砕けた。
 飛び出してきた碧の人影が邪霊を殴り飛ばす。
「あ……」
 ラフなジャケットが碧の霊気に染まる。
 小さな頃から、いつも見ていた背中が目の前にあった。
「若菜!生きてるか!?」
 鳶色の瞳が振り向いた。
「一真兄ちゃん……」
 幼い頃の呼び名が口を突いて出た。
 無茶な真似をすると、いつも駆けつけてくれた「兄」が立っていた。