春暁の前に

15話



(どこだ!?どこから吹いてくる!?)

 路地裏を急ぎながら、一真は感覚をフル稼働させた。
 社務所によると、若菜は十五分ほど前に書類を受け取って神社を出たらしい。

(今のあいつがさっきの邪霊に出くわしたら……!)

 間違いなく戦うだろう。
 鎮守役になりたいのならば、一人で邪を倒して望に認めてもらうのが手っ取り早い。
 幸か不幸か、昔から、この手の発想が一真と若菜はよく似ていた。それだけに、若菜が一番とりそうな行動が悲しいほどに予想できる。
 十字路で足を止め、感覚を澄ます。
 風が運んだ匂いは猿から立ち上っていたものとよく似ていた。同じ奴かどうかはわからないが、同レベルの邪霊が出没しているのは間違いない。

「クソ、いろいろ澱んでてわかんねェ……!」
 神社がどれだけ澄んだ霊気に包まれているのか――、こうして外に出てくるとよくわかる。あちこちから澱みが立ち上って混ざり合い、さっきのものがどれだったのか、よくわからない。
「学校行ってみるしかねェか……」
 大通りに出ようと角を曲がろうとして、足を止める。
 前方で空間が赤く揺らめいた。
 揺らぎが消えた後には、水色のパーカーを着た少年が立っていた。
「やっぱり一真君だ。何やってるんです?」
「すげェとこから出てきたな……。隊の奴らは?」
「皆は巡察を続けてもらっています。包囲網ができたから、僕だけ入って鎮めてたんだけど……」
「手伝えよ、補佐の奴ら……」
 望は苦笑を浮かべた。
「基本、戦うのは鎮守役だけですよ。補佐は鎮める力がないから、後ろからの援護くらいしかできないし。一人で戦ったほうが早いもの」
「前にも言ってたっけな……。その鎮める力ってヤツ、何か特殊な修業しねーと身につかねーのか?」
「正確には破邪っていって、格が丁以上になると霊力に宿り始めるんですよ。破邪が宿らないと、どれだけ戦闘力が高くても邪を鎮めることはできません」
「それが……」
 鎮守役と補佐の決定的な違いなのだろう。
 あれだけ強いのに、破邪の有無だけで鎮守役になれない優音は、どれだけ無念なことだろう。
「待ってくれよ!オレは!?その破邪ってヤツ、どうなんだ!?」
 バス停で邪霊に命中したはずの拳がすり抜けた。
 それはつまり、破邪が宿っていないということではないだろうか。
 霊力に破邪が宿っていないならば、鎮守役になれるはずがない。
「一真君は丁を超えてるし、かなり強い破邪が宿っているのは鏡面の時に見せてもらいましたから。破邪を込めるのって、ちょっとコツがいるんですよ。そのあたりは弟子入りしてから教えることになるけど……」
 望はにっこりと笑った。
「それで?沖野君の講義サボって何してるんです?」


「へェ、さっきより増えてんじゃん……」
 紙袋を地面に置き、若菜は挑戦的な笑みを浮かべた。
 停留所の屋根の上に二体、ベンチの下に一体、道路の上に三体、太物ほどの背丈の邪霊がうろついている。一体がこちらに気づき、奇声を上げた。
「ちょうどいいや。ムシャクシャしてたんだよね……」
 少し前にバスが出たばかりのバス停には他に人の姿はない。
 ポケットに手を入れ、一枚の霊符を取り出す。
「アンタ達をぶっ飛ばせば、認めてもらえちゃったりとかさ……」
 《邪霊を目撃した時は即座にその場から離れ、鎮守隊に連絡を入れること》
 合宿で配布された資料に、そんな一文があった気がするが、知ったことではなかった。

“十二天が一、太常!”

