春暁の前に

16話



「これ……」
 広いバス亭にぽつんと置かれた白い紙袋がやたらと目についた。
 紙袋の中には女子用の制服と中学生用の教科書、そして……。
「若菜のだ……」
 明細に書かれた「北嶺若菜」
の名に一真は顔を強張らせた。
「あいつ……、ホントに結界張って戦ってんのかよ……」
「……彼女は破邪のことを知らないんでしょう……。合同合宿で習うのは、どれだけ優秀でも補佐の基礎固め程度……。霊符を八種類扱えるっていっても破邪を込めていない霊符じゃ、邪を抑えることはできてもダメージを与えることはできないんです」
「おいおい、それヤバいじゃん!!」
「普通は入隊前の修業で、そういうことも習うんですよ……。こんな風に邪霊を怖れずに突っ込む人は稀です。若菜さんもかなり狼の気性が強いんでしょうね……」
 望が宙の一点に手を触れた。
「ここが封じ目か……。下がって」
「どうするんだ?」
 黒い手袋をはめた手にぼうっと赤が灯った。
「外に結界を張った後、若菜さんが張った結界を破ります。鏡面の時と同じですよ。結界の中でなら、目撃される心配もないから……」
 言葉を切り、望は振り向いた。
「なっ」
空中に生じた澱みがボコボコと泡立った。にゅっと伸びたものが手足の形を作っていく。
「……あれが、人の邪念が邪霊化する瞬間です。誰か通りかからないか、見張っててください」
 言うが早いか、望は刀を抜いた。

 バシュッ

 赤い光が一閃し、澱みが霧散していく。
「先輩!あれ!あいつらも邪霊だよな!?」
 いくつかの黒い影が泡立ちながら大通りを流れていく。
「ヤバくねーか!?あっち行ったら……!」
 学園は小高い丘にあり、背後は山だ。だが、大通りを下れば住宅地がある。
「やれやれ、こんな時に重なるなあ……」
 望はペンダントを手に取った。
 水晶の面に蒼い光が灯る。
 望が軽く表面を撫でると、鏡面の時のように一真の耳に水晶の向こうの声が届いた。鎮守隊専用の通信機のようだが、優音や彰二は身につけていない。
『組長。今、どちらに?』
「あ、壬生君?学園バス停と正門付近に邪が頻発しています。警戒に当たってください」
『了解しました。近くに斎木君がいますね?』
「ぅげ!?」

 ――なんでバレてんだよ……!?

 優音は敵に回っても厄介そうだが、味方でもかなり手強いようだ。

「あはは、相変わらず鋭いなあ。なんでわかるの?」
 乾いた笑い声から察するに、望も相当やりこめられているのだろう。
 鎮守隊内部の力関係を垣間見た気がした。
『沖野君が生徒に逃げられたと連絡を寄越しています。斎木君の性格からいって、逃走は考えにくい。ならば、昼間に襲ってきた邪霊を倒しに行ったのではないかと。我々のほうに来なかったということは、組長のほうに行っている可能性が高いですからね』 「もうちょっと深刻です。仇討に走ったのは、一真君じゃなくて、彼の知り合いの北嶺若菜さんですよ。一真君は彼女を追いかけてきただけなので、今日は大目に見てあげてください」
『ああ、組長に即日入隊を直訴したっていう……。では、斎木君は組長の特殊講義ということでいいですか?』
「そういうことにしといてくれる?後で沖野君のところに謝りに行ってもらうから」
『それで、北嶺さんは今、どこに?』
「恐らく、学園のバス停で邪霊を結界に閉じ込めて交戦中です」
『は?』
「更に、数体の邪霊が町内に向かっています。町内へ向かった邪霊は僕が、若菜さんの救援は一真君に行ってもらいます。補佐の皆は一真君の援護をお願いします」
『いきなり斎木君を!?』
「ええ。隊は今、浅瀬橋付近でしょう?学園に到着するまで待っていられる余裕はありません」
 水晶の向こうで優音が少し黙った。
『……わかりました。バス停に向かいます。組長も気をつけて』
「お願いします」
『それと組長。あと一時間で休憩です。わかっていると思うけど……』
「それまでに合流でしょ?わかってますよ」
『……君のその返事は一番信用できないけれどね……』
 最後の一言にネチリとした響きを残し、水晶から光が消えた。
 隊の外では彼らはこういう感じなのかもしれない。
「あはは、壬生君ってばヒドイなあ……。もうちょっと信用してくれてもいいのに……」
 刀を数珠に仕舞い、望は振り向いた。
「一真君、太常の霊符は持ってる?」
「これでいいんだよな?」
 持ち出してきた霊符を一瞥し、望は頷いた。
「扱えますか?」
「習ったばっかのぶっつけ本番だけどな。自信だけはあるぜ?」
 ニヤリと笑うと、望も小さく笑った。
「十分です。バス停一帯を囲むほどの結界を張って、さっきの封じ目から結界を壊して中に入ってください。僕も、あれを祓ったらすぐに行きますから」
「わかった」
「若菜さんが結界に出入り口を作れるようなら、一緒に出て。抑えは補佐に任せてください。脱出が無理なようなら、風を使ってみてください」
 一真の返事を待たず、望は駆け出した。たちまちのうちに姿が見えなくなった。

(オレも……)

 人がいないのを確認し、霊符を構える。

“我が気を食らいて、その威を現せ……”

 指先で霊符が震え、黄の光を放つ。
 バス停一帯を包み込むイメージを脳裏に描き、符に送り込んで放つ。

“十二天が一、太常!”

 黄の光が伸び、ドーム状に宙に広がっていく。
「結界の中のほうが封じ目ってよく視えんだな……」
 隔離された世界の中で、黄色く光るもう一つのドームが揺れた。