 黄色い光が周囲を囲んだ。


「若菜さんが邪と遭遇?」
 笑顔が一転、険しくなった。
「確かですか?」
「たぶん……。神社に気持ち悪い風が吹いてて、風の吹いてくる方向に若菜らしい奴の霊気を感じたんだよな」
 望は瞼を閉じた。
「……学園のほうが随分と澱んでる……。水の霊気も微かだけど残ってるな……」
 独り言のように呟き、望は瞼を上げた。
「邪気を感じた時、若菜さんの霊気が濁ったりとか、そんな感じはしなかったですか?」
「それはなかったけど……、町に下りてきたらわからなくなっちまって……」
「仕方ありませんよ。昼間は皆が動き回ってるから、いろんな念が飛び交ってますからね」
「先輩にはわかるのか?」
 望はかぶりを振った。
「……邪の気配も水の気配も、今はほとんど感じられません」
「え……?」
 望の言葉が何を意味するのか、一真にはわからない。ただ、その表情から、よくない状況だということはわかる。
「たぶん、結界を張って戦おうとしてるんですね……。単独行動中に邪に襲われたら、とりあえず隊に連絡するように習ったはずなんだけど……。好戦的な人だなあ……」
 望は呆れたように学園の方向を眺めた。
 原因が自分の妹分なだけに居たたまれない気分だ。
「僕はこれから学園に向かいます。一真君は……」
「オレも行く!いいだろ!?」
「そう言うと思いました……」
 望は軽く地を蹴った。
「じゃあ、学園までに僕に追いつけたら考えようかな。ついてこれなかったら、諦めて戻ってください」
 穏やかな声が耳に届いた時には、望は通りから姿を消していた。
 隠人の身体能力を使っているのだろうが、やはり速い。
 一真はトントンと靴を慣らした。

「こんなに早く、使うことになるなんてな……」

 全身に霊力を通し、呼吸を整える。
 視界が切り替わり、全ての霊気が色を帯びて映る。
 鏡面との戦いが終わってから、一真なりに訓練を積んだ成果である。
 付近に人の気配がないのを確認し、一歩を踏み出す。
 重力を忘れたように体が加速し、景色が後ろへ流れていく。
 飛行機雲のようにうっすらと残る火の霊気を追い、路地を駆ける。
(いた……!)
 大通りに並行している路地を行く望の後ろ姿がぐんぐん近づく。

「追いついたぜ!」
 横に並んで声をかけると、望は目を丸くした。
「驚いたなぁ……。霊体の切り替え、できるようになったの?」
「へへ、あれから練習してたんだ。約束通り、ついてくぜ?」
「……仕方ないですね。今日は危険も少ないでしょうし……」
 意外にも、あっさりと許可が出た。会合のことを考えているのかもしれない。
「邪が出ているのは学園の正門前あたりでしょう……。さっき、光咲さんを襲ったヤツが出てきたのかもしれないな……。巡察の時は見つからなかったようですから」
「あの学園って、こんなに邪が出んのか?新学期の前に、お祓いとかしたほうがよくね?」
「学園では独自に結界が張られていますし、バス停みたいな外と繋がっている微妙な場所は毎週祓ってますよ……。でも、確かに急に増えてるな……。昨日も五件くらいがバス停と正門での出没だったっけ……」
 望は暫し考え、
「あ、そうか。寮生だ!一昨日あたりから帰省してた寮生が戻ってきてるから、くっついてきちゃったんだ……」
「そーいうのでも邪って増えるのな……」
「この町は特殊ですから……」
 この浅城町は霊力を帯びていて、町が丸ごとパワースポットのようになっていると、以前、望が言っていたのを思い出す。
「他のとこより邪の出没が多いって言ってたのと関係あんのか?」
「ええ。人が抱く邪念が剥がれ落ちて、この土地の霊力に念が増幅されて邪霊化するんです。この町では、かなり多いパターンです。特に、学校は……。閉鎖されてるところで、いろんな感情が渦巻いてて危ないんですよね……。新学期が始まったら、あちこち真っ黒でブルーになりますよ」
「げ〜〜、あんまそーいう黒いの見たくねェんスけど……。明るくて楽しい高校生活希望!っていうか……」
「あはは、皆言うんですよ。諦めてください。すぐ慣れますから」

 角を曲がり跳躍すると、学園の正門が眼下に広がった